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第1詩集 無限逍遥 (出版詩集)


主に高校時代~大学一年の作品

服従


青い波流よ

渺々たる普天の下で

放たれた浮標(ブイ)の

胸せりあげる嘔吐にささやく

終わりなき波音よ

空白な静穏の心情を揺り動かす

愛のない子守唄にめまいして

私は冷たい岩に寄りかかる

白い飛沫は空に迷い

乱調の流紋は死の文字を描く

はるかな弧弓に向かう船は

海の中に埋もれようとする

太陽が孤独な回復をする午後

波はガラス玉をころがし

虚しい遊戯を繰り返す

世界を私から禁ぜよ

握りしめた紫水晶のかけらを

この海に投げ込んで

すべての夕映えを海深く招く時

海王よ 頭上を仰げ

無極の海が寄る辺なくうねり

たわみながら苦悶するのを

いつまで通けさせるのか

波頭が消えやすい泡を生み

すがるように寄せ来る波は

引き戻され 傷心の流れをする

私はそれらの敗残を受け継ぐために

たたずんでいた この浜辺に

怯懦な思いに身を凍らせて

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十六歳

みぞれ混じりの雪が

かすかに夜を震わせていた

私は別れる物も無く別れを告げ

固く結晶した大気に

自らの凍えきった十六歳を刻んだ

終わりゆく学期に

別れを予感する二月

友がくれた手作りの美しい紙の花は

箱の中に閉じ込められたまま

枯れもせず


あの別れの時からずっと

誕生日はいつも寂しい

祝う言葉をかけられたことも無く

誕生日のケーキも用意されたことがなかった

私の存在に

いつ 誰が

気付いてくれるというのだろう


いつもここから逃げ出したかった

けれどどこへ?

