

英語を学ぶ
パソコンでDuolingo という無料の語学学習ツールを使っている。英語や中国語、フランス語、ドイツ語などの他に多種多様な語学が学べるようだが英語以外できる気がしないので英語だけやっている。 色々なランクがあってルビーリーグ、サファイアリーグ、アメジストリーグ、黒曜石リーグなどランクアップしていき最後の到達点はダイアモンドリーグである。問題文の難易度もリーグを制覇するごとに増していく。 1度ダイアモンドリーグまで至ったのだが実はこの英語教材にはゴールはなく、延々と教材は続いていくのである。 当然ダイアモンドに居続けるモチベーションは徐々に落ちていき、従ってランクも下がっていく。今は真ん中辺の難易度のエメラルドリーグにいる。成績上位にいないとすぐにランクダウンしてしまうのだ。 英語はちゃんと勉強し直したいとずっと思っている。外国の映画のセリフを吹き替え無しで聴き取りたいし、在日米軍の人向けのラジオ放送AFNなどもニュースっぽいことを言っている部分をちゃんと理解してみたい。洋楽を聞いていてもネットで歌詞の和訳を見ないと何を歌っているのか分から
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何を信じるか
私は無宗教だ。信仰に関するパンフレットや冊子を持って時折訪ねてきてくれる知り合いは何人かいるが、玄関先で調子よくふんふんと聞くだけで深入りはしない。布教に来る人はたいがい愛想がよくて感じがいい。けれど世間話に応じているだけなのに、宗教に興味があるのではないかと受け取られてしまっても困る。いつか寄付とか会合への出席を迫られそうで、普通の友人関係になるのも警戒してしまう。 大学時代、宗教に大いに近づいたことがあった。大学には多くのカルト宗教団体が存在していて、サークルの名を借りて勧誘をかけてくることが多いのだ。 私に声をかけてきたのは同じ大学で1学年上の理工学部に所属しているという青年だった。(後に1学年上というのは嘘で、同学年だったことを知った)。 「君の人生の目的は?」とか「本当の幸福を得るためにはどうしたらいいか」とか、最初から真面目に問いかけてきてくれて、なにかとても深い思索へといざなってくれるサークルのように思えた。背が高く、やせていて色白で非常に静かな佇まいの人だった。 それが仏教系のサークルだと気づくのにそうは時間はかからなかった
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南直哉尊師について
恐山の禅僧、南直哉尊師は大学時代の同窓生である。正確に言えば夫の同級生である。私とは専攻が違ったため授業で顔を合わせることはなかったが、私が教室の前で学生だった夫が出てくるのを待っていた時、南さんと時々顔を合わせることがあった。とてもやせていて一際背の高い人だった。 学生の頃は南さんとは直接話をすることもなかった。目が合ったことはあったが私のことなど覚えてもいないだろう。私には気になる人だった。何事も無く普通に青春を楽しんでいるような若者たちとは雰囲気を全く異にしていたから。 卒業して何年もたって、ある日書店で「老師と少年」という本を見かけた。著者の名前が南さんだったので、検索したらあの南さんであることが分かった。まさか禅僧として確固たる地位を成していたとは。南直哉というお名前は「みなみじきさい」と読み替えてそのまま僧名になっていた。 永平寺で修行した後、今は恐山の管主をなさっているという。「恐山あれこれ日記」というブログも書いていらっしゃる。すごいなあ、立派だなあと思って時々ブログを覗かせてもらっている。 私が姑の介護で少し参っていた時
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私の好きだった絵本
