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第11詩集 バッタの意識


台風が抜けていったら

傘を打つ雨風と戦いながら

急ぎ足で家へと向かっていた

言葉を使い尽くすということのない人の

果てしないおしゃべりに付き合って

無駄な相槌をつきすぎた

しゃべることは得意ではない

聞くことならと思っていたけれど

時折耳はまるで不誠実になる

私にはどうしても書くことが必要で

それはどうしても必要としか言えない代物であるらしい

夕暮れの書店前を

風に飛ばされていく傘

待っていましたとばかりに

足首を刺してくる蚊

「かゆい」と書いても

無益には違いないだろうけれど

狂気的な究極ではなく

ぼんやりした優しさの方向へ

意識の流れを向け続けていくのだろう

足もとで濡れ落ちて動かない蝉の命

とろけかけたミミズの命

彼等の存在は無益だったのか?

少なくともここで書いてやることで

無益ではなくなったことを私が証明してやろう

この六行を埋めたということで

彼等は「必要」だったのだ

「必要」を証明した私自身も

また「必要」な存在だったと言えるように

台風が抜けていったら

空はきれいに片づけられるだろう

頭の中もそうあればいい

次から次へと走り過ぎる雲のように

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木の音


木の幹に耳を押し当てて

木の音を聞いていた

ずっと上の方で枝が

大揺れに揺れて

葉っぱがぱらぱらと降ってくる

自慢話だけ出来上がっているような人間は

その背骨にいっぱい

恥ずかしい嘘をためこんでいるだろう

もう手放したらどうだい?

