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第26詩集 虫の触覚(2)

同い年


夫と私は同い年で

学年も一緒で

最後は学校も一緒だったから

何かと話は合うのだが

給食のミルクが

脱脂粉乳だったか牛乳だったかで

どうも意見が分かれる

川崎で育った彼と

宇都宮で育った私

彼が銀色のミルク缶に入った

あの生暖かい脱脂粉乳を経験していないとは!

ミルクの表面に張った膜を

先割れスプーンでつついたことが無いとは!

微妙なところで記憶が違う

同い年でも

重なり合わないパラレルワールド

彼が川崎で鬼ごっこをしていたとき

私は宇都宮で大波小波をしていた

すべてを知りあいたい

互いの涙も喜びも

と思っていた愛すべき勘違いの日々も既に遠く

本当のところはまるで知らないなりに時は過ぎる

ピンチの切り抜け方とか

趣味の方向とか

生活の中で次々と現れる互いの謎の部分

おやおやと首をかしげたり

ふむふむと感心したり

夫として妻としてだけではなく

個人として他人として

見知らぬ人として互いを眺めよう

それにしても 同い年なのに

あの脱脂粉乳を知らないなんて!

まずいまずいと人は言うけれど

私は案外好きだったけれどもね


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万事これでよし

意図したようには子は育たなかったので

よい具合にはみ出た子どもがふたりいる

そもそも思い通りになんていくものか

母親を取り換えたなら

問題もなく心配もかけない素晴らしい子どもに育ったのか

と考えなくもないが

そうでもないだろう

違う母親だったらもっともっと

イライラしたりムカムカしたり

嘆いたりなじったり

挙句の果てには

子どもをボロボロになるまで傷つけてしまうか

そのどれでもないということだけでも

すごく成功しているではないか

年齢と学年が一致していなくても

どこか謎めいていていいじゃないか

ニワトリの「デカブツ」だけが唯一の友達だって

どこか哲学者みたくていいじゃないか

人望もなく人付き合いも悪い

だけど元気で好き勝手なことをやっている

私もそんなおかしな子どものひとりだったのだから


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協調性とは

子どもの頃から通信簿には

協調性はあるが指導力は無いと書かれてきた

PTA役員の長を決める時には

この通信簿を持っていきたいほどである

協調性についても実はあやしいものだ

トイレにはつるまないでひとりで行きたい方だ

何かをやってと頼まれれば素直にやるが

独走で突っ走ってしまうのが常で

伴走されるのも並走されるのもあまり好まない

私のどこに協調性がある?

