第29詩集 仏もいつか(2)
二センチ傾いて
この間の大地震で
地球は地軸を中心にぐらぐらと揺れ
そのせいで地軸の位置が二センチほどずれ
一日の長さが百万分の三秒変化したそうだ
2004年12月30日の小さな新聞記事によると
そうして私は正月に向けて煮物を作り
やり残した換気扇の掃除も
雪だからと延期してしまう
年末のテレビは特番ばかりだ
報道されなくなると
すべて終わったことのように勘違いしてしまう
人類滅亡のうわさも
いくつもの災害のその後も
明日 地球の正月がくる
子どもたちが作った雪だるまがカチカチに凍って
そういえばそれは物置の入り口付近にあったことに思い当たり
灯油缶が出しにくいな
ということなどを思っている
地軸がぶれたことの影響と結果は
はるか先に宇宙人が確認してくれるだろう
二センチ傾いた感覚をこっそり持ちながら
ÀⅮ2005年最初の朝は
あけましておめでとうの後に
雪かきということになるかもしれない
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七年
七年もかかったのだ
土星の惑星タイタンにたどりつくまで
ただ果てしなく
プログラムに従っていくしかない旅
暗黒と真空と沈黙の中を
地球は七年の間
その地表に
地獄や天国を乗せて回っていたのだ
罠のような平安の次にも準備されている
よじれた星の並び
行く末の不明におののきながら
宇宙をさまようにしても
まだ七年後にたどり着くべき確かな指標があるなら
そのほうが幸せなのではあるまいか
何の約束も交わせないこの地表にいるより
立ったその場所が
たとえ愛のかけらもない暗い星であろうとも
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雑巾を洗う
詩の合評会でさんざんに言われている人がいて
その人は急に気弱になって
もうこういう書き方はやめようかと思っているんです
などと言う
詩は
傲慢でわがままなもの
これでいいと思ったなら
これでいいのである
気安く手を入れられていいものではないのだ
人に雑巾をお渡しするときは
たとえどんな古雑巾だったとしても
きれいな清水に通してからお渡ししたい
そんな気持ちで
一編の詩をおずおずと差し出したりもするが
首を傾げられるのはまだしも
コキおろされるのもまだ正直な意見ということで
腹を立てながらも耳を傾けたりもしようが
さてさて大げさな賛辞は
うそくさいと思わなくてはいけない
それを一番よく知っているのは
ほかならぬ私なので
今日も
雑巾を洗うのに余念がない
おろしたての白にどれだけ近づけるか
読んでいただくにも陰ながら礼を尽くす
人の世も詩も
そんなことの積み重ねなので
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受験生の母
「克己心」を「こっこしん」と読む息子の
受験は大丈夫なのでしょうか
自己PR書は清書して学校に提出済み
「緑」の下の力持ち、と書いてしまったのを
直前で慌てて直してセーフ
この時期 イラつくとか 顔つきが暗いとか
荒れるとかよく聞くけれど
特に変化がないので
逆に心配な母なのです
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新年に寄せてなにか一遍と思いつつ
私が食卓のテーブルに座り
ノートと鉛筆を手に
ぽーっと中空なんかを見ていると
息子がすかさず
あっ ポエム書いてるだろ! と言う
そうさ 書いてるさ
くだらない一行二行でつまずいて
苦し紛れに干し柿を食べたり
ココアを飲んだりしているさ
ほんとにしょうもない作業だけれど
餃子を皮から作る手間と同じぐらいの
手間はかけているつもりだよ
星のことや雲のこと
花のことや猫のことばかり言っている中にも
病室で知り合った重い病気の男の子のことや
すっかりよぼよぼになってしまった両親のこと
ものすごい災害の後先のことなんかを思い浮かべている
そんなことは
書いている本人にしかわからないことだけれど
息子の受験問題集にあった詩の解釈の問題
こんなの絶対できないよ やってみなよと息子が言うので
どれどれとやってみたが
私もうまく答えられなかった
「この空欄に入る適切な言葉を次の四つの中から選べ」
四つの他にもあるんじゃないかな
いやきっとあるのだ
その詩を書いた某詩人だってきっとそう思っている
私も
いつだって四択の外を探して
中空を見つめちゃったりしているのだ
そんな時は
あっ またポエム書いてやがる と思って
ちょっとほっといてね
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冬至が過ぎて
冬至が来れば楽になる
そんな気持ちを抱えて
十二月の冷たい夕焼けを見ていたね
舞扇のように
雲は細い骨を伸ばしている
手紙がほしくなる
薄めすぎた水彩絵の具は
どんなに塗り重ねても
水のように弱いので
どこかで強い赤を差さなくてはならない
ポインセチアの鉢植えのように
また夏の盛りにまで
たどり着くことを信じていようね
冬至を過ぎて
日は伸びる一方
数日前までの痛いくらいの三日月も
だんだんやわらかくなっていく
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陶芸の先生
陶芸の先生は
新宿の雑踏の中にいると落ち着くそうで
胸の大きな女性をみつけると
おお・・・と感動の面持ちで見入ってしまうし
危ない儲け話にうかうかと乗っかってしまう人なので
いつもそばにいてひやひやむかむかしていたのだが
先生の方でも
愛想悪く注意忠告を繰り出す私とは
根本的に気が合わんと思っていたかもしれない
二十数年前の話だ
