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第19詩集 FRAGILE


世界中の空


あんなにも賑やかに

しゃべり続けている

晴れた明るい朝の高くで

啼き交わす声の調子は

挨拶と報告と喜びと単なる鼻歌と

飛び去って散り散りに

今日も一日の仕事は始まる

甘えた声のカラス

アンテナの上からきちんと応答する声

夜の意味も朝の意味もまるで知らなくても

目覚めたならば

まず親しい者を探し出し

ひとしきりしゃべり続ける

世界中の晴れた明るい空の高くで

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雲がわきあがって

みるみる形を変えていくのを

見ていた

低いところを

ヘリコプターが飛んでいき

それよりもっと低いところを

赤いトンボが飛んでいった

秋が来て

君がおいてきぼりをくった夕暮れが近づく

君の涙のすぐ近くで

もろもろの無知が

何気ない団欒をはじめる

憎むとはどういうことか

許すとは

許されるとは

感情は

雲の形に近い

隠された上空では

はやぶさのように

切り裂いていくものがある

こんなに笑うこともできるのに

君もわたしも

抱いている雲は

うつくしい白ばかりではなくて

トンボの影が

地面の上を素早く滑り

それよりはるかに大きな影が

ゆっくりと

大きく呑んでいく

消していこう

日陰の砂地に埋め込んで

君はまだ

濁ってはいけない

どんなに苦い試薬を垂らされたとしても

うずまきながら明るんで

やがて茜雲を

夕空一杯に広げて

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私は自分が円ではないことを知っているから

君が円でないことも知っているし認めている

私は自分の凸凹を

埋められるものは埋め

削れるものは削ってきた

それでもまだかなしいくらいひどい凸凹で

時折 このままじゃいけないのではないかと思い

もうこのままでいくしかないとも思う


あなたはこんな人ですねと言われると

例外なくいつもむっとする

だれだって一言でおさまるほどには

ひらべったくはないだろう


だから私は

君のいまを君のすべてだとは思わない

君はこういう人間なのだからとは言わない


待とう

君が最後にどんな形になるかを

そしてそれをきちんと見届けなくたって

どうでもいいことのように思っている

ひしゃげつぶれていても

むしろそれでいいと思う

それでは駄目だと言える権利はだれにもない


私は私で

君は君で

もって生まれた凸凹を

ピカピカに磨いていけばいい

できれば凸には

お子様ランチの旗をたて

凹には

ふわふわの春風をまとった

野の花のひとつでも入れておけば

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やっかいな仕事を

ひとつこなしたあと

古本屋の二階の

人気のない書棚の間にしゃがみこみ

(たとえば適度にバカバカしい本が並んでいるあたり)

ほぅーっと小さなため息をつく

十月にやるべきことは

九つやりとげ

十一月にやるべきことは

三つ整理できた

早く好きなことをやりたいなと思いながら

次に使えそうな資料を探して

専門書の棚をながめている

本に囲まれているとなぜか落ち着く

なにもしゃべらなくていいし

なにも聞かなくていい

ずうっと黙りあっていても

全然気づまりにならない

「人と深く関わることを恐れる」

そういう気質の割には

十分よく健闘しているじゃないか

あと少ししたら

隣のスーパーでミルクティーとプリンを買って帰る予定

もう少し書店の隅っこで

砂場の幼児のように小さくなって

銀色のお城をつくってから

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Fragile


やむを得ない場合を省いて

いつもエレベーターよりは階段を選んできた

階段よりは石ころだらけの坂道を選んできた

私は求められたことの

逆を行おうと努める

でなければ

弾丸のように行く青い列車になってしまいそうだから

毒のリンゴは鞄の底で

おいしそうに香っている

ガラスの靴はシューズボックスの中で

カチッとかかとを打ち鳴らしている

ジャックの豆はポケットのすみっこで

ちょっぴり芽を出そうとしている

なりたいものになれているかというと

半分ぐらい

おとぎ話に近い世界で

汚れたページを

さかさまにめくり返している

田舎道を

ハンスがガチョウをかかえて歩いたように

両手に羽毛をいっぱいつけながら

斜め上を見たり しゃがみこんでみたり

(だれか早くガチョウに触って!)

