

ダミさんが死んでしまった
飼い猫が死んで1週間がたった。17歳を過ぎていたから、ほとんど寿命と言ってもいいだろう。 2月の終わりごろからあまり餌を食べなくなり、3月に動物病院に診察に連れていって検査をしたが、内臓には問題はなく、口の中に炎症があるようなので、そのせいで食べられないのでしょうということだった。食欲が出る薬とか抗生物質、消炎剤などを少しもらってきて飲ませつつ様子を見ていた。強い薬は腎臓を傷めるので、少量を3日分ぐらいしか薬は使えなかった。 そして少し持ち直し4月はまあまあ食べられる状態になった。甲状腺ケアの治療食をずっと食べさせていたのだが、味か固さに問題があったのか治療食を嫌うようになり、 市販のレトルトフードや、美味しそうな味付けのエサしか食べなくなった。いつ治療食に戻そうかと思っていたら、また急に全然食べられなくなった。それが5月の連休の終わりごろである。 餌を食べなくなっても、水はなんとか飲んでいた。それが4日ぐらい続いた。3月からもうだいぶ痩せ始めていたのだが、ここにきて、本当に痩せ衰えて、歩くのもよろめくようになった。階段の上り下りもできなく
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もっと聞こえていた②
彼女は 「ジャン・クリストフのような人間はこわい」 と言った 私もそうかもしれないと思った けれど 交響曲のように 彼の生き方は どの場面でも高潔ではなかったか --------------------------------------------- オルゴール 少し年上だったその少女の家の窓際には 美しいオルゴールが置かれてあった はめこまれたガラス玉は 確かに高価な宝石のように見えた 金色の本体に描かれた 薔薇の花のモチーフ 通りすがりに見て いつも羨んでいた 私は私で 御所車の絵のついた緑色のオルゴールを 買い与えられてはいたけれど 少女の家からは よく争いの声が聞こえていた 少女はもらわれっ子だった それが原因というわけでもなかっただろうが なにかがうまくいっていないらしかった 思春期でもあったし 少女には男の友達がいて 毎朝 通りの反対側の 雑貨屋の前で待ち合わせをしては 一緒に学校に通っていた そんなことだけでも 街では密かな噂の種となった 少女のオルゴールは 時折「エリーゼのために」を奏でていた 彼女の両親がプレゼントにと
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もっと聞こえていた①
聞こえていた もっと聞こえていた 目覚めた虫の 小さなあくびまでも ------------------------------------ フルート 少年はフルートで ビートルズのナンバーを吹いていた (その曲はフルートの音によく似合った)...
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太極拳講師になった
太極拳講師になった。今まで来てくれていた先生は、お父上の通うデイサービスの日程や時間を教室に合わせるのが難しくなってきたことや、東京にお住まいということでコロナの影響も考えて、突然もう先生をやめたいと言って来たのだ。今後は私に継いで欲しいとの連絡がきたのが2021年4月のはじめごろ。 先生も目のご不自由なお父様の介護で随分悩まれている風だったから、先生の申し出を断ることなどできなかった。しかし私も姑の介護を抱えている身。どうしようかと内心は不安だった。 とりあえず、最初のうちは教室をまともに開くことはできそうにないコロナ情勢だったので、時折公園で軽く1時間ぐらい太極拳と気功法を通す程度で、「先生」と言われるほどの活動ではなかった。1時間なんてすぐにたってしまう。緊張とか不安など感じる間もなく公園での太極拳はやりすごすことができた。 その後4月半ばに姑は脳梗塞を発症し、入院を経て7月には施設に入ることになり、私の介護生活も終了した。これで太極拳の講師をやることに何の支障もなくなったということだ。 10月、コロナの陽性者が激減し、11月からは
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父のこと
2015年7月12日(日) 午前10時5分 父亡くなる。91歳(お腹の中にいた1年を入れて行年92歳)。 2015年3月に肺炎で大病院に緊急入院し、回復がみられたので2週間ぐらいで療養型病院に転院した。認知症もあり嚥下機能落ち、栄養摂取が大きな課題となる。 肺炎を繰り返しその都度回復してきたが、経口栄養摂取ができず、衰弱していった。経鼻チューブでの栄養摂取も、食道からの逆流があって肺炎をおこしやすくなると言われて、中断。せめてユーグレナ(サプリメント 動物性と植物性の栄養を併せ持つ)を試してみたい家族の意向も、そんなものは全く役に立たないとの担当医の意見で、少し試みただけで却下される。それから後は、ほとんど水分だけの点滴。 3月入院時は、しゃべり続け、足も手も盛んに動かし、ベッドから落ちると危険だからと拘束具をつけられるほど。4月、5月、6月も、誤嚥性肺炎の熱を繰り返しながらも、何度も回復し、すぐに手や足をバタバタとうごかしはじめる。ぐったり寝ているということがなく、いつも動いていた。何を言っているのかはわからないが、人の顔を見るとしゃべ
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詩を書くということ