飛ばすのに丁度いい風が吹いている

木の幹を抱きしめて

聞こう

地面の奥深くからのぼってくる音と

空の高くからおりてくる音を

どうしようもなく寂しかった夕暮れに

もっとまわりを感じればよかった

根元のうろに

一匹の細い蛇が滑り込んでいく

その蛇の肌となって

木の中に眠りに行こう

適度に騒がしく

適度に暗く

適度に罪悪な場所でなければ

うまく眠れない

木も 蛇も 私も

人間と同じくらいの太さの木を

人間のように抱いて

今度は私の音を聞かせようか

後ろ暗い物語もすべて

隠れもないこの心臓の中に

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セミの声


今日

今年はじめて セミの声を聞いた

盆の入りの次の日

梅雨の終り

緑濃い森の際で

お昼時だった

通り過ぎた団地の

上の方の階から

陶の茶碗をかき込む

リズミカルな箸の音が聞こえていた

八角堂の跡地には

雑草が揺れ

低い石垣にのぼると

ここまでもセミの声が染み出していた

東京での夏の到来は

アスファルトの白さでしか

わからなかった

線路はかえって

遠さばかりを感じさせる

ここまでゆっくりと

歩いてきたのだ

谷戸と呼ばれる窪地を平坦に埋める

カラフルな住宅の屋根屋根

人の心を

自分の心のように思ったとしても

思いのままに

行く手を操作することはできない

自分の心すら

そうできなかったように

どうなることだろう

ここには

セミの声がもたらす

夏の到来があるばかりだ

ありふれた生活の音にも

秘められた感情を聞きながら

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飛行機の音

干した布団の山にもたれかかって

足を投げ出して座っていた

窓の向こうを

大きな赤い雲のかたまりが

ゆっくりと流れていくのが見えた

うさぎのような形がくずれていった

ただ一筋に

西へ抜けていく飛行機の音

まだ夕暮れが

ただ美しく

考えも無しに

ただ美しいものでしかなかった時

問われれば

一日のうちで

朝ではなく夕暮れを

一年のうちで

春ではなく秋を

好きだと平気で言っていたのは

あれは

底の浅い矜持だったにしても

人はどれだけの正確さをもって

心を言い当てられるというのだろう

波長を低めて

消えていく飛行機の音

後もない先もない

ただこの宙空にいて

球体を成し 円を描く

激しい落差で

夕暮れの螺旋の中に落ち込んだことも

必然として

確かに軌道に組み込まれていたことを認めよう

同じままということはない

夕暮れひとつをとっても

同じままであるはずがない

ただ 今は

夕暮れが気持ちいい

布団の山にもたれて

眠い夕暮れにほっとしている

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目づまり


網戸の

細かな網目づたいに

油の粒子が罠を張り巡らし

そこに細い糸くずが一本くっつき

剥がれおちた皮膚のかけらがひっつき

抜け出ようとした土ぼこりが襟首をつかまれ

その上に春の花粉がちょっと腰をおろし

ダニの死骸がふわりとかぶさり

その上にまた糸くずがくっつき

とことん目づまりしている

吸っているはずの息も希薄で

知らず知らずに

あっぷあっぷと

指で弾いただけで

パラパラとこぼれ落ちるだろう

気がつかなければ

そこが風の通り道だったことも忘れてしまう

感覚の網目にほこりをびっしりとたからせて

鈍重で薄暗い

あまりに緩慢で極微な推移であるために

誰もそれとは気が付かない

いっぺん大掃除しなければ

強力な水しぶきを吹き付けて

どろどろと流れ出る真っ黒な汚れに

あらためてびっくりするだろう

一瞬の光を迎え入れる

クリアーな濾過装置を通して

より細やかで

より透明な

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多摩川を歩く

誰もいない部屋で鳴っている電話のベルにまで

気をまわすこともないのであって

いつでも体にいいミルクばかり飲んでいるのも

芸のないことであって

霞の向こうに透けて見えそうな新宿のビル群

秋のはじまりは

空高くはためく白い旗のように

『多摩川右岸ここから海まで二十五キロ』

いかにも痩せたがっている婦人が

体を左右に揺らしながら

それでも私を次第に引き離していく

対岸の歩道にも走っている人がいる

もっと橋があればいいのに

人だけが渡れるような

きっと壁に突き当たったんですよと

わけ知り顔に言う人がいて

ああ そうかもしれませんねと

仔細ありげにうなづく自分がいた

差し出された一本の栄養剤(アンプル)を前にして

一時間歩き続けることをあなどってはいけない

デスクワーク馴れした体には

三キロ先のデパートに行くのだって

マメがいくつできるやら

草深い土手に咲くピンクの花々

そこに咲いているからこそいいのであって

『多摩川右岸ここから二十四キロ 』

先に行ったあの婦人は

どこで引き返してくるだろう

昨夜の大雨で川辺の草もなぎ倒されて泥まみれ

釣り人は濁り水に糸を垂れ

掛け軸の絵のように動かない

平日の野球場には誰もいない

きちんと刈り込まれた緑はまだ乱されず

つるつるした毛並みを光らせている

『多摩川右岸ここから海まで・・・ 』

逃げない青空を広々と感じていられるのはいい

地図からはずれて

知らない町を歩く心細さもまた捨てがたいけれど

『多摩川右岸・・・ 』

もうこの辺で戻らないと

あの婦人はきっと五百グラムは痩せただろう

私は次の信号で右へ折れていこう

ちょっと町の方へと

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自由ということ

期限もなく

限界もない

理想の枠も取り外した

平面に刻まれた白い道筋を

巨大な地上絵として認識し

その認識もかすれるほどの高さまで

私は行ける

噛み砕いた氷

その素粒子の

冷点をはるか越えた位置にまで

もぐりこむこともできる

自由とは

どこまでも感覚を飛ばせるということだ

寝ころんだままでも

どの瞬間にいても

裏返しにしておいた心理も

今でなら理由付けができる

