top of page

もっと聞こえていた①



聞こえていた


もっと聞こえていた


目覚めた虫の


小さなあくびまでも


------------------------------------



フルート


少年はフルートで

ビートルズのナンバーを吹いていた

(その曲はフルートの音によく似合った)

少し息が漏れてざらざらした音色だったけれど

少年はいっぱしの音楽家のように

目を閉じて自信ありげに

左の首筋を白く傾けながら

スローな曲を吹き続けた

窓の外ではうっすらと濡れたあじさいが

青色に盛り上がって咲いていた

放課後の教室には少年を囲んでまだ四、五人が残っていた

(私もその中にいた)

木製の机が湿り気を帯びて少しべたべたしていた


その曲が終わり皆がぱらぱらと拍手をすると

少年はポケットから一枚の紙を取り出し

机に広げ 再びフルートを構えた

その曲は少年が作ったものだった

少年が作ったということだけで皆は声を上げ感嘆した

(素晴らしい曲であるかどうかは別にして)

五線譜の下には細かく詩が書いてあった

少年は歌うことはしなかった

フルートを吹いていたから


少年は吹奏を終えフルートを唇から離すと

「ここ 『えいえんに』を『とわに』に

変えさせてもらったよ」と言って

私にその紙を差し出した

それではじめて気づいた

その詩は以前私が書いたものだった

よくあるラブソングをふざけて真似て

(その時少年は笑いながら私から詩を取り上げて

『おまえって面白いやつだな』と言った)


私の詩が

ひとつの歌になった

その時限り演奏されることのなかった曲に

(少年の姿も名前もまだ憶えているけれど

曲も詩も今は全く思い出せない)


