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第25詩集 神のように

もうすぐ春


すべて葉が落ちて

やっと本当の相が見えてくる

傷のない虫眼鏡で

広げてみた世界

しゃがみこんだ足もとで

誰にも知られずに

冬を越していく

常緑の草

比べることで

保たれる正気もあり

崩れていく自我もある

抱いた猫は

気づいているだろうか

すべてを押しつぶしてしまいかねないほどの

この正負の力加減を

春になっていく

今は

力やわらかく溶けて

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詩集を探す


小さな書店をめぐってみても

詩集らしきものは一冊もおいていなくて

中くらいの書店に入ってみても

やはり詩集はなくて

大きな書店でやっと何冊か

手にとってみても

やたら難しかったり

私だったらこんな言い方はしないな

ちょっとふざけないでよ

と思ってしまう詩句ばかりなので

やっぱり書棚に戻してしまう

今日古本屋で

おや、と思える私家版の詩集に出会った

その人の歩く速さや

鼓動の打ち方

語り方のリズムが

しみじみと心地いい

内容から見て

北海道のお医者さんで

五十代の男の方らしい

ご夫婦でゆっくり散歩することのできる方

ご自分で料理もなさる方

大きな書店で売っているとかいないとか

そんなことは関係ない

誠実な言葉は

どこかで確かに生き延びている

二百円という古本の値段がついたその本の中にも

編集に携わる者として

アマゾンの売り上げランキングを

覗いてみたりもしないでもないが

真に人の心に染み入る本は

売り上げランキングなんかとは別の次元にあるのだと

きっぱりと思う

そのどこかに

負け惜しみがつきまとってはいるのだが

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エレベーターがきらいなので

エレベーターがきらいなので

大きなビルの階段を

十一階までのぼっていったことがある

どこまでのぼっていっても

だれも降りてこないし追い越してこない

たった一人で

はあはあ言いながら

だれもいない空間が

ずっと続いているのは怖いものだ

得体の知れないものに

出くわしそうで

わあ! と叫んでも

どうした! とだれも声を返してこない

学生だった時分は

あたりが人間ばかりなのがどうにもいやだった

何故 集団で動かなくてはいけないのか

何故 集団でとどまっていなくてはいけないのか

生活密度はほどほどがいいのだ

私のまわりには

家族と猫と

親しい友人たちが二、三人

あとの人たちは

ぞろぞろとエレベーターに乗っていけばいい


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水仙の花はきれいだが


夫が道楽の写真を撮りに千葉へ

そのおみやげとして

一束の水仙の花を買ってきた

居間のテーブルの真ん中に

孤高の野武士といった風情で

正眼の構えといった佇まいで

すっきりと無駄もなく

だがどうしたことだ

このとんがったきつい匂いは

以前

一面の素晴らしい菜の花畑の中でも思った

この匂いさえなければ!

桜の花吹雪の中でも思った

ちょっとでもいい匂いがしたならば!

欠けていたり過ぎていたり

癖があったりアクがあったり

世の中思い通りにはいかないものだ

水仙の花を見て

匂いを嗅ぎながら

えてしてこんなものだろうと苦笑することで

私自身も誰かから

許されているような気もするのだ


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それぞれの天気

今 北海道を

「爆弾低気圧」というものが襲っている

ニュースでは猛吹雪が映しだされている

人々は真っ白になりながら

倒されまいと踏ん張りながら

道を歩いている

札幌に住んでいる友人は

今どうしているだろう

あたたかな家の中で

窓の外を見ているだろうか

それとも今まさに

吹雪の中にいるだろうか

そんなことを考えていたら

ノルウェーはオーストラリアは

ポルトガルは北極は南極は

ということにもなりかねないので

とりあえず

明日私が動くであろう半径三キロメートル以内が

明るい晴天であることを祈ろう

それぞれの場所で

それぞれの天気を生きて

備えもなくおろおろしたり

余裕で迎え撃ったり

ああよかったと言ったり

こりゃ困ったと言ったりして


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ある独白

去年の夏

あんたが泣いててさ

(そこですかさず

「おめえが泣かせたんだろ」と合いの手が)

そうそう そうなんだけどさ

フランクフルトが入ったパンをさ

ちぎってチビに投げつけてたの

チビがビクって

隅っこの方に逃げていってさ

どうしたんですかぁって顔でこっちを見てるの

ちょっと悪いことしちゃったな

もうチビに八つ当たりするのやめるんだ

チビっていい人だから

(「人じゃねえだろ」と再度合いの手が)


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「Word」に告ぐ

「Word」で詩を書いていると

おせっかいなことに

波線が文字の横にくっついてくることがある

右クリックしてみると

「い」抜き だとか

くだけた表現(ん) だとか

入力ミス? だとか

助詞の連続 だとか

単語の重複 だとか

旧仮名遣い とか言ってくる

うるさいので

「無視」をクリックして波線を消してしまう

文法的におかしくても

いいんだもんね詩なんだから

と書いてるそばから緑や赤の波線がくっついてくる

わかったよわかったよあんたは正しいよ

どうせおかしな詩ばかり書いてるよ

でもこれでいいの

いいのったらいいの

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詩とは

詩人であるところの先輩はこう言う

果たして詩は

自己満足で終わっていいのか

人に幅広く感動を与えるものでなくては

いけないのではないか

そうかもしれないけれど

私の場合

自分で満足すればそれで事足りるのであって

誰かを感動させてやろうなんておこがましい

そんなそんな滅相もない

そもそもこれは詩か?

