ターくん

朝から二台の大型トラックがターくんの家の前に止まっている。今日、ターくんの家は取り壊されるのだ。
ターくんの家族が小田原に引っ越していったのは、ちょうど一年前の夏休み。引っ越しの二日前にご両親が挨拶にみえて、次の日には慌ただしく荷造りをしていた。あまりに急な引っ越しに、いつもターくんに遊んでもらっていたうちの二人の子どもたちも、信じられない風に、
「本当にターくん行っちゃうの? もう 、遊べないの?」と、
泣きべそをかいていた。
引っ越していった時、ターくんは中学一年生だった。少しやせていて、少し悲しい目をした少年だった。幼い子どもたちのわがままにも、辛抱強くつきあってくれて、追いかけっこをしたり、走り回ったりして、天気の良い日にはいつも楽しく遊んでくれた。かなづちで板に釘を打ち、小さな木工品を作ってくれたりもした。毎朝、花に水やりをしていたし、日曜日には、学校の上履きを丁寧にたわしで洗っていた。
「ターくんて、牧師さんにでもなりそうな真面目ないい子だね」
家族の皆もそう言い合って、いつもター君を褒めていた。
ターくんの家族が引っ越していってからずっと空き家なまま取り残されていた家は、しばらくは子どもたちの格好の遊び場だった。トタンの庇のついた駐車場。玄関の上り框。張り板がはがれはじめた木製の雨戸。走り回って高鬼をしては、ターくんがいたらもっと楽しいのにと思い、取り残された植木鉢を覗いては、ターくんが大切にしていた花を思い出した。
ターくんが、まだ小学校二年生だった時のことを思い出す。ある日、ターくんが入院したという噂が近所に広まった。脳腫瘍。しかも切除しにくい部分であるために、完治は難しいと。
ターくんのご両親に会うたびに、どう声をかけていいのか迷った。ターくんのお具合はいかがですか。お大事にしてください。お手伝いできることがあったら・・・。死を賭けた戦いをしているターくんの前には、どんな言葉も空々しく、ただ頭を垂れて手術の成功を祈るしかなかった。
数か月後、ターくんは退院してきた。それが完治しての退院なのか聞くこともできず、ターくんがまた元気に学校に行けるようにと、ターくんの家の前を通るたびに心で励ましの声を送っていた。
ターくんが父親に支えられながら、家の周りをよろよろと歩行訓練をしていたのも、遠くから見て知っている。手術のために丸刈りにされた頭は痛々しく、すっかり細くなってしまった足で、一歩一歩地面を確かめるように前かがみで歩いていた。まだ目に充血も残っていて、顔の表情も戻ってはいなかった。
気遣わしい月日が過ぎ、半年ほどたって、やっとターくんは学校に復帰することができた。学校までの決して近くはない道のりをたった一人で歩いていくのを見送るたびに、
「いってらっしゃい。がんばってね」と、
声をかけずにはいられなかった。そして、いつもターくんは、
「いってきます」と、
少し恥ずかしそうに返事をしてくれた。その後ろ姿はまだ頼りなく、わずかに片足を引きずっているようにも見えた。
「僕、生まれつき片方の目が見えないんだ。それに、左手がよく動かない」
ターくんがそんなことを告白してくれたのは、それからいくらもたたないうちだった。
「だから、カルタ取りだって本気でやらないと、僕、しおちゃんに負けちゃうんだから」
娘はまだ何もわかっていなかった。年上なのに手加減してくれないと、ただ泣いて悔しがるばかりだった。
ターくんが中学生になった時、何か一つ山を越えたような気がして、自分の子どものように祝ってあげたい思いだった。まだ検査を欠かすことはできなくて、週に何度か母親に注射をしてもらうのだと言っていたから、完全に健康だとは言えなかったのかもしれない。ターくんのお父さんは、ここ数年でめっきり白髪が増えたし、お母さんも少し無口になった。けれど、中学生の制服を着たターくんは、急に大人っぽくなって、きっともう大丈夫だね、と思わせてくれた。
ターくんが、最後の大掃除を終え、最後に遊んでくれた日は、雨がぽつぽつと降る暗い曇りの日だった。
「またきっと遊びにくるからね」
そんな涙声の言葉を残したままあれから一年。とうとう今日、ターくんの家が壊されることになった。木造の平屋は半日ほどであっけなく解体され、トラックが廃材を運んでいった後は、ほんの小さな敷地しか残らなかった。
「なーんにもなくなっちゃったね」
子どもたちはさびしそうに、平らに整地された土地に足を踏み入れる。そうだね、でも思い出は壊さずにいることができるのだから。
ターくん、いつまでも元気でいてね。がらんと見通しのよくなった場所に、別の家が建ち、別の人が住み始めたとしても、ターくんのことは決して忘れない。
ターくんからの手紙
しおちゃん よっちゃん
元気にしていますか
お手紙と写真 ありがとう
返事が遅くなってごめんなさい
今年は暑くなりましたね
夏休みは楽しく過ごせましたか
僕は山口へ行って 海で泳ぎました
学校の水泳教室にも行っています
僕のうちのまわりには
田んぼも梨畑もあり
梨のお店も出ています
こちらの梨は足柄梨というのです
天気のいい日には
箱根の山々の間に
富士山が見えて気持ちがいいよ
今年初めて雪が降った朝も
きれいに富士山が見えました
まわりには箱根などの山々もあり
少し高いところに行くと
山から風が吹いてきて
気持ちがよくなります
朝起きると
ドアの方から太陽が射してまぶしいです
光がいろいろなものに映って面白い
朝早く外へ出ると
太陽が下の方に見えます
夕方は 夜の六時半まで
太陽が射して明るいです
太陽がベランダに射すのは
お昼ごろからです
しおちゃん よっちゃん
二学期も体に気をつけながら
元気に過ごしてください
しおちゃんのご家族には
いろいろなことでお世話になりました
ありがとうございましたと伝えてください
もう少し落ち着いてから
遊びに行こうと思っています
さようなら
(鈴川正孝くん 思い出として 忘れてはいけない少年)