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太極拳講師になった


 


 

 太極拳講師になった。今まで来てくれていた先生は、お父上の通うデイサービスの日程や時間を教室に合わせるのが難しくなってきたことや、東京にお住まいということでコロナの影響も考えて、突然もう先生をやめたいと言って来たのだ。今後は私に継いで欲しいとの連絡がきたのが2021年4月のはじめごろ。

 先生も目のご不自由なお父様の介護で随分悩まれている風だったから、先生の申し出を断ることなどできなかった。しかし私も姑の介護を抱えている身。どうしようかと内心は不安だった。

 とりあえず、最初のうちは教室をまともに開くことはできそうにないコロナ情勢だったので、時折公園で軽く1時間ぐらい太極拳と気功法を通す程度で、「先生」と言われるほどの活動ではなかった。1時間なんてすぐにたってしまう。緊張とか不安など感じる間もなく公園での太極拳はやりすごすことができた。

 その後4月半ばに姑は脳梗塞を発症し、入院を経て7月には施設に入ることになり、私の介護生活も終了した。これで太極拳の講師をやることに何の支障もなくなったということだ。

 10月、コロナの陽性者が激減し、11月からは以前の正規の教室に戻すことになった。ここからが、本当の「先生」だなと思うと、なんだか緊張が高まり、平常心が乱れてきた。いつも通りにやればいいのだ、私の知っていることを伝えればいいだけなのだと思っても、自信のなさが顔を出し気持ちが揺れてくる。

 生徒としては30年近く太極拳をやってきている。大体できればまあよし、ぐらいの軽い気持ちでの太極拳。技を極めようとか、正確にきっちり覚えようとかの意欲はなく、月4回の気分転換、息抜き程度の位置づけだった。それが教室に入って10年たたないうちに教室の財政が危うくなり、謝礼の関係で先生は月に2回しか来れなくなった。あとの2回は大体できる生徒が前に出て一通り気功法と太極拳套路を通す感じの練習にならざるを得なくなった。私は若いからと言う理由で経験が浅いながらも前に出て演ずる3人の中に入らされていた。その時から前に立つ訓練はできていたといえば、できていたかもしれない。しかしあくまでもボランティア感覚で何の責任も感じずにやっていただけのことだ。決して「先生」ではなかった。

 「先生」と呼ばれるのはなかなかのプレッシャーだ。技術よりもまずメンタルが重要。ここを乗り越えれば私はもっと強くなる。そう思いながら入念に家で練習を繰り返す。こんなに練習しているなんて生徒さんたちは全然知らないのだろうな。

 しかし教室当日の朝は必ず下痢をする、食欲もなくなる。これはずっと治るまいと思っている。治ったら…その時は神メンタルを身につけた時だ。


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