この机の前でただ物を思うことしかできず

私は追い詰められた犬のように

力無く

十六歳の中に閉じ込められている

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ミミズのように

泥をすすりながら

雨中を這いまわり

生きていく

自分よ

浅ましくも

そうせずにはいられない私の本能を

あなたは笑うのか

冷たい雨の町並みは

人々のからっぽの眼差しに溶け

そのままだらだらと流れて

腐食土と醜く交わるであろう

もぐりこんで深く

ぬかるみの中で

みつけた哀れな獲物の

肉をあばき 骨をむさぼり

それらで胃袋を汚しながら

私は生きていくのだろう


考える脳さえなければ

生きることが楽になる

頭も尻尾も失くしてしまおう

感情を表す感覚器も


ただうごめく

湿った皮膚組織として

ああ だが

あなたの高いハイヒールの

ずっと上から

あなたの目が

私をぺしゃんこに踏みにじっている

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夜半のカノン

ガラス色の雨が降り

密やかな雨音が夜をたたく

宝石をつなぐ糸が切れて

私の手にこぼれるであろう

砕かれた氷雨のように

夜に降る雨は

あまりに重く

私の内に沈んでくる

熱情も無く弾くピアノは冷たくて

音をたてながら

昨日の記憶が壊れていくのを

誰が知るのであろう

閉じられた瞳に私は見る

言葉の迷宮を

さまよい続ける姿

遂に何も生み出せず

うつむく姿


それを徒労とは

最後まで呼びたくはない

絶え間ない夜半のカノン

私もまた

涙を奏で続けるしかないピアノだから

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十二月の別れ

触れ合うとビー玉のはじける音がする

小さな木の実の飾り物を

あなたは指でもてあそびながら

沈んだ目をして

暮れかかる十二月の空を見る

あなたの唇のもたらす

短いシラブルは

飛び去る日暮れ鳥のように

虚しい羽風で私の胸中を脅かし

ぼやけた不安に息を止められた私は

思わず

あなたから目をそらす

あなたを

私の世界に引きずりこんで

あなたの抜け出た寒い景色を

燃やしてしまうことができるのなら

ふと取り落とした飾り物を

あなたは拾いもせずに

暗い紫色の濁った夕焼けを

風のようにみつめている


優しいクリーム色のワンピース

背中まである長い髪

あなたは不思議なほど茶色い瞳を持っていた

遠い国に留学していくあなたとは

もう二度と会えないだろう

友だちになりたいと思っていたのは

私の方だけだったから


せめて別れの日には

すれ違いの小さな微笑みをください

振り返った私に

木の実色の記憶が

いつまでも刻まれるように

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無言

錠剤は捨てるがいい

これら濃緑色の粒は

無益な鎮静剤だ

常夜燈のように燃え続ける

青白い苛立ちを抑えるための

フライパンと摺りあう金属の

ぞっとするあの音

折り散らした千代紙は

もう火影に投じてしまえ

どんな華やぎも

目の前で

爆ぜてしまった

色彩は顧慮のどよめきと共に

はらはらと崩れゆき

どろどろに煮込まれていく

この夜 

時々の偏在が際立たせる

孤独な魂の一片を

寒々とした台所で

何に変わらせようとするのだ

言葉は鍋の中に落ちたか

致命的な無言である

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廃屋の御堂

木隠れの畦道のかたわらに

見出したのは藁葺きの御堂

傾いた盲格子の引き戸に

蔦蔓の繊手がしなだれかかる

捨て子のように笑う石の野仏が

下草に埋もれて御堂を守る

信仰はいつでも斧をふるい

打ち壊れた形骸を

後生大事に安置する

人の心は磊落な鳥の声にも

なお晴れやらず

御堂の苔むした礎に

小石を三つ重ねている

夢幻の歴史の中で

万人の石を受け取り

御堂はここで

いつしか廃屋になった

風に怯える水面の月

睡蓮の咲く池を

深い草藪の中に探しに来る者も

今は誰一人としてなく

私だけなのかもしれない

詩になりそこねた半端な思いを

ここに何度も棄てに来るのは



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遠雷


大地に掌をおしあてて

束の間の石膏の冷たさを学ぶ

遠雷のする真夏

今 私の内で

新しい意志が燃え始めた

炎々と咲くひまわり

常に明確な希望を持て

昏睡の中で夢をさぐるより

白日のさなかに

目を見開くことを望む

何一つ報われず

過ぎていく灰色の時もあった

自然の循環に抗い

力を失っていくかのように思われた

だが人間よ おまえは

想像される以上に強靭な生命だ

遠雷のする真夏

深い地響きをたてて

大地の底から屹立するもの

怖がっていたとして

もう決して俯かない

稲妻のように

今 私の砦は築かれる


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Nに

血がおまえの中で流れをやめた

そのままの姿で おまえは

青ざめた肌をして眠っていた

私はもうそのドアをあけようとはしない

おまえの眠りをいかなる光も

さまたげてはいけないのだ

あたたかなほほずりと

子どものようなたわむれを

私は晴れた日の中に

思い浮かべることができる

あれらの日々が 私の

そして おまえの

最後の幸福な日々だった

おまえはもう暁を見るために起き上がり

さらさらとカーテンを引くことをしない

おまえはあたたかさを失った寝床に

だまって横たわっているばかりだ

そして私は酷く悟っていた

この部屋を永遠に閉ざし

おまえをここに取り残す

そのすべての始まりと終わりを

私が見届けなくてはならないことを

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都会

私は部屋の中で

風を計ろうとする

だが窓の外に

揺れ動くものは何もない

林立する巨大なビルの群れは

人の世の石塔のようである

私の掌は

既に土を忘れ去り

私の膝は

もう擦り傷の痕すらない

粗野な笑い声も久しく立てていない

表向き正しく整った清浄が

常に都会の習わしであることを

心に銘記せよ

故郷の風の中では

身も心も少年のようだった

深い森に分け入って

瑞々しい緑に染められていた

自由と希望が

私を思い切り汚していた


しかし今 私は

ビルしか見えない窓の内側に

自らを閉じ込め

うつろな鏡に向かって

ただ果てしなく

ほほえみを練習している

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多摩湖にて

無辺際に霧は降り

湖の孤愁を音もなく包んでいた

水系は濁りを帯び

青緑の花々が一面に呻いている


転生の墓地に眠る胎児のように

待ち続ける絶望がそこにはある

時の代謝は緩慢な衰えを見せ

弱々しく半鐘を叩いている


私は湖を見捨てなければならない

いさよう波の道標(しるべ)を追うにも

願いさえ失ってしまったのだから

抱えてきた白い野花を

ここに全部捨てようか

幻のように影を潤ませて


こんなにも足元が揺らぐ

湖を渉る長い長い橋の果てが

霧に霞んで見通せないから

つい引き返したくなる

もう引き返せる場所など無いのに


たった一人で

湖を見に来た

孤独が私を害している

そんなことを厳しく思い知るために


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寝床の中

壁越しに

声が錯綜している

音は籠りがちに

その意思を伝えない

夜おそく

誰が釘打つのか

そればかりがはっきりと

聞こえている

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彼岸花

彼岸花が

顔をそろえて

血を吐く


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花蜘蛛

花蜘蛛は

葉裏から

ひっそりと

こぼれ落ちる

あでやかな

若葉色の罠

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さぼてんの花

 

