

パートの仕事でこんなことがあった
40代半ばの頃、家から歩いて30秒ぐらいのところにクリーニング施設ができたので、パートの仕事をしに行っていた時があった。大型入浴施設で使用したタオルやサウナスーツを洗濯してたたむ仕事。週に3日、午後4時間ほど行っていた。午前の部5人、午後の部5人の態勢だった。皆、近所の主婦たちのようだった。 超大型洗濯機や、100度にもなる乾燥機が常時回っているので施設の中は暑くてたまらないし、たたんで束にしたサウナマットはかなり重かったが、仕事自体はそうは難しくはない。 しかし私はこの仕事を2か月半しか続けられなかったのだ。主として人間関係に悩まされて。 私を雇い入れた時は人手が足りなかったのだが、その後に徐々に持ち込まれてくるタオル類の数が減ってきて、 「こんなにパートさん必要がなかった。雇うの失敗した」 などと、上司である若手社員が公然とぼやき始めたのがそもそもの始まりだ。 私より1か月ほど早く雇われていたある女性(仮にAさんと言おう)が、男性社員に仕事に来る日を減らしてくれないかと言われたらしく、 「なんで私が仕事を減らされなくちゃならないの?
読了時間: 7分


原色
すべての人に好かれるという事は絶対に不可能であって、どんなに高潔な人でも何人かの人には煙たがられているだろう。人付き合いが少なく温厚だと自負している私ですら、なんとなく避けられているのでないかと気になったことも何度かあった。 芸能人とか政治家とか芸術家など、いろいろな意味での表現者、発信者たちは、目立つがゆえに絶えず世の好悪感情に面付き合わせていかなくてはいけないに違いない。賞賛されているうちはいいが、そうではない場合、平静を保つことだけでも相当消耗するだろう。 学校の先生なども毎年いろいろな生徒に出会うから、慕われたり恨まれたり、きっと忙しいことだろう。私には到底こなせない職業だ。慕われる気がしない。 学生時代、真面目そうでいて反抗心の強かった私は、ある種の教師には扱いづらい生徒だったらしく、授業中目が合うたびに激しくにらみ合っていた。お互いにきらいなことを隠しもしなかった。 特に、ある家庭科教師。道徳をふりかざす嫌味な女教師。「そんなに家庭科が嫌いなんだったら、総理大臣にでもなって家政婦を雇えばいいわ」と吐き捨てられるように言われた時
読了時間: 3分


夫と歩く
大学の同級生である夫とは、授業の合間や休日には、あちこち随分遊び歩いたものである。遊ぶと言っても、都内の公園や名所を目指してただひたすら歩き続けるという体力任せのサバイバル散歩。おかげで東京には随分詳しくなった。 多摩湖付近の観光地に行くだけのつもりが、あまりにつまらなかったのでつい狭山湖をめぐる山道に何気に踏み入ってしまい、あやうく2月の酷寒の山の中で野宿寸前になったことは今でも夫との語り草だ。日がすっかり落ちて運行も終わってしまった“おとぎ電車”の真っ暗な線路上をよろよろ疲れた足で歩いたことも映画の1シーンのようだった。 極限状態になると人間の本性が分かる。あの時若き夫が特に慌てもせず、時には冗談を言いながら歩き続けてくれたことで、無事帰途に就くことができたのだった。 私は「こんな山道で二人きりで野宿なんて絶対イヤだからね」と口をとがらせて言いながらも、心の中では「彼との野宿ならそんなにイヤじゃないかも」と思っていた。 夫も後になって、「狭山湖を一緒に歩いたことで、俺はこの女と一生やっていくと決めたんだ」と言ってくれた。無謀すぎた冒険
読了時間: 3分


