top of page

パートの仕事でこんなことがあった

 

40代半ばの頃、家から歩いて30秒ぐらいのところにクリーニング施設ができたので、パートの仕事をしに行っていた時があった。大型入浴施設で使用したタオルやサウナスーツを洗濯してたたむ仕事。週に3日、午後4時間ほど行っていた。午前の部5人、午後の部5人の態勢だった。皆、近所の主婦たちのようだった。

 超大型洗濯機や、100度にもなる乾燥機が常時回っているので施設の中は暑くてたまらないし、たたんで束にしたサウナマットはかなり重かったが、仕事自体はそうは難しくはない。

しかし私はこの仕事を2か月半しか続けられなかったのだ。主として人間関係に悩まされて。

 私を雇い入れた時は人手が足りなかったのだが、その後に徐々に持ち込まれてくるタオル類の数が減ってきて、

「こんなにパートさん必要がなかった。雇うの失敗した」

などと、上司である若手社員が公然とぼやき始めたのがそもそもの始まりだ。

 私より1か月ほど早く雇われていたある女性(仮にAさんと言おう)が、男性社員に仕事に来る日を減らしてくれないかと言われたらしく、

「なんで私が仕事を減らされなくちゃならないの? それなら新しく雇わなければよかったのに」

と、あからさまに私の方を見て険しい顔をしてにらんできた。

 私はAさんの怒りにおののいて、

「やめたほうがいいのかな」

などと小さな声で言っていたが、他の人たちが、

「上司にやめろと言われてるわけじゃないんだから、やめなくていいと思うよ」

と言ってくれたので、肩身が狭いながらも仕事に通い続けた。

 私はAさんに対しては、低姿勢で、

「ありがとう。すみません」

などと声をかけて関係を良くしようとずっと努めていた。

 しかしAさんの私を憎む気持ちはしばらくたってもおさまらず、ずっと嫌味なことを言われ続けた。

 以下はAさんから受けたパワハラのような会話の一部である。


 仕事を始めて2日目に、「あ、うん、の呼吸でやってもらわないと困る!」と強い言葉で言われる。

 カートの置き方が少し曲がっていただけで「先を見越して直さずに済むように置かなくちゃ!」と叱責口調。

 タオルをたたむ機械に流した後、タオルが入っていたカゴを元の場所に戻すのが少しでも遅れたら、「カゴはすぐに戻す!」とやはり強い叱責口調。

 たたみ終わったタオルを急いでテーブルの上に置きに行ってすぐに戻ったのに、「場所を離れる時は機械の停止ボタンを押して!」とイライラしたように言ってくる。

 サウナスーツをたたんだものを邪魔にならないように左に置いたら、「たたんだら右側に置いてって言われなかった? 何度も言わせないで!」 それもそもそも右側が窮屈だったので置けなかったのだ。

 タオルを結束したものを数えてからカートに乗せようと、一時的にテーブルに並べて置いていたら「こんなところに並べたら邪魔じゃないの!」

 洗濯機、乾燥機、結束機の元電源を切り忘れていたら「終わったらOFFにしなくちゃ!」これは先輩たちもよく忘れていて、気づけば私が消してあげていたこともあったが、Aさんは先輩たちの失念には何も言わず。

 男性社員に教わったやり方でヒーリング毛布をたたんでいたら「そうじゃない。こっちのやり方で。みんなもそうやってるんだから」とやり直させられる。

 タオルの数を数えるように男性社員に言われたので慎重に数えて紙に記入していたら「何やってんの! 無駄な事しないで!」と言われる。

 先輩パートさんが教えてくれたように、タオルの合計数をホワイトボードに書いていたら、Aさんは「二つある機械のそれぞれのタオル数を書いて、それを合計する形で書いて」と嫌味な顔で言ってくる。必要なのは合計数だけなので、それこそ無駄じゃないかと私は心の中で思っていたが何も言わず従う。

 ある日、他のパートさんが休んでしまいAさんと二人体制になってしまった時、「二人体制になったんだからいつも通りじゃなくてまわりを見て!」と急に衣類の並べ方を変えてくる。「何度も何度も同じことを言わせないで」と口癖のように言う。私は私でだんだん呆れて来て「言わなくてもいいことを言ってるからだろ」と思っていた。