友だちなんていなくても全然平気だった

小学校の体育館の垂れ幕に

「元気いっぱい

夢いっぱい

友だちいっぱい」

などと書いてあると

「ばっかじゃないの? ケッ」とつい思ってしまう

最低限の付き合いで

ほんの数名の間で

よい人間関係を築ければそれでいい

協調性はないので

マンボウのようにひとりで

海の真ん中に浮かんでいるのが好きなので

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鯉のぼりの頃

鯉のぼりは

何日かは外に吹きさらしておくものだから

年を重ねるごとに

色あせ よれよれになっていく

あそこの少年はもう中高生になっているな だの

あそこの子はまだ産まれて間もないな だの

じいちゃんばあちゃん 随分気張っちゃったな だの

鯉のぼりの状態を見れば大体わかる

うちにも金太郎が張り付いている小さめの鯉のぼりがあった

ありがちな祈りも少しは込めていたかもしれないが

強くてたくましい子になることだけが

正しいのではないとずっと思っていた

絵を描くのが好きな子だ

体育が苦手な子だ

鬼退治なんかごめんこうむると言いそうな子だ

部活動も文系だ

一番もっともらしいあり方にいるのがいいのだ

鯉のぼりはくねくねと風に吹かれる

あれはあれで

風が止むと結構だらしなく垂れ下がってしまうものである

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ポテンシャルは計り知れない


たとえ

ちびけた一本の鉛筆でも

ひとかけらのケシゴムでも

一枚の一円玉でも

コップ一杯の水でも

それがないと非常に困る という状況がある

ちびけた一本の鉛筆のように

ひとかけらのケシゴムのように

一枚の一円玉のように

コップ一杯の水のように

すっかり油断させておいて

いざとなったらきっちりお役に立ちましょう

私も

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菖蒲湯


お風呂には菖蒲の葉束が浮いている

これは筋状の葉脈であるから

イネやササやトウモロコシと同じ単子葉類で

おそらくはひげ根

維管束はバラバラに散らばっている

などとひとり薀蓄を傾け悦に入っている

子どもが小さかった頃は

菖蒲の葉をくすぐったがって

狭いお風呂の中を

キャッキャと笑いながら

逃げ回っていたものだった

ふと見れば一本の葉が

戯れに結んである

前に入っただれか

だれだろう

私もゆるく結んでみる

ひとりひとり

菖蒲の葉を目の前に浮かべて

ちょっと遊んでみる五月五日の夜

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三日間の不在

ふるさとを離れて暮らす子どもの気持ち

いつも帰りを待ちわびている母の気持ち

今は両方の立場での気持ちがわかるから

雨の日が二日続いたからといって

むやみに心配したりはしない

心配はありがたいようでいて

心配される側にとっては

結構ウザイものだから

修学旅行から息子が帰ってきた

土産物と洗濯物を床に広げ

旅館で出た夕食の魚の小骨が喉に刺さって

丸一日不愉快だったなどと言い

千円で買ったという扇子を

満足げにあおいでいる

私も

同じようなことを切り抜けてきた

子どもとして


つまらないことで心痛めたり喜んだりしてきた

親として

おやおやそれは大変だったね お疲れさん

それはそうと

清水寺で頭のよくなる水は飲んだかい?

奈良の大仏の柱の細いくぐり穴を

くぐってみたかい?それはもう無理か

二条城のうぐいす張りのピヨピヨ具合は?

などと言いながら

お土産の生八つ橋を

さっそくもぐもぐとおいしくいただいている

親にお土産を買ってきてくれるなんて

なんていい子と思いながら


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世間

お隣の人が

秋冬物は110だね

などと言っているのを漏れ聞いて

お隣の子の大きさを推し測る

それが年齢に比して

大きいのか小さいのか

またはお利口なのかお馬鹿なのかなど

私には全く興味もないことだ

私が一種の「世間」であるなら

お隣の人 これから何があろうと

私という世間については

気にしたり恐れたりする必要は全く無いから

もちろん

助けの手はいつでもここにあるから

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昨日と今日

昨日できなかったことが

今日できるようになる

一年にすべてを凝縮する赤ちゃんのように

娘が言う

「今日 私は変わったような気がする」

朝と夜があり

一日があり

一年があり

永遠がある

人間そのものが完全に変わっていく

そのサイクルはどれくらいだろう

生まれ変わったかのように

ある日清々しく風のそよぎの中に立つのは

ひとつの笑い

ひとつの涙

いくつもの小さな感情のうねりを越えて

今日 娘は

確かに昨日とは違う自分になったと言う

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リズム体操教室

楽しげな音楽がかかり

みんなでガアガアとか

メエメエとか

ブーブーとか言いながら

四つん這いになって練り歩いているのに

君は部屋の隅っこにじっと座り込み

くるりとした目で眺めているだけ

私は仕方なく

みんなの真似をして

ケロケロだの

モウモウだの\言いながら

むなしく四つん這いで練り歩いている

先生にそうやって誘ってみてくださいと言われたから

君は数年たってこう言った

「あんな赤ちゃんみたいなことできるかよ」

(それならそうと早く言ってよ

無駄に疲れちゃったじゃないか)

人間の尊厳

幼児にだってある

あの時 さっさと教室を飛び出して

きれいな夕陽でも

見に行けばよかったねえ


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ほほえみ

冬の休暇中に

谷川俊太郎の

雛祭りの日に」と題した詩が

ただひとつ書かれたハガキを

もらったことがあった

自分でも詩を書く男子学生からだった

これは何?

