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第25詩集 神のように(2)

春一番


ビルの外に出ようとして

強風が吹いているらしいのが

ガラスドアの向こうに見てとれた

まだ長いコートを着ている女性の

裾が大きく翻っている

髪がさかさまに舞い踊っている

「そんなことはもう超越している」が

以前の私の口癖だった

ビルの谷間を吹き狂っている風に向かって

ふと「そんなことは超越している」と

あらためて言ってみる

ドアを押し開け

できるだけ冷たい目をこしらえながら

猛然と躍り出ていく

よろめきつつも内心気持ちよく

肩で抗いながら

駅に向かって突き進んでいく

強いビル風はいつも

人を小さな戦士にする


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如月の頃

私の誕生日だからと

夫に誘われて梅まつりに行った

繰り出す人出の中を

花を見るより

お土産を探したり

おいしそうな屋台を覗いたり

自分の誕生日が

梅の盛りの頃だと

認識したことが今までなかった

寒いばかりの二月

同級の子より運動も学力も

劣っているような気ばかりして

そうかこんな季節に産まれてきたのか

花の香り 近づいている春

まんざら悪くは無かったかもしれない

精一杯喜んでくれた人たちもいたであろう

私の第一回目の遠い昔の誕生日

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神のように


子どものもろもろを

遠くから見守っている時

ああ 私は今 神のようだと思う

何の助けにもならないが

じっとこらえながらそばにいる

導くことにおいて

ほとんど無力であることも

神に似ている

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駒込駅にて


駒込駅から見えるつつじの植え込みは

二十年前と比べてずっと

ふくれ盛り上がっていた

一人で六義園を歩いたあの日の自分も

果てしなく今日とつながっていた


東京は今でも好きになれない

今再びあの日に戻ってもやはり

自己を確定する日記帳を

抱えていずにはいられないかもしれない

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絵を見にいく

友人と都美術館に行った

モネのあの有名な睡蓮の絵と

モリゾというあまり知られていない女性画家の絵が

特別展として数多く展示されていた

特にモリゾは

娘や夫をやさしい緑色にくるんで

森の中のだまし絵のように

命を穏やかに植物化していた

いやなところのない絵だった

毒々しくグロいことも芸術として許される中で

それよりも感心したのは

美術館内を歩いている人たちが

特に若いカップルたちが

品のいい人たちばかりだったということだ

臙脂色のベレー帽

指先まで繊細に神経を行き届かせて

優雅に絵画の間を泳いでいく

そのままモリゾの絵の中に入っていきそうな

私と友人は 

まわりの人々をきょろきょろと見回して

あの人 美大生かな 画家さんかなと

少しだけ気もそぞろ

芸術という幻惑に飲みこまれつつも

私たちが立っているのは

現実というざわざわした下界

意識はすぐに自分に立ち帰ってしまう

美術館を出たら何を食べに行こうかと

早くも相談している

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星の王子さま

息子が「星の王子さま」を読んでいる

私が三十年前に読んでいたその同じ本だ

一本の薔薇の花が咲く小さな星に

たった一人で住む少年と

大きな地球の上に

不本意ながら暮らす息子とは

どこか似ている

少し寂しい魂の感じが

二人がもし出会ったなら

恥ずかしそうに

ウワバミの絵やら箱の絵やら花の絵やらを

いつまでも描きあっていそうな気がする

なんなら私も少女の姿で

一緒ににこにこしながら

その絵を覗き込んでいたい

私もある時期

ひとりだけしか住めない星の

孤独な住人だったのだから



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河津桜


うまい刺身定食を食わせるから

というえさに釣られて

夫と伊豆へ

赤みがかった河津桜は川沿いに程よく満開

一足早い春色の帯を風景に巻き付けている

桜をあと何回見られるかわかってんの?が夫の口癖

何もそう生き急ぐことないじゃん!がいつも私の答え

でも確かに

もうそろそろ一年ごとの桜を

しっかり刻んでいったほうがいいのかもしれないね

桜まんじゅうのお土産もあちこちに

ご年配の方は駅前から歩きはじめるように

コースの奥の無料駐車場に車を停めると

えらく歩くことになりますよ

風が強く少し寒く写真もたくさん撮って

刺身定食露天風呂付きのお昼も済ませて

道々の看板に

舞網(まいあみ)だってよ こりゃ素敵

モズクガニじゃなくてモクズガニだよ

などと言い合いながらちょっと歩き疲れて

これが今年の春第一番目の

桜めぐり


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三月三日のために


花に関することは

すっかり夫にお株を奪われているので 

切花も鉢物も種苗も

このところはほとんど

買ったことも手入れしたこともなく

ただ遠くから眺めるだけの人となっていたのだが

桃の節句の頃と

各人の誕生日の頃だけは

飾る花を選ばせてもらおうと思う

今日 娘のために桃の花を買った

自転車の前カゴに入れて

つぼみが落ちないようにゆっくりこいで帰った

食卓に置いた花瓶から長々と突き出す枝は

つんつんしていてけっこう邪魔で

食卓が少し狭くなって

皿の並べ方にも困るようになったが

枝をよけるようにみんなで椅子をずらす

花が枯れてしまうまではこの配置を楽しもうと思う

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抱きしめる


子どもをしっかり抱きしめてあげなさいと

よく子育て本に書いてあるけれど

十四歳の息子を抱きしめたなら

「セクハラよー!」

と叫ばれてしまいそうである

十七歳の娘を抱きしめたら

「キモイことはやめろ!」

と低い声で怒られそうである

猫を抱きしめても

「ちょっとだけよ」

という顔をされてしまう

夫を抱きしめようものなら

うれしそうに

腹の肉をつまみにかかるので

要注意である

昨今は

抱きしめるのも一苦労である

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歩行器はどこに行った

うつぶせ寝が奨励されている頃の育児だった

揺さぶられっこ症候群なんて聞いたこともなかった

抱き癖がつくから泣いても抱っこするなと

識者はみんな言っていた

それは間違いだったといまさら言われても ね・・・と

夫と悲しく目配せを交わす

まあ なんとか無事に育ってよかった・・・・よな

正しいとか間違っているとか

時代が言っていることは信用がならない

今の常識もあと少ししたら非常識になる

いまだ動物実験の域にいる

風邪をひくたび尻に太い注射をされた私もいる

ため息をつきながら

まあ 何とか無事に育って・・・

と言っている夫婦がいつの世にも消えないのである

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有効な時間


パソコンの前で費やした時間の

そのほとんどが

無駄なものだったと気づきはじめている

私にはもっと考えたり

感じたり

歩いたり

笑ったりする時間が

必要だ

今日

雲が急速に色を変え

世界の終末を思わせる黄色に染まった

小さな箱の中になんか

何の箴言も埋め込まれてはいない

緻密な基盤の配列は

煌めく永遠を示したりはしていないのだ

ドアをあけて

降り出す雨と

雨の匂いの中へ

私は歩み進んでいく

スイッチといえるものは

この体の感覚器のみにして


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