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第1詩集 無限逍遥(2)(出版詩集)


主に大学時代の作品




キャンパス風景



夥しい邂逅は

煩雑な日常を私の内に蘇らせた

先走る言葉の群れは

私の唇を封じ

私は穏やかなほほえみの影に

寡黙な苛立ちを隠しきれずにいた


早生の植物のように

光を採り急いで

衰えやすい茎を伸ばす

そんな風ではなかったか

学生たちの夢と野心は


重畳する思想は

自己を見失おうとする

一つの努力にすぎない

しかしすべての懐疑に施錠して

物思わぬ生を営むことは

ある時期 不可能なことなのだ


キャンパスのスロープには

暖かな日光ばかりが

当たっていたわけではない

自由に冒され 方向を失った者たちが

見よ そこここに去来する



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高層の孤独



一日の最終講義からは

夕闇の暗さを教わった

こんな夕暮れ 大隈講堂は

円時計の中に月を潜ませる


哲学や宗教は

遂に私を救わなかった

どんなに責められても

私は私でしかなかった

高層建築の谷間にはぐれて

私は途方もなくひとりぼっちだった


ああ 何よりも今は

恋人と多摩川の流れを眺めたい

疲れた心を安らえて

恋人の呼吸に耳を傾けたい


寄り添って

くだらない話で笑い合いたい

くすぐりあいたい

手を握りたい


数多の蔵書の中に描かれた夢は

即時に棄ててもよい

神に救われなくてもいい

煩雑な駅前の早稲田通り

冷たいネオンにぬれながら

ひとりぼっちで 

恋を抱き締めていた



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あなたのくれた三つの黄色い梨が

私の鞄の中で

甘いにおいを立てています


あなたの故郷のにおい


独語の教本も

分厚い刑法も

そのにおいに染まったら


それだけで

机にもたれた寂しいdesireは

満ち足りていくのです



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病室にて



悲しみが消えない

あの夕立空の暗さ

病室の電灯の総和を以てしても

かつての無垢な光を

贖うことはできない


ここには私に耳を傾ける聴衆はいない

私は天井をみつめながら

水に沈んでいく油滴を連想していた

日々打たれる注射は

どの痛みを抑えるというのだろう


視界の隅で

誰かが体温計を振っている

寝返りをうつベッドのきしみ

儀礼的なあたりさわりのないおしゃべり

何かのお芝居のシーンのような


私はもう久しく

健やかな空腹を知らない

集中を欠いた脳は

一ページも本を読めなくなった


今の私には渇望すら罪だ

生きることと待つこと

そればかりを考えている



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白昼



机の端に胸をあずけて

はすかいに首を傾けると

花瓶の中の擬宝珠が

湯女の幻影のように手招きする

病み上がりの心臓が

大きな動機を刻んで

触れるすべてに

震動を感染させている


向かいのバランダに干された

純白のシーツの照り返しのために

この部屋はフラッシュを焚いたように

まぶしく閃光をとどめている


心が撞着している

昨日 どぶ川の吹き溜まりの中に

夥しい毛髪のかたまりが

背徳の気配をさせてうずくまっているのを

立ち止まって見下ろしてしまったときから

悪寒が宿ってしまった


この研磨された白昼の光

やはりまだこの晴れやかな明るさに

耐え得ないのだ

目を閉じて

心の中の黒の霊媒を寝返りさせる

私はいまだ

自己愛の病床から抜け出せない



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夕暮れ



文字を追い過ぎて

目が疲れてしまった

目は 閉じればいい

だが疲れた魂は‥‥ この命は‥‥

もうずいぶんと損なわれてしまったようだ

回復のあてもなく 酷く


こうしている合間にも

絶え間なく人の声がする

それは

母親が子どもを叱る声であったり

立ち話の笑い声であったり

ラジオから流れる早口の声であったり


沈黙は許されはしない

あの眩し気な世界から

おせっかいな手が伸びてきて

私の肩をゆすぶり続ける

気づかわしげな瞳の

ただ一度の問いかけにすら

言葉を返せないというのに


装って広げられた本に

目を落としながら

あの夕暮れの方に

急速に私の存在が吸収されていくのを

心の奥で感じていた


また今日もよく眠れずに

電車に乗る夢を見るだろうか

私は溜め息をついて首を横に振る

故郷への電車は

もう私を慰めるものではない

帰るには疲れすぎてしまった

その遠い距離が

ただ悲しいばかりだ



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無限逍遥



おそるべき停滞が

私の日常を包んでいた

