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夜に想う


 その日は、近くの小学校の校庭で花火大会がある予定だった。しかし、夕方からあいにくの雨模様。これではきっと花火大会は中止だろう。中止になって当たり前なほど雨は濃く降り募っていた。今更子どものようにには花火を期待しはしないが、何年かぶりに大きな打ち上げ花火を、体の底に響かせてやりたいという思いはあった。

 定刻が過ぎ、外は雨音しかせず、やはり駄目らしいとあきらめかけたとき、突然ドーンという花火の音がした。私は急いでベランダに出て夜空を見上げてみた。まさかこんなに降っているのに・・・

 一発目を皮切りに、生き急ぐように次々と打ち上げられる花火は、音だけは大きくても、花開く火の粉はすぐに雨に消され、おぼろな光だけをまき散らして消えていった。それは夏の夜を飾る華やかできらびやかな大輪の花というよりは、はかなく哀れな枯れかかった彼岸花を連想させた。

 だんだん激しくなる雨の中を、花火は自棄のように次々と打ち上げられた。それは今まで見た中で最も痛ましい感じを抱かせる花火だった。

 薄くぼんやり開いてはすぐにしぼむように消える花火を、私は最後の一閃が消え去るまでずっとみつめていた。徹底的な負のイメージ。そのイメージはきっと今日だけでは済まない。これからも繰り返し思い出してしまう光景に違いない。半ばあきらめながら私はそう直感していた。

 取り返しがつかないといった言葉がふさわしい。しかし、生と死を分ける取り返しのつかなさでない限り、私にとっては負のイメージもまた創造の糧だった。浮き上がりそうな観念を深く沈潜させるための。

 夏の宵、網戸の外から流れ込んでくる線香の匂い。私の部屋の窓から1メートルほどのところに隣家の窓はあり、その奥に死者の霊は祀られていた。

 深夜、勉強に疲れて明かりを消した部屋に寝ころび、目を休めていると、隣家とのわずかな隙間に、雲と雲との間を白く染め抜いた満月が見えた。

 銅色の雲の縁をぼんやりと明るませながら、次から次へと雲をやり過ごし、月は乾いたよそよそしい面持ちで、たった一人で夜にたたずんでいた。

 まだ私は何も怖くはなかった。椅子や机の鉱物的な堅さ。重ねられた参考書。神秘なエナジーを生み出す1本の万年筆。真新しい原稿用紙。そのどれもが私を支えようとしていた。

 聖霊よ、むしろ私の元へ来い。悲しげなビジョンが窓辺に座ったならこの腕を伸ばしておまえの輪郭をたどり、その冷たさを計ろう。そして沈黙のうちに、祈りのような語らいをしよう。

 勉強をしていて夜を明かしてしまう事などめったに無かったが、うつらうつらした窓辺の眠りが、澄んだひぐらしの声で破られる時があった。1匹が鳴きはじめると、波のように声が伝播し、やがては潮の満ち引きのような大合唱となっていく。

 太陽が大気に光の刃を突き刺すまでの数時間、ひぐらしはまるで紀元を越えてきたかのような誇らしげな鳴き声を、まだ暗い明け方に響かせた。私は疲れた目を閉じて縁側にうずくまり、ぼんやりひぐらしの声を聞いているのが好きだった。

 夜明けは薄い黄緑色をしていた。か弱さに耐えて生まれ出ようとしている1匹のさなぎのように、淡い拍動を次第にふくらませていきながら。

何度も指摘された。もっと破綻せよと。

 私の詩は徐々に固まりつつあった。もし何の迷いもなくその固まりのままつき進むことができたなら、それはそれで一つの境地にたどり着けたのかもしれない。

 けれど、これは自分の求めていたものとはどこか違うと考えずにはいられなかった。円の内側を構成するのではなく、外へ放射状に解放されていく自由元素でありたい!

 激しく一生を駆け抜けた村山塊多の、血を吐くような詩の前には頭を下げずにはいられない。命のぎりぎりを歌うということ、言いたいことを言い切る強さ。完璧な表現を選び出す作業に神経を擦り切らせる前に、生の声をじかにぶつける気迫を持つことを第一とするべきだった。

 一体本物の詩とはどういうものなのだろうか。その問いに対して今もおそらくこれからも、納得のいく解答は出せないのかもしれない。草稿がたまっていき、一冊の詩集ができたとしても、それは必ずしも決定稿ではなく、際限なく手を加えるべき未定稿であることを、私は心の隅に銘記しておかなくてはなるまい。

 ある夜、深夜に近いころ、ふと外に降り立った時、あたりの異様な明るさにはっと息をのんだ記憶がある。頭上に輝くのは、満月だった。足下には私の影がくきりと映り、木々の葉も月光を反射して艶やかに光っていた。ものの色さえはっきりとわかった。白く強い月の明かりに照らされた光景、それはさながら真昼のようだった。

 私は空を振り仰ぎ、周りを見回し、自分の手を見た。指の1本1本まで鮮明な影が、別の生き物のように地面に落ち、その影の濃さによっていっそう強く明るさを感じた。まぶしいとさえ思った。

 私は神秘な思いに打たれて、しばらく庭をさまよった。カシオペア、オリオン、北斗七星、子どもの頃、習い覚えた星々は変わらずに輝き、この夜にささやかな明るさを加味していた。人々が寝静まっているのが不思議なほど華やかで賑わしい明かり。

 この場所こそが億光年を走り通してきた光の終着だった。

私は星々から届けられたすべての光量を余すことなく全身で受け止めていた。永劫の途中で発生した私の遺伝子は、もう何度こんな眩しい夜に出会っただろう。何度生きることの計り知れなさを思っただろう。何度死の平穏について考えただろう。何度無口な恋をしたのだろう。

 宇宙の片隅にいる自分。ちっぽけな原始生命体が、取り巻く惑星を畏れながら探査するかのように、故国の太陽と比べ合うかのように、開いた素手を熱いアンテナにして、私はいつまでも夜に立ち尽くしていた。

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