先生の油絵
高校の時の美術の男性教師、K先生は、いつも美術室の隣にある美術準備室にこもっていて、授業でさえめったに顔を見せなかった。四十代ぐらいで、背も高い方とは言えず、自信なさそうな気弱な笑みを浮かべて、生徒たちとまともに視線が合うのを恐れているような人だった。
一クラス四十名ほどの女子高生を前にして、生徒たちに美術制作上の指示を与えなくてはならない時など、先生は顔を真っ赤にして、視線を宙に舞わせて、失神寸前のところでやっとしゃべっているといった具合だった。
K先生からは、日本画、陶芸、彫金、七宝焼などのさわりを教わったが、そもそも「教わった」と言えるかどうか。K先生は材料を配って、作業の仕方をボソボソと早口で説明すると、皆の納得が得られないうちに、さっさと準備室に引っ込んでしまうのだった。
そんな先生を見て私たちは、くすくす無遠慮に笑うか、「先生、かーわいい」などと、揶揄するようなからかいの声を浴びせずにはいられなかった。
進学校の美術の授業など、たいして重く見られていない。生徒たちからも、他の受験科目の教師たちからも。ただの息抜きの時間。誰もがそう思っていたとしても、しかし、K先生の仕事ぶりは、給料泥棒と言われても仕方のないものがあった。
それは、はじめての文化祭の時のことだった。他教室の展示を見にいっていた友人が、仰天したような表情で息せききって廊下を走ってきて、私に向かってまくしたてた。
「ねえ! ねえ! K先生の油絵が展示してあったよ! 見た?」
私がまだ見ていないと答えると、友人は私の腕を引っ張り、今すぐ見に来いと言う。私は、何のことやら分からないままに、K先生の作品が展示してあるという教室まで、急き立てられるようにして走っていった。
開いたドアの中に一歩入ると、すぐ目の前に、重厚な額縁で飾られたK先生の大作が威圧的にそびえていた。
絵の中には、水色がかった色調のワンピースを着た等身大の少女が、真っ直ぐこちらを向いて立っていた。微笑んでいるのか、寂しがっているのか、一言では言えないような複雑な表情をして。両腕には色とりどりの花がいっぱい。花はいまにも腕からあふれて、絵の外にまでこぼれ落ちてきそうだ。その背景を満たす深々とした森、賑やかに飛ぶ鳥たち。
額縁の中におさめられているのは、確かにただの平面ではなかった。はるかな奥があり、広がりがあり、匂いがあり、温度があり、そして音があった。強い色彩は、先生の普段の気弱な表情とまるで結びつかない。
すごい、と思った。芸術ってこういうことかと思った。何かものすごく豊かで、明るくて、突きぬけたもの。あの絵には、まわりの空間の色を変えてしまうほどの底力があった。先生が心に隠しもっていた美意識は、めったに表に出されないために、見事なまでに熟成され、深まっていた。そのことを私たちは、絵を見た瞬間に、ゾクッと思い知らされたのだった。
K先生の絵は、しばらく生徒たちの話題をさらった。K先生の名誉挽回には、あの絵一枚で十分だった。