

父のこと
2015年7月12日(日) 午前10時5分 父亡くなる。91歳(お腹の中にいた1年を入れて行年92歳)。 2015年3月に肺炎で大病院に緊急入院し、回復がみられたので2週間ぐらいで療養型病院に転院した。認知症もあり嚥下機能落ち、栄養摂取が大きな課題となる。 肺炎を繰り返しその都度回復してきたが、経口栄養摂取ができず、衰弱していった。経鼻チューブでの栄養摂取も、食道からの逆流があって肺炎をおこしやすくなると言われて、中断。せめてユーグレナ(サプリメント 動物性と植物性の栄養を併せ持つ)を試してみたい家族の意向も、そんなものは全く役に立たないとの担当医の意見で、少し試みただけで却下される。それから後は、ほとんど水分だけの点滴。 3月入院時は、しゃべり続け、足も手も盛んに動かし、ベッドから落ちると危険だからと拘束具をつけられるほど。4月、5月、6月も、誤嚥性肺炎の熱を繰り返しながらも、何度も回復し、すぐに手や足をバタバタとうごかしはじめる。ぐったり寝ているということがなく、いつも動いていた。何を言っているのかはわからないが、人の顔を見るとしゃべ
読了時間: 4分


詩を書くということ
好きな詩人は、谷川俊太郎とか長田弘、萩原朔太郎など。加えて中学の時の同級生だった少年のことも、気になる詩人として挙げておきたい。 彼は、休み時間や放課後といえば仲間とサッカーばかりしているような元気印。その裏では、古風な詩を書く隠れ文学少年でもあった。その秘密を知っているのは、私を含めて2,3人しかいなかっただろう。かく言う私も、まだだれも登校していない朝一番の教室の黒板いっぱいに、大きく中原中也の詩を書き殴って悦に入っているような鼻持ちならない文学少女だったのではあるが。 実は恋の噂も二人の間にはあった。彼が一方的に詩のようなものを手渡してくるのを、私が困惑して受け取る、という他愛のないもの。彼の友人たちがこそこそと私の動向を全部彼に知らせているらしく、私が体育で先生に大っぴらに叱られたことなども、彼への私データとして全部伝わってしまう。ああ面倒くさいと思いながらも、人に好きになってもらうということを初めて実感して、それはそれで悪い気はしなかった。 彼から、30年ぶりの同窓会をきっかけに手紙をもらった。彼はまだ詩を書き続けていた。添えられ
読了時間: 3分


連合運動会
「連合運動会」とは川崎市全市の小学校6年生が等々力競技場に一堂に会するイベントで、昭和44年から平成17年にかけて、毎年秋に行われていた。選抜された選手はそれぞれ千メートル走や高跳び、幅跳びなどを競い、それ以外の子どもたちは音楽に合わせて簡単なダンスを踊ったりする 我が子が小学6年生だった頃、私も保護者として午後から見に行った。その他大勢のダンス組なので、応援というわけでもなく漫然と広大な競技場を見回していた。とにかくどこを見ても小学生だらけ。人数が半端ではない。こうも多くの子どもたちを見ていると、自分の子がどうとか、誰かと比べてどうとかという意識も超越してくる。 白い体操着に身を包んだ小さな人たち。ここにいる一人一人が一生懸命に幸福になりたがっている。そう思うと、涙までにじんでくる。大人になる前のひと時の楽園に遊ぶ時間は意外に短く、もう既に小さな社会にもまれているわけだが。 夕闇が迫るまで競技場を埋め尽くす数万人の子どもたちを見ていた。今となっては過ぎ去った日の感傷である。あの時の、まだ人生浅く無邪気だった小学生たち。みんな今は、どこへ散
読了時間: 1分


