何を信じるか
- kaburagi2
- 11月19日
- 読了時間: 3分
更新日:5 日前
私は無宗教だ。信仰に関するパンフレットや冊子を持って時折訪ねてきてくれる知り合いは何人かいるが、玄関先で調子よくふんふんと聞くだけで深入りはしない。布教に来る人はたいがい愛想がよくて感じがいい。けれど世間話に応じているだけなのに、宗教に興味があるのではないかと受け取られてしまっても困る。いつか寄付とか会合への出席を迫られそうで、普通の友人関係になるのも警戒してしまう。
大学時代、宗教に大いに近づいたことがあった。大学には多くのカルト宗教団体が存在していて、サークルの名を借りて勧誘をかけてくることが多いのだ。
私に声をかけてきたのは同じ大学で1学年上の理工学部に所属しているという青年だった。(後に1学年上というのは嘘で、同学年だったことを知った)。
「君の人生の目的は?」とか「本当の幸福を得るためにはどうしたらいいか」とか、最初から真面目に問いかけてきてくれて、なにかとても深い思索へといざなってくれるサークルのように思えた。背が高く、やせていて色白で非常に静かな佇まいの人だった。
それが仏教系のサークルだと気づくのにそうは時間はかからなかった。しつこくて強引な勧誘をしてくることで有名なサークルだった。けれど内部に入ってみると、皆、普通に真面目で素直な青年たちばかりなのである。たぶん遊び惚けている学生たちよりも深く人生について考えている人たち。
私はしばらくそのサークルに身を置いて話を聞き続けた。聞くというよりは、質問と反論を続けていたような気がする。皆があまりにすっぽりと信仰にはまっていることに対するいぶかしさがあった。「信心決定すれば何ものにも壊されない絶対の幸福が得られる」、それがそのサークルが第一に掲げる信条だった。
私は結局、「私にとっての幸福は、ただ健康になることそれのみ」、と言い続けて、半年ほどでそのサークル(宗教団体と言ってもいい)を抜けた。私を勧誘した青年は、たびたび電話をかけてきて、「なぜ君は仏教に対する疑いを消せないんだ。仏教でしか人は救われないんだ」と怒った声で詰問してきた。
私はその都度、「私を救うものが仏教だけとは思えない」と反論して負けなかった。あんなに口論したのは初めてだったし、その後もあれを越える口論はしたことがない。彼とは仏教のこと以外何も話さず、お互いの人となりについて知り合うことも無く、ひどい絶交をした。そんな絶交も初めてだった。
思えば、大学2年の春先にそのサークルに入って1~2か月、体を壊して1か月実家で療養をした。まだ復調していないのに東京に戻って心細かった時、下宿のポストに入っていた彼からのメモ帳を破った走り書き、
「部会にしばらく来ないからどうしたのかと思って心配して来ました。また連絡します。Am12:30」
ああ、彼が夜中に都心から上石神井まで電車に乗って来てくれたのか。その時の不思議な感動。人を救うのは神や仏の尊いお言葉より、身近な人の優しい声かけや行動だったりする。はじまったばかりの6月の明るさと相まって、彼からの思いがけないメモ書きは、私の心を明るく照らしていた。決して恋ではなかったと思うが、彼を心の拠り所にしていた部分もあったことは確かだ。その数ヶ月後には、ひどい言葉を投げつけ合って、完全に別れるとも知らずに。
今思えばオウム真理教の上祐氏ともほぼ同世代で同じ大学だったから、上祐氏も同じ構内に学生としていたのだ。もう何らかの宗教活動を始めていたかもしれない
大学は、地方から出て来たばかりの世間知らずで孤独な学生に宗教を布教するにはもってこいの場所だ。宗教を介して仲間や友人ができたり、救いになったりすることもあろうが、思い込みや盲信で誤った方向に一途に突き進むことは危険だ。
「この宗教を信じる以外に幸福になる術はない。」と言われたら、私はやはり今も「そんなことは絶対ない」と言い返す。


























































































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