と年中思っているのであって

なんだろうな 詩って

そもそも詩と関わっている人口なんて

世界総人口のうち1パーセントもいないのではないかと

危惧しているわけで

そのうちの大部分は

教科書で強制的に

または恋をしてロマンチックに

という世代であろうから

なんだか無益だ

と しょっちゅう脱力しているのである

でも完全になくなってしまうこともないだろう

とも思えて

たまたまこの世では

詩を書く人になってしまったけれど

それは全然使命天命ではなく

大義名分も何もなく

先輩

だから私を詩人と呼ばないでください

できれば

あの世では

優雅にギターを弾く人になりたいのである

間に合えば

この世でも

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犬でいつづけるために


真夏 家のまわりを

ばかでかい茶色の犬が迷い歩いていて

ふらふらといかにも不安げな様子だったので

なんとか飼い主の元に帰してあげられないかと

交番に相談してみたら

わざわざ様子を見に来てくれて

「保健所で保護してもらっても

二三日後には犬ではなくなっているわけで」

と若い警官が気の毒そうに言うもので

そうか犬ではなくなっているのか

(何になっているのだ? 想像はつくが)

それよりは

自力で飼い主のもとに戻らせたほうがいいなと

警官と一緒に

日盛りの玄関先に立って

犬がどこかへまたふらふらと歩いていくのを

「戻れるといいんですがねえ」「そうですねえ」

と言い合いながらしばらく見ていた


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平常心を保つ


恥ずかしい失態を思い出して

眉間を押さえながら

ああ、と半笑いでうめき声をあげる

そんな時は

学校で風邪がはやっているとか

小テストが五点だったとか

今日の夕飯は何?とか

関係ないことを

たくさん話しかけてきてほしい

昨今は一晩眠れば

たいていのことは忘れてしまうが

たまに眠れなくて

脳の神経が赤くなってしまうと

ちょっとやっかいだ

白状しよう

私がサイモンとガーファンクルの

「Ámerican Tune」(アメリカの歌)を口ずさんでいたら

なにかをやらかしてヘコんでいる時だ

そんな時は

漢字の読み方を聞いてきてほしい

「この問題できるかよ」と挑戦してきてほしい

何かをストレートで投げつけてほしい

抱えているものを全部放り出して

はっしと受け止めるから


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生まれたときのこと


卵をぷちっと割って

頭を突き出す感じ

さなぎをさくっと切って

足をよじり出す感じ

膜をべりっと裂いて

肩甲骨を動かしてみる感じ

あまりに力がなくて

寒くて

ヒリヒリしていて

とても心細いのだけれど

まわりを見ても

つるむ相手もまだいないので

まず一人で思い切り用を足す

すっきりとして

大きくひとつ息をして

やっと地上での第一日目に身を置いた

そうだったような気がする

あの朝


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立春


日当りのいい土手の

枯れ草の間に

水色のいぬのふぐりが

ふたつみっつ咲いている

四月 小学生が紙と鉛筆を手に

春を探しに校舎からわらわらと

飛び出してくるのに出くわしたことがあるが

タンポポや

ちょうちょうなんかを探していたが

まだ二月

どこにもぬくもりは無さそうでいて

霜柱の隙間にも

春はちょっとずつ来ているよ


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右目の矯正視力が出ないのは

角膜の黒目部分に真横に一センチほど傷がついているせいで

交通事故とか目のケガとか心当たりはありませんかと

眼科医に訊かれたけれど

そんなものは何も心当たりがなくて

左目なら確かにケガをしたのだけれど

右目だろう?

一体いつの傷だろう

おかしいなあ

でも生きていればそりゃあ

知らぬ間に傷がつくこともあるだろうさ

「ああ 季節よ 城よ

無傷の魂がどこにある?」

いろんなところが傷だらけだ

今日ひとつ傷の位置が判明した

それはそれなりによいことだった

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間違っている


中学の時 同級だった男子で

家も割と近所で

うちの子は弁護士に うちの子は医者にと

母親同士が愚かな張り合いをしていた

その人の妹さんが二十代で亡くなられたと聞いた

勉強ができる方が勝ちだと

否も応も無く教え込まれていた

点数と順位ばかり気にしていた

結局 銀行マンになった彼は

名もない主婦になった私は

こんな遠くから

とどくはずもないお悔やみの言葉を

心につぶやいている

もっと違うつきあい方もできたはずだった

恋だったかもしれないひとときの幼い感情

まず最初に母親たちが間違って

次に子どもたちが間違って

だから父親や母親になった私たちも

どこか間違っているのかもしれないけれど

大切にするべきものは

さんざん言われてきたこととは違っていた

せめて今からでも

子どもたちの心の揺らめきに

濃やかに思いをはせる


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