大雪と親友と宮沢賢治
大雪になりそうな模様だ。雪粒は交差しあいながら、速いとも遅いとも言えない速度で降りつのっている。家々の屋根に、道路に、木々の葉っぱに、早くもうっすらと白く冷たさを乗せている。こんな少し暗い雪の降りはじめには、いつも宮沢賢治の「永訣の朝」の詩句が思い出される。
今から考えれば面はゆい限りだが、小学六年生の頃、文学友達とも言うべき友がいて、その少女と私は休み時間ともあれば二人で勢い込んで図書室まで走っていき、宮沢賢治や高村光太郎を読み漁ったものだった。 二人の読書の傾向は不思議に似通っていた。暗誦したいと思う詩も、いつもほとんど同じだった。そういった二人のお気に入りの詩の一つが「永訣の朝」だった。
みぞれの朝の不思議に明るいイメージと、死に赴こうとしている魂の融合。詩を通じて私たちは確かに日常を越えた魂の瞬間を感じあっていたのだ。寂しさも哀しさも生命の美しさも、選ばれた文字から同じようにすくい取って、私たちは大人びた憂鬱に恐る恐る近寄ろうとしていた。
「抱擁」という語句を辞書で引いて、それだけで赤面していた私たちだ。白い画用紙で作った未来都市の建物の中に、こっそり二人を模した人形を封じ入れて、「ずっと一緒にいよう」と言い合った。
その彼女とも小学校を卒業すると同時に離れ離れになり、今は連絡も途絶えてしまった。肩を寄せ合って読んだ詩集の甘やかなページの匂い。雪の日にはきっと思い出す。彼女はまだ「永訣の朝」を暗誦できるだろうか。
そとでは、あの頃の私たちと同じくらいの年の子どもたちが、無邪気なはしゃぎ方で雪遊びをしているのである。