硬直した心理が

私の体から言葉を引き抜いていった

そのような自覚は

日の暮れに比例して

黒色に膨満していく


悪い自責が頭を焦がす時

いたたまれず部屋を飛び出して

サンダル履きで煩雑な町中を

無理にさまようのが

私の常だった


街灯や店頭の明かりは

確かに幾分かの慰めにはなった

臙脂色の暖簾をかけた露天のお好み焼き屋は

いそがしげに鉄板に油を引いている

薄白く立ちのぼる煙

裸電球一つの下で

きゅうきゅうと悲鳴をあげているのは

私の心だ


明日が見えなくなったのは

いつからだろう

さほど遠くにも来ていないのに

私は早くも歩みの方向を失い

犬のようにそわそわと

帰る道を探している


帰りたいのに

帰れないのだ

真っ暗な部屋に戻るのが怖いのだ

さんざんに迷子になってしまうまで

体を傷めつけないことには

夜を越すことができなくて



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もつれた雨



霧しぶく雨は

アーク灯の青白い反射の中で

絹糸のようなもつれをほどいていく


ガードレールの白色塗装から

相並んで生まれた雫は

切子ガラスのようにさざめきながら

横にすべっていく

果ての無い流れ作業のように


遮断機の前になら

一人たたずむ理由がある

警報機が鳴り続けている間

傘を打つ雨の響きを

てのひらに小さく感じている


逆回転の映像をたどりながら

この夜にまでたどりつき

足元から立ち位置を自覚すると

また不意に

闇の中にひとり放りだされていることに

思い至ってしまう


警報機がやむと同時に

物語は先に進まなくてはならない

遮断機が上がったら

必ず歩み出す

隣を歩いてくれる者が

たとえ誰もいなくても

その先がずっと暗く冷たい雨でも


もう立ち止まっている理由など

どこにもないのだ



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野焼きの煙



野焼きの煙が

真っ白にあふれている

空へ 空へ

こんなにきれいに晴れているから

何か悲しいことを思い出しそうだ


電車の遠い音が聞こえていた

川辺の土手は

いつもながらの暖かさ

まだ幼い頃

ここが唯一の逃げ場だった


そして今でも

ここが唯一の避難所

暖かな日曜日には

遠い友のことを想いながら

つぶやくように歌を歌う


野焼きのけむりが

うすらいで消えて行く

光へ 光へ

こんなにきれいに晴れているから

幼い日の笑い声を

もう一度思い出せそうだ



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日和



田んぼの真ん中に

ふっさりと積まれた藁には

よく陽が当たっている

雀たちが何十羽も群れて

地面をついばんでいる


見上げれば

空は大きな呼吸をしている

いつまで続く小康か

問う必要などどこにもなかった


まだ傷が残っていようとも

もう縮こまって

うつむいてばかりいない

なんでもなかったふりをする

苦しかった呼吸も

徐々に開かれて

目の前の風の動きが見えてくる


犬の子の白い腹

綿入れの半纏

冬の朝もや

思うだけでくすぐったい

幼児のように

唇をお気に入りの布でふさいで

脳の奥から安らいでゆく


今日は気持ちの良い日

ほんのりあたたかい小春日和

久し振りに自転車で

商店街の方まで行ってみようか



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赤い色



あなたの家の近くには

遠浅の海があるという

「でも泳いだことはないのです」と

あなたは笑いながら言う


あなたはやせて背が高く

白く透き通った肌をしていた

だから真っ白なワイシャツに

真っ赤なチョッキがよく似合った

男の人なのに真っ赤なチョッキだなんて


あなたの説く宗教は

私には苦しかった

ひとつとしてうなづけるところがなく

私はいつも必死に反駁していた


私が欲しいものは

はっきりと決まっていた

ちゃんと元気に生きていくための健康

とにかく体のどこにも痛みが無いこと

その最低条件が満たせれば

それで簡単に幸福が得られる私は

あなたと最初から出発点が違っていた


何度も言い合いをして

おだやかだったあなたの目が

焦ってとがってゆくのを見て

理性的な口調が

理不尽な強制に代わっていくのを感じて

私からお別れを告げた


まるで遠浅の海のように

私たちはまだ

人生の深みには至っていなかったのだ

幼稚な議論をしすぎて

恋にもならなかった

けれどあなたのことは

遠い印象の中にいつまでも消えなくて


ちょっとは救われていたのかもしれない

あの頃

町なかを歩く人たちの中に

つい赤い色を探してしまっていた

ということは



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オカリナを吹きながら



ペンと一冊のノートだけを持って

霧深い湖のほとりに

立ち尽くす人生でありたい

いつまでも枯死しない美意識を