晩秋の雑木林
よく晴れた晩秋、落ち葉を蹴散らしながら歩くのが好きだった。鳥の声しかしない明るい林の中。子どもの頃、日曜日ごとに父と散策した近所の雑木林をしばしば思い出す。 父はいつもポケットに二つ蜜柑を入れていた。鳥もちを木に仕掛けることもあった。奇妙な形をしたきのこや、蛇の抜け殻をみつけられれば大収穫。倒木の上に乗りぴょんぴょん跳んで、シーソーのような感覚を味わった。赤い色をした枝は漆かもしれないから触るなと、父に何度か注意された。 葉っぱをほとんど落とした林は遠くまで明るく見渡せた。子どもの頃は、果てのない広大な林に思えたけれど、たぶん住宅地の中のほんの小さな一画だったかもしれない。私は学校でうまくいっているとは言えず、父も家にいてなんとなく鬱屈したものを抱えていたのだろう。母は家族との散歩を好まず憂鬱そうに家に閉じこもりがちだった。父は私と二人きりの静かな散策でほっと息をついているように思えた。 日曜日になるのを待ちわびるようにして二人ででかけた。楽しくおしゃべりするでもなく、黙々と、でも穏やかに林の中を歩き回った。ふかふかの落ち葉の感触が心地好か
読了時間: 2分


お別れの電話
「もうお会いすることもないでしょうが」と、涙声でかかってきたあなたからの電話。 美しい写真を撮るあなたの展覧会に、私は3度行き、あなたはその都度丁寧に写真の説明をしてくれた。広場での太極拳の練習でも、やさしい笑顔とユーモアで、周りを明るく湧き立たせていた。シニアのファッションショーのイベントにも出て、楽し気にその様子を語っていたあなた。 きっと出会ったときにはもう、ひそかな病があなたの体の奥に発症していた。 あなたが腰痛で太極拳の練習を休み、しばらく会えなかった前の年、私は姑と実母の大病の対応で疲れ果て、あなたのことをすっかり忘れていた。 あなたはその間、重大な病が発見され死の恐怖にずっとおびえ続けていたのだろう。並行した時間の中で、互いの現状を知ることのできない悲しさ。 彼女は最後に決死の思いでお別れの電話をしてくれたのだ。私ばかりではなく、一人ひとり、友人たちに最後の電話をかけていたのだろう。6年前の夏の午後のこと。 ふくよかで若々しかったあなたの姿ばかりが思い出される。あの時、もう私からは電話を するのもはばかられて、どうしたら
読了時間: 2分


3月11日 12年後
3月11日 東日本大震災から十二年がたった。私はこの震災のことについては、日記に少し書くぐらいで、詩やエッセイという形では何も残してはいない。全然書く気がおきなかったのだ 私はあの日、海苔店でパートの仕事をしていた。テーブルにパートさん六人ほど座って 「伸ばし」という仕事をしていた。二つ折りになっている十枚一束の海苔を開き、百枚一束にして重ね直して紙紐で結わえる仕事だ。私はその時ちょうど、海苔の束を詰め込んだ箱を倉庫のエレベーターの方に運ぼうとしていた。 最初にガタガタと来た時、海苔を焼いていた大きな機械が異常を検知して、ブーというブザーの音と共に急に停止した。海苔の箱がぶつかっても止まってしまうので、私は自分が運んでいた箱がどこかぶつかったのかといぶかしく思ってあたりを見回した。 そうしたら猛烈な揺れがきた。いつもより大きい。震度四ぐらい?と思っていたが、どんどん揺れは大きくなり、しかもいつまでもやまない。 社員の猪子さんが、四個も積んである海苔の箱が倒れないように押さえに走った。青白く点灯している殺菌灯が壊れる勢いで揺れていた。..
読了時間: 5分


エキストラのアルバイト
大学生の時に、エキストラのアルバイトを一度だけやったことがある。四十年ぐらい前のことだ。高円寺にある「日秀プロダクション」というところに、証明写真を持っていき登録をした。撮影の拘束時間も一~二時間ということなので、大学の空いた時間に都合が合えばできるかもしれないと思った。 ほどなくして「日秀プロダクション」から電話があった。大泉学園の東映撮影所で「特捜最前線」を撮るからエキストラとして出演して欲しいという依頼だった。午後からの出演依頼だったので、大学の一限の授業を一つだけ受けた。二限はパスせざるを得なかった、後期試験も近く出題について発表もあるかもしれない微妙な時期だったが仕方がない。友人に代返を頼み、あとでノートのコピーが欲しい旨を頼んで急いで出かけた。 校門を出るあたりで、別の友人に出会った。彼女は私を見て一言、 「きれい‥‥」 と言い絶句した。私はものすごく気合いを入れたメイクをしていたのだ。 私は、 「へへっ。メイクしすぎだね。別人みたいでしょ?」 と笑って言いながら、ハイヒールにベージュのコートをひらめかせ、大泉学園へ急いだ。...
読了時間: 4分


