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第27詩集 野良猫だらけの町に住みたい

泰山木


装飾品をすべてはずし

化粧もすべて落とし

命の粋の限りを尽くして

たったひとりで

赤ん坊を生み出すとき

すべての女性は

朝日を浴びた

真っ白な泰山木の花のようである

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霧の朝


薄い霧が日曜の朝を覆い

鳥たちも静かに高い木の上で

白い海を見渡している

瞳のどこかに

住みついている人たちがいる

時を経て変わらぬ姿で

悔いることもできないほどに

鮮やかに出会い別れた日のことを

たとえば水道の蛇口をひねるその一瞬にも

不意に思い出す

何か大事なことを語り合ったことも

何か大事なことを伝えそこなったことも

そのすべてを忘れてしまったことも

白い霧の朝には許されるような気がする

瞳を上げて

霧の朝をながめる

草むらの中で細く鋭く鳴く虫が

薄い膜にかぎ裂きの傷を入れる

やがて晴れるだろう

霧の朝はいつもそうだから

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探している


探し出されたくて

顔が見えるように正面を向いて歩いている

探し出したくて

瞳をひらいて広く捕えながら歩いている

晴れた朝に

茶色い犬を散歩させながら

にこやかに挨拶を交わせるような

そんな人を演じながら

いまだ読むことをためらう日記がある

名前を呼び続けてくれた声は

いくつあっただろう

どれだけの声に振り向きほほえんだだろう

探しているのかもしれない

探し出されたいのかもしれない

そしてたぶん私は

大きく目を見開き振り向きたいのだ

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稲穂

田んぼに水が入り

緑色の苗が植えられ

広々と涼しくなる

そのそばを何度も通ったね

水の中にゴミみたいな虫がいつのまにか湧いて

泳いでいるのを声を上げてうれしがりながら

覗き込んだね

夜中もあり朝焼けもあり日盛りの日中もある

浅い水はすぐによどんでしまう

潜んでいるカエルも空が見えなくて浮き草をかき分ける

稲が育ちきるまでの間に

私はきっといくつもの間違った言葉を口にし

いくつもの行動を過つだろう

だってそうするしかなかったからという言い訳を添えて

そうしたら

また田植えの始まる時期から

やり直そうね

少しずつ伸びていくのは君の手足のよう

また何度もつまづいたり膝をすりむいたりしながら

秋の稲穂の間違いのない美しさにまで

たどり着こうね

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ウサギの紙細工


幼稚園バスから降りた女の子が

画用紙で作ったウサギの紙細工をかざして

「ママ ママ 見て 見て」と言っている

去っていくバスに頭を下げていた若い母親は

すぐさま女の子の方に振り向き

「すごい すごい よくできたね

きれいな色に塗れたね」と嬉しそうに声をかける

今日 この若い母親は

かけがえのない言霊を女の子の胸に注ぎ入れた

女の子はその言霊をずっと胸に抱き続け

将来わが子がどんな紙細工を持ち帰ろうと

きっと同じようなやさしい言霊を

その子の胸に注ぎ入れるのだ

母子は楽しげに手をつないで帰っていく

小さな けれど大いなる言霊のおすそわけが

その時偶然通りかかった私にまであったことを

彼女らは まるで気づかずに


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ある入学式

壇上で

入学の誓いの言葉を述べている少女が

「母が この高校に入るのを

許してくれたことを感謝しています」

と言っている

許すの許さないの

すったもんだがあったわけね

保護者席でうつむいて座っている方々も

すんなりとここに来ているのではないわけね

まあいいじゃないのこういうのも

ニヤニヤ周りを眺めまわしているのは

私だけのようである

祝う気持ちは何パーセント?

あきらめる気持ちは何パーセント?

