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海くんの肩もみ(3) (出版詩集)


十月の誕生日に

夏から飼っていたカブトムシが死んでしまった

(たぶん寿命で)

おなかが大きいカマキリは

いつまで待っても卵を産まない

(ケースの底には食いあさったバッタの死骸が)

かわいがっていた茶トラの野良猫は

車にはねられて悲しい死に方をした

(まだほんの二歳だったのに)

季節は秋

春に産まれたものは

衣を脱ぎ

衣を替え

衣を重ねて

なお生きられるかどうかを黙って問いかけている

けれど九歳になった君へ

十月の空に浮かぶ月は

いつも君の寂しさのそばにいるだろう

悲しいことが色を深めていく十月に

トカゲたちは眠る場所を探しはじめ

カエルたちは最後に鳴いてみようかと口を開く

虫かごの中はもうじき整理されるだろう

十月は君の中で何回も繰り返されるだろう

過ぎゆくものが一瞬立ち止まる

十月の君の誕生日に

生まれるものと死するもの

どちらが多いと言えるのだろう

どちらが多かろうが

君は

君らしいバランスを保っていけるといい

もうすぐ一斉に

花のような紅葉がはじまる

密やかな産卵の音が

地中深く沈んでいく

君は

そんな十月に生まれた

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今もどこかで

決められた日課の中を

少し早歩きで散歩していた

もう彼岸花もすっかり枯れていた

ずれながら時間は

このように肩を落としていく

今も どこかにあらわれている虹

今も 誰かは大笑いし

誰かは涙を止められない

世界の誤差を

束の間 なめらかな平面にして

太陽は白く照り輝く

今も どこかで降っている雨

今も 誰かははしゃぎ

誰かは怒りを止められない

何も知らないのに

共存は続いていく

今も どこかで鳴いている子猫

どこかで水を飲む小鳥

本当に何も知らないで

明日にでもすべての印象は

かわってしまうかもしれないのに

チクリとも感じもせずに

人々は流れていく

猫は伸びきって眠っている

誰にも気づかれずに石は砕け

誰にも気づかれずに水は絶えた

神々からの伝言は

最も小さな触角だけを叩く

何も聞かない

何も見ない

意識的な努力義務として

とにかく今日は小春日和だ

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冬至

今日は冬至

お風呂にゆずを浮かべましょう

子どもはさっそく

ゆずをつかんで

香りの汁をとばし

皮をむき

種を取り出す

ぶよぶよのゆずを

お湯に沈める

小さな手で握られて

ゆずはおもわず

小さな息をもらしてしまう

お風呂いっぱいゆずの香り

ふやけた太陽

子どもはいつまでも

ゆずをこわし続けて

今日は冬至

ゆずを握りしめる力で

逃げて行った太陽を取り戻す

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オリオン

オリオンを教えようとしたのに

子どもは早々と眠ってしまった

十二月の夜更けなら

なんとか探すことができるだろう

合わない眼鏡を持ち出し

おもちゃの望遠鏡をひっぱり出してきたりして

永遠を見ようというのか

太陽や月や星の真下で

人の命など

小さく取るに足りないものだと

思いたいときもある

すべてが静かに引き伸ばされ

平坦になる

オリオンは

夜空に大きな四角形を描く

すべての子どもが描くような

永遠に描き継がれていくような

正しさの中にも間違いはあり

間違いの中にも正しさはある

よいことの中にもわざわいは潜み

わざわいの中にも希望は潜んでいる

西暦2000年を無事に迎えたなら

すべての預言書を笑ってやろう

あるいはもし予言通りだったとしても

最後の人類として

きちんとした痕跡は残すつもりだ

地球の色が変わろうと

オリオンはオリオンの形で

正確にそこにあるだろう

永遠といえるものは確かにあるだろう

そのことを教えたくて

冬の夜 子どもを外に誘い出す

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砂漠の真ん中で

砂漠の真ん中で

子どもは

いきなり砂遊びを始める

いつ終わるとも言えない時の流れを

最後まで黙って待つことができるのは

一体だれだろう

子どもは

砂を掘り 砂を固め続ける

結局何も作りあげることができなくても

意味を求めることなく

最後まで黙ってそばにいてあげられるのは

一体だれだろう

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わたしは自分が円ではないことを知っているから

君が円でないことを知っているし認めている

わたしは自分の凸凹を

埋められるものは埋め

削れるものは削ってきた

それでもまだかなしいくらいひどい凸凹で

時折 このままじゃいけないのではないかと思い

もうこのままでいくしかないとも思う

あなたはこんな人ですねと言われると

例外なくいつもむっとする

だれだって一言でおさまるほどには

ひらべったくはないだろう

だからわたしは

君のいまを君のすべてだとは思わない

君はこういう人間なのだからとは言わない

待とう

君が最後にどんな形になるかを

そしてそれをきちんと見届けなくたって

どうでもいいことのように思っている

ひしゃげつぶれていても

むしろそれでいいと思う

それでは駄目だと言える権利はだれにもない

わたしはわたしで

君は君で

もって生まれた凸凹を

ピカピカに磨いていけばいい

できれば凸には

お子様ランチの旗をたて

凹には

ふわふわの春風をまとった

野の花のひとつでも入れておけば

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猫の生活

いつも思いがけない方向から

歩いてくる ゆっくりと

そして無防備に

わたしの前に横たわる

どこかで戦って

知らぬ間についた傷も

なんでもなかったことのように

ただ静かになめて治す

好きなときに食べ

好きなときに飲む

はじめから

だれの指図も受けずに

行きたいときに行き

帰ってきたいときに帰ってくる

友よ

若い日の特権として

心のままに生きた日々もあった

それでさえ

猫の生活のようには

きれいに許されてはいなかった

囲おうとする包帯と消毒から

逃れ逃れようとしながら

明け方に帰ってくる