昔私が持っていた絵本のうち何冊かは子どもが読むものとは思われないほどのリアルで美麗な絵柄だった。 特に覚えているのは「リア王」や「人魚姫」だ。 「リア王」を子供向きの絵本にしたことからして驚きだ。鎧を着た軍勢たち。荒野をさまようリア王。まごころを捧げたコーディリアの悲劇的な最期。その絵本はちゃんと中世の西洋を感じさせてくれた。どのページの絵も重厚な油絵のように色彩ゆたかに緻密に描かれていた。 リア王の愚かさ、コーネリアの誠実だが言葉足らずなところ、姉たちのエゴや冷酷。人間の暗黒面をあますところなく描いていた。それは本気の画家の画力でなくては描き得なかったものだった。 「人魚姫」に至っては、大人の恋愛の酷さをシビアに描いているので、こちらも「リア王」同様本来絵本向きではない。海から上がって足を得た人魚姫のなまなましい裸体も大胆に描かれていた。子どもながらにそのページは気恥ずかしかった。しかしリアルな生身の人間の姿として描いてくれていたからこそ、愛することや生きることの深い意味を真剣に問いかけてくれているような気がした。 人魚姫の愛がかなわず
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オッペルかオツベルか
NHKの教養番組を見ていて、あれっと思ったことがある。中学1年の時の国語の教科書に「オッペルと象」という題名で載っていた作品が、番組では「オツベルと象」という題名で紹介されていたのだ。「オッペル」がいつ「オツベル」に正されたのか。50年近く全く気づかなかった。違和感がはなはだしい。 原稿の原本も残ってはいないそうだ。宮沢賢治はどう発音してもらいたくて書いたのか、本人に聞いてみたいところだが、今更もうそれもかなわない。 同じように「カロチン」と呼んでいたものがいつのまにか「カロテン」と言われるようになっていて、そうか、変わったのだなと思いながらも慣れ親しんできた「カロチン」という言葉の響きは私の中ではこれからも消せそうもない。 「国鉄」は「JR」に、「看護婦」は「看護師」に、最近では「Twitter」が「X」に。 時代と共に言い方や使われ方が変わってきた言葉は調べると数限りない。これが歴史の教科書で頻繁に行われたら受験生は混乱するだろう。言い方ばかりか年号や出土品まであやしくなって、果たして何を信じていいのやら。金印「漢委奴国王」は資料集に
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子どもの言葉
子どもは本当に可愛い声で可愛いことを言ってくれる。いろいろな言い間違い、奇想天外な言い回しに、ふと虚を突かれはっとすることもある。 私はそんな言葉に出会う度、こっそり書きとめ、後で読み返しては感心したり微笑んだりしてきた。凝り固まった大人の常識を一瞬にしてリセットしてくれる。無垢な子どもの言葉にはそんな不思議な力がある。 我が子の何気ない言葉をこっそり盗んでいやがられたのはもうずっと過去のことになった。 「ママに大きいおうちを買ってあげるんだ。楽しみに待っててね」 幼稚園児だった息子が言ってくれた言葉である。大人になって蓋を開けてみれば世渡り下手が判明して、私に家を買ってくれる甲斐性など全くなさそうだ。それでもあの頃のあの言葉は1億円の家にまさる価値があった。 幼い我が子の言葉を使って多くの詩を書かせてもらった。そのことだけでも感謝でいっぱいである。 先日、区役所で、2~3歳くらいの女の子を抱っこした若い父親が前を歩いていくのを見た。 女の子がしきりに父親に声をかけている。 「ねえ、ねえ、ねえ」 「なあに?」 お父さんが優しく問いかけ
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パートの仕事でこんなことがあった
40代半ばの頃、家から歩いて30秒ぐらいのところにクリーニング施設ができたので、パートの仕事をしに行っていた時があった。大型入浴施設で使用したタオルやサウナスーツを洗濯してたたむ仕事。週に3日、午後4時間ほど行っていた。午前の部5人、午後の部5人の態勢だった。皆、近所の主婦たちのようだった。 超大型洗濯機や、100度にもなる乾燥機が常時回っているので施設の中は暑くてたまらないし、たたんで束にしたサウナマットはかなり重かったが、仕事自体はそうは難しくはない。 しかし私はこの仕事を2か月半しか続けられなかったのだ。主として人間関係に悩まされて。 私を雇い入れた時は人手が足りなかったのだが、その後に徐々に持ち込まれてくるタオル類の数が減ってきて、 「こんなにパートさん必要がなかった。雇うの失敗した」 などと、上司である若手社員が公然とぼやき始めたのがそもそもの始まりだ。 私より1か月ほど早く雇われていたある女性(仮にAさんと言おう)が、男性社員に仕事に来る日を減らしてくれないかと言われたらしく、 「なんで私が仕事を減らされなくちゃならないの?
