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梅雨Ⅰ

 風邪が治ってやっと歩く気になった。歩くとはしかしなんと散文的な時間の使い方なのだろう。語彙力のまるで無い子どものために(自分のために)、漢字の問題集でも買ってこなくてはと思いながら、駅の向こうの書店まで曇天の下を歩いている。

 言葉は言葉を仕事とするのではない限り、たいした量は必要ない。「ああ」というため息一つで一日を過ごしてしまうことだってできる。(そんな日も満更悪くはないのだが)

 けれどどんなに必要がないと言っても、言葉は瞬間的に必要になる。あまたの中の一つを取り出さなくてはならない時が来る。愚弄や嘲弄、憤怒や激怒、悲嘆や詠嘆。短く鋭く言い切るために、人は多くの言葉を知っていた方がいい。

 「わたし」という言葉を教えられなかったために、自己を持てなかった人物が出てくるSFを読んだことがあるが、知ってもいい言葉がたったひとつだけだったなら、わたしはきっと「わたし」という言葉を選ぶだろう。

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