梨の畑
我が家の近隣は多摩川梨の産地で、梨畑も数多く点在している。実りのころになると、遠くから梨を買いにやってくる家族連れで、町はひととき活気づく。 そして、梨畑との関連で、セミの数においてもこの地域は特別だと言わなくてはならないだろう。最盛期の鳴き声は地響きにも近い。;音と音が重なり、濃密なバリヤを作っているかのようだ。 わが子が小さかったころ、セミを捕ることだけでも楽しく夏の一日を過ごすことができた。片っ端からセミの抜け殻を拾っていたのも、子どもが、というより私だったかもしれない。 セミも、梨畑が減るとともに激減してしまった。最近、いやに夏が静かになったと感じる。虫取り網を持ってうろつく子どもたちの姿も見かけなくなった。 知らぬ間にこうして失われていく。町も人も生活も時とともに変わっていく。あんなにもセミ捕りに興じていた私も子どもも、どうしたことだろう、今は遠い記憶の中にしかいないのだ。
読了時間: 1分


胃カメラ体験記
食欲不振が続いていたので、胃カメラをすることにした。事前の血液検査でCRPの値が0,04だったので、炎症的なものはないということはわかっていた。ストレス性の食欲不振であることもわかっていた。しかし10年前に検査を受けて以来ずっと胃カメラをしていなかったので、60歳を前にこの辺でやっておいてもいいかなと思ったので検査を受けることにした。 地元の内科医院、9時40分の予約で、時間ぴったりに検査室に呼ばれた。まず看護師の女性から、胃の泡を取るシロップですと、小さな紙コップを渡された。50㏄ほどの生暖かくてぼやけた甘みのあるやつ。飲んだ後ベッドにうつぶせで3分ぐらいじっとしている。 そのあと仰向けになって、のどの麻酔剤らしいとろりとしたものを注射器で注入され、それをのどにためておいてと言われて3分ぐらい。次にそれを飲めたら飲んじゃってと言われて、なんとか飲み込む。すでに麻酔がのどのあたりに効き始めている。 次に胃の動きを止める注射を腕にされ、このあたりで、医師登場。看護師さんにダメ押しの苦い液体を口中に含ませられ、左下でベッドに横になり、その苦いや
読了時間: 2分


カエルの森
野球場から射撃場跡地の横の道を北に五百歩ほど。はじめて出会った道を左へ鋭く切れ込むように折れると、その道は競走馬の育成牧場へと続いている。牧場までは行かずに再び左へ、牧場のブロック塀と雑草地にはさまれた道をとる。 雑草地を囲む有刺鉄線には、必ずトンボが二~三匹とまっているはずだ。ここのトンボは全く無警戒で、たちまちのうちに何匹か素手でつかまえることができるだろう。 有刺鉄線の方向へ、トンボを追いかけながら路地を曲がると、すぐにカエルの森が見えてくる。ここだ、目的地は。 住宅地とは道一本隔てて隣あっている。木々の相は重く厚いが、森自体はたいして奥行きはない。重なる木々の向こうには、もう黄緑色の稲田の明るさが透けて見えている。 この森にはどういうわけか、毎年夥しいカエルが発生する。薄い茶色に焦げ茶の斑が入った二センチほどのカエル。普通の青蛙よりも口が細くとんがっている。草むらのあたりを足先で探ると、なんだなんだというように次々と飛び出してくる。子どもは思わずカエルのように跳びつく。 藪蚊の数もすさまじい。蚊から逃れようと歩き回ると、蜘蛛の巣
読了時間: 3分


カブトムシをつかまえにいく
食べ残しのスイカと、腐りかけたメロンと、黒蜜を入れたビニール袋を手に、夜、小さな森の中に入る。最後の街灯の光が力尽きると、もう懐中電灯のか細い明かりしかない。 父親を先頭に、子どもは明かりを振り回しながら細道を登っていく。夜の森ほど、黒が黒である場所はない。空気の粒子までねばねばした黒だ。ばさっと梢の上の方でうごめくものがある。思わず顔を見合わせ、子どもたちは競って父親のそばに駆け寄る。 くぬぎの木の朽ちたくぼみに、腐敗した果実を仕掛ける。木の幹を仔細に懐中電灯で調べまわる。ここ数年めっきりセミも減った。森の生き物もどれだけ生き残っているというのか。 父親は、昔そうやったと同じ方法を、子どもたちに教えようとしてここへ来た。けれど心の裏側で薄々感じてもいる。もう昔のような夏の饗宴は、今の子どもたちには許されてはいないのだということを。 ほんのちょっと道を外れて藪に入っただけで、もう密林の中を迷い歩く気分だ。猛獣の目が狙っている。懐中電灯の明かりは、闇に吸い取られていく。手足をチクリチクリと刺してくるのは、吸血のコウモリ! 仕掛け終わったら
読了時間: 2分


