top of page

オッドアイホワイト


 夜中、窯を焚いて、朝方やっと火を消し止めると、陶芸の先生はそそくさと仕事場を後にした。翌日から一週間、先生は中国へと出かける予定だった。

 プレハブの仕事場の中は、窯の熱気がこもっていて、乾いた土の匂いも熱に浮かれて、いつもより濃く立ち上っている。私は窯焚きの緊張から解き放たれ、気が抜けて、仕事場の椅子に腰を下ろしたまま、さてこの一週間をどうしたものかと思いめぐらせていた。

 先生は私にいくつかの仕事を残していくことを忘れなかった。もうじき行われる野焼きの講習会のために、見本となる縄文土器を数点作っておくこと。土練り五キロの玉を十個。私が何を作ろうと、先生の弟子である限り、私のものとして世に出ることはない。それが「先生」のものとして恥ずかしくないように、全力をあげて制作するだけだ。

「これはあなたの作品でしょう?」

そう尋ねられても、私は曖昧に微笑んで、

「いいえ」

と、答えていなければならなかった。

 未熟な作品が先生のものと思われることに、私の方は耐えられない思いでいるのに、先生はそんなことにはまるで無頓着らしかった。無神経、おおらか、あるいは卑怯。私は先生のことをどう思っていいのか次第にわからなくなっていった。

 たった一つしかない電動ロクロの上にはいつも、先生の作りかけの大壺がはりついていた。それは私に電動ロクロを使わせまいとするあからさまな心情の表出だった。こんな素人同然な私でも、先生にとってはいくばくかの脅威であるらしいと思うことは愉快だった。確執は確かにあった。確執があったからこそ、私はいつも心を鋭利に研ぎ澄ませておくことができたのだとも言える。

 外は初秋の朝。火の余韻から抜け出して、私はやっと仕事場の戸締りをして、帰り支度にかかった。その時だった。仕事場の前の空き地に無造作に転がされているボウリング機材の隙間に、あの真っ白な子猫をみつけたのは。

 猫は小さな声で鳴いていた。私が近寄っても逃げもしなかった。あまりに美しい白猫なので思わず抱き上げてみると、その猫の両の目が、それぞれ透き通るような青と緑に染め分けられていることに気付いた。

 今でこそ、そういった目の特徴を持つのはターキッシュアンゴラなどにみられるオッドアイだと見当がつくが、その時はただただ初めてみる異形の相にひどく驚愕し、感嘆よりは畏怖に近い衝撃に、思わず猫を抱く手が震えた。

 猫は私の腕から逃げようとはしなかった。私は仕事場からそう遠くはない自分の部屋まで抱いていって、猫をこっそりと部屋に閉じ込めた。まるで神を閉じ込めたかのように。私はいつになく高揚していた。猫は、コンビニで買ってきた缶詰のエサをたいらげたあと、座布団の上に丸くなり、やっと眠れるとばかりにまる一昼夜眠り続けた。

 人懐こいことを思えば、野良猫ではないだろう。けれど誰かに飼われているとも思われなかった。首輪もしていなかった。ありふれた小動物ながら、これほどの穢れなさと気高さを感じさせる生き物に、私は今まで出会ったことがない。

 眠るまぶたのその内側にあの奇妙な目の色。何か尋常ならざるもの。日常の中に迷い込んできた非日常。私は猫のそばにうずくまって、飽きずにながめていた。眺めているだけで、凍っていた心の中に血が巡っていくようだった。あたたかく、ほっとする。私はその夜、久しぶりに深く眠った。

 翌朝、目覚めた猫はひとしきり念入りに身づくろいをした後、ドアの前に座り、しきりに開けてくれという風に私を見上げて鳴いた。青と緑の瞳は、手放してしまうには惜しい宝石だった。けれどここで飼ってあげることはできない。ドアを開けてやると、すっと私の足下をすりぬけ、はかない風情で小さく建物の角を折れていった。

 私はそのあとすぐに仕事場に出かけて行き、窓を開け放ち、土の塊を切り出した。仕事場にはまだ昨日の窯焚きの熱気がこもっていた。作品はかすかに声を上げながら徐々に冷え締まっていく。先生のやり方すべてに同意はできないものの、私はもうしばらくここでやっていきたい。どんなに迷おうとも、あの白い猫が示した一点の瑕もない美、あれだけを求めていればいいのではないか。オッドアイホワイトの完璧な色彩調和のイメージ。

 まず手始めに人間の汚れた感情を消し去りたくて、私はただひたすら土を練ることに意識を集中していた。そしてそれが済むと、電動ロクロの上に居座っている先生の大壺を慎重にどかしにかかった。もうあの猫の瞳は忘れられない。いかなる服従からも解放されている心。

 ロクロが回転しはじめた。真芯から生まれ出ようとするものに、素直に両手を添わせて、私はやわらかい土の中に自らを深く埋没させていった。まわりながら果てしなく、螺旋となり、円となり、球となって。

bottom of page