 

多肉の隙間を突き破り

顔を出した花は

湧きたつ陽炎の中で

緋色に示威してみる

 

誰に見られることもなく

そこに在り続け

ひとり媚び疲れた花びらは

けだるく熱風に吹かれ

いつのまにか孤独な眠りに落ちる

 

眠りつつ朝を失い

目覚めた時は

すでに酷薄な日射に焼かれ

再びは顔を上げられない身に変貌している



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誕生

松風が

指の間を過ぎ

うつむいたほほに

甘やかな夢が

花影をつくる

明るい浜曲(はまわ)の方に

今日も子どもたちが

砂文字を書いては

波に飛び退っている

無駄なことだとは

もう誰も言わない

ただ茫漠と優しく

流れ木は

なめらかに

身を横たえる

晴れた海の近く

次に来る波に

遠くさらわれることを

ひとり

待ちわびながら



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走る夏



疲れ切った体を草むらに投げ出し

見上げた太陽の痛むようなまぶしさ

激しく呼吸する胸の中を

熱い汗が流れていった

細かな光斑が頭の中を跳ねまわり

ただ真っ直ぐに青い夏の空


ぐらぐらと地は揺らめいて

無意識の時は流れる

風の音が聞きたいのに

鼓動がざわめく

肌がチクチクと焼けている


友よ 呼吸が落ち着くまで

エスケープの森で

ひとときを一緒に過ごし

書きかけの物語のことを話そう

先を争う者たちがとうに走り去り

ゴールのテープも誰かが切って

予定調和のほとぼりがすっかり冷め切るまで


文字で満たされた汚れたノート以上に

価値あるものなどどこにもなかった

森の奥に潜む深い沼のことを思う

必要だったのは

健やかな体ではなく

さまよう心の落ち着き場所


やがてゆっくりと立ち上がり

めまいするなか手探りで方向を定める

共犯者たちは

いたずらな目配せを交わし合う

さあ  もうそろそろ行こうか


太陽の向こうで

雲が溶け始めている



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夜明け



誘惑の匂いを秘めた夜明けが

そっと額に落ちる時

去りがたい眠りの影が私を引き止める

もの憂い思考の奥には

何千もの雀の笑い声が

昨日のことのように

ぼやけて聞こえている


いつまでも覚えられない記号と数字

明け方になっても

処理できていないノルマ

重い疲労が脳髄の中に沈み

泥水のように揺れて

私に軽い吐き気を感じさせる


この朝―――

真っ青なインクのにおいが

空に拡がり

私を押しつぶすようだ


凍えるような夜明けが

私の肩を冷やし

胸の中に焦りを流れ込んでゆく

まどろみの浅い揺らめきに身を浸して

朝に移りゆく時間を

わずかでもつかみ取ろうとして

ただ黙ってもがいている

 


