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第18詩集 無駄な一日


無駄な一日

たとえば

計算されつくした

一分の隙も無駄もない一日が

もしあったとして

私はそこから

窮屈な居心地の悪さを感じるばかりだろう

無数の雨粒が

田んぼの水面を

鈴のように鳴らすとき

私は両手をからっぽにして

思わず

受け止めるだろう

ともに響きあう一個の楽器となって

無駄なことだらけだ

生きるのに必要な

最小限の水と空気と食べ物以外は

私が猫と戯れている時間

夫が山道をひたすら歩いている時間

子どもがぼんやりとマンガを読んでいる時間

何の役にも誰の役にも立たない

ささやかでくだらない時間

田んぼに雨が降っているのをただながめている

この今のやすらかな非生産

私のほとんどは

どうでもいいことでできていて

だから時折どうでもいい散歩をしたくなる

私は次に振れる気持ちで動く

だから学校はきらいだった

犬の首輪のようにきらいだった

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こんな感じ

今私は

詩を書こうとしてしまった

しかも きちんとした製図のような詩を

図書館に行けばいつも

必ず誰かの詩集を三冊借りてくる

全書棚における現代詩の占める割合といったら

ほとんど0コンマ以下かと思われるほどで

私は仕方なく何度も

「谷川俊太郎」と「田村隆一」を借りてくる

(「長田弘」や「川崎洋」や「吉野弘」の時もある)

どんな風にして書いているのだろう

詩人と呼ばれる人たちは

書いたり消したり

消したり消したり消したりで

生まれそうで生まれない詩ばかりだ

私のノートは

まともなのはどうにもいけない

ネコヤナギ と

ここでいきなり書くのは

昼間 真珠色に輝く見事な猫柳を見たのを思い出したせいで

その思い出し方は

詩の入り口に最も近いが

詩そのものにはまだまだほど遠い

子どもたちはもう

迂闊には天然の言葉をもらさなくなった

耳をすます

どこからか輝きが たとえそれが

アルミ箔の端切れの輝きであったとしても

きりきりと差し込んではこないものかと

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間違い電話1


桜貝のような声がして

受話器の向こうは

晴れた海であるに違いない

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間違い電話Ⅱ


夜中にカラスが鳴き騒ぐ

いやもう明け方なのかもしれない

いきなり電話のベルが二回だけ鳴り

今誰かがこの家の電話番号につながろうとした

間違いか

故意か

差し迫った用事か

ただの気まぐれか

眠り切れなかった夜明けに

妙に冴え冴えと

ナンバーを押した指と

受話器を握りしめた手

響きをとらえた耳

明け方の冷たさの中で

生身の三つの感覚器だけが

即物的な質感で

確かに存在している

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果物のなる公園

かつて私が

高層ビルの階段を

息をきらして果てしなくのぼっていた時

この丘では

小さな子らを連れた人が

「ほら あのビルが建っているあたりが

新宿、東京だよ」と

指さし教えていたに違いない

見晴らすと

ここからあそこまで

一息で歩いていけそうにも思える距離だ

背中から夕方の大きな影が

前方の街並みに深く覆いかぶさっている

新宿のビル群には

いつまでも薄桃色の光が当たっている

まるで気づきもしなかった

あの箱だらけの町が

小さな花咲くこの丘から

こんなにもはっきりと見えていたなんて

ビルの階段は

ヘビの赤い胎内のようだった

電飾に満ちた歓楽のそばを

いつもそわそわと掠め歩いてきた

ただその場所だけにしか私の体はなかった

巨大温室には

おいしそうなバナナが実っている

ブーゲンビリアの花が香っている

熱帯植物のまわりをめぐって

父と子がかくれんぼをしている

夏の湿り気がこもっている

教えてくれるものは何もなかった

ここにたどり着くための

ただ一つの運命について

そしてまたここも

どこからか見下ろされる場所

黄色い果物の香りも懐かしく古びて

遠く見える白い新宿のビル群は更に

霞みゆき

「ほら あの丘があるあたりが・・・」

その時 半ば戦慄にも近い痛みが

再び私を貫くだろう

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クジラのいる公園


君は何度も

のぼりおりを

繰り返していた

風吹く偵察の砦で

岩山の肌には

いつも南中高度の

真っ直ぐな太陽の日差し

四つ足のケモノになって君は

軽々と岩山を制覇する

君は知っている

草むらに埋もれた細道の向こうには

いまだ誰も知らない

銀色の海があることを

やせた白いクジラは囁く

「刻限は迫っている

早く!