今年 もう八十七歳ぐらいにはなる先生から年賀状が来て
もう年には勝てません 個展も去年で最後にしました
などと書いてあるのを見ると
そうか もうそんなお年かとしみじみと懐かしくも物悲しい
一緒にいてどうも虫が好かん
なにか互いにギスギスしてしまうという人は
必ずいるものなので
そういう人とは時間と距離を置いて
悪い熱を冷やさなくてはいけない
先生もだいぶ枯れて
私も幾分くたびれて
今ならにこにこしながら
やあ あの時はどうも
こちらこそ 生意気で未熟で・・・
などと言い合えるのかもしれない
父親が憎くてたまらないと言って泣いていた同級生を思い出す
和解できないまま
二十六歳で亡くなってしまったけれど
生きていたならきっと
おじいちゃんが孫に甘すぎて困ります
などと書いた年賀状をくれただろうに
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手紙
実家へは子どもの写真を入れた手紙を
ひと月に一度は出すようにしている
最近子どもは写真を撮られたがらないので
仕方なく短い文章で
来週中学の文化祭ですとか
来月高校の入試ですとか
父もこまめに手紙を送ってくる
風邪がはやっているようですとか
油断せずに過ごしてくださいとか
毎回同じようなことが書いてあり
読んでいて同じだなあと思いながらも
特に変わったことがないことがわかるだけでほっとする
それはきっとお互いにそう
素直な手紙を書くのは難しい
一世一代のラブレターならともかくとして
親に対する日常の手紙の中で
やさしい思いを伝えるにも照れがある
父は八十一歳 母は七十六歳
元気で生きていてくれるだけで感謝です
そんなことをもし手紙に書いたなら
どこか体の具合でも悪いんかい?と
かえって心配させてしまうのかも
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被写体
夫は山や花の写真を撮る
仕事を休んでまで撮りに行く
リストラされる危険を冒してまで行くのだから
それなりの自負と自信を持っでかけていく
時折私を誘ってくれることもあるが
私に山や花を見せてくれるためというより
機材運び助手をさせるためのようである
夫は私がそばにいても山や花ばかり撮る
だから私はカメラの前に自分から立ち
「私を撮れ」と命令する
mortalという単語にふさわしい日本語が
どうにも見つからない
私の存在も夫の存在も
というか 人 生き物すべて
山や花に比べて
実際かなりmortalなものなので
ぜひ第一に被写体にしていただきたいと思う
私は何度でも「私を撮れ」と命じる
夫の写真もこっそり撮る
子どもは今撮られたがらない年頃だけれど
逃げ回って顔を隠していても撮る
写真だけではなく
こうして言葉でも撮る
一緒に出掛けたならまず私を撮りなさい
山や花は
百年後もそこにあるから
あなたが今撮らなくても大丈夫だから
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防災対策
夫と防災用品の買い出しに出かけながら
息子の進学のこと
娘の進級のことなどを話す
うちの人間はみんな
真面目にこつこつ何かやるのは得意だけれど
外に向かって強くアピールするのは苦手だからねえ
調子いい世渡りは望めないね
遺伝だね
夫は言う
どんなに調子よくいってたって
大地震が来たらイチコロなんだから
生き延びるっていうことが何より大事だ
うちは絶対みんな生き延びるよ
あとサバ缶何個買おうか
そうだよな
確かにね
サバ缶ばかりじゃ飽きるから
別なのもね
現金も五万円以上用意しといたほういいそうだよ
全然地震が来そうにないいい天気
だけど最後まで生き残れるのは私たちだけ
そんな気持ちを
絶対生きていく気持ちだけは
持っていようね
そうそうあと猫フードの買い置きもね
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梅の香り
電車の中吊りの
華やかなブライダル広告を見るのが
やけにつらいと感じる日々もあったし
施設へ子どもを送り迎えする婦人が
川沿いをゆっくり歩いていくのを
後ろから追い越せずにいた時もあった
赤ちゃんを抱く若いお母さんや
当たり前に通学する中学生
駅に向かって闊歩する人々・・・
幸福は
その人の年齢ごとに定義を変え
何を見てつらく思うかについても
その時の周りの状況
自分の状況によって大いに変わり
つまりかなり相対的なことなので
幸不幸を感知する心を過信しないことが肝要だ
もう梅の香りが日当たりのいい方から
かすかに漂ってくる
涙こらえかねた坂道も
今日は平気な気持ちで鼻唄をうたいながら歩いている
誰とも比べる気が起きなくなったのだ
人の上下とか左右とか前後とか裏表とか大小とか高低とか
降り注ぐ春のぬくもりを感じるのに一生懸命で
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種
その人は最後に会ったときも
一茎の白いコスモスの花のようだった
通りすがりの私に
母のような笑みを
いつも返してくれた人
飾らない物腰で
庭の花の手入れをしていた人
保育園のとなりの
日当たりのいい庭
その微笑み方ですべてが分かる
どんな豪奢な服よりも
あたたかなものをまとっていた人
あの日
抱きかかえられて
車椅子に座り
最後の庭をながめていた
だれもが嘘をつき
彼女はきっとうなづきながら微笑んでいた
今日
その人の夫が
ベランダに置かれた古い椅子に
ひとり腰かける
あの老婦人が残したもの
冬の陽射し
保育園から聞こえるにぎやかな声
今はなにもない庭
けれど
ひっそりと埋められているような気がするのだ
白いコスモスの種がこの庭に
微笑みに代わるあの人の形見のように