プールサイドにて
そのとき、私はプールから五メートルほど離れたところにある緑色のパラソルの下の、やけに軽いつくりの折りたたみ椅子に足を組んで座りながら、水の中の子どもたちの方を、サングラスをかけた目でながめていた。
潜水を覚えた子どもたちは、もぐっては飛び出し、もぐっては飛び出しを繰り返し、そのうち髪をしばっていたゴムもゆるんで、顔中に髪の毛を張り付かせて、飛び出すたびに、おかしなスイカ模様になっている。
子どもの成長とともに、私の万能は薄れていく。個人へと戻っていく自分に思いを沈ませ、かすかな不安とともに、眠そうなふりであくびをしながら目を閉じる。
プールサイドは、「キャー」とか「おおお」とか「でやー」とか、「やだやだやだ」とか「うわはははは」とか、その他もろもろの声や叫びが入り乱れて、激しく渋滞した交差点のようだ。
空の下の方に入道雲が湧き上がり、そのもくもくした力こぶのようなふくらみを見て、ああ、今年も夏か、と思う。子どもたちはびしょびしょの顔して私の方に手を振って、ゴーグルの下でにこにこと笑っている(らしい)。
・・・と、その時だ。この世界にこの子たちを送り出してしまって果たしてよかったものかどうかを、神のようなため息とともに思うのは。
鳥がフンを落としていったかもしれない、ハエがおぼれたかもしれない、幼児がおしっこをしてしまったかもしれない、はなみずをたらしたかもしれない、そんなプールの中で、子どもたちは楽しそうにぐるぐる回転している。私はサングラスをはずして、伸びをしながら立ち上がる。
すべてを知りつつも、同じ水の中へ。