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第36詩集 クロコダイルの夜(1)





クロコダイルの夜



親戚の人のお通夜があったが

私はその人をよく知らないので

お線香をあげて合掌しても

特に感情が揺れ動くことなく

家に帰り軽く食事をした後

録画しておいたワニ映画を楽しんだりして

いつも通りに夜を過ごした

 

ワニは異常に巨大で

人々はサバイバル能力に乏しく

川の上をロープを伝って逃げるなんて

素人にできるはずないよと

つっこみを入れながらも

緊迫感があって割とよかった

 

今頃

遺族の方はしんみりと

口数少なく過ごしているのだろう

しばらくは息をするのもつらいだろう

眠れなかったりもするだろう

私は亡くなった人をよく知らないので

遺族のようには嘆けない

 

他人とはそんなもの

お通夜のあと家に帰って

クロコダイルの大暴れを

記憶の上に塗り重ねてしまうのだ

 

当事者として

大いなる悲嘆に巻き込まれるのは

生涯に数度でたくさんだ

もう何度かあった

これからも何度かあるだろう

他人は

形だけやってきて手を合わせ

家に帰ったらテレビに興じるのだ


だから許してほしい

今日 私は他人として

ワニの映画に見入っている

 

 

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小さな神

 

 

たとえば父親が危篤で

急ぎ帰省の途にあったとしよう

 

あわただしく乗った駅からのタクシーで

運転手が

駐車場がマンションに代わっていく様子や

バブルのころ家を売って

土地を買って家を建てて

おつりがきた話などを

おもしろおかしく話してくれたとしよう

その運転手は我知らず

乗客の心を少し和ませたのだ

 

さらに

父親の面会時間まで

むやみに近所を散歩していて

育成牧場のあたりで道に迷ってしまい

犬の散歩で前に後ろにと歩いていた婦人に

道をたずねたとしよう

「あらー、もっと早くに訊いてくれればよかったのに」と

気さくに道を教えてくれたとき

その婦人は我知らず

散歩者の心を少し楽にしたのだ

 

知らぬ間に救い救われている

本当に何も知らぬ間に

本当に何も気づいていないうちに

あの時 彼は 彼女は

小さな神だった

 

 

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栃木訛り

 

 

駅に降り立つと

思いのほか寒かった

駅構内のショップで

やむなくストールを買ったとき

若い女性の店員さんが

ほほえみながこう言った

「末永く使ってあげてくださいね」

 

そのやさしい心遣いと共に

素朴な栃木弁のアクセント

久しぶりに聞いた

尻が上がったかわいい訛り

 

栃木弁がしみてくる

それは

いつもの帰省では感じられなかったこと

栃木弁に涙がにじむ

それはたぶん

父の看取りが近いせい

 

呼びかけても

もう応えてくれることもなくなった

その声を

いつまで覚えていられるだろうか

 

怒ったことのない

穏やかなやさしい声だった

いつもかばってくれていた

沢山話せなかった分

沢山手紙をもらった

文字の中の父の声

あの飄々とした栃木訛りを

いつまで

耳の奥に残しておけるだろうか

 

 

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猫と歯ブラシ

 

 

猫を歯ブラシで撫でると

お母さんに毛づくろいをしてもらっているような

感触がするという

(猫がそう言っているわけではないので本当のところはわからないが)

 

早速飼い猫にやってみたが

さほどうれしがる様子もない

そもそも君は

母親を知っているのか

みつけた時は

すでに野良だった

 

ざらざら舌と古歯ブラシ

生まれたての時には

なめてもらったかもしれないね

早いうちからずっと一人で生きてきた

誰になめてもらわなくたって

自分で自分をなめてきた

 

何かを思い出すかもしれない猫歯ブラシ

鼻筋をちょいちょいとなでてあげようか

今は

私が君のお母さん

 

 

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暴走族

 

 

まだ暗い早朝の幹線道路を

暴走族が五~六台でつるんでいく

プスプスプスとか

ドドーンというのは

わざとなのか故障なのか

朝からまあにぎやかなこと

 