どうすればよかったのかも

正確に言い当てることができる

トロイの木馬の内側は

甲冑と武具の匂いで満たされ

荒くれた者たちの

唸りにも似た息遣いしか聞こえなかった

暗闇の隙間から

血しぶきのような夕日が射してきた

歴史に語らせる以前に

もう既にそこを知っている

見晴らすことのできなかった思いも

そのままに認めて

自由になる

釘で打ち付けられたはめ板を蹴破って

寝静まった帝都はすでに

夥しい火矢を射かけられているだろう

その炎を見る

この穏やかな午後の机で

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見る

鉄橋のすぐ下の河原に

小さな子どもを交えた家族が

弁当の包みを中心にして座っている

広々と向こうまで誰もいないのに

わざわざうるさい鉄橋のそばを選んで

子どもが電車を見たいとせがんだのだろうか

見るというなら

見られることにも耐えなければならない

電車の中から見下ろした視線は

見上げる家族らの視線とぶつかり合い

一瞬のうちに挨拶を交わす間もなく

大きく離れていく

見たと感じ

見られたと感じる

そのバランスは必ずしも同等ではなく

たやすく中心をはずしてしまう

あの子が見ていた電車

私が見ていた家族

家族が座っていた風景

電車が抜けて行く風景

見られていたものは何だったのだろうか

私の一瞬の意識は

諸々の視線を平然と撥ね返せるほど強くはない

ただ肩口でかわしているのだ

深度の計れない冷えた秋の空

焦点が拡散する方向に

おもむろに向きを変えて

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芋を煮ながら

芋を煮ながら

でもやっぱり

平凡でいたくはないと考えている

カレーをかきまわしながら

爆弾作りの構想で

うずうずしている

車輪は全速力で回っている

腹の力を抜いたら

すぐに引き離される

別にどうでもいいじゃない

と言いたがっているけれど

どうでもよくないこともある

と一方では思う

満腹していても

狩りのための筋肉は

いつでもアイドリングしている

空虚な時間が必要だ

「ためになること」で

汚されていない時間が

なにかワクワクしている

猛回転している地球に乗って

宇宙をビュービュー転がっていく

あの猫が姿勢を低くして

狙っていたものは何?

テーブルを拭きながらさかさまに覗いてみる

密かにファンファーレは鳴る

一番平凡な

日常の家庭の中で

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言語

猫の首筋には

いつも何匹かのノミがいた

相次ぐニュース速報見れば

文明も末期に近づいているとわかるだろう

社会がどんな言語でしゃべろうと

速やかに吸収する用意はできている

どんなに奇抜を衒っても

風は風 空は空 雲は雲

人々の使いたがる言葉は

しばらくは変わらずに同じだろう

猫にとっては

ノミの痒さは切実で

私がとってあげなければ

ひどいことになる

文明のノミは

だれが排除するのだろう

あの黒いつぶつぶ

目に見えないほどの危険分子

どこか遠くのことであるような

差し迫った出来事のようにも

もう増殖はとめられないところまで?

どこか人間の質も変わった

共有したイメージも通じなくなる

いつか近未来に

私の言語はそれでも通用するだろうか

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電車に乗って


オレンジ色の電車(モハ 10212008)

その手前を

ガソリンをたっぷり飲んだクジラが

十匹も群れて泳いでいく

線路脇で咲いている小さなタンポポ

「まだ?」あるいは「もう?」の問いを象徴するように

おぼろげに入り混じる季節

空には十三夜の白い月

ススキの穂も気をゆるめはじめている

ホームの白壁は何度ペンキで塗りつぶされても

猥雑な落書きですぐに埋め尽くされてしまう

「かれし大募集」も[只今参上」も

ここが一番似合いの場所

ツイッターやラインよりも人間に近い

へたくそなマジックインクの文字で

幼い子どもに電車を教えようとして

何度かここまで乗ってきた

遠くまでは行かずすぐ引き返せる駅まで

帰りはいつも眠ってしまった

しゃがんだ膝の上で揺られながら

田舎を離れるあの長距離列車に比べれば

今まで乗ったどの電車も

わずかな移動にしかすぎなかったような気がする

意味もない恐れは

もうほとんど制御できるようになったと

言ってもいいのだろうか

オレンジ色の電車の手前の線路に

すべりこんでくる黄色い電車(クハ205-133)の中へ

子どものように窓に向かい

動く風景を次から次へと捕えている

座席で若い恋人たちがもたれあって眠っている

それもまたいい風景だ

電車がただ単純に面白かったあの未知的な感情

恐れを失うことは

VIVIDな記憶力を無くすことと

ほとん同意義語だったにしても

電車の座席に溶け込むような

この惰性は

ただただ暖かい

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ヒト

世の中にいるのは

自分のような人間ばかりではなく

父のような 母のような

彼のような 彼女のような人間ばかりでもなく

犬のように 猫のように 馬のように

虎のように ライオンのように 鷲のように

同じ群れの中にいても

気持ちは微妙に上下し

怒りながら ののしりながら

憐れみながら 蔑みながら

断ち切りそうになりながら

そして時には愛しながら

誰もが同じ器の中に浮かんでいる

ヒトとしての種の形質の中に

私も同じように

彼とも違い 彼女とも違い

確かに違っていると思うのに

ひとくくりの形質の中にあっては

ミリ単位の背比べ

千差万別の幸不幸でさえも

ヒト科としての平均値に限りなく近く

確かに真ん中はあるだろうに

グラフに描かれたヒトとしての中央値

過不足の無い丸い人格形成

中庸のモデルケース

その場所にいるのは

私ではない

たぶんあなたでもない

それならば誰?

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