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第17詩集 人知れず(2)

自然教室

いつも問題をいっぱい抱えて

うるさく帰ってくるきみが

帰ってこない夜は

静かで落ち着いていて

ゆったりと穏やかだ

ひがまなくていい

「愛する」の範疇には

確かに入っているから

どんなに叱った日でさえ

このままいなくなってしまえばいいとは

一度も思わなかった

今頃は

足をマメだらけにして

固い枕で

ぎくしゃくした友達の間で

それでもぐっすり眠っているだろう

遠ざかることに慣れておかなくては

帰ってこない

帰らない

いずれにしろいつかは誰かの身に

それは起こり得ること

とりあえず二日ばかり

きみは帰らない

互いにあずかり知らない世界で

何かに任せておくしかない時間

私は明日久しぶりに

ちょっと遠出をしようと思っているのだよ

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手紙


あの夏

郵便屋さんの

オートバイの音ばかりに

耳をすましていた

午後になると


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椅子

駅の階段を上って下りた時

もう私はどちらに向かって歩いていけばいいのか

分からなくなっていた

とりあえず人が流れていく方向に

一緒に流れてみたけれど

自然と人はばらけてしまい

あとには大通りで迷う私一人

ああ やっぱり

目的が違えば行き先も違う

交差点のつど人生の選択のように右や左が気にかかる

できるならお寺の匂いのするひんやりとした

草の生えた細道の方へ分け入って

日が傾くまで歩いていたい

もっと先を見通せと子にはきつく言うけれど

先が見えていたことなんて

私には一度だって無かったのだから

電柱ごとに赤い矢印

壺や掛け軸の骨董屋さんものぞいてみたい

まだ日盛りの初秋の真昼

サングラスをかけたり

帽子をかぶったり

上着を脱いだり

サングラスをはずしたり

汗をふいたり

飴をなめたり

恥ずかしい失敗を思い出したり

馬鹿で真面目なのが

私の魅力なのだからと思い返したり

どこに着くのかまるで分からなくても

足は動き

手は動き

頭の中も動いているだろう

目は見

耳は聞き

鼻は嗅いでいるだろう

地図はあてにならない

ほら こんなにも迷った

鳥の目で

世界中を見渡して

急に悲しい気持ちになりたくはないし

必要以上に疲れたくもない

どこかにある背もたれが大きくて肘掛けがゆったりしていて

おしりがふかふかに深く沈む椅子

そこがたぶん

今私が一番たどり着きたい場所

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生まれ変わる


君が猫に生まれ変わるというのなら

私はトカゲに生まれ変わろう

君の足元で

誘って 誘って からかって

尻尾をおみやげに逃げてこよう

もし運悪く

君の爪に引っかってしまったとしても

次は雀に生まれ変わるから大丈夫

君のひなたぼっこを

柿の木の上から 羽づくろいをしながら

ちらちらとながめていてあげるよ

何に生まれ変わろうと

どんな姿であろうと

きっとどこかで君と出会う

君の口もとを走り抜ける子ネズミ

ほら 飛びつきたい気持ちを

君は抑えられない

君のそばにきっといるから

たとえ互いに気づかなくても

そばにいるのは

限りなく生まれ変わった

私だから

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猫の昼寝

ふと見上げれば

灰色の絨毯の階段の途中に

茶色い小さい手が

ころんと転がっている

今にも踏まれそうな

猫の昼寝

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ブーケガルニ

毎日作っている食事だけれど

それはたった四人分のためであるばかりに

味付けも四人になじめばいものになっている

もし「百万人分の料理を」と望まれたら

胸を張って受けて立てるだろうか

ブーケガルニについてさえ

私はあまりに知らなさすぎる

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ケンケンパー

「現代詩手帖」」を繰ってみて

詩人住所録の中に

かつての仲間たちの名前を探そうとする

ひとりは死んでしまったから

あとの三人の名前を

(名簿に載っているからといって優れた詩人だとは決して思わないが)

今 彼らはどうしているのだろう

「星空に憧れる青年たち」は

まだそこにいるだろうか

忙しすぎてなんていう言い訳は

聞きたくないな

コーヒーを一杯飲んでいる合間にも

星々のささやきに耳を澄ますことができる

それとももうとっくに

星々のささやきなんて

意味を失くしてしまっただろうか

あらかじめ描いておいたケンケンパーのわっかは

身の程も知らず長く果てしなく続き

息を切らしながらでもケンケンの足を下ろせない

片足で立ったまま

後ろを振り返ってみる

トラックが横切る

郵便自転車がすれ違う

豆腐屋の笛が聞こえる

もうもうと土ぼこりは舞い上がる

茜色の影はいくつ残っているだろう

石ころひとつ握って

片足上げて

ぐらぐらと揺れている

詩人なんて呼ばれなくていい

プロフィールはただの主婦でいい

私は最後まで

こんな風に続けていくのだから

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不定形


過去は 逆立ちのめまい

現在は 少し早歩きの散歩

未来は 広がりゆくテリトリー

かたちは やわらかな楕円

音は 元気そうな赤ちゃんの笑い声

色は 五月のはじめの森の緑

味は 朝の真っ白なごはん

手ざわりは 抱きあげた子猫

においは 切れ味鋭いレモン

鼓動は  いわし雲

呼吸は うねっていく滑らかな川

血液は ぬるめのお風呂

ふだん忘れ去られている項目

私を構成しているひとつひとつ

気持ちよく混ぜ合わせた絵具箱の中身

塗りたくる喜び

私の風景は

私と言うフレームの中に

何色とも言い難く

その背景はぼんやりかすんだまま

遠い風景の一部として

あなたという水色の鳥が遊ぶ

過去は か弱いほほえみ

現在は 八分目の入れ物

未来は 不定形

もっとやわらかい余白となるための

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配分


どんなに時間が押し詰まっていても

どんなに仕事がたまっていても

ひとりの人間のこなせる量は決まっている

焦って動き出す前に

うまく気持ちを収めて

一息の何分の一かの場所で

私は今

一杯のお茶と

一個のまんじゅうを

ゆっくり楽しんでいる

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正しい人



説教くさいのも

教訓くさいのも

真面目くさいのも

正義っぽいのも

善人ぶってるのも

ああそんなことは分かっているよと

ひとつひとつ穴の中に

放りこみたくなる


見ても

聞いても

読んでも

何を意味しているのかよく分からなくて

頭の真ん中がざわざわする

敬意を表すべきなのか

貶すべきなのかも分からない

その場所こそが

天地の始まりだ


ここからは

激しく往来する車がよく見えて

ピカピカ光った無機的な流れが

撒き散らす煤煙やらCO2やら

騒音やら磁力線やらがあふれている

どこか危険で害悪

けれど誰にも排除できない

正しさに収まっているよりは

そのぎりぎりまでを行きたい


勝ったり負けたりを

言葉の量で計るなら

「正しい人」 ほど

多くを語るものだ

私はこらえていよう

邪悪に弾け出す言葉を

ぎりぎりまで抑えこんで





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