煩悩が増幅する式場で

そそくさと短い祝辞が続く

大通りではなくわき道を

てくてくのんびり歩いていける君たちを

むしろうらやましいとさえ思っている

珍しがりながら楽しんでいこう

大丈夫だよ

なんとかなるよ

助けてくれる人もいっぱいいるよ

これが私のお気楽な祝辞です

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子どもが生まれる夢を見た


夫が

子どもがいきなりふたり生まれる夢を見たそうだ

それも男の子ふたりだそうだ

すでにひとり男の子がいるので

このうえ男の子がふたりも生まれるのはたまらん

と夫は言う

ぶったり蹴ったりされるのも三倍だ

そもそも酔っぱらって絡みつくから

ぶったり蹴ったりされて

あっちへ行けとか怒鳴られるのだ

かわいい声を出して

ぽちゃぽちゃしているのも子どものうちだけである

このうえ男の子がふたりもふえたら

背丈もでかいのがうろうろしていたら

「今日のメシは何? またカレーかよ」と

口々に文句を言われたりするのは

やっぱりかなりたまらんことであろう

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施餓鬼の日

こんな時でもなければ会うこともない人と

出会う日

死者たちが隣り合う場所で

石を洗い花を飾る

一年に一度だけ集う場所で

魂はここにはいない

けれどここが魂の住処であることにして

線香をあげ手を合わせる

願うなかれ

祈るなかれ

死者たちはただ遠く

ほほえんでいるだけなのだから

本堂いっぱいに並べられた

真新しい卒塔婆

跨がないでください

踏まないでください

そう叫ぶ声のかたわらを

跨がれて踏まれてカタカタと

卒塔婆はやっとそれぞれの場所に運ばれる

魂を思う 今日

磨かれた石の前にしゃがみこんで

遠くなっていく面影を

精いっぱい思い浮かべている

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風鈴市


首を吊っているみたいと

彼が言った風鈴は

けれど夏風にもまれてにぎやかだ

悲しいイメージ

分かりにくい迷路に入りこむのは

もうよそうじゃないか

自転車を倒して

ハト豆ををまき散らして

少年は参道の真ん中に

足を投げ出して座っている

群れてくるハトを

信者のようにはべらせながら

風鈴の音ひとつごとに

黄昏や憂愁を聞くのではなく

優しい笑みや素直な呼吸を聞こうじゃないか

はだしで水辺を歩くそんな姿勢で

丸く膨らんだガラスの中に

丸い目玉の赤だるま

何百もの風鈴の中から

とりわけいびつな顔を選んで

さあ一緒に帰ろうね

災厄をすべて取り払ってくれとは言わないから

彼の風鈴は

ちりりちりりと

吐息をもらしたそうだが

私の風鈴は

がららがららと

大笑いしそうである

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歌ってほしい


オーケストラをバックに

朗々と歌うよりは

クラシックギターのアルペジオで

ささやくように歌ってほしい

小さな四次元の部屋

机と本棚と戦車の模型があるだけの

壁に書き散らかした落書きの中から

気に入った詞を取り出して

いきなりここで歌ってほしい

立派な声ではなく

少しかすれたはかない声で

ほんの小さなまわりのことを

恥ずかしそうに歌ってほしい

愛とか幸福とかいう言葉は使わずに

海とか風とかいう言葉に逃げずに

メロディーと言葉は

本当は一緒にいたいのだ

大げさな仕組みは使わなくても

ただ一本のギターがあれば

静かに響く声は寄り添っていくだろう

歌ってほしい

今 ここで

コードを間違えてもやり直さないで

照れ笑いをしながら続けて

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多摩川の方を向いて

心臓にまで響く打ち上げ花火の音

ここで見上げよう

河原にひしめく人々の姿さえ思い浮かべて

あの夜

車のスペアタイヤの上に

怯えもせず静かに座っていた猫は

どこへ行ってしまったのだろう

迎え入れた命

去っていった命

こんなにも花火にみとれてしまう

苦しむ様を見せずに

すぐに消えてしまうその姿に

懐中電灯と団扇を持って

人気のない通りを探して歩く

道端でつぶれているカナブンもいて

程よい風も吹いてきて

人々のため息や歓声の粒子が流れてくる

犬の遠吠えも低く加わってくる

空の遠くにまたひとつ

黄色い卵が割れ広がる

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野良猫だらけの街に住みたい


こうも

自転車がすいすい漕げてしまうのは

よくないことだ

私は壮大な道草がしたい

縁の下に潜むもの

藪の中から這い出してくるもの

樹の上から飛び降りてくるもの

曲がり角を曲がってくるもの

たちどまってしゃがみこんで

親密な挨拶を交わしあいたい

そうして私は

約束に大幅に遅刻する


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湿気を含んで


台風が来ているので

雨が時折吹き付ける

紙が湿気っていて

絵が描きにくい

そう言って娘は空を見上げる

一枚の画紙の微妙な湿度

手触りで感じる時もある

ナノの単位の重さで感じる時もある

ほとんどは何も気づかない

指先や筆先にひっかかりを感じて

画紙の前を少し離れる

でもすぐに妥協して戻ってくる

湿気を含んだものが心であるなら!

