

ヒナを拾う
うかつにもムクドリの夫婦は、庭の柘植の木に巣を作ってしまった。このあたりには猫が 三匹もうろついているというのに。生まれてくるであろうヒナのために、やわらかそうな茶色の小枝を重ね重ねて、いかにもやさしい巣を作り、その中にぽろりぽろりと三つの卵を産んでしまった。柘植の葉っぱの陰に隠れて、他のだれの住まいよりも快適な新居になるはずだった。卵はほどよく温められた。ムクドリの夫婦はほほえみながら、その日を待ちわびていた。上手に育ててあげたかった。 ある小雨降る夏の日。猫はついにムクドリの巣に気づいた。恐ろしい獣の息づかいで、柘植の木をよじのぼる。ムクドリたちは震えあがった。しまった! だがもう遅い。ムクドリの夫婦は卵を守るためにこの場所で戦うしかなかった。くちばしを牙にし、大声で叫び、爪を開き、はばたきで打つ。猫は、切実な食欲とは別の理由から、哀れな獲物を傷つけずにはいられなかった。獲物が騒げば騒ぐほどゲームは面白くなるのだ。 ムクドリの隙をついて、猫は卵を巣からはじき落とす。一つ、二つ、三つ。地面にたたきつけられた卵の中から、ヒナの悲鳴が聞こえて
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ヒナの死
三羽のヒナのうち二羽はすぐに死んでしまった。残った一羽はぐったり横たわったまま、かろうじてあえぐような呼吸を続けていた。少年はそっとてのひらにヒナを乗せる。赤黒く素裸で、首の根もぐらぐらと危うい。少しひんやりとしている。まだ親鳥にあたためられていなくてはならない生まれたてのヒナだ。 「これは僕のヒナ。きっと助けてあげる」 少年はてのひらを卵のかたちにしてやさしく包み込む。 翼になるべき突起と背骨のあたりの皮膚には、黒い点々がついていた。苦しげにひきつる細い肋骨の下に内臓が透けて見えた。丸く黄色っぽくぱんぱんにふくれたおなか。肝臓の赤。呼吸のたびに内臓はふくらみ、しぼんだ。眼球の黒だけが顔の両側に異様に大きい。ささくれほどの痛々しい足指には、もうかすかな爪さえ生えていた。 「かわいい」 しかしそれは十分にグロテスクなしろものだ。生きる可能性は万にひとつもない。少年はヒナをてのひらで温め続ける。てのひらにかすかな拍動が伝わってくる。見かねて母親はゆで卵の黄身を水に溶かして給餌をこころみる。 二日目、体温はしだいに安定しつつあるように思えた。エ
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先生の油絵
高校の時の美術の男性教師、K先生は、いつも美術室の隣にある美術準備室にこもっていて、授業でさえめったに顔を見せなかった。四十代ぐらいで、背も高い方とは言えず、自信なさそうな気弱な笑みを浮かべて、生徒たちとまともに視線が合うのを恐れているような人だった。 一クラス四十名ほどの女子高生を前にして、生徒たちに美術制作上の指示を与えなくてはならない時など、先生は顔を真っ赤にして、視線を宙に舞わせて、失神寸前のところでやっとしゃべっているといった具合だった。 K先生からは、日本画、陶芸、彫金、七宝焼などのさわりを教わったが、そもそも「教わった」と言えるかどうか。K先生は材料を配って、作業の仕方をボソボソと早口で説明すると、皆の納得が得られないうちに、さっさと準備室に引っ込んでしまうのだった。 そんな先生を見て私たちは、くすくす無遠慮に笑うか、「先生、かーわいい」などと、揶揄するようなからかいの声を浴びせずにはいられなかった。 進学校の美術の授業など、たいして重く見られていない。生徒たちからも、他の受験科目の教師たちからも。ただの息抜きの時間。誰もが
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成人式のお寿司
今年の成人式の日は一日中大雪になった。高価な着物を準備して待ち望んでいた人たちには気の毒なことだった。 私自身の成人式は、ちょうど大学の後期試験の真っ最中だったので、実家に帰りもせずに試験勉強をしていた。鳥取から上京してきていた友人も帰らなかったので、二夕方高田馬場駅で待ち合わせて、お寿司などを食べてささやかなお祝いをした。 就職のこと、恋人のこと、試験勉強の進み具合、サークル活動など、学生である身の二十歳には、それなりの悩みや抱負もあって話は尽きなかった。 さてそのお寿司だが、『並』を頼んだのに間違って『上』が来てしまい、二人それを知らずに食べてしまった後に、思っていたより高額を請求されるというハプニングがあった。 私は、仕方ない、食べてしまったのだから払うしかないというスタンスでいたのに対して、友人は断固として抗議して店主に立ち向かった。 「私たちは『並』を注文したのであって、間違えたのはあなた方なのだから、私たちは『並』の料金しか払う義務はない」 店主は、 「しかし、確かに『上』と聞いたんだけど、そうだよな?」 などと、アルバイトの
読了時間: 2分


