第8詩集 生まれる前 ママのおへそから外を見ていた
春風に
このみるみると変わりゆく空気
銀色の空き缶が
カラカラとまわりあう
春風に
とうとう雪は降らなかった
窓をあけ ベランダに座り込んだ少女たちは
知ってるだけの
ありったけの歌を歌い続ける
桜色の羽を
少しずつ開きながら
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進化
放出した私の詩集が
どこをさまよおうが
もう私には関係ないこと
学生の頃は
まるで生活の匂いの無い
かすみのような詩ばかり書いていた
ある程度年をくえば
日常から材を取る才も
少しは養われようというもの
それでしかないものに
けじめをつける
それから先のことはもう
私には関係ないこと
確実に進化しているか
わずかずつでも
攻めの態勢
頭脳をまるごと
フロッピーディスクに移し替える
現在以降の自分であるために
ひび割れはじめた頭蓋骨のコピーが
どこを転がろうと
もう私には関係ない
解説も言い訳も必要ない
手を離れたら
死のうが 生きようが
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天翔けるペガサス
おしりの蒙古斑はもう消えたかい
目玉焼きの味がもっと深かったころ
泣きながらアカシアの木の根元に埋めたものは
あれから微細な有機物質に分解して
そのあともう一度命になれただろうか
天翔けるペガサス
はがれたモザイクを懸命に押さえながら
後ろ向きで蹴飛ばし続けた
彼の十七歳に近づこうとして
彗星のしっぽに噛みついた
ピンホールからさかさまになって
飛び込んでくる光
さかさまの効力に目を回しながら
首筋の傷跡は白っぽくまだ消えてはいない
お決まりの無常感を漂わせ
襟を高く 胸元をかたく合わせて
ふざけた銃口を向けられれば
わざと肩を開いて標的になる
彼の十七歳はそんな風だった
紫色に光る自転車に乗って
青空の窓から生えている電柱
永久に続く電柱の向こうで
舌を出して笑っている
虫捕り網はもうとっくにボロボロだけれど
獲物の数だけを言うなら
天翔けるペガサス
彼の十七歳を
呆れるほど時間をかけて
やっとのことで通り越して
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飼う
昔 犬を飼っていた
最初の犬は白の雑種で
雪遊びの写真の中に
かしこまって座っている姿しか
記憶に残っていない
まだ私は幼すぎて
白いチャボも飼ったことがある
もらわれてきたときは
やせて首が長くて
羽毛も生えそろっていないようなヒヨっこだった
それが夏になっていきなり
私の目の前で卵を産んだ
小さくて濡れていてあたたかな卵だった
二番目に飼った犬は
血統書付きのビーグルだった
わがままなやつで
夜中でもひどい無駄吠えをした
家族みんな閉口していたが
死んだ時はやっぱり涙がこぼれた
いろいろな生き物を飼った
ハ虫類以外は大体飼った
飼った数だけ死なせてしまった
悲しみの大きさは
飼ったものの大きさに比例していた
今は猫を飼っている
まだ若くて元気な盛りで
黒ヒョウみたいに
なわばりを走りまわっている
自由を楽しむ生き物もいいものだ
飼育ケースも引き綱もいらない
すりよってきた時だけ
さりげない愛情で抱きしめる
一体いつまで一緒にいてくれるだろう
それを考えると
人間だって
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図書館
図書館には大真面目な本ばかりがあふれかえり
書架の前に立つと
いつも少し頭痛がする
思い切りナンセンスなもの
思わずくっくっと笑えるもの
とびぬけて吹っ切れているもの
買い集めた分厚い英詩集も
卒論を書き終えたらあっさり古本屋へ
どんなに深い意思の集中があったとしても
その本への思いは
書き手の思いを越えることはない
ひところよりも
あまり本を好きではなくなった
絵本コーナーの子どもたちよ
くれぐれも本という魔物には気を付けて
何気なく入り込んだ世界の中で
知らないうちに
悪い毒を飲まされているかもしれない
清々しい気分になるもの
懐かしく微笑めるようなもの
希望ある展望をもつもの
うまい具合に探し出せない
それならいっそのこと自分でペンを執ろうか
手っ取り早くニーズを満たすためには
徹底的に排除と抹消を行い
これだけの書き手
これだけの思い入れ
毅然としているもの
媚びているもの
開き直っているもの
自己満足しているもの
大真面目な表紙の向こうに
一撃必殺の罠がありそうで
書架の前に立つと
いつも少し頭痛がする
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訓練