壊れやすいものは

私ばかりと思ってきたが

見渡せばあたり一面崩折れそうなものばかり

すくいとって なでさすって

抱きしめてあげたいものばかり

最後に転んだのはいつ?

アリが這いずる地上の近く

すりむけた膝小僧を押さえながら

キスも待たないで眠り姫は立ち上がる


新しいページをめくれば

終わらない舞踏会がはじまる

赤い靴でそうっとつま先から

抱えた夢が

果ての無い呪いであったとしても


さあ 君の手をとって

(この手をとって!)


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赤い線


私が歩いてきた道筋が

すべて赤い線で引かれているなら

あなたともどこかできっと交わっているに違いない

顔や名前も分からないまますれ違った人々

体は会っていなくても

文字や音符や色で会えていた人々

私の赤い線は

きっと驚くほど遠くまで引かれている

知りあえたあなた

もつれ絡まった糸となるか

軽やかなちょうちょ結びになるか

いずれにしても

そこに立ち止まったりはしない

点ではなく線として

私は自分を動かしていく

私の赤い線は

今あなたの線に触れ

さあ 次はどこへ行こうか

言葉として文字として

はるか見知らぬ遠くの心にまで



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猫の生活


いつも思いがけない方向から

歩いてくる ゆっくりと

そして無防備に

私の前に横たわる

どこかで戦って

知らぬ間についた傷も

なんでもなかったことのように

ただ静かになめて治す

好きなときに食べ

好きなときに飲む

はじめから

だれの指図も受けずに

行きたいときに行き

帰ってきたいときに帰ってくる

友よ

若い日の特権として

心のままに生きた日もあった

それでさえ

猫の生活のようには

きれいに許されてはいなかった

囲おうとする包帯と消毒から

逃れ逃れようとしながら

明け方に帰ってくる

またひとつ傷を負って

いつもの暗い隠れ場に

黙ってもぐりこみ

念入りに傷をなめなじめる

ここは一番安全な場所だ

だれおまえの傷を非難したりはしない

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いのこずち


いのこずちを

体じゅうにびっしりたからせて

おまえは

別の生き物になって

帰ってきたのだ

秋のくぐり戸を

身をかがめて

何かをたくらみながら

一心に抜けてきたから

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チビ

おまえは賢く優しい猫だ

誰を慰めたらいいのかちゃんと分かっている

そばをゆっくりと通り過ぎただけで

夕方 涼しい二階のベランダに横たわり

隙間から庭の方をながめ下している

おまえの脳で思考できたなら

どんなに世の中は明快だろう

たとえば寂しげな白い花を咲かせている百日紅の木も

何か白っぽいふわふわをつけた巨大猫じゃらしのようにと

この家で一番まともなのは

おまえだけだという気もしている

泣きわめくことも 深く沈むことも

きびしく悩むことも

狂うことも

おまえには決して無いだろう

眠れ

何の後悔もなく

うっすらと閉じた瞼に

あたたかな母猫の乳房

あるいは残酷な狩りの風景


私の目の前に横たわるやわらかな存在

それだけでもう

世界の調和は保たれている

絶対の正義はかなえられている

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共有


けむりのにおいが

たちこめていた

枯れ葉を踏み

散らしながら

狭い石段をのぼっていった

後になり

先になり

身を寄せて

傾斜した秋が

セーターの網目に入り込む

どこへ行こうか

何も持たずに

野の鳥が

どこか高いところで鳴き交わす

つないだ手も

すべて過ぎた日のもの

消えてほしいものと

とどまってほしいものと