窓の外には青いあじさいが咲いていた

異様に濃いあじさいが咲いていたことが

今もはっきりと思い返される

よく磨かれた銀色のフルートに

密かに唇を押し当てたかったことなどと共に



----------------------------------------------



銀の棒で


はじめてトライアングルを打った時


その音にびっくりした


あんまりピカピカときれいだったから



----------------------------------



エレクトーン


その少年は

いつも昼休みには音楽室に来て

エレクトーンを弾いていた

ひょろりと長い手足を激しく動かして

弾く曲はいつも同じ『ナオミの夢』だった


少年はその曲しか弾かなかった

私を含めた数人の下級生は

少年が音楽室に現れるのを待つようになった

少年は私たちを見ると「やあ またいる」と言って笑った


皆が少しずつ心を歪めはじめ

何かを焦っていた

私はちっともうまくない小説を書き

深刻ぶった日記ばかり書いていた

不良の真似をしたくて


けれど叱られるのはいつも

東京から転校してきたおさげ髪の少女で

煙草を吸ったとかそんな程度で

生活指導の先生は激しく彼女を憎み糾弾した

それはもう彼女のなにもかもを潰す勢いで


大人に対する批判を身につけ

私たちは手に負えない子どもだった

無邪気そうに

テスト用紙をちぎっては窓からばらまいた

その後どうなるかなど

馬鹿馬鹿しくて考える気にもなれなかった


昼休み

少年は音楽室にふらっと現れて

『ナオミの夢』を弾いた

スイッチを自在に操り 夢うつつの表情で

エレクトーンの音はゴムのように伸び縮みした

何にでも口を出す大人よりも

黙っている大人の方がまだましだった

大人たちを黙らせたかった

ボリュームいっぱいのエレクトーンで

あの狂ったような『ナオミの夢』で



-----------------------------------



ランドセルにぶらさげたお守りには


小さな鈴がついていた


玄関を開ける前に


母は「おかえり」を


言いそうになった



---------------------------------------------



リコーダー


その日はリコーダーのテストがあった

課題曲はバッハのブーレー

高音部と低音部の二つのパートに分かれて吹くのだ

私とペアを組んだ少女は

自信なげに次回に回してもらおうかと言った

でも私は早く終わらせてテストから解放されたかった

何度も二人で練習した

クラスのだれもが必死だった

休み時間ごとに甲高いリコーダーの音が重なりあった

自分の音が全然聞き取れないほどに


テストの時間になり

音楽の女教師は

「できる人から手を上げて」と言った

みんな次々とテストを受けていく

私は少女に目配せをして「やろう」と誘った

けれど少女はすまなそうな顔で「やっぱり駄目」と

首をわずかに振った

「他にできる人はいませんか。いなければ次回に回しますよ」

先生が記録帳を閉じようとした時

私はがまんできずに一人手を上げ立ちあがった


リコーダーを吹き終わった私に

先生はにっこりと笑いかけた

「吹き方で性格がわかるわね」

「あなたは誰が何と言おうと自分のペースを守っていく人ね」

私は褒められたのかと思って照れて少し笑った


私に裏切られた少女は後になって

「あの時はひどいと思った」と言った

彼女は私の親友だった

確かにそう思い合っていたけれど

果たして私は彼女にとって

本当に親友と言えるものだったろうか

彼女のリコーダーはきっと淋しかった

私のリコーダーもきっと淋しかった




---------------------------------------



給食の時間


放送室で


彼はスイッチに片手をやりながら


私が語り出すのを待っていた


息をこらしながら


まばたきも止めて



---------------------------------------




「おぼろ月夜」をみんなの前で一人で歌っていた時

突然声が出なくなった

「見渡す山の端」と「春風そよ吹く」のフレーズが

すっぽり抜け落ちた


バスケットボールのゴールが

先生の頭の上の方にあった

体育館の南側に並べられたオルガン

机代わりのオルガン

黒いカーテンが風でふくらんでいた


「あなたは今 変声期ね」

「そう 女の子にだってあるのよ」

みんなのクスクスとザワザワ

校庭に打ち込まれていく太い鉄杭

ひっきりなしにブルドーザーがうなっていた


わざわざそんなこと説明してくれなくたっていいのに

変化していく体に関することを

すぐそばに座っていた少年は小さく伸びをしながら

なんでもないことのようにささやいた

「そんな時はオクターブ下げればいいんだよ」

「僕も今そうだから」

「おぼろ月夜」は春の歌

少年はあくびをしながらそっぽを向いた

抜け落ちた声はどこか遠いところで

きれいに月の光で洗われていた


声いっぱいに叫べない

広すぎる体育館の向こうにまで


少年の声 少女の声

倒された校舎の残骸をかたわらに

取り戻した声を互いに聞き合うこともなく

別れた日のまま

かすれたささやき声のままで



----------------------------------------



音楽の若い先生は


一週間学校を休んだ


週が明けて学校に出てきた時


いつも束ねていた髪をほどいていた


グランドピアノの黒い光沢に


体を二つ映して


先生は


「名前が変わりました」と言った



-------------------------------------------



雨音


突然のスコール

林間学校のキャンプ場に

激しい雨音があふれた

生煮えの鍋を抱えて

切りかけの野菜をかきあつめて

トタン屋根のある洗い場に駆け込んだ


やっと起こした火も消えてしまった

そびえる山々に囲まれて

アリのような人間たちが

ちょこまかと逃げ回る

泥水が押し流す穴をめがけて


びしょぬれの衣服

それよりももっと気にしていたのは

缶詰の蓋でうっかり切ってしまった人差し指

次から次へと

血の雫が盛り上がってくる


トタン屋根からなだれ落ちる雨垂れ

真っ暗な空

(どうにかしなくちゃ まずこの血を)

(誰にも気づかれたくない)


稲光りと雷鳴ごとに

あちこちから見境もない悲鳴が上がった

私の後ろで少年は

平然として庖丁で人参を傷つけていた


こんな山奥で雨に降りこめられて

夕飯もできやしない

玉ねぎの切れ端が

泥水の中に転げ落ちる

「あーあ 腹へったあ」

誰の意図 誰の強制によってこんなところに?

それはもう先生にだって答えられない


つい雨垂れに差し出した指先

雨がすべてを消してくれると思った

いつまでも止まらない赤い滴り

自分でもぞっとするほど


「おい この人参…」

そう言いかけた少年は急に黙りこんだ

少年はただその血にびっくりしていた

からかいの声もあげられないで


(見られている)

少年のきつい凝視が

私を動けなくしていた

音も聞こえない

夥しい水の落下は

何も弱まっていないのに

無防備に溢れだす血

二人の目に

それはあまりにも恥ずかしい秘密のように思えて



---------------------------------------------



小さなお菓子のような


ソプラノのオカリナを買った


太ったアルトを買うお金を


持ち合わせていなかったから



--------------------------------------



ファランドール


放課後の掃除の時間には

いつも「アルルの女」がかかっていた

学校など

別にきれいにしたいとは思わなかった

陰日向無い奉仕

教師たちはことのほか

美徳と正義を好んでいたが

陰の部分まで

扱いやすい人形でいるつもりはなかった


ふたりの少年が学帽をかぶったまま

箒を振り回してふざけていた

教師はそれを見て

片一方の者だけを叱った

成績を比べ合わせた上で


大人たちのやることには

すべて察しがついていた

建前とは別の

その無邪気な正直さ加減といったら!