心深く植え付けて


誰も来ない田舎道を

オカリナを吹きながら

散歩する人生でありたい

空高く浮かぶ雲の

流れゆく足取りで


そしてこの心を

夢で一杯にしたら

いつか帰っていこう

私の言葉が花咲く場所

あなたの胸の中へと



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浄土



白砂に伏して

私は埴輪のように眠る

黄昏は雲を黄金色に染め

海は向こう側へ歩いていく


へばりついて小さく

私は身動きもせず眠る

古びた安息を抱いて

見出だされない化石のように


暮れ残った空に

浄土のような雲がたなびく

誰かの命が消えて行く瞬間に

似つかわしい荘厳さで


私は生き延びてここにいる

白く粉々になりそうな生の形を

かろうじて保ちながら

安らいで


眠っている

ほとんど砂の中に

埋もれた姿で



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鎮魂



ひぐらしが鳴いていた

気付いてしまったなら

それが夏の終わり


さまよいは夏草の匂いに満ち

灼けた白い山道に終始し

道はうねりながら山頂まで続いていた


通り過ぎた山間の村では

年老いた人たちが

垣根近くに寄り合って

ご近所語りをしているのが聞かれた


小川で遊ぶ子どもたち

それを見守る母親たち

おだやかな風景の中

黙って歩いて行く私の心の中で

一匹の野良犬が吠える


同い年の友人が

相次いで二人亡くなったこと

その経緯に

避けがたく在った孤独について

私が

体よく逃れることができた運命について


山頂の木々に身を潜めて

新しい風にうたれ続けた

生きようとする意志が

生まれ出るまで


心を鎮めれば

こんなにもひぐらしが鳴いていた

気付いてしまったなら

それが夏の終わり



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白い陽



縁側から垂らした裸足の影が

テラスに映っている

子犬が庭の土に鼻を突っ込み

さかんに穴を掘りたがっている


霜に焼けた白木蓮が

枯れたように咲きはじめた

ひばりが空に筋をひいていく

部屋の奥の机にも

今日は白い日差しが差し込んでいる


春の暖かさが

心地良く私に降る

私はひと冬のうちに

かなりやせたのかもしれない

友人たちに口々にそう言われた

よくは無いが

悪くも無い

あるいはむしろ好ましい

そんな風に言っておこうか



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地球儀



西日の中で

アジア大陸が燃えている

世界中の運命はころがり

人は死んだり

生き延びたり


私が今

ここにいることに

神が関与しているのかどうか

私を救う人との出会いに

神の差配があったのかどうか


地球儀に

神の心をかぶせて

ぐるぐると回してみる

気紛れなルーレット

はまりこんだ運命の数字は

私に生きろと命じている


傾いた心に沁みる

夕刻の鐘

暮れてゆく地球儀に

私もまた

ゆっくりと運ばれて


これはもう何回転めの

夕方なのだろう



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土曜日



善福寺公園の土曜日

霜柱のゆるんだ道を

足早に歩いていた


池の端には

白い鳥たちの方に

パンくずを投げ与える老人がいたし

枯れた葦を写生する若い画学生がいた

子どもを遊ばせる母親や

マラソンをする青年たちがいた


もっと多くの人に会ったような気がする

多くのさざめきを聞いたような気もする

それらの顔の一つ一つが

あるいは微笑んでいたとしても

それは私に向けられたものではないから

私は微笑み返すことができない


誰にも会えない土曜日は

どうしていいかわからない

故郷への電車に乗るのも億劫だ

電話をしても友人がつかまらない

下宿で本を読むのもたいがいに飽きた


だからひとりでずっと歩いている

地図を片手に

知らない道をずっと歩いている



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赤いスカートの女の子



窓ガラスにあてた指の隙間を

赤いスカートの女の子が

スキップしていく

指形を縁取る白い蒸気が

寂しい風景を花のように淡くする


私はたぶん誰よりも

言葉を求めている

私だけが生み出せる特異な音韻

書き留めるまで

何度も頭の中で繰り返される


指の間の女の子は

軽やかなダンスを踊りたい

けれど

一つ覚えのステップは

ぎくしゃくとぎこちなく

踏み出す足を

いつも間違えてしまう


一旦全部忘れよう

これしかないと思った言葉も

未練なく消し去って

かたくなった言葉を

やわらかく解いていけば


まっさらな白い舞台に

赤いスカートの女の子が

ためらいなく

躍り出ることができるのだ







 

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