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春の訪れ



春の匂いを含んだ季節に

私は子どものようにあやされて

大声で歌い出したい気分だ


何気なく手に取った野辺のスミレは

冷ややかに湿ったその肢体を

私の指にやさしく絡ませた


やっと冬の幽囚から抜け出して

全てがほほえみをたたえ

心無きものも

心を得たように

光を返してくる


走っていく子どもたちは

サラサラとした髪を風に吹き乱し

はしゃぎながら草むらに飛び込んで

やわらかな若草そのものになっている


私も走っていこう

今は文字に溺れることをやめにして

四つ葉のクローバーを探しながら

野良の子猫を探しながら

春のスペクトルの交わるところまで



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秋に気づいて



花瓶の中で

枯れた花は

年老いた人のように

うつむいて

腰を垂れ

厭わし気に花びらを振り落とす


日の光もかたむいて

秋の様相

絹雲の白い筋が

青い花瓶の上に

おおいかぶさっている


みつめられている

透明な時間

枯れ花を捨てるにも

おそらくは

小さな決断が必要なのだ



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こころ



夏草の明るさに

いつ影を落としたのだ

黒い鳥が空を翔けていくように

不意に曇った大地に

私はひとり佇んでいる


死んだ乙女を抱くように

手に捧げ持つ枯れた草花

別れを告げることもなく

こころはもう帰らない

あの青春と言われた日々のもとへ


それは

日盛りの昼や

目にしみる川の流れ

夏草の夢に身を沈めて

目覚めることもないと

私に思い込ませた事々


光は消えてしまった

この手の中に朽ちた思いを残して

窓際であたためたこころ

私のほうから手放して

遠ざけてしまったこころ


最後に選ぶことができたのは

ひとつの詩

葬送に近い韻を持った


封じてしまったものには

暖かい名前がつけられていた

私はほほえみさえすればよかったのに


私は

この先 

いつ

誰を 

愛そう



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二十歳の頃



 霧が晴れた。私は時を鳥瞰する。眼下の小群落は山峡にあって、それ自体絵画のように静止した美的な狭さで、私の観念に迫っている。それは途轍もなく確固とした生活の規矩である。周囲を取り巻く霧の散光のまにまに、凡庸なる幸福を垣間見て、泉のように悲しみが湧きあがるのを感じている。

 自己喪失のあと、私は急速に夢から覚醒した。内生の充溢のままに、その頃は早熟とさえ思われた光暉を、余すところなく発揮することができた時代はもう終わったのだ。

 思えば驕慢な自負であった。しかし心楽しい興奮のひと時でもあった。懐かしい符牒のように私に暗示する詩句は、甘美な言葉の檻に私を閉じ込め、もはやその他の世界を瞥見することを許さなかった。高い位置から、尊大な呪詛を唱えてさえいれば、下界の者たちが私を讃嘆するかのような愚かな錯覚をとどめてくれるものが何も無かった。

 それが若さだと人は言う。だが私はそうした人々の優しい容認のもとで、残酷に自己を喪失していった。私はエピゴーネンになるのを恐れるあまり、なんと遥かな荒野を彷徨していたことだろう。それによって、芸術という豊穣の大地からますます遠ざかっていることに少しも気づかずに。

 私は今この大自然の前に小児のように弱々しく震えている。剥奪された夢は縹渺と地獄にまでくだり、奢りを諫める鞭の呵責のもとで無残に血を流している。

 私はその苦痛を紛らわせるためにこの山に一人登った。ここの風は冷たい。寂寞とした情調は私の心のなかに沈潜していった。紅葉の時期にはまだ早く、薄霧は木々の緑葉を見え隠れさせていた。新生を願いつつ、その脱出口を見つけられない者にとって、無私の自然は、一つの奇跡のように広大で果てが無かった。

 私は自然と相擁し包含されることを切望し、その中に命を預けたいと思う。この山峡に立ち尽くす者は、残灰のような人生を冷徹にみつめ直さずにはいられない。

 今あるべき生を救うためには、過去の俘囚であることをやめなければいけない。一つの人生をこの契点を境に断ち切ること。人格の偏りを認め、幅広く人との関りを求めていくということ。

 私はここに来るまでの間、十代の頃に取り付かれていた幼い厭世観を繰り返し反芻して、、頬を赤らめ恥ずかしく思い、同時にけなげで愛おしいと思った。芸術至上主義を豪語してはばからなかったあの頃、冷たく透明な外貌を成し、その内に炎を宿した十代の心は、芸術という魔力のもとに一切の生活の実利を侮蔑し、遊惰な他者の生き方に憎しみさえおぼえていた。

 それはあまりに子どもじみた傲慢だった。鉄道の廃線のように赤錆をつけることを人生への反逆と思い込み、あらゆる世界から除外されることが芸術者の資格と信じて、ついにここまで来てしまった

 私と関わろうとする暖かな気配が絶無だったとは言わない。だが私はそれを許容する優しさを既に失ってしまっていた。それを今更嘆こうとは思ってはいない。どんな自己愛も十代の頃の芸術への確執には程遠い。詩は神であり、一つの完璧な様式であり、あらゆる秩序を統合すべきものだった。その本質にたとえほんの一瞬でも触れ得たのは(そう錯覚しただけだったにしても)私の幸福だった。そのために自滅してもかまわない。愚かにもそう思ってさえいたのだ。

 山は静かだ。辺りには誰もいない。孤独を忍受する運命は常に私のものであった。滑りやすい黒土の山道を下り始める。私はこれからいたずらに思考を歪ませず、正しく真っ直ぐに生きていこう。人を愛することをもっと学ぼう。そしてこの心が生み出す言葉がたとえ未熟で間違っていたとしても、諦めることなく胸にすべて抱き締めて、時を経て熟す時を待とう。

 登る時よりも降りる時の方が気安い。行く行程よりも帰る行程の方が時が短く感じるように。そうであるなら帰ることの安楽にしがみついたりはすまい。私はまだ先に行き続ける旅の途上にいるのだ。折り返し地点などなど初めから考えない。生きている限り書き続ける、その自信はある。



 




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