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オッペルかオツベルか



 NHKの教養番組を見ていて、あれっと思ったことがある。中学1年の時の国語の教科書に「オッペルと象」という題名で載っていた作品が、番組では「オツベルと象」という題名で紹介されていたのだ。「オッペル」がいつ「オツベル」に正されたのか。50年近く全く気づかなかった。違和感がはなはだしい。

 原稿の原本も残ってはいないそうだ。宮沢賢治はどう発音してもらいたくて書いたのか、本人に聞いてみたいところだが、今更もうそれもかなわない。

 同じように「カロチン」と呼んでいたものがいつのまにか「カロテン」と言われるようになっていて、そうか、変わったのだなと思いながらも慣れ親しんできた「カロチン」という言葉の響きは私の中ではこれからも消せそうもない。

 「国鉄」は「JR」に、「看護婦」は「看護師」に、最近では「Twitter」が「X」に。

 時代と共に言い方や使われ方が変わってきた言葉は調べると数限りない。これが歴史の教科書で頻繁に行われたら受験生は混乱するだろう。言い方ばかりか年号や出土品まであやしくなって、果たして何を信じていいのやら。金印「漢委奴国王」は資料集にぴかぴかの写真まで載っていたのに、偽物かもしれないって?

 そして「フランシスコ・ザビエル」も「フランシスコ・シャヴィエル」に変更されるかもしれないという。なにそれ、なんかおしゃれ。

 もう受験とは関係のない私は「ザビエル」でも「シャヴィエル」でもどちらでもいいのだが、しかし「ザビエル」と言っただけで思い浮かぶ数学の先生の顔もあり、それはもうひとつのイメージになってしまっているのである。

 新しいものに順応していかなくてはと思いはするが、身の内に沁みついたものをすっかり消し去りたくはない。私にとって「オッペルと象」はやはり「オッペルと象」なのだ。昭和脳と呼ばれようが、記憶と分け難く結びついた言葉のイメージは手放さずにいたいと思う。







 

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