コロナにかかりました
家族が体調を崩し熱を出した。ということはこのご時世、理由は大概コロナなので、私も覚悟していたら案の定私も熱が出た。葛根湯でも飲んでいれば治る程度の軽い風邪症状だったが、発熱に進んでしまうところがコロナの怖さだ。 熱は二日半で収まった。ほとんど37度台で決して高熱でもなく、つらくもなかった。喉の痛みは二日目、三日目にはあったがそれもすぐに治っていった。 食事は備蓄品で間に合ったが、やはり野菜とタンパク質が圧倒的に不足気味。1週間以内のおこもりなら栄養の偏りもなんとか我慢できるが、これが長期にわたる被災地での食事だったなら大問題。ずっとパンとかおにぎりしか支給されないのなら不満爆発だ。行政に毎日でも大量の豚汁を焚き出せと要求してしまうかもしれない。 体調はさほど悪化していないのに部屋から出られないのはつらい。トイレ以外は部屋から出ないようにし、テレビを見たりタブレットを見たり、本を読んだりのゴロゴロ生活。散歩、買い物、ジムにも行けないし、生活のペースがガタガタだ。私の折角の筋肉はどこに行ってしまうのか。 そのうち暇をもてあますようになり、さて
読了時間: 3分


校正の仕事
ここ20年ばかり、年に3~4か月、情報誌の校正の仕事をしている。既に出来上がっている本の毎年の改訂版作成のため、情報に変化が無いか確認する仕事だ。そんなに難しいことはしていないのだが、取材先を100件以上受け持っているので、電話したりFAXしたり、メールしたりで一時大変忙しくなる。 私が送ったFAXの返信が大量に事務所に押し寄せたりすると、事務所のスタッフさんが仕事に差し支えると言ってちょっと嫌な顔をするので、私も肩身が狭い。 校正の指示をレイアウト担当の人に送る時も、ワードのテキストでいちいち文章に起こして、何ページの上から何行目の、何という数字を何と訂正、とか書かなくてはならないので、面倒臭い。 アナログなやり方ではもう駄目かなと思い始めていた。最新技術を持つ若い人に、もうこの仕事を譲るべき時が来たのかもしれない、老害はもう引退だあ、と思っていたが、レイアウト担当の人が、共有ファイルでの校正を新しく提案してくれた。 パソコンに取り込んだ冊子のPDF画面を見て、それぞれ自分の都合のいい時に校正のチェックを入れられる仕組みだ。皆がそれぞれ
読了時間: 2分


骨とトレーニング
やけにウォーキングやダンスエクササイズに凝ってい時があった。やりすぎもあったかもしれない、お試しで行ったカーヴスで、案外筋肉が無いという判定を受けた。あんなに運動しているのにそんなはずはない、と思ったが、散歩などの有酸素運動はいくら続けても筋力アップにはつながらないし、むしろ筋肉やせを起こすのだ、というビデオまで見せられて、そうだったのかと納得したうえで、甚だ意気消沈した。 追い打ちをかけるように、整形外科でおこなった骨密度検査で、もう骨粗しょう症レベルの骨密度だと言われた。医師が「これでは骨折してしまう」と言って目を剥いたので、深刻さをひしひしと感じた。健康のためにと思ってやっていたあれこれ、自負や自信が見事に打ち砕かれた瞬間だった。 もともと大食いのほうではなく、やせ型である。それでも食べ物には十分気を使っていた。ごま、きなこ、カルシウムサプリなども摂っていた。何の症状も無かったが、血液検査によると破骨細胞の活動が強すぎて骨の形成が追い付かず壊れていく一方になっているのだという。 しばらくは落ち込んでいた。60代前半でこんな調子では、も
読了時間: 3分
































































