古いアルバムをめくりながら

別れたあの日の友人たちを思い出そう

共有する記憶は

影も光も

海のように平坦になり

どこからが

固有のものなのか

それさえもう分からない

共に見た

百いくつかの道祖神

訪ねまわった道のままに

旅は

草深い森陰をめぐっていく

もうどのあたりまで来たのだろう

他のだれにも引き継がせることなく

ただ消えゆかせてしまうためだけに

物語は音もなく続いていくだろう

わたしたちの周辺に限られた

このあまりにも私的な・・・

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言葉を生み出すとき

言葉を生み出すとき

それがどんな言葉であろうと

私は恐れをもつ

誰かの言葉を不正に奪ってでも

自分のものにしたいと思うことも

考えもなしに適当に行替えをしたとしても

最後にはやはり

自分の呼吸に合ったかたちになる

「これしかない」と言い切ったあなたが

もっと肉やレタスやパスタなんかを

心地よく胃袋に詰め込む術を知っていたなら

今頃は程よく円満な中年になれていただろうに

「どれでもよい」は「これしかない」に

一生かかっても勝てはしない

けれど目の前のご馳走の味を伝えるのに

「これしかない」表現なんてあるのだろうか

さんざん目移りしているのに

贅肉は贅肉として

くっつけたままでいこう

言葉は緩んでたるんで太って

うっとりと気を許してくれる

ほどよくかき混ぜられた滋養はきっと

詩をおいしいスープにしてくれるだろう

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椅子


たくさんの椅子が並んでいる

私が座りたいのは

一番前の椅子ではない

一番後ろの椅子でもない

どちらかというと真ん中辺の

窓のそばの明るい席

聞こえてくるのが

どんなにすばらしい講義であっても

私はいつも別のことを考えている

たとえば

今日は風が強いなあとか

夕飯は何にしようかとか

帰りにあの本を買っていこうとか

もしノート提出なんて言われたら困る

変な落書きの詩句が

あちこちの隙間に書き散らかされていて

同じ文字なのに

そこの部分だけは何とも言えず恥ずかしい

私は真ん中辺の席で

机の穴をほじっている

どこか理解が抜けている

脳味噌の働きがちょっと鈍い

というか

部分的にしか働かない

その部分は非常に小さく しかし一番赤い

適度に暖かい椅子の上で

ごめんなさい

あなたの用意した最高の講義を

私はちっとも聞いてはいない

窓の外にはみだした

涼しい海に浮かんでいる


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ラーメン


ちょっとハゲた国語の先生と

私と

もう一人の同級生とで

授業の途中抜け出して

どこかの会議室で

作文の賞状をもらった帰り

先生は遠回りして繁華街の中に入り

一軒のラーメン屋さんに

私たちを連れていってくれた

それはとても小さくて古いラーメン屋さんで

先生は「こういうところこそおいしいんだぞ」と言って笑った

「そうなんですか?」と私は

油染みのできた壁をながめまわしながら

うなづき

友人は「なんかちょっとねえ」と言って

首をかしげた 

その時食べたラーメンが

おいしかった という記憶はちっとも無いけれど

先生と冬の制服と平日の真昼とラーメンは

いい具合に妙な取り合わせで

私は

一杯ひっかけたあとの親爺のように

いろいろなことが

別にどうでもよくなってしまっている

書くことによって

傷が癒されることもあり

傷を深めてしまうこともある

私の作文は

たぶん後者だったわけで

気づいた人は

どこかでそれを気遣っている

先生

賞状に少し油染みができて

なんだか笑いたくなりました

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音のない風

ガラスを磨くことに飽きてしまった

(そもそもそこにガラスはあったのか?)