風向きが変わらぬうちに」

君はいつ海に向かうだろう

君はいつ少年時代を終わらせるだろう

吹く風に花びら

もみじ葉を混じらせて

たたずみ 見送る者たちは誰も

引き止める術をしらない

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絶景


見ることのできなかった桜は

見ることのできなかったままに

受け取ることのできなかった手紙は

受け取ることのできなかったままに

触れることのできなかった人は

触れることのできなかったままに

悔いもなく

行かせてやればいい

不意に狂う方向感覚

町並みの細部は

眺め続けるほどに

さらに見知らぬものとなる

たとえばあのスーパーは

以前からあそこにあんな形で在ったのだろうか・・・

命を使い果たすごとに

葉桜の緑は色濃くなった

この世の絶景は

見過ごしにしてしまったどこか遠く

見ていたのに見ていなかったものを

焦点を開いたまなざしで

いつまでも探し続ける

言うことのできなかった「ありがとう」は

言うことができなかったままに

捧げることのできなかった花束は

捧げることができなかったままに

朽ちさせてやればいい

悔いもなく

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五月


今私にとって

何が誇りだろうか

盛り上がる緑の中に

城のように

遺伝子ですべて決まっている

アルファベットの配列は

書き込まれたままのかたちで

視線の方向さえ

定めていくだろう

花々の色彩や鳥の声に

絶えず誘われる

空の縁をくすぐる森のように

私はゆっくりと揺れているだろうか

風を住まわせているだろうか

五月の

最もかぐわしい花を

つぼみとして絢爛と抱く

森のように


絡み合った細かい蔓を

薄衣のようにまとい

もっと眠らせてほしい

流れるように

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スライム

気持ちが崩れていきそうな時

この私にも

そんな時はあり

ひとときの真面目不真面目

思い切り約束を破って

あいつ やっぱり信用ならない

そう言われてもいい自分がいる


世界は相変わらず大笑いをしている

アマリリスの真紅は腐りかけている

だれかは慰めを

だれかは一刺しを

言葉の内に秘め


この自分は誰?

いくかの詩句を放り投げて

または破り捨てて

重さも痛みも無い体になって

砂漠の中を転がりまわっている

ほとんどスライムになるまで

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いつか

君が見ている風景は

私が見てきた風景とは違う

私が一冊の小説を

繰り返し読んだように

君はひとつのゲームを

繰り返しクリアする

君の歩幅に習って歩く

君の風景に近づくために


絶えず違う意識に逸れていっても

二人で見た五月は

いつか消し難いある印象となっていくだろう

空には錦の鯉

その豊かな色と形

捕まえようと大きく手を伸ばし

同じ陽射しを浴びていた日々は

今も確かに交差している

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ある種の絶対の前には

すべては取るに足りない

ビー玉の中に閉じ込められた

小さな空気の泡をながめる

助けだされたいと思っているのなら

今すぐ真っ赤に染まれ

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南蛮びーどろ


何かを語りたい

(とにかく笑うことはできる)

何かに導かれたい

(それはそうと夕陽がきれいじゃないか)

すべては大丈夫だと言ってほしい

(落ちた夏椿の花は濡れたままで)

南蛮びーどろのグラスを透かし見れば

(こんなにもなめらかに歪んで)

夕焼けが安らぎであった場所にまで

(私の指は朗らかに溺れている)