いつも

眉をひそめる側でしかないが

そちら側に行ったら

何か別の世界が見えるのかもしれない

わがまま放題の自由な爆音

こうも人の思惑を気にせずにいられるとは


迷惑なりにも

どこか爽快

黒革のジャンパーに身を包んだ

そんな生き方もある

ゴッドファーザー愛のテーマのホーンが響き

振り返った目の中で

夜明けの光とともに

何かがはじけて飛び散っていく

 

 

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散歩しながら

私の目が

父の目となって

この空が

父に見えていればいいのにと思う

 

 

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死に向かう者と

生にとどまる者が

一瞬交差する

てのひらの

うすいぬくもり

お別れの間際に

 

 

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父を亡くして

 

 

父を荼毘にふした

大泣きをしてしまうかと思ったけれど

そうでもなかった

もうそろそろ危ないとの報を何度も受けているうちに

覚悟を固めざるを得なかった

担当の女医は

自分流のやり方に固執し

家族がそれにそぐわない意向を示すと

すぐに退院しろと言い

「はっきり言ってあと余命1か月ですから!」

と恫喝するように言い放った

私と兄はそれを聞いて

なんだそれと呆れ

私が川崎に戻ったあとも

兄はその女医に2回ほどどなられたそうで

あの医者には参ったと

兄は葬儀の後に苦笑いしながら言っていた

そんな入院生活で迎えた最期だったが

確かにものを食べられない状態なのだから

元通り元気になることは望むことはできず

決められた天寿を消化しつつ

徐々に枯れていったのだった

家族の気持ちを汲んでくれることのなかった女医には

疑問符が残ったが

本人の寿命は

確かにこのくらいで妥当だったのだろうと

思うことにする

 

 

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父が亡くなった日のこと

 

 

日曜日の早朝

今度こそもう駄目だとの電話を受け

大慌てで

30分で支度をし

自転車をこいで20分で小田急線の駅に行き

電車に乗って30分で新宿にたどり着き

大混雑の駅のトイレに寄ったりしてから

ホームで40分 新宿湘南ラインが来るのを待ち

新宿湘南ラインに乗って2時間半で宇都宮駅に着き

15分ほどタクシーに乗り

たどり着いた病院で

父はまだ生きていてくれた


病室には兄しかいなかった

兄嫁さんはともかく

母がこの場にいないことに少しがっかりしていた

面会にも一度も来なかったそうだが

最期ぐらいはと期待していたのに

父と仲が悪かったわけではない

母のこころがもろいのだ

 

ベッドサイドに脈拍血圧のモニターもなかったので

首筋の血管がピクピクしているのを見守っているしかなく

それしか生きているかどうかの判断もできず

とにかく見守るしかないと腹を据えたら

約20分後ぐらいに脈が乱れ

見ていても脈が戻ってこなくなって

亡くなった

立ったり座ったりうろうろしていた兄と私は

わあっと泣くきっかけがなんだかみつからなくて

少し涙ぐむ程度だった

「恵子さんが来るのを待っていてくれたんだよね」

と後から来た兄嫁さんが言ってくれた

その時だけぐっときた

 

そのあとエンジェルケアというのを

1時間近く看護師さんがやってくれた

ドアからチラ見した父の体は

即身仏のようにガリガリにやせていて

呼吸器をつけていた口は開きっぱなしで

看護師さんがあごをぐいぐいしていたが

どうしても閉じない様子だった

私は看護師さんの隙を見て病室に入り込み

閉じさせようとおさえたが

固くなってしまっていてどうしても閉じず

その時だけちょっと可笑しかった


ケアを終えた頃やってきた葬儀屋の車で

やっと父は斎場へと運ばれていった

そこから斎場との長い打ち合わせがが始まる

悲しむ隙を与えないシビアな金額の提示があり

さまざまなコース決めがあり

私と兄と義姉であたふたしながら決定していった

一度で決めきれなかった部分は

夕方また出直して打ち合わせをしなくてはならず

お昼もゆっくり食べられないほど全くせわしなく

涙の出番はどこにもありはしなかった


私は早朝から夕方まで激動の時間を過ごして

相当疲れてはいたが

ここで私がしっかりしていなかったら

葬儀が終わるまで兄を支えられないと思って

斎場の人が喋っていることを猛然とメモしていた

斎場の人のマシンガントークが

時々よく理解できないこともあったので

今後はこのようなときは

ボイスレコーダーなどを持っていくとよい

 