夜になると白樺が

部屋の中にまで影を送り届ける

細かい葉が騒ぎ続ける

音のない風が吹いて

隠された月は

しかし

乱れた雲のうしろで

思いがけず明るい満月だ

こうあればいいという思いには

枠を作っておいた方がいい 

優れていなければならない理由はない

友がいなくてはならない理由はない

笑っていなくてはならない理由もない

派手やかな花は早々と摘まれ

あとには女郎花のか弱さだけが残った

目の前でいま

手折られる時の痛みに耐える姿で

部分をどんなにつなげても

到底全体にはなり得ず

想像の輪郭だけでそこにある

おぼろげな黄色い光を点々と放ちながら

音のない風が吹いている

揺れている

私は今どんな樹のようであるか

ガラスの向こう側から見られたならば

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雨の中のわたし

雨が降っている

その雨は霧のように細かく軽い春の雨

私は黄色い傘をさして

垣根と垣根にはさまれた

細い砂利道を歩いている

まだお昼にはもう少し

そばには幼い君がいて

黄色いレインコートに黄色い長靴姿で

ちょこちょこあとをついてくる

私は垣根の葉っぱに

たくさんのカタツムリをみつけ

かたっぱしから捕っている

左のてのひらの上には

大きな大きなカタツムリが五匹ほど

それが腕のほうまでのぼってこようとするのを

君と面白がりながら笑って見ている

君にはたくさんの喜びを見せてあげたかった

雨に濡れて冷たくなっていくてのひらの上に乗せて

だから雨の日でもかわらずにお散歩に出かけた

雨の日の公園は

やっぱりだれもいなくて

たくさんの水たまりばかり

その寂しさに

かえってはしゃぎまわる私と君だった





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スポーツ新聞の束を抱えた青年が

ホームに新聞をおろし 

電車の待ち時間に立ったまま野菜ジュースを飲む

やがてやってきた電車に青年は

新聞の束ごと乗り込み

揺れながら窓の外を眺める

五つ先の駅で降り

キオスクに新聞を届ける

おばさんの「どうもありがとう」という声

おばさんは前かがみで新聞をセットする

青年は小さくおじぎをして立ち去る

ホームには全方向に急ぐ雑多な靴音

ひとつの仕事が動き出し 完了し

また始まる

このいつもと同じ朝

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夕闇の公園


ためらいもなく

声をあげて

思い切りとびついていく

穴をくぐり

はしごをのぼり

網を渡り

橋を揺らし

滑走路をすべり降りていく

体を支えるのに

この両手だけあればよかった

振り返った目に

しもべたちの列は続く

いくたびか泣き

いくたびか迷い

いつのまにか魂は

まだらにすり切れてしまった

陥落した残骸が

ギシギシと音たてて揺れている

一度通り過ぎた場所には

もう二度と戻れない

声も姿も思いも

その場所にきっぱりと残してくるがいい

夕暮れの茜に染まり

鋼鉄の骨組みは静かに背をのばす

瞳の中で

何度も繰り返す蹴上がり

このてのひらだけではもう

支えかねるものがある




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布絵本 ~なににみえる?


幼い子どものために

布の模様から着想を得て作った布絵本より抜粋



四角



四角い部屋のそれぞれに

それぞれ人が住んでいる

毎日四角い机に向かって

四角い本を読み

四角いテーブルで

四角いトーストを食べている

四角い部屋のひとたちは

ときどき部屋が

ボールみたいにまんまるだったり

とんがり帽子みたいにとんがっていたり

ヘビみたいにくにゃくにゃだったら

どんな風だろうと考えてみる

部屋の形に合わせて

机や椅子やテーブルも

まるや三角やくにゃくにゃにしなとね

そんなことを考えているうちに

今日もやっぱり夜になり

明かりを消して

四角いベッドに横になり

四角い四角い夢を見る



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朝のにおい



朝の野原いちめんに

あわいかわいい花が咲いたよ

朝露でお顔を洗って

小さな若葉でお顔をふいて

ほんのりうすい朝陽を浴びると

あまいあまいそよ風が

やさしいやさしい歌を歌う


とてもしずかでいい気持ち

ぐっすり眠れた次の日は

心にいろんな花が咲く

まだおぼろ雲はうつらうつら

朝もやはぼんやり


春の野原いちめんに

あわいかわいい花が咲いたよ

そっと地面に手をあてると

ひんやりと

遠くの森のにおいがひろがっていく


めざめ始めた朝は薄桃色

ふわふわのほほに

まだ触れていていい?




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紫のしおり



一日中だれとも会わなくて

ひとことも口をきかず

笑うこともなく

いったい今日は何だったんだろうと

心寂しく思う日は

カーテンににじむ遠い夕焼けの色を見る

それは

「一日」という本に差し込まれた

一枚の紫色のしおり

寂しければ寂しいほど

紫の色は濃く

心のページに深く差し込まれる







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