ゆっくりと帰れそうな気がしてくる

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流れの上


気取っているわけではなく

「リア王」の原書を少しずつ読み進めるのが

日課だった日々があった

自嘲しているわけでもなく

土を練っているばかりの日々もあった

どう生きればいいのか

いつも考えていて

考えている間は

何も生み出すことができなかった

今再び図書館の現代詩の書棚の前に立ち

ここに立ち寄ることにも

いつかは飽きることがあるのかと思う

いつもはだれも寄り付かないこのコーナーに

今日はひとりの青年がしゃがみこみ

帽子を目深にかぶったままで

「辻仁成」の詩集を読んでいる

奇妙で危険で異端な心を

体のどこかに隠し持って

君も生きていくのだろうか

それは仕方のないことで

誰にも止めようのないことで

誰に理解されなくても

そこへ導かれていく流れがあるのなら

君もその最終地点まで行ってみるといい

私も同じ流れの上にいて

たぶんゆるやかな淵を選びながら

ぐずぐずと回っている一本の藁

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ヒヨドリ


ネコが捕ってきた

半死半生のヒヨドリのために

野生の実を探しに出る

今の時期

もうどこの実も食べ尽くされて

やつれた葉っぱがちらほらと

ゆれているばかりだ

もしかしたらおまえ

外の鳥たちよりも

幸福なのかもしれないよ

わざわざ買ってきた

つやつやした林檎と蜜柑と柿

片羽が駄目になったために

おまえの目の前に

ごちそうが並べられる

食べるしかないではないか

食べるしかないではないか

食べて生きるしかないではないか

羽の傷が治っても

飛べるかどうかは分からない

どんなきっかけで

おまえを外に放してあげられるか

それもわたしには分からない

今は食べるしかない

食べるしかない

食べることで何かを忘れていられるのなら

おまえの胃袋は

甘い頭脳となるだろう

護られた鳥かごの中

欠けた空を

痺れるような甘い果汁で

満たしていけ




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荷物かかえて


歩いていくうちに

寄り道をしているうちに

いつのまにか荷物がいっぱいふえて

両手にかかえ

背中に背負い

胸に抱きしめ

腰にくくりつけて

すっかり重たくなりました

せっかくこんなにためこんだもの

おいそれと手放すわけにはいきません

階段をのぼり

エスカレーターで下り

地下鉄に入り込み

通気口から息を吐き

抱え込んだものでヨロヨロ

しまいにはひきずってフラフラ

重量オーバーすれすれの

エレベーターに乗り込んで

ずーんと高いてっぺんへ

青い青い大展望の空へ

もう腰が痛い

背中が痛い

大きなくしゃみをひとつ

骨もガタガタになって

もういいや

全部捨てちゃおうと思ったとたん

運よくあなたと出会いました

「ねえねえ どうかひとつ持ってくださいな」

でもよく見たらあなたの方も大荷物

「あらあら おひとつお持ちいたしましょう」

結局ちっとも軽くなっていないのに

なぜだか急に楽ちん気分

あなたの荷物はちょっと湿っていて

わたしの荷物はちょっと壊れかけ

ふたりでヨタヨタ荷物をぶらさげあって

途中何度も取り替えあって

どこまでもどこまでも

一緒に歩いていくのです

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日当たりのよい

出窓の端

黒猫が

胃袋の形で

座っている



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帰る夢


「帰る」夢をみた

目の中にどこまでも続いていたのは

たぶんすべていつか見た風景


夕方近くの電車に乗り

グレコの絵の聖者のように

涙をたたえた姿で

取り返しのつかない孤独へと

運ばれようとしている


それは確かに「帰る」電車だったのだ

夜を通し夜明けまで

暗い川に沿い

丈高い雑草が一面に

揺れ動く原のただなかを

何かの約束にせき立てられるように

帰るべきところに帰ろうとしている

たったひとりでひどく怯えながら


どうしてあなたを呼び寄せられなかっただろうか

せめて夢の中だけでも


何気ない駅のひとつひとつに

行く末を読み取ろうとして

凝視を続けている


どこで降りたらいいのか分からない

どこで降りたとしても

ひとりで坂道を上っていくことになるのだろう


夢のつながりは

明けない夜の繰り返し

帰りたくないのに帰りたい

答えも朧に消えて

また次の夢で

同じ夕暮れの電車に乗る

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ありのまま


「そのままでいいんだよ」

「キミはキミらしく」

「それはキミの個性だから」


みんながそう言い出したら

気味が悪い

嘘くさい

何かウラがあるね

世の中

そんな簡単なものじゃないだろう

そんなやさしくもないだろう

受け入れるだけでは何の解決にもならなかった

そんな出来事にもいくつか出会って

これじゃだめだと思うこともあったが

それでもやはり

「なんとかなるよ」

「大丈夫 大丈夫」

「そのままでいいんじゃない」

そんなことばかり

口癖のように言っている

うやむやになっていく

とどのつまりはそれが帰着

人生の解決は

大雑把ででいい加減

そのぐらいで丁度いい

深く思い悩むくらいなら


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犬のウンチ

違うんです

今立ち止まったのは

道を譲ったわけではなく

目の前に犬のウンチがあったからなのです

おじぎをしてくれて恐縮です

なにしろこの道は

犬のウンチが新旧取り混ぜて三十個はある始末で

全くどういうわけなのでしょう

ウンチのDNA鑑定をしたら

持ち主を突き止められるでしょうか

「ここでウンチしたら肛門が腫れて病気になるよ」

なんていう看板を立てたなら

少しは控えてもらえるでしょうか

犬はかわいいと思うけれど

ウンチ垂れ流しはいただけません

飼い主さん なんとかしてください

踏んだら不愉快です

踏んでしまった靴もかわいそうです

ウンチのことで立ち止まっていられるほど

暇でもないのだけれど

草深い土手沿いの

お散歩に最適なこの道で

下ばかり向いて歩くのはいやだから

今度はウンチの心配なんか全然なしで

あなたと挨拶を交わしたい

三歩歩くごとに犬のウンチ

人間並みの大きなウンチ

飼い主さん 心当たりがあるのなら

全部持って帰ってください


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おはよう こんにちは こんばんは

おはよう こんにちは こんばんは

たったそれだけのことばで

きのうまでしらんふりしてとおりすぎたひとが

にっこりわらってあいさつしてくれる

おはよう こんにちは こんばんは

たったそれだけのことばで

きのうまでとおかったひとが

みぢかなひとにかんじられる

おはよう こんにちは こんばんは

きっとまほうのことばだね

さびしいこころにひがともり

ひとりぼっちじゃないんだっておしえてくれる

おはよう こんにちは こんばんは

こころとこころのとびらをあけて

ふたつのふうせんがとびだしていく

ほらそらのうえで

くるくるくるくるなかよくまわっている

もっともっとたくさんいおうよ

おはよう こんにちは こんばんは

ともだちのはじまりはだれだってきっと

おはよう こんにちは こんばんは








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