枯れ葉のさやぎに
二人して同時に振り向いた
今 私たちが聞いたのは
同じ音だったのだろうか
その人のセーターの肩から
かげろうがあふれていた
怯えることは
できるだけ少ない方がいい
けれど
やすやすと庇われるのではなく
訓練
顔だらけの町で
同じ顔の群れに
平然と加われるように
すべては
かつてあった感情
さとりの化け物は叫ぶ
思うよりもはやく
同じ物音に同時に振り向く
できるだけ同じ向きで
君は何を聞いたのだろう
少し笑いながら
その先の風は
足音で蹴散らして
訓練
風の見えない町へ
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冬が終わる
水槽のザリガニはうずくまる
余白に合わせるのではなく
余白が合わせてくれるようでなくては
狭いスペースに手足も伸ばしきれない
もうすぐ冬も終わるというのに
猫が甘えてすりよってくる
係累はできるだけ少ない方がいい
さっぱりと何も残さずにいられるのなら
それが一番いい
猫のやわらかな撫で心地
不足もなくただ気持ちがいいばかりだ
机の上のデジタル時計
血液は音もなく流れる電流のように
桜咲く日に感嘆はただ黙りこむ
ゆっくりとそう急がないで
目を離した隙にデジタル表示ははらりと動く
日課通り
ワープロの助走はそのうち加速してくる
饒舌は楽しい
けれど饒舌の効果はおそろしい
しゃべりすぎる詩はどこか間が抜けている
しゃべりすぎる人間もどこかネジが抜けている
いくらしゃべっても空っぽになれないのはこわいことだ
空っぽは次から次へと大急ぎで埋められてしまう
騒々しい賢さに責め立てられると頭が痛くなる
整理しきれなくてしかめ面になる前に
このワープロのスイッチを切って歩きに行く
ひとりで歩きに行くというわけで
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表す
生という字は
生を言い表すには
あまりに単純すぎて
ヒシバッタが着地する音! と
君は言った
抽象概念は
漢字 もしくは
横文字の中でしか生きられない
トカゲが叫ぶ声! と
君は言った
瞬間で解析する
限りなくひらがなに近い言語で
生は
蜘蛛の巣が破れる音! と
君は言った
そう その調子
世界中の雲が流れる音! と
君は言った
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花の頃
平凡な日常が一気に
emergencyに突入する瞬間も
随分見てきたのだ
逃げないことは
美徳かもしれないが
それでつぶされてしまうのは
バカらしい
備えは数値に対してのみか
花の姿は見えなくても
沈丁花は香りだけで咲く
この花の頃
むやみに動いてはいけない
細胞は
すぐに息切れを起こす
不意に危険な記憶が
張り付いてきたりもする
春は
細い肩をした猫のようだ
支えようとする手に
まがいものの響きをつかませる
開けゆく感覚
それも花の香りのなせるまやかし
むやみに動いてはいけない
身を低くして
かわしながら
楕円の春を生き延びる
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場面
子どもを産むとき
その痛みの中で
次の瞬間にも場面が変わって
胸に赤ちゃんを抱いている姿になっていればいいのにと思った
けれど場面は一コマも落ちなかった
死ぬ時もきっとそうだろう
はやくさっぱりと乾いた
天界の朝に飛び移りたいと願っていても
心電図の波形が尽きるまでは
場面は一コマだって私を許してはくれない
生の回転から逃れられないことは
ひどく怖いことだと思った時もあった
意識すればするほど
自分を映した映像はぎこちなく固まっていく
フェードアウトできるのは眠っているときだけ
けれどそれもたいして長い時間ではない
過ごしてきた画像はいつのまにか
もう編集しきれないほど巻きを膨らませている
あんなにも滞っていた場面も
ここに来て少し流れを速めたようだ
下宿の東側の窓から見えた過去
北側の窓から見えた未来
そのどれとも違う現在を
一本の切れ目ないフィルムにおさめる
一コマに集まり散る人々子どもたち
腹を据えてたぐり寄せよう
晴曇雨風嵐雪 すべての場面を
理不尽な意識のスピードで
もっとしょぼくれたり
もっとうろたえたりしながら
打ち上げは
「ブラボー!」の大合唱であるように
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山を歩くということ
完結を求める心が
極まりを目指す
筋肉の快い張り具合で
自分を過去から引き上げていく
上にのぼるごとに
人間は淘汰されていく
振り返って見晴らした時に感じるのは
最後に生き残る感覚