 

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いい人

 

 

斎場やお寺で

父の人となりを聞かれて

温厚 やさしい 人情味がある

忍耐強い 勉強家 など

よい点ばかり挙げて

本当に素晴らしい人だったのですねと

皆にほめてもらったが

 

確かにその通りの素晴らしい人だったのだけれど

 

精進落としの席で兄は

父は若い頃は厳しくておっかなくて

本当に閉口していたのだと打ち明けた

笑い話のように

 

知っている

高校時代の兄は

父が勤めから帰ってくると

顔を合わせないようにして

自分の部屋にすっとんで逃げ込んでいた

父は特に兄に教育の面で多くを期待し

小言を常に言っていた

あまり笑顔を見せず神経質そうだった

娘の私には

女の子だからどうでもいいと思ったのか

割とやさしく接してくれていて

勉強のこととか何か言われた記憶はない

 

家族として 人間として

完璧にいい人なんていない

悪口や文句も出て当然

いなくなって

はじめて出る本音

兄と妹それぞれの立場でも

父に対する印象は違うのだろう

 

家族のあれやこれやはあったけれど

すべてを差し引いても

父は有り余るほど

強くやさしく前向きな人だった

人一倍忍耐強かった

私にとってはとてもよい父だった


老いてゆく様子を見るにつけ

いつまで生きていてくれるのか

不安で悲しく

こんなに気にかかるのは

父のことがとても好きだからだと

心の奥で思っていた


その気持ちを

ちゃんと伝えることができなかった

そればかりが心残りだ

 


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トモダチコレクションの中に

 

 

父を

DSゲーム「トモダチコレクション」の

マンションの住人にした

「たけちゃん」は

おなかがすいた 服がほしい

若い娘紹介してなどと

なかなか楽しげでお盛んだ

「カブちゃん」(私のアバター)と

付き合いたいと言い出したら

倫理的にちょっとアレなので

お断りするしかないが

そうすると

失望ポイント数がぐぐっと上がって

激しく落ち込むので

旅行券などをあげて機嫌をとらなくてはならない

 

今は白木の位牌の中に魂が入っているそうなのだが

ゲームの中の「たけちゃん」にも

ちょっと魂が入っていればいいと思う

この仮想空間には

食料品屋や服屋 インテリア屋などがあって

生活に困らないし

風呂も入れるし コンサートも毎日聞ける

住人達の部屋を行き来して

毎日楽しく暮らせる

本当に魂がここに住んでくれればいいのに

けれど「たけちゃん」に

いくら楽しいマンション暮らしをさせてあげても

実際の武男さんの行方は

もう本当にわからない

 

 

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いい天気

 

 

葬儀その他に費やした4日間

全くよく晴れ渡って

朝は早くに明るく

夜はいつまでも明るく

一日がとても明るくて

亡くなるには最もよい時期だった

 

川崎に戻った次の日から

台風の影響で

大雨と暴風で各地が大荒れだった

そんな日でも誰かは亡くなり

誰かは葬儀を行っている

 

父はよい時期に 亡くなった

なにもかも

それでよかったのだ

明るい日の光の中で

滞りなくすべて終わり

昇っていく天も

澄んで晴れやかだった

 

 

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納棺の儀

 

 

納棺の儀というものに

はじめて立ち会った

 

既に白い死に装束は着ていた

身内四人で

足に足袋 すねに脚絆

手に手甲をそれぞれ紐を縦結びでくくりつけ

頭につける△の布は

つけてもいいのだが

なんか生々しいので頭陀袋の中に

六文銭を印刷した紙と一緒におさめて

頭のよこに置く

 