好きな詩人は、谷川俊太郎とか長田弘、萩原朔太郎など。加えて中学の時の同級生だった少年のことも、気になる詩人として挙げておきたい。 彼は、休み時間や放課後といえば仲間とサッカーばかりしているような元気印。その裏では、古風な詩を書く隠れ文学少年でもあった。その秘密を知っているのは、私を含めて2,3人しかいなかっただろう。かく言う私も、まだだれも登校していない朝一番の教室の黒板いっぱいに、大きく中原中也の詩を書き殴って悦に入っているような鼻持ちならない文学少女だったのではあるが。 実は恋の噂も二人の間にはあった。彼が一方的に詩のようなものを手渡してくるのを、私が困惑して受け取る、という他愛のないもの。彼の友人たちがこそこそと私の動向を全部彼に知らせているらしく、私が体育で先生に大っぴらに叱られたことなども、彼への私データとして全部伝わってしまう。ああ面倒くさいと思いながらも、人に好きになってもらうということを初めて実感して、それはそれで悪い気はしなかった。 彼から、30年ぶりの同窓会をきっかけに手紙をもらった。彼はまだ詩を書き続けていた。添えられ
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連合運動会
「連合運動会」とは川崎市全市の小学校6年生が等々力競技場に一堂に会するイベントで、昭和44年から平成17年にかけて、毎年秋に行われていた。選抜された選手はそれぞれ千メートル走や高跳び、幅跳びなどを競い、それ以外の子どもたちは音楽に合わせて簡単なダンスを踊ったりする 我が子が小学6年生だった頃、私も保護者として午後から見に行った。その他大勢のダンス組なので、応援というわけでもなく漫然と広大な競技場を見回していた。とにかくどこを見ても小学生だらけ。人数が半端ではない。こうも多くの子どもたちを見ていると、自分の子がどうとか、誰かと比べてどうとかという意識も超越してくる。 白い体操着に身を包んだ小さな人たち。ここにいる一人一人が一生懸命に幸福になりたがっている。そう思うと、涙までにじんでくる。大人になる前のひと時の楽園に遊ぶ時間は意外に短く、もう既に小さな社会にもまれているわけだが。 夕闇が迫るまで競技場を埋め尽くす数万人の子どもたちを見ていた。今となっては過ぎ去った日の感傷である。あの時の、まだ人生浅く無邪気だった小学生たち。みんな今は、どこへ散
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梨の畑
我が家の近隣は多摩川梨の産地で、梨畑も数多く点在している。実りのころになると、遠くから梨を買いにやってくる家族連れで、町はひととき活気づく。 そして、梨畑との関連で、セミの数においてもこの地域は特別だと言わなくてはならないだろう。最盛期の鳴き声は地響きにも近い。;音と音が重なり、濃密なバリヤを作っているかのようだ。 わが子が小さかったころ、セミを捕ることだけでも楽しく夏の一日を過ごすことができた。片っ端からセミの抜け殻を拾っていたのも、子どもが、というより私だったかもしれない。 セミも、梨畑が減るとともに激減してしまった。最近、いやに夏が静かになったと感じる。虫取り網を持ってうろつく子どもたちの姿も見かけなくなった。 知らぬ間にこうして失われていく。町も人も生活も時とともに変わっていく。あんなにもセミ捕りに興じていた私も子どもも、どうしたことだろう、今は遠い記憶の中にしかいないのだ。
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胃カメラ体験記
食欲不振が続いていたので、胃カメラをすることにした。事前の血液検査でCRPの値が0,04だったので、炎症的なものはないということはわかっていた。ストレス性の食欲不振であることもわかっていた。しかし10年前に検査を受けて以来ずっと胃カメラをしていなかったので、60歳を前にこの辺でやっておいてもいいかなと思ったので検査を受けることにした。 地元の内科医院、9時40分の予約で、時間ぴったりに検査室に呼ばれた。まず看護師の女性から、胃の泡を取るシロップですと、小さな紙コップを渡された。50㏄ほどの生暖かくてぼやけた甘みのあるやつ。飲んだ後ベッドにうつぶせで3分ぐらいじっとしている。 そのあと仰向けになって、のどの麻酔剤らしいとろりとしたものを注射器で注入され、それをのどにためておいてと言われて3分ぐらい。次にそれを飲めたら飲んじゃってと言われて、なんとか飲み込む。すでに麻酔がのどのあたりに効き始めている。 次に胃の動きを止める注射を腕にされ、このあたりで、医師登場。看護師さんにダメ押しの苦い液体を口中に含ませられ、左下でベッドに横になり、その苦いや
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カエルの森
野球場から射撃場跡地の横の道を北に五百歩ほど。はじめて出会った道を左へ鋭く切れ込むように折れると、その道は競走馬の育成牧場へと続いている。牧場までは行かずに再び左へ、牧場のブロック塀と雑草地にはさまれた道をとる。 雑草地を囲む有刺鉄線には、必ずトンボが二~三匹とまっているはずだ。ここのトンボは全く無警戒で、たちまちのうちに何匹か素手でつかまえることができるだろう。 有刺鉄線の方向へ、トンボを追いかけながら路地を曲がると、すぐにカエルの森が見えてくる。ここだ、目的地は。 住宅地とは道一本隔てて隣あっている。木々の相は重く厚いが、森自体はたいして奥行きはない。重なる木々の向こうには、もう黄緑色の稲田の明るさが透けて見えている。 この森にはどういうわけか、毎年夥しいカエルが発生する。薄い茶色に焦げ茶の斑が入った二センチほどのカエル。普通の青蛙よりも口が細くとんがっている。草むらのあたりを足先で探ると、なんだなんだというように次々と飛び出してくる。子どもは思わずカエルのように跳びつく。 藪蚊の数もすさまじい。蚊から逃れようと歩き回ると、蜘蛛の巣
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