大雪と親友と宮沢賢治
大雪になりそうな模様だ。雪粒は交差しあいながら、速いとも遅いとも言えない速度で降りつのっている。家々の屋根に、道路に、木々の葉っぱに、早くもうっすらと白く冷たさを乗せている。こんな少し暗い雪の降りはじめには、いつも宮沢賢治の「永訣の朝」の詩句が思い出される。 今から考えれば面はゆい限りだが、小学六年生の頃、文学友達とも言うべき友がいて、その少女と私は休み時間ともあれば二人で勢い込んで図書室まで走っていき、宮沢賢治や高村光太郎を読み漁ったものだった。 二人の読書の傾向は不思議に似通っていた。暗誦したいと思う詩も、いつもほとんど同じだった。そういった二人のお気に入りの詩の一つが「永訣の朝」だった。 みぞれの朝の不思議に明るいイメージと、死に赴こうとしている魂の融合。詩を通じて私たちは確かに日常を越えた魂の瞬間を感じあっていたのだ。寂しさも哀しさも生命の美しさも、選ばれた文字から同じようにすくい取って、私たちは大人びた憂鬱に恐る恐る近寄ろうとしていた。 「抱擁」という語句を辞書で引いて、それだけ
読了時間: 2分


私のニコンFE
自分だけのカメラを持ちたいと思ったのは、大学二年の冬のことだった。先のことが全く見えなくなっていたあの頃、屈託した心を何か別のものに逸らさずにはいられなかったのだ。新宿のカメラ店に何度も出向き、さまざまな機種を仔細に吟味した。専門書で調べもした。大きさ、重さ、形、性能。値段もある程度張ったもの。けれど学生がまかなえる予算内で。そして絶対に一眼レフ。かなり時間をかけて迷いつつも決めたのは、シルバーボディーのニコンFEだった。 いそいそと下宿に持ち帰り、丁寧に箱から取り出し、何度もカラのシャッターを切ってみた。その重厚な手応え。ファインダーの中で一瞬閉じる世界。手ブレを防ぐためにカメラをガッチリ構えていると、気持ちまでどっしりと落ち着いてくるようだった。 カメラを買ったからには、何かを撮らずにはいられない。まず自分の部屋の中を撮った。こたつと冷蔵庫と本棚だけの殺風景な部屋を。窓を開けて下宿の庭を撮った。大きな柿の木ばかりが目立っていた。雪の日は雪を撮った。雪の一粒一粒が止まって見えるように。近所の犬たちも撮った。道端に止めてあったおでんの屋台も撮
読了時間: 3分