足の所に草履

利き手に杖

胸に編み笠

 

指にはめこむ数珠は

非日常を演出するために

房を顔の方に向けるのだそうだ

 

これが父に触れる最後

もう抜け殻なのだからと思いながら

 

柩の中でできあがった父は

真っ白すぎて

なんだかいつもの父にそぐわなくて

お遍路さんみたい

こんな恰好をさせられて

川を渡っていくのか

きっと居心地悪くて

川を渡ったら全部脱いでしまうに違いない

 

 

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戒名

 

 

父の戒名は

「鑑光院武徳英俊居士」

名前の武男から一字を

英語に秀でていたことから

英の字を入れてもらったのだった

 

お寺の人に

お父さんはどのような人でしたかと

急に聞かれたから

英語に関わる時間が多かったなということで

英の字が浮かび上がったが

後になって

父を表す言葉は「剣」もあり

「豪」もあり[勇」「悠」もあるのではないかと思った

若い頃は文武両道の人だった

 

実家の仏壇に置かれた位牌の字など

ほとんど見る機会がない

しばらくしたらすっかり忘れてしまう

それでもここに書いておけば

後々の覚えぐらいにはなるだろう


戒名をつけてもらうのに

50万円かかった

兄がお金を出してくれたから

私が口をはさむ筋合いは無いが

戒名というのは幾分(かなり)ぼったくりだなと思った


下世話ついでにもっと言うと

母は父の介護や見舞いや看取りを

思うようにできなかったことを後悔しており

父の死後 

父のために相当高額な(何百万かの)仏壇を買った

黒光りしていて全体に精緻な彫刻が施され

材質も確かに高級そう

母はその仏壇で

父への罪滅ぼしをしているつもりになっていた


死んでからいくらお金を使ったってもう遅い

そう私は思ったが

「おじいちゃんもきっと喜んでる」

とちょっと笑って言うにとどめた


 

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グリーフサークル

 

 

悲しみの段階の輪

グリーフサークルについて

書かれている本があった

 

故人にもっとも多く関わった人が

グリーフサークルの中心にいるという

 

中心にいるのは

兄だ

ここ数か月

父を救うために

精一杯動いてきた

 

義姉と私は

ひとつ外側のサークルの中だ

父と一緒に過ごす時間が

兄ほどはなかった

 

母は

自分の不調でいっぱいいっぱいだったから

今 サークルのどの部分にいるのか

正直言ってよくわからない

体調が戻ったなら

ひとりの寂しさもあいまって

これから

グリーフサークルのど真ん中に入っていくのだろう

 

私は遠くに住んでいて

物理的に兄夫婦と母に深く関われないから

この場所で気遣うしかない

とにかく

三人で支え合ってもらいたい

 

涙は

人に見えないところで

流されているものだ

思いがけない記憶のきっかけで

急に溢れ出てくるのだ

私もここで今も

グリーフサークルを出たり入ったりしている

 

 

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家に戻って

 

 

四日近く家を留守にしていたら

仕事がらみの連絡が

いくつかあって

先方からのファックスを受信できなかったこと

それに対応してくれた事務所にお礼とお詫び

先方へファックス内容の確認の電話とお詫び

文字の表記の問い合わせにメールで返事

掲載すべきかどうか判断を仰ぐメール送信

など

ちょっとだけ慌ただしかった

主たる仕事はほぼ済んでいたので

たいして皆に迷惑をかけずに済んだ

姑のことは娘に任せていったので

さほど心配はなかった

 

ここ数か月

父はいつ亡くなってもおかしくない状態だったから

諸々の私の仕事については

人に頼める部分は頼み

自分でやれる部分は先回りして対応しておくなど

それなりに気を使っていた

 