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原色
すべての人に好かれるという事は絶対に不可能であって、どんなに高潔な人でも何人かの人には煙たがられているだろう。人付き合いが少なく温厚だと自負している私ですら、なんとなく避けられているのでないかと気になったことも何度かあった。 芸能人とか政治家とか芸術家など、いろいろな意味での表現者、発信者たちは、目立つがゆえに絶えず世の好悪感情に面付き合わせていかなくてはいけないに違いない。賞賛されているうちはいいが、そうではない場合、平静を保つことだけでも相当消耗するだろう。 学校の先生なども毎年いろいろな生徒に出会うから、慕われたり恨まれたり、きっと忙しいことだろう。私には到底こなせない職業だ。慕われる気がしない。 学生時代、真面目そうでいて反抗心の強かった私は、ある種の教師には扱いづらい生徒だったらしく、授業中目が合うたびに激しくにらみ合っていた。お互いにきらいなことを隠しもしなかった。 特に、ある家庭科教師。道徳をふりかざす嫌味な女教師。「そんなに家庭科が嫌いなんだったら、総理大臣にでもなって家政婦を雇えばいいわ」と吐き捨てられるように言われた時
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夫と歩く
大学の同級生である夫とは、授業の合間や休日には、あちこち随分遊び歩いたものである。遊ぶと言っても、都内の公園や名所を目指してただひたすら歩き続けるという体力任せのサバイバル散歩。おかげで東京には随分詳しくなった。 多摩湖付近の観光地に行くだけのつもりが、あまりにつまらなかったのでつい狭山湖をめぐる山道に何気に踏み入ってしまい、あやうく2月の酷寒の山の中で野宿寸前になったことは今でも夫との語り草だ。日がすっかり落ちて運行も終わってしまった“おとぎ電車”の真っ暗な線路上をよろよろ疲れた足で歩いたことも映画の1シーンのようだった。 極限状態になると人間の本性が分かる。あの時若き夫が特に慌てもせず、時には冗談を言いながら歩き続けてくれたことで、無事帰途に就くことができたのだった。 私は「こんな山道で二人きりで野宿なんて絶対イヤだからね」と口をとがらせて言いながらも、心の中では「彼との野宿ならそんなにイヤじゃないかも」と思っていた。 夫も後になって、「狭山湖を一緒に歩いたことで、俺はこの女と一生やっていくと決めたんだ」と言ってくれた。無謀すぎた冒険
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晩秋の雑木林
よく晴れた晩秋、落ち葉を蹴散らしながら歩くのが好きだった。鳥の声しかしない明るい林の中。子どもの頃、日曜日ごとに父と散策した近所の雑木林をしばしば思い出す。 父はいつもポケットに二つ蜜柑を入れていた。鳥もちを木に仕掛けることもあった。奇妙な形をしたきのこや、蛇の抜け殻をみつけられれば大収穫。倒木の上に乗りぴょんぴょん跳んで、シーソーのような感覚を味わった。赤い色をした枝は漆かもしれないから触るなと、父に何度か注意された。 葉っぱをほとんど落とした林は遠くまで明るく見渡せた。子どもの頃は、果てのない広大な林に思えたけれど、たぶん住宅地の中のほんの小さな一画だったかもしれない。私は学校でうまくいっているとは言えず、父も家にいてなんとなく鬱屈したものを抱えていたのだろう。母は家族との散歩を好まず憂鬱そうに家に閉じこもりがちだった。父は私と二人きりの静かな散策でほっと息をついているように思えた。 日曜日になるのを待ちわびるようにして二人ででかけた。楽しくおしゃべりするでもなく、黙々と、でも穏やかに林の中を歩き回った。ふかふかの落ち葉の感触が心地好か
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