絵筆で探りを入れるわけにはいかない

ぼんやりとにじみやすくなってはいないか

しんみりと重くなってはいないか

心はいつでも外に日干ししておくように

パリッと


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もうひとつの故郷

ある星があり

その星は

地球よりはるかに優れた文明を持っている

病気も 死もない

その星の人々は実利的な学問に非常に秀でていて

どんな生き物よりも美しい姿かたちをしている

しかし

音楽や詩や小説や絵といった芸術の概念がない

愛という概念もない

そういうSFを読んだことがある

地球に遭難したその星の少女は

地球で地球人として大人になった

仲間が迎えに来たとき

少女は・・・

生きていくうえで

芸術はどんな位置を占めているのか

私の場合

生活の隙間隙間を埋める花のような

滞ろうとする澱みに注ぐ一筋の清流のような

一刺しで死に至らしめる毒虫のような

それがなくては命がかすれてしまうような

だから私も

どこか別にあるかもしれない素晴らしい故郷には

帰らない

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盆踊り

盆踊りの夜

いつもとは違ったにぎわいの街中を

浴衣を着た少女たちが

かわいらしく髪を結んで駆けだしていく

下駄の音がカラカラとアスファルトに響き

母親はあわてて子どもの袖をつかむ

この幸福らしきもの

一夜の盆踊りの輪の中に

なにかかなしいほど

美しいものが集っている

幾百もの提灯が張り巡らされた高やぐらの上で

歌と踊りは飽かず繰り返されていた

桃色やうす緑色の光は揺れて

幻影のように

人々は動いている

果てしない円

生命の法則のように

やきそばやかき氷の小さな屋台の前では

子どもたちがお金を握りしめて

キョロキョロしながら列を作っている

母親はそのそばで叱ったり笑ったりしながら

子どもたちをみやっている

この幸福らしきもの

何かを買ってあげたいと思う人がそばにいて

その人が笑顔を返してくれるということ

この公園のいつもの夜は

どんなに深く暗いかを私は知っている

私はずっと夜を歩いてきた

太鼓の音が胸の奥まで響く

ボリュームいっぱいの盆踊りの歌声

この幸福らしきもの

人よ

いつか盆踊りの輪の中から

ひとりひとりとはぐれていき

子どもと手をつないだ記憶さえも

黒い砂時計に埋もれていくだろう

輪の中に 輪の外に

夢の断片のように

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練習曲

言葉があふれそうになると

いつもギターの練習曲を弾きはじめる

渦巻くものを真っ白に洗い流すために

たどたどしく弾く音楽は浅い麻酔薬のようだ

思うことをやめることができない

言葉の量は幸福の量と反比例している

すなわち

もっとひどく書き続けていたときは

情緒を整理するための手段として

そのときの名残の練習曲

いまだうまく弾けない 

「ジュリアーニの三つのソナチネ」


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夜空


線香花火の火花を振り落すように

命を揺らしていた

仲間たちよ

もうお互いに

笑いながら言ってのけることができる

若かったころは

いつも何かを探して焦ってばかりいたと

年を重ねて少しは無神経になった

無事に過ごすために私たちもいろいろと学んだ

しかし

涙をためて見上げたあの時の夜空ほど

星がきれいに見えた夜はなかった

そうだろう?

何も言わなかったけれど

お互いにその肩に

寄りかかりたかったはずだ

どの夜も最悪なものではなかった

眠れない夜も 

希望について考えることはやめなかった

とにかく生きている

とにかく何かをかいくぐってきた

それはいい傾向だ

こうして笑いながら思い出せるということは

仲間たちよ

再び会ったとき

ずっと元気だったと言い合えるように

心からの笑顔を一日一日重ねて

幸福の量を競い合おうではないか


仲間たちよ

星屑をシャーレに入れて

ためつがめつ眺めた日々は

まだ記憶の隅で小さく光っているだろうか

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これが家族


息子と同級のご近所の少女が

何やら大声で泣き叫んでいる

親に猛烈抗議している様子

息子はなんだなんだと好奇心いっぱいで

窓に寄り耳をそばだてる

普段おとなしくやさしい笑顔の少女だけれど

そうか 爆発したか

何が理由か知らないけれど

思い切りぶつかるのはいいことだよ

溜め込んで良い子でいるよりは

息子よ 君は爆発しないのかい?

おやじをぶったり蹴ったり小出しにはしているけれど

今のところ爆発する理由がないのでね

そういえば あんた

おねえちゃんを怒鳴っていたとき

あんな風だったよ

恥ずかしいくらい外までよく聞こえていたよ

ああ そうでしたか

見苦しいまでにこれが家族です



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