と思いながら

これはたぶん・・・

と分かっていた

けれどそのことについては

休みが明けても

二人何も話さなかった

いつも通りの馬鹿話をしながら

休み時間を過ごし

そのまま何も変わらなかったから

私は

聞き返す機会を失った


ひとつのほほえみ

ひとりの人を生かすには

ただそれだけで事足りたのかを


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早朝五時四十五分


小鳥のさえずり

おだやかで平和な朝

ほほえましく起き出す朝

愛する者がそばにいる朝

いつもどおりの朝

同じ時刻

寂しい朝

むごく打ちひしがれた朝

取り返しのつかない朝

悲しみや憎しみから始まる朝

この同じ時刻


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白黒の羽根をもつ野生のヒナ(ピッピちゃん)


夫が珍しく野生のヒナを拾ってきた

台風の荒天の中

箱に入れてふところに入れて

オートバイで帰ってきた

午前中は結構元気で

掌に乗っていたという

しかしもう明らかに弱って

目を閉じ羽も逆立ち足に力無く

入れ物の中で傾いている

食べそうなものを買っておいてくれよ

と電話があったので

スーパーでひえやあわのフードを買っておいた

私はもう何羽もこのようなヒナを見てきた

以前猫を飼っていたので

だから一目見てその後の経過の想像はついた

子どもは水をあげてみたら

体をあたためてあげたらと言い

何度もカゴの中をのぞきに行く

私もそうだねと言い

スポイドで水をあげてみる

何を食べるかなと夫が言うので

ゆで卵の黄身をお湯で溶いたものなんかなら

と私は言い

夫は早速ゆで卵を作りはじめる

小鳥の呼吸はせわしなく

もうだめだと私は思い

ゆで卵はゆであがり

小鳥は最後の羽ばたきのあとあっけなく息絶え

あとには白いゆで卵

夫は寂しそうにゴールドクレストの木の根元に

小鳥のための墓を作りアジサイの花を挿し

ピッピちゃんごめんねなどと言っている

でもその場所は図らずも

夫も知らないうちに

かつて猫の餌食となった雀や鳩やねずみたちを

私がもう何匹も葬ったところ

わずかばかりのこの世だったろうが

ピッピちゃん

せめて賑やかな墓所に入れてよかったね

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夕食の途中だけれど

東側の建物の窓の反射の色を見て

娘は「今日もよさそうだ」と

デジカメを手に西側の部屋に小走りに走っていく

息子も箸を置いてその後を行く

私も箸を置いてその後を行く

夫も少し遅れてその後を行く

ひとしきり夕焼けの色と風情を採点した後

また皆で食卓に戻る

ぞろぞろと

その時でなければ駄目なこともある

「後で」は利かない時も

すぐに消えてしまう夕焼けのように

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床の上


床には

クリップやら

はさみやら

鉛筆やら

電池やらが

あちこち無造作に転がっている

それらはかつて

私が

キリキリしながら

片づけまわっていた代物

幼児ではなくなってしまった者たちが

それらを

踏んづけて歩く

口に入れてしゃぶるなんて

もう思いもよらないで


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思い出す


夫が急に

「リンスキン リンスキン」と

歌い始める

何かと思ったら

それは赤ちゃんがいたころに

よく使っていた消毒綿の名前

急に思い出して

なぜかうれしそうだ

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泣いている


夜中

どこかの赤ん坊がひどく泣いている

それこそ断末魔のような声を張り上げて

若い母親は

さんざんミルクやおっぱいを試した挙句

顔をひきつらせ疲れ果てながら

抱き揺らしているだろう

若い父親は

勘弁してくれよとつぶやきながら

何もできずに寝床で泣き声に耐えているだろう

親になるための空元気

親になるための心意気

親になるための闘志

さあ あなたたちも見せてあげなさい

腹筋が疲れた赤ん坊は思う

ひっこみがつかなくなってしまったので

あと一時間は泣かせてもらいます

泣いている 泣いている

戦っている 戦っている

夜中 どこかの家の中で


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虫の触覚


洗面所のたまり水に

虫がおぼれていたといって

タオルの上にそれを乗せて

息子が風呂から戻ってくる

それは薄茶色のハナムグリのたぐいで

触覚の先がなぜか三本に分かれている虫

デジカメで写真を撮って

仔細に観察したあと

息子はベランダから虫を放す

虫はあたふたと暗闇のどこかに落ちていく

その虫は仲間のもとに帰り

どんな冒険譚を語るだろう

三つに割れた触覚をわさわさと揺らし

興奮しながら何を語るだろう

少年の指は恐ろしかったか

優しかったか

ふと見れば

空には湿った朧月

息子はもう虫のことなど

すっかり忘れたかのように


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