打ち上げ花火を見る
いつもはほとんど人通りのない道。人々は同じ方向に向かって、ぞろぞろと歩いていった。急ぐでもなく、はしゃぐでもなく、真っ暗な道を延々と。 家と家、マンションとマンションの隙間を、欠けた花火が一瞬いないいないばあのように顔を出す。そのたびに「ああ」という感嘆の声。 堤防の土手からは、真正面に上がる花火が見えた。土手に生えた草は、ネコのつばのような匂いをたて、薄い三日月が反対側の夜空で待っていた。 花火は水しぶきのようだ。吹き上がっては、やわらかく落ちていく。高く高く上がっていくものほど大きく開き、その後をやっと追いついた音が、ボン! 色のついた花火は、口の中でかき氷の味がするだろう。 多摩川の土手には、生きている赤い心臓が横一列にずらりと並んで揺らめいている。ぴくぴくと、どくどくと、きゅうきゅうと、ばくばくと。内部でうごめくものの熱感。花火の中心から見下ろせば、それもまたおもしろい見ものであるに違いない。 洋服の裾をつかむ手。 「はぐれないように、そばにいなさい」 その声だけが、花火の夜の真実だ。
読了時間: 1分


プールサイドにて
そのとき、私はプールから五メートルほど離れたところにある緑色のパラソルの下の、やけに軽いつくりの折りたたみ椅子に足を組んで座りながら、水の中の子どもたちの方を、サングラスをかけた目でながめていた。 潜水を覚えた子どもたちは、もぐっては飛び出し、もぐっては飛び出しを繰り返し、そのうち髪をしばっていたゴムもゆるんで、顔中に髪の毛を張り付かせて、飛び出すたびに、おかしなスイカ模様になっている。 子どもの成長とともに、私の万能は薄れていく。個人へと戻っていく自分に思いを沈ませ、かすかな不安とともに、眠そうなふりであくびをしながら目を閉じる。 プールサイドは、「キャー」とか「おおお」とか「でやー」とか、「やだやだやだ」とか「うわはははは」とか、その他もろもろの声や叫びが入り乱れて、激しく渋滞した交差点のようだ。 空の下の方に入道雲が湧き上がり、そのもくもくした力こぶのようなふくらみを見て、ああ、今年も夏か、と思う。子どもたちはびしょびしょの顔して私の方に手を振って、ゴーグルの下でにこにこと笑っている(らしい)。 ・・・と、その時だ。この世界にこの
読了時間: 2分


梅雨Ⅰ
風邪が治ってやっと歩く気になった。歩くとはしかしなんと散文的な時間の使い方なのだろう。語彙力のまるで無い子どものために(自分のために)、漢字の問題集でも買ってこなくてはと思いながら、駅の向こうの書店まで曇天の下を歩いている。 言葉は言葉を仕事とするのではない限り、たいした量は必要ない。「ああ」というため息一つで一日を過ごしてしまうことだってできる。(そんな日も満更悪くはないのだが) けれどどんなに必要がないと言っても、言葉は瞬間的に必要になる。あまたの中の一つを取り出さなくてはならない時が来る。愚弄や嘲弄、憤怒や激怒、悲嘆や詠嘆。短く鋭く言い切るために、人は多くの言葉を知っていた方がいい。 「わたし」という言葉を教えられなかったために、自己を持てなかった人物が出てくるSFを読んだことがあるが、知ってもいい言葉がたったひとつだけだったなら、わたしはきっと「わたし」という言葉を選ぶだろう。
読了時間: 1分
























































