またひとつ傷を負って

いつもの暗い隠れ場に

黙ってもぐりこみ

念入りに傷をなめはじめる

ここは一番安全な場所だ

だれもおまえの傷を非難したりはしない

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寂しくて

いつもはいじめてばかりの猫を

少年は今日

静かに胸に抱きしめる

猫よ

もう少し

少年に抱かれ続けていなさい

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動く

何かに向かって動き

首をめぐらしいつも探っていた

時折ぼんやりして

マンガばかりを読んでいた

「人は人 僕は僕 でも仲良く」と

どこかの校訓に掲げてあった

動く 動かない

強制も命令も懇願も

無益だと思うことがある

他人の意思では動けないし動かない

虫も魚も鳥も そして人間も

道なんてどこにもない

動きたい自分だけがいる


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まだ罪ではない

おさない指はつまむ

一匹の黒いアリを

アリはもうおなかがつぶされてしまっている

おさない指は引きちぎる

アリの頭と胴体を

胴体から白い臓物が

ちょっとだけ垂れ下がっている

おさない顔は声たてて笑う

何の悪意も邪心もなく

みつけた小さな生き物の体をこわす

それは

積み木を崩すのと同じこと

紙を引きちぎるのと同じこと

きみはいつ

痛み知る人になるのだろう

幾百もの生き物を殺し

幾千もの死骸を埋めて

なおも笑い声をたて

神の手でいられるのはいつまで

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三日月

朝 南の空に消え残った白い月を

「見て」と言う

「ああ 白い三日月だね」

月を見るこころ

猫を抱くこころ

何かと闘うということが

いつのまにか当然のような義務になり

何かに勝つということが

いつのまにか大きな価値になっている

いいんだよ

泣き虫のままだって

澄んだ冬の朝に

音もなく身支度を整え

かざぐるまを吹くこころ

紙風船をつくこころ

こころの種類を言い当てて

ほんのちょっとの間だけでも

同じ形になってみればいい

いま

きみのこころは三日月

わたしのこころも三日月

冬の朝に白く透けて

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流星の夜

夜更けて

ストーブの音で起き出した子どもたちは

メガネの音をさせながら

窓の方へ這っていく

布団を引きずりながら

「今 夢で流れ星を見た

いくつもいくつも降っていて

そういえばいなくなってしまった黒い猫も

その夢の中にいた」と

ひとりの子どもは言う

もうひとりの子どもは鼻をすすりながら

宿題で何度も観測させられたオリオンを

さかさまから見上げている

金星は硫酸の雲に取り囲まれた灼熱の星

そのほんの外側にある地球は

奇跡のような偶然がいくつも重なって

こんなに不思議な生命たちを生んだのだったね

いま星が放っただろう光がここにたどり着くまでには

もうわたしたちの存在ははるか昔に消え去ってしまっている

全くお話にならないほど終わってしまっていることを

流れ星は伝えに来た

こんなところにまで

地球の 北半球の 日本の真ん中辺の

この小さな一軒家の

東の窓の中にまで

でもまだここにいるよ

まだバリバリ元気に生きてるんだからねと

こちらからも呼び掛けている

砕け散る夜空

水のように流れていく幾筋もの光に向かって

イモムシみたいにおたおたうごめきながら

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百年後

雪は降り積もるだろう

百年後

すべてが終わった後にも

花は咲き乱れるだろう

百五十年後

すべてが忘れ去られた後にも

新しい子どもたちがまた駆け出していく

二百年後

もうわたしのこころは

いたずらに波立ったりはしないだろう

静かに微笑んでいるだろう

生まれ生き存在し続けるただそれだけでも

すばらしく勇敢なことだったと

うなづきうなづき歩いているだろう

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あとがき

私にとって「詩を書く」とは、十代の頃らの習慣のようなもので、一日に一度は書きかけの詩稿をながめてみなければ何となく落ち着かないといった代物です。

 難しい漢字ばかり使いたがっていた若い頃の詩よりも、随分軽くなったつもりではあります。素の自分と向き合いたい時、自分とは別物の心に成り代わりたい時、私は言葉の内に深く潜り込みます。普段、誰に宛てて書いているわけでもありませんが、誰かの心に届く詩がひとつでもあれば、それは私にとって望外の喜びです。

 数年来の詩をまとめさせていただく機会を与えてくださった有北さん、本の制作に深く関わってくださった舘野さん、森田さん、いつも温かい言葉で励ましてくださったままとんスタッフの皆さんに、心より感謝申し上げます。

 そして、詩のインスピレーションをくれた、子どもたち、風、木、猫、虫たち、いつもそばで支えてくれた夫にも、ありがとう。      

                              2002年9月

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 鏑木恵子さんの詩に寄せて

     有北いくこ (NPO法人 ままとんきっず 理事長)

 鏑木さんの詩はおかあさんの詩です。子どもという新鮮な生き物を前にして、驚き、共感し、喜び、慈しみ、切ながり、たじろぎ、ため息をつき、立ち止まり、ある日からお母さんになってしまった自分に気が付きます。

 子どもたちを一生懸命言葉で追いかけながら、おかあさんでなかった自分を振り返り、かつて子どもだった自分をたどります。そして、おかあさんにも子どもにもなれない自分を見つめます。

 鏑木さんは、とても確かな人です。確かでない自分をよく知っている確かな人です。鏑木さんの詩を読んでいると、言葉が呼応して、音叉のように心の中で共鳴が起こります。

 ああ、この人も子どもという生命を前に、抱えきれない思いを抱く、あふれるほどの感情を持つおかあさんなのだと、感じられるからです。

 そして、確かでないことに不思議と安心するのです。

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