オッドアイホワイト
夜中、窯を焚いて、朝方やっと火を消し止めると、陶芸の先生はそそくさと仕事場を後にした。翌日から一週間、先生は中国へと出かける予定だった。 プレハブの仕事場の中は、窯の熱気がこもっていて、乾いた土の匂いも熱に浮かれて、いつもより濃く立ち上っている。私は窯焚きの緊張から解き放たれ、気が抜けて、仕事場の椅子に腰を下ろしたまま、さてこの一週間をどうしたものかと思いめぐらせていた。 先生は私にいくつかの仕事を残していくことを忘れなかった。もうじき行われる野焼きの講習会のために、見本となる縄文土器を数点作っておくこと。土練り五キロの玉を十個。私が何を作ろうと、先生の弟子である限り、私のものとして世に出ることはない。それが「先生」のものとして恥ずかしくないように、全力をあげて制作するだけだ。 「これはあなたの作品でしょう?」 そう尋ねられても、私は曖昧に微笑んで、 「いいえ」 と、答えていなければならなかった。 未熟な作品が先生のものと思われることに、私の方は耐えられない思いでいるのに、先生はそんなことにはまるで無頓着らしかった。無神経、おおらか、あるい
読了時間: 4分


雨の日の古本屋
今日は朝から雨が降っている。雨のしずくをたたえた紅梅の蕾は、濃く薄く微妙に混ざり合った春の色をにじませている。私の前を歩いている主婦が、子どもが履くみたいな黄色い長靴を履いているというのも、なんとはなしに微笑みを誘われる。農家で飼われている鶏が、どういうわけか真昼間からけたたましくときの声をあげている。こうもどんよりしていると、鶏も景気をつけなければやりきれないとみえる。 このところ買い物に行く途中、つい古本屋に立ち寄ってしまうのが習慣になってしまった。今、きっと私は生き方に関わる何かを探しているのだろうと思う。それは書棚を巡るとき、人生論のコーナーに立ち止まることが多いということで察しがつくだろう。 今日は今東光の「極道辻説法」を探しにきたのだ。この本はもう絶版になっているということだから、普通の書店では買えないし、おそらく古本屋に出ることも十中八、九無いに違いない。以前一度読んだことがあるのだが、その型破りの論調に不良などという生易しいものを越えた迫力を感じて痛快だった。 「極道辻説法」は案の定無かったので、その代わりに遠藤周作の短い
読了時間: 3分


正月まで
クリスマスが終わると、花屋の店先からポインセチアとリースが取り除かれ、代わりに正月用の切り花や鉢植えのミニ門松が並べられる。洋風から和風へ、この時期、町の変わり身は早い。街の雰囲気のままに、お祭り気分に染まっていける人はいい。酒、御馳走、カラオケ・・・少しぐらいはめをはずしても、あきらめ顔で許してもらえる。 若いころから、夜遅くまで遊び歩く習慣はなくて、やむにやまれぬお付き合い以外は、さっさと家に帰ってのんびりしていたい方だ。どんなにきらびやかな場所にいたとしても、私は夜を深くは楽しめない。ライトアップした東京タワーをじかに見てみたいとも思うが、わざわざ電車に乗って出かけようとは思わない。人間の傾向というものがあるのだろう。昼から夜へ。私の変わり身は早くない。 小さい自転車をこぐ子どもは、五百円玉をかごに放り込み、はやりもののおもちゃを買おうとしている。何によって満たされるか。それも日々変わっていくものだろう。年が明けたら、また別の人間になっているかもしれない。 本質的な傾向はそうは変わらなくても、私も今とは別の人間だった。夜中にどうしても
読了時間: 1分


いちばんはじめてのものがたり
さいしょにおばけがいました こねこのともだちでした こねこは 「ボールであそんでくるよ」 といいました おかあさんねこは 「五じにはかえっておいで」 といいました おかあさんねこは、こねこがくらくなってもかえってこないので おばけさんちに、むかえにいきました おかあさんねこといれちがいに おばけさんが、こねこさんをおくってきてくれました こねこは、おかあさんねこがうちにいないので おどろかそうとおもってかくれていました でもかえってきたおかあさんねこは、きづいてくれません こねこは、おもらしをしてしまいました おもらしがとまらないので みずたまりになってしまいました そのみずたまりはマンホールにながれて マンホールがあふれてしまいました さかながいっぴき、おうちのなかにはいってきました こねことおかあさんねこは、 そのさかなをやいてたべてしまいました ドラえもんのスモールライトで ちゃわんとしゃもじをちいさくして じぶんたちもちいさくなって おうちのなかでふねをこぎました ------------------------------- 落っこちな
読了時間: 9分
























































