 私がやろうとすることがいちいち気に障るらしく、手伝おうとすると「これじゃなくて、そっちをやってていいから」と強い口調ではねのけられる。

 私がいかに仕事ができない人間かを、上司である男性社員に別室でチクっている姿も見た。これにはさすがに私も、クソッ!と思った。

 そんなにチクられるほど重大なミスを犯した覚えはない。他のパートさんとトラブってもいないし、一体私のどこが悪かったのか見当もつかなかった。そもそも他のパートさんも丁寧に仕事を教えてくれるわけでもなかったので、真似をしたり聞いたりしながら少しずつ仕事に慣れていく最初の段階だった。

 仕事を始めて一か月目で、

「まだ新人なのでご迷惑おかけしてすみません」

とAさんに言ったら、

「まだ新人のつもりなの?」

と怖い顔で言われた。最初から彼女との認識には大きなずれがあったのだ。

 Aさんのこのようなクレームは私がはじめてではないらしく、前に勤めていた人もAさんのせいでやめていたと他の人から聞いた。

 Aさんは、若手の男性社員のことも、「何の経験も無いボンボンだからパートの采配がまるでできていない。人の仕事を減らしてまで新しいパートを雇う必要あった?」とずっと怒っていた。


 これらが私が二か月半、週に3日の仕事で言われ続けた言葉の一部である。私も慣れない仕事を覚えている過程で、いろいろな間違いや、動きの悪さがあったかもしれない。それにしても、である。

 私はAさんに何度「すみません。ごめんなさい」を言ったことか。なんとか気を奮い立たせて2か月半頑張ったが、こんなことは我慢し続けるべきではない、やめるべきだと思いはじめるのにそうは時間はかからなかった。

 やめると決めた最後の仕事の日。私はAさんより完璧に仕事をこなし、ふん、これでどう? ぐうの音も出ないでしょ、とAさんに冷たい目を向けていた。Aさんがいつになくタオルをたたむ機械でてこずっていても手伝わなかった。 

 私がよく教えられてもいない手順をメモを見ながら必死でこなしていた時も、「なにもたもたしてんの」という態度だったAさんに最後にちょっとだけしっぺ返しを食らわせた形だった。気分爽快とはいかなくて、私もAさん並の品性の悪さに堕したようで後味の悪さが残った。

 仕事はやめても、その仕事場は自宅から歩いて30秒のところにある。社員やパートの人たちとたびたび顔を合わせてしまうこともあった。Aさん以外のパートさんとは普通ににこやかに挨拶をすることができた。彼女たちは私がAさんに理不尽な嫌味を言われていても遠巻きに様子をうかがっていただけだったから、どちらかというといじめに組していた側と言えなくも無いが。

 Aさんと道で出くわした時は、さすがにお互い顔をこわばらせながら会釈することしかできなかった。私とそうは歳は違わなかったはずだが、彼女はいつも渋面を張り付けたような顔をしていて、笑顔だった印象はほとんど無い。私はあのように文句や難癖を言い続ける人を見たことが無い。

 男性社員が朝ゴミ出ししているところにも出くわした。私が普通に笑顔で「おはようございます。この前は急にやめてしまってすみません」と言うと、人のよさそうなその社員は私を見て少しとまどい、

「こちらこそすみません。また顔を合わせたら挨拶してくださいね」とちょっと悲しそうな顔で微笑んだ。その言い方にちょっと笑えた。

 彼も今回のことでは悩んでいただろう。私がAさんのことでひどく傷ついてやめた経緯も知っていたはずだ。私に対して申し訳なく思っていたかどうかはわからないが、私がいることでトラブルが発生していたのだから、これで落ち着いていくといいと思った。

 生活がかかっていてどんなにつらくても仕事をやめることができなかったら、私はどうなっていただろう。文句を言われ続けて自信も元気もなくしていたか、Aさんに何の文句も言わせないほど冷徹な仕事ぶりになっていたか。どちらにせよ人間性が否定されるような職場環境には長居するべきではない。心身の健康が損なわれる。


 私は気持ちを吹っ切るようにして、この後すぐに、今度は自転車で5分のところにあった海苔店のパートの仕事に挑みに行った。ここは姑が体調を悪くするまで7年ほど勤めることができた。クリーニング施設の倍ぐらいの重労働だったのだが、いやな人間関係はなかったのでなんとか続けることができたのだ。

 海苔店での仕事は、月曜から土曜日まで朝八時から夕方七時まで仕事がみっちりあって、五時で帰らせて欲しいと言いにくいところが難点だった。結局徐々に七時まで働くことになりかなり疲れたが、まあまあ若かったからできたことだ。

 





Comments


bottom of page