平坦な角度では満足できない
ぐいぐいと螺旋に登る
推進する力は美しい
攻略すべきものは
かなたにではなく
すぐ目の前にある
樹木ではない 花ではない
鳥ではない
心臓と筋肉がすべてだ
そして
がさつな疲れでいっぱいに満たす
引き絞られた緊張は
帰り道で一気にはじける
それを何よりも心地いいと感じるかどうか
山は人間に解答を与えない
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書店にて
書店にて思う
本を書くことは聖なる仕事のようにずっと思ってきたが
案外そうでもないらしい
要はその本が大衆の知能に合致するかどうかだ
売れる路線に乗って
安全な穴埋め問題に倣って
そこそこの儲けに従って
どこかの窓の奥にこそ
未だ発表されていない傑作が
つつましい作者の寡黙な誇りとして
値段もつけられずに存在しているだろう
(それが私の作品だったらいいのに)
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大災害に見舞われた時
大災害に見舞われた時(もし生き延びられたら)
一体何をどの順番で持ち出すかについて考える
まず第一に子どもや家人の無事の確認
貯金通帳と現金を握りしめ
食糧と水
最小限の衣服と夜具
飼い猫のチャッピーは
できればずっと手元に抱えていたいし
できなければたくましく野良猫として生きていってほしい
そんな余裕さえなかったら
とにかく家族の無事 自分の無事が第一で
やさしい譲り合いなんてしていられない
秩序ある善行もどぶに捨て
他人の命さえ蹴り落とすだろう
その他に何か
その他に何か忘れものはないか?
本 住所録 写真 薬
もちろんどれもこれも重要だけれど
少し落ち着いた頃に私が欲しがるものはたぶん
何でもいいから字が書ける紙と
いつまでも長持ちする1本のペン
まともな理性を失いそうな時も
それさえあれば大丈夫というような気もしている
私はきっとエゴに満ちて
創作のネタを探しまわるだろう
それができるかできないかで
受けたダメージの大きさも量れるだろう
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推敲
ホワイトを塗り重ねていく
どれが本当の素顔なのか
本人でさえ忘れてしまうほどに
意味を溶かしていく触媒
潔く忘れていきながら
だれの立ち入りも拒む思い込みを
ゆっくりとためこもう
どこまでを区切ったらいいのか
どこからを始点としたらいいのか
夢のように曖昧にして
たとえば
花瓶の中でしおれた花
捨てる潮時について
誰もがうまく答えられないように
子どものおもちゃ
何が必要で 何がもう必要ないのか
首をかしげながら選り分けるように
傍らに閉じ込め
またすぐに撫でさする
弱い小鳥に餌をやるように
光を求めて見開くように
絶えず位置を変え
中心に向かって問い続ける
それが最後の言葉であるかどうかを
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道がなくなる
二階の窓から見下ろせる道だった
塀際にタンポポが並んで咲いていた
猫はその道を気に入っていた
土蜘蛛が深くすみかを潜らせていた
かくれんぼに必要な抜け道だった
人々は立ち止まり引き返す
いかに通り馴れた道だったか
舌を打ち鳴らしながら
さてどこを回ったら一番近いか
とおせんぼの看板を背に
素早い計算は始まる
空気は行き澱む
雨水も迂回する
猫は別にこだわらない
地図はまだ何も知らない
土管は平然として退きもしない
人の流れが変わる
子どもはすぐに忘れてしまう
散歩する犬だけは
どうにも納得のいかない顔で
いつまでもそのあたりをうろついている
探している
電柱から染み出していたおしっこの匂い
はじめからそこに
何もなかったかのように
ふっつりと
テリトリーの筋が絶たれる
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つれづれ
どうにも思考がまとまらない時がある
そんな時ははじめから思考などなかったのだ
できあいのものを
ただきれいに清書していればいいような仕事をして
仕事をしたつもりになるのもいいが
なんだかお手軽すぎて
掃ききれない残りカスさえも出やしない
思考が思考にならない時は
何か突拍子もないきっかけを
つかまえなくてはならない
聞いたこともない花の名前を調べ上げたり
感情の四則計算を繰り返し試してみたりもする
無理やりに言葉をこじつけて作り出しても
花の咲かない思考はだめだ 生きていない
そんな時ははじめから思考などなかったのだ
立ち上げかかったものをすっかり消して
何もなかったこととして
全く別の場所に飛ぶしかない