(もっとうまくやってほしいものだよ)

(あなたの存在が教育そのものだというならね)


ゆるやかなメヌエットから

激しいファランドールへ

急に曲調が変わっても

冷たい耳には何の合図にもなりはしない


粘っこいサンダルの音が遠ざかると

少年たちは

再びチャンバラをしはじめた

嫌いなものは(人間は)

どうしたって嫌いなのさ(理由もなく)


三階の渡り廊下で

少年はつぶやいた

「それは全くあいつのやりそうなこと」

「いちいち数えあげてたらきりがない」

「それよりも彼女の胸をつついてみたいんだ」


掃除の時間は

「アルルの女」と決まっている

せかすようにテンポを速めるファランドール

曲の通りに動くとでも思っているのだろうか

まあ 動いてやってもいいさ

両手に持った黒板消しで

そこいらじゅうに真っ白な狼煙


決起!

一番おとなしい目つきで

(全く学校ってやつは 教師ってやつは)



---------------------------------



遠足のバスの中で


まわってきたマイク


爆弾は


早く次の人に


まわしてしまいたい


------------------------------------------



ティンパニー


ティンパニーは

ひとたび打ち鳴らせば

派手で目立つ楽器だったけれど

その楽章の間 少年は暇だった


少年のそばで私は

その他大勢のハーモニカを

唇を真っ赤にしながら

せわしなく吹いていた

少年は楽譜も見ずに

うつむいてぼんやりしていた

たったひとりのティンパニー

簡単そうあればあるだけ

間違いは許されない


組曲はなかなかまとまらなかった

先生は口から唾をとばしながら

なんとかまとめようと躍起になっていた

「何度言ったわかるの!?」

「そこはタタタじゃなくてタッタタタでしょう!」

(馬鹿みてえ)

(勝手に自分で難しい曲選んでおいて)


少年は白いティンパニーを前に

とっくにSFの世界に飛んでいた

砂漠の中に取り残された巨大ドームの町のことや

水溶液の中で生き続ける脳味噌のこと

タイムパラドックスのことなど


「僕は科学者になる」

(じゃあ 私は小説家になりたい)

設計し得る未来は二十歳までで

その年齢までに

何者かになっていなければならなかった


耳は同調している

体も逆らわない

少年はティンパニーの張りを調節しながら

先生の指揮棒が

自分を指すのをじっと待っていた

うまくやらないと先生がかわいそうだから

発表会が終わるまでは

私たちは

決められた通りに動く小さな部品というわけで


思い切り盛り上がって

最終章になだれこむティンパニー

一番最後の響きを

てのひらで止めたなら

少年はやっと

宇宙ステーションの中に戻れる


二十歳までの人生設計

それぞれにうまくやれたのだろうか

ティンパニーでけじめをつけるようには

夢は華々しく終われなくて



------------------------------------



夜九時になると


線路の向こうの


市庁舎から


オルゴールの音色で


シューベルトの子守歌が


かすかに流れてきた


布団の中で


ここからが


本当の夜だと思った



--------------------------------------



ボーイソプラノ


最前列で小柄な少年は

よく響くボーイソプラノで歌っていた

少年は

女の子よりもきれいな高い声をしていた

先生はこの少年を

ことのほかお気に入りだった


合唱の曲は「ふるさと」だった

ふるさとの意味を正しく実感できる者が

その時の私たちの中にいたとは思えない

声が出にくくなった少年たちは

ちっとも真面目に歌おうとはせず

悪ぶった声を張り上げていた


私が住んでいた最初の土地については

何も覚えていない

生まれたての赤ちゃんだったらしいから


二番目の土地では

広い庭で虫ばかり捕っていた

「巌窟王」を愛読書にするような子どもで


三番目の土地では

野望を膨らませすぎて

ますます無口になっていった


「ふるさと」を歌う時

どの土地を思い出せばよかったのだろう

少年の声は

ひとりだけ飛び抜けていた

指揮をする先生は

うっとりと優しい目を少年に向けた

「これだけの声を出せる子はそうはいない」

(けれど少年は低すぎる身長を気に病んでいた)

(身長のためならきれいな声などいくらでも返上しただろう)


知能 容貌 運動能力

声もまた

評価されなくてはならない対象だと知った

その頃から

素直に歌えなくなった

まだ定まらない私の声は

或いは「ふるさと」という曲が好きだったのかもしれないのに











Комментарии


bottom of page