

夜に想う
その日は、近くの小学校の校庭で花火大会がある予定だった。しかし、夕方からあいにくの雨模様。これではきっと花火大会は中止だろう。中止になって当たり前なほど雨は濃く降り募っていた。今更子どものようには花火を期待しはしないが、何年かぶりに大きな打ち上げ花火を、体の底に響かせてやりたいという思いはあった。 定刻が過ぎ、外は雨音しかせず、やはり駄目らしいとあきらめかけたとき、突然ドーンという花火の音がした。私は急いでベランダに出て夜空を見上げてみた。まさかこんなに降っているのに・・・ 一発目を皮切りに、生き急ぐように次々と打ち上げられる花火は、音だけは大きくても、花開く火の粉はすぐに雨に消され、おぼろな光だけをまき散らして消えていった。それは夏の夜を飾る華やかできらびやかな大輪の花というよりは、はかなく哀れな枯れかかった彼岸花を連想させた。 だんだん激しくなる雨の中を、花火は自棄のように次々と打ち上げられた。それは今まで見た中で最も痛ましい感じを抱かせる花火だった。 薄くぼんやり開いてはすぐにしぼむように消える花火を、私は最後の一閃が消え去るまでず
読了時間: 5分


1981年9月19日
夜、部屋の中には陶器の冷たさが充満していた。模様ガラスの向こうに街灯の明かりが濡れたように滲んでいる。目の前に置いた素焼きの大壺の肌は、目の粗いやすりのように、鉛筆の芯を削っていった。壺の内側へと響きをこもらせて、限られた陶彩をのせるために、線はできるだけ素早く簡略でなければならなかった。 いつでも発想には事欠いていた。他人の仕事を引き写すだけでは、到底鮮やかな発色は望むことはできない。もしその壺そのものが私自身の作品であったなら、すべてを私の力で埋め尽くそうとしただろう。しかし、その仕事には、もうそこまでの純一は求められてはいなかった。 何度も尋ねられた。「どうして陶芸をやろうと思ったのですか?」そして何度も答えた。作陶は無心になるための手段だった。ただ無心になれさえすればよかった。IQをゼロにして、指先の感覚だけで生きていたかった。穏やかなドラッグに酔いしれるように、私はそれによって分別を逸脱しようとしていた。 その夜、セントラルパークに集まった群衆は熱狂していた。サイモンは憂鬱な黒い瞳で、ガーファンクルはやわらかな金髪で、懐かしいハー
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ターくん
朝から二台の大型トラックがターくんの家の前に止まっている。今日、ターくんの家は取り壊されるのだ。 ターくんの家族が小田原に引っ越していったのは、ちょうど一年前の夏休み。引っ越しの二日前にご両親が挨拶にみえて、次の日には慌ただしく荷造りをしていた。あまりに急な引っ越しに、いつもターくんに遊んでもらっていたうちの二人の子どもたちも、信じられない風に、 「本当にターくん行っちゃうの? もう 、遊べないの?」と、 泣きべそをかいていた。 引っ越していった時、ターくんは中学一年生だった。少しやせていて、少し悲しい目をした少年だった。幼い子どもたちのわがままにも、辛抱強くつきあってくれて、追いかけっこをしたり、走り回ったりして、天気の良い日にはいつも楽しく遊んでくれた。かなづちで板に釘を打ち、小さな木工品を作ってくれたりもした。毎朝、花に水やりをしていたし、日曜日には、学校の上履きを丁寧にたわしで洗っていた。 「ターくんて、牧師さんにでもなりそうな真面目ないい子だね」 家族の皆もそう言い合って、いつもター君を褒めていた。 ターくんの家族が引っ越してい
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夏の終わりに
夏休みももうすぐ終わろうとしていたある夕方のことだった。家のすぐ前にある団地は、お祭りの準備でざわめいていて、いくつも吊り下げられている提灯には、華やかな色とりどりの明かりがともっていた。いつもは閑散としている団地の広場は、屋台の準備に走り回る人でにぎやかだ。 子どもたちがお祭りに行きたいというのを、少しうちで待っててね、と言い聞かせて、私が黒い喪服を着てひとり出かけた斎場では、すでに読経が始まっていた。集まっているのはほとんどが、幼稚園か小学校の子どもをもつ若い母親ばかりだった。 遺影に飾られている人は、まだ二十代とも見える痛々しい若さで美しく微笑んでいた。がん治療で失った髪を隠すために、いつも帽子を深々とかぶっていたが、写真の中の彼女は、ふっさりとした黒い髪をやわらかにウェーブさせていた。 幼稚園のお迎えで会う彼女はいつも、さっぱりとした明るい笑顔で皆に接していた。七月の七夕祭り、懇談会にも元気そうに顔を見せていた。そのままおだやかな日々が続くかのように思われたのに、八月には病はもう取り返しのつかない段階にまで入っていたのだ。...
読了時間: 3分


夏の蝶
大学の夏休み、アルバイトから帰るとすぐに飼い犬のロンを散歩に連れ出すのが私の日課だった。 ある日の夕方、いつもの散歩の途中、藁葺きの御堂へ続く田んぼ沿いの道を歩いていると、突然夕立が襲ってきた。子どもの手のひらくらいの大きな染み跡が足元に次々と落ちかかり、みるみるうちに道路を黒く染めていく。一瞬にして空間は雨に埋め尽くされ、轟きわたる雨音がすべての音を消し去っていった。さっきまでの薄い曇り空が嘘のように、真っ黒な雲が厚ぼったく重なり広がっていく。 どこかに雨宿りできるところを探さなくては。私はロンの引き綱を引っ張りながら、人家のほとんどない田んぼの道を抜け、野球場横に新しく建ったばかりの小さなレストランの軒先に駆け込んだ。 すでに私もロンも全身ずぶ濡れになっていた。ロンは乾いたコンクリートに腰を落ち着けると、何度か胴震いをして雨のしずくを振り飛ばし、念入りに体中を嘗め始めた。 雨は尖ったつららのような形で地面に突き刺さってくる。ロンは身づくろいの間にも怯えたように空の匂いを嗅ぎ、首をかしげていた。私は心細くロンを抱き寄せながら、シュロの木
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瓢箪池
私は、遠い記憶を呼び覚ます。それは瓢箪池と名付けられた龍の涙のような池のことだ。 中学1年の夏休み、例年7月31日は、全校登校日で、生徒会主催の半日ハイクが行われることになっていた。朝から肌を焦がす陽射しが照り付け、校庭に整列しているだけでも体中の汗がしぼり取られてしまうような暑さだ。 生意気盛りの中学生が、こんなおしきせのハイキングを喜ぶはずもなく、 「全く愚にもつかない風習だぜ」 「一体こんな真夏に、だれがハイキングなんてしたいと思うの?」 そう口々に毒づきながら、早くも水筒の水をがぶ飲みしているのだった。 実行委員長らの一通りの挨拶が済むと、乱れた列のままにぞろぞろと校門を出て歩きはじめた。目的地は北の森の方にある瓢箪池だった。 中学校裏の街道を横断すると、両側を田んぼにはさまれた細い砂利道が森に向かって一直線に続いている。途中、数本の巨大な銀杏の木に取り囲まれた小さな神社を右手に見ながら、中学生たちの列は教師たちに見張られていない気安さで、こづき合いながら、ふざけ合いながら、緩慢なペースで歩いていった。 その道は私の通学路でも
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