もうこれから気を使わなくていい

散歩も買い物も

実家からの緊急連絡を気にせず出かけられる

今月末に予定されている町の音楽祭にもフリマにも

私は行くだろう

毎朝散歩の途中

明王不動尊や土渕不動尊に立ち寄ることも

もうしばらくはないだろう

 

 

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父の手紙

 

 

父の手紙を整理していて

何か大切なことを言っていそうな部分を

父の手紙サイトにアップしてあげようとしたのだが

気持ちが揺れて作業が進まなかった

まだ父との思い出に正面から向き合えなかった

その取り返しのつかなさから

 

父とは月2回ほど手紙やハガキのやり取りを続けてきたが

月2回ともなると

実際書くこともなく

畑で何の作物がとれたとか

庭に何の花が咲いたとか

どこに遊びにいったとか

全くつまらないことしか書けなかった

 

父からの手紙も

ほとんどは天候や作物の話

世間を騒がせているニュースのことなど

その中でたまに兵隊時代のことや

子ども時代のことや

兄弟のことを書いてくれることがあった

 

父はいろいろなことを伝えてくれようとしていたが

私は手紙をちらりと見たまま

すぐにしまってしまいちゃんと反応もしてあげず

ありがとうもろくに言わなかった

 

もう少したたなければ

この後悔を消化できない

思い出すたびにめげてしまう

全くなんて娘だ

けれど手紙のすべてを捨てずにとってある

それだけでもそこに確かに父への想いがあったことを

少しでも汲み取ってはもらえないだろうか

 

 

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ネガティブ

 

 

ネガティブなことがあると

その代償行為として

何かひとつ好きなものを買ってしまう

 

父のことで宇都宮に行っていた時は

駅で餃子やお菓子

ストールなどを買ってしまった

 

父が亡くなった後は

これはどかんと大きなものを買わないと

喪失感を埋められないぞと思ったが

結局リサイクル屋さんで

安い服と

あと 納骨した霊園が

かんかん照りで非常に暑くて

日傘が必要だと思ったので

日傘を買った

 

それでネガティブ気分がおさまったか

というと

それは分からない

 

ただこちらに帰ってきてすぐに

姑の誕生日があり

出してあげたモンブランケーキが

食べられないからと戻ってきたので

いつもならちょっと冷凍しておいて

後でぼちぼち食べようと思うところを

突然

台所に立ったまま

衝動的に食べまくっているのである

 

 

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書かなくては忘れてしまう

 

 

もはや 詩でも

エッセイでもないが

たぶん今しか書けない

そう思うことを書きなぐっている

 

推敲もほとんどしないので

あまりに自分目線すぎて

各所にいやな思いを

させることもあるかもしれないが

それはおいおい正していくつもりだ

 

(ある評論家は

事件が起きた時の

第一報が最も主観的に多くを語っていて

二報 三報は 

いろいろと都合悪いことは隠されていくので

第一報に注目するのです

と言っていたが)

 

とにかく書いておく

混乱を収め

この大事な出来事を忘れないために

きっと必ず忘れていってしまうのだから

しかし困ったことに

いまだ書くたびに読むたびに

涙がこぼれてしまうのだ

 

 

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斬る

 

 

時々太極拳の練習をしている公園で

剣を振るっていたら

近所のおじいさんが話しかけてきた

 

「昔 剣道や柔道の稽古をさせられてね

剣道は真剣を使ったんですよ

藁束や竹を斬ったのですが

斬るのはいいけれど

その剣が自分の足を斬ってしまわないように

剣を止めるのが大切なんです」

 

剣を止めるのが大切

 

そういえば

父はよく庭で竹刀を振っていた

あれは斬るよりは

止めるための練習だったのかもしれない

 

父の竹刀は

何を斬り何を斬らなかったのか

いろいろなものを守るため

刀を正眼に構え

ぐっとふんばる人生を全うした

 

強くやさしい刀だった

しかし

もっと斬ってしまってもよかったのに

怒りに任せて斬りつけて

あたりを惨憺たる有様にしつつも

血だらけの本音をを開示しあう

そんな家族でもよかったのにと

今は少し思う










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