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第2詩集 気配(2)

(主に、大学時代の作品)

身支度

山に登る前

急に部屋を片付けたくなる

きっと帰ってくると思いながらも

心のどこかでかすかな疑いがある

友よ あなたも

今 片付け物をしているという

明日 共に登る山は

もう冬の鎖を

きつく巻き付けているだろう

森林限界を越えて 踏み跡は消え

冷たく濃い霧が

互いを孤独にさせる

鋭い風の形に身をよじるハイマツ

高く積み上げられたケルン

いにしえの神のように 

何かを知るためではなく

何かを得るためでもなく

何かを捨てるためでもない

私たちの意思は

寡黙な歩みの中に

生命の道標を見い出していくであろう

きれいに片づけられた机の上に

詳細に綴った日記帳を置いていこう

無防備に

ほがらかに

それが山に登るための

最後の身支度だ

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麦秋

一面の稲穂の乾き

そよかぜのビブラート

気紛れな夕雀のように

誰かが竹笛を吹いている

摘むことをためらった白い野草

広やかに見渡せば

若々しい秋の匂いの中に

幼い夢の名残がたなびいている

あなたは もう

帰ったほうがいい

夕陽が燃え尽きて

帰り道を見失わないように

瞳に映す孤独の痛みが

何よりも耐え難く

あなたの夜を苦しめる時も

私は秋の気配のように

たおやかに揺れる稲穂のように

あなたの心のそばで

静かに抱き締める用意をしている

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傲慢

私は私の内にのみ輝く願望だけで

いつまで生きていられるだろうか

限りなく王手を繰り出して

相手にぐうの音も出させずに

のしあがっていく

その自信はある


私は今 冷たい刃のようだ

こんな時は

人とぶつかっても謝りたくないし

勢いに任せて

口汚くののしったりもしよう

優しさなど無用

私の値は誰よりも高い

ああ殺伐としてこの雑踏の中で

私だけがものに憑かれたように

冷たい目をして歩いている

蛇行する川のように

あちこちをすり減らしながら

怒涛のように逆巻いている


誤解や憎しみや嫉妬も

ものの数ではない

私が信じるのは

私の願望だけだ

私が望んでいるのは

この手に漲る力だけだ

媚びるような優しさが何だろう

義理や人情が何だ

人の目や体裁など

もう私の眼中には無いのだ


息も絶えんばかりに鋭く集中して

新しい「何か」が動き出すのを

バネのように身構えて

ふるえながら待ち受けている

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窓から

私の右側には光があった

光はいつも動いていた

しかし私の右側であることには

変わりはなかった


光はあけた窓を通って

差し込んできた

ものを書く私の手が

影となって紙面に映っていた

寒い朝には

机の上を動く日の光を追って

てのひらを温めた


光はいつも右側から差していた

知らぬ間に

私は右の方を向いて

ものを考えている


光は 時には

部屋の奥にも入ってきたが

陰に明るさを奪われて

それは薄い


私の右側にはいつも光があった

光は私の右側で動いていた

光は温かかった


それは

運転席のあなたと

助手席の私の

無意識の構図でもある


光はいつも

右側から差していた 

その光はやがて

私の内にまで深く

滲み通ってくるのだろう


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ちろ

ちろは どうしたの?

さといも畑の枯れた葉群れは

日照り続きの夏のせい

哀しいちろは ねそべって

白いボールをかじっては

さといも畑をながめていたっけ

あれからちろはどうしたの?

赤い屋根の小屋の中には

静かに 静かに

夕陽が来ている

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黄昏の絵図

紫色の空に

濃やかな陰影を刻み込むいくつかの裸樹は

版画のように確かな枝筋を

ぴくりとも動かさずに立っていた

枝にからみついた枯れ葉が

やせた鳥の体のように見えた

ほのかな風が吹くと

それはカサカサと揺れた

もう何度も見慣れた

黄昏の絵図

故郷は選択の迷いの中で

その美しさばかりを私に見せていた

義務を失った町に

私はむしろ遊べなくなった

故郷の時間はあまりにも長すぎる

私は子犬を散歩させながら

そわそわと電話ボックスを探していた

結論はすでに出ている

私が求め

求められる場所は

必ずしも安らぎを意味していないにしても

遠い人へと繋がる呼び出し音を

自分から断ち切って

また歩き出す

子犬は何も知らずに

あちこちを嗅ぎまわっている

路地を曲がり

早くも夕闇が降り始めた小道を

小走りに駆け抜ける

少なくとも

こうして走っている間は

元気なのだと思い込もうとして

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うつわ

夜遅くまで土を削っていると

自分は自分でなくなる

完全なもの 美しいもの

そんなたいそうなものにならなくても良い

てのひらの中で丸く

安心して触れるような

やさしい形になれ

与えられた理不尽な命令に

耐えられず 反抗し ののしった

憎みながら

コンクリートに器をたたきつけた

抜き差しならない悪意に満ちて

私は夜をさまよった

自分をたたき壊そうとして

てのひらの中の丸い器

乾ききらない粘土の重さ

その冷たさが心の熱をとってくれる

その軟らかさが私を柔軟にする

私は静かに重くなる

ゆったりと重くなる

息を吹きかけながら

丁寧になでていく

固まっていく不確かな形

完全なもの