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鏑木詩集(アンソロジー)                     鏑木恵子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霧の谷

 

 霧の谷の底で、ただ声だけを探し求めていた。足もと以外はどこを見ても真っ白に塗りこめられ、まるで方向がつかめなかった。視界は完全にふさがれていた。それは、真っ暗な闇の中をさまよう感覚と似ていた。

 少女が、いきなり目の前に現れる。互いに「あっ」と小さく叫びながら素早く横をすり抜ける。振り返っても、もう彼女の姿は見えない。生き物の気配だけに耳を澄ませて、白い谷の底をぐるぐると巡っている。

 親しい者たちは、今どこにいるのか。風が吹くと、白い闇に緑の裂け目ができる。森の中の小道を映し出す。アブラゼミがサイレンを鳴らす。

 何度も消え、何度も現れる。色を消してしまうほどの濃い白に、天地は次第に意味を失っていく。くぐりぬけるたびに微細な水の粒が、顔や腕の産毛に重なる。出会うたびに少女はだんだん淡くなる。真っ白な闇の中で、方向も、時間さえも見失っていく。霧の谷の少女よ。名前を呼び合わなくても、すぐそばにいることを感じていられるだろうか、いつまでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  磯で遊ぶ

 足を入れると、潮だまりの片隅をヤドカリがそそそと走り、カニが岩かげにきるきるともぐりこむ。フジツボたちは岩肌一面にはりついて、しんしんと日に当たっている。

 「ぞぞむし」が、あるいは「ざざむし」が、赤黒い藻の間にひそんでいるらしい。(その名前を叫んだだけで、実体を見なくても、それぞれの頭の中にそれぞれのイメージが)

 桃色のまだら模様の浅い干潟。腹が銀色に透けた小魚が十匹ほど。小網をふりかざしながら、君たちは今年も海に来た。足だけのはずが、ふとももまで、そのうち首まで入って、波に揺すぶられて笑う。揺すぶられてもっていかれないように互いの腕をつかみ合っている。

 空は白く、海も白い。三ツ石へと渡る岩場のあたりを、素潜りする人たちの頭が動く。遠くからいきなり夕立が来そうだ。あの雲。

 

 

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  海の石

 

 どの小石もすべすべとやわらかかった。はだしでその上を歩いても、痛いとは感じなかった。あちらこちらに残された花火の残骸が、昨夜の若者たちの痕跡を示していた。

 海に近づいていくごとに、根こそぎもぎとられた赤いホンダワラや、まだ子どもらしいひからびたエイの死骸に出会った。砂の浜辺で拾えるものは、小石ぐらいしかなかった。

 どの小石も、生まれてこのかた海しか知らない、といった顔をしていた。宝石のようでも、武器のようでも、道具のようでもなく、ましてや誰かの役に立とうなどとは金輪際思ってはいない。石として最後の姿になるためだけに、次に来る波を待ち続けていた。

 泡立ち砂を巻き込みながらやってくるやつらに転がされ、転がされ、転がされ、転がされる時だけ動くことができた。傷つき、傷つき、傷ついていた跡さえ消えるほど丸くなって、海深く戻される日を待っていた。

 離れあった釣り人たちが静かに糸を巻く。はねあげた水しぶきが束の間、石たちに色をよみがえらせる。

 君たちが拾ってきたのは、そんな海の石だ。

 

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  風と砂の海で

 

 

 海風が激しかった。遠浅の海は小刻みに波を寄せていた。緑の海藻がとろとろと波打ち際でもまれている。波に乗って、ビニール袋のようなクラゲたちが浮き沈みする。溺れてしまったTシャツを脱いで腕に通すと、旗のように真横にはためいた。

 今年は、いくつかの海を見た。岩礁の海、小石の海、釣り人の海、素潜りの海。そしてここは、風と砂が吹きすさぶ海だ。

 さほど遠くない冲に小さな町が見える。その町がもたれる背には、半球の丘がふたつみっつ。乳房のようだ、と人は言うかもしれない。ならば私は、太鼓腹のような、と言っておこう。

 また砂浜に穴を掘った。幸福に生きているからこそ、ただ穴を掘っているだけで楽しい。穴は、風呂になり、トイレになり、ベッドになる。転がりまわって最後には壊してしまう。来年はみんなの水着を新しく買い替えなくてはならないだろうね。

 そうして、何かが終わってしまう、終わってしまうと、乱れた足跡のくぼみがつぶやく。それぞれの体重の分だけ浅く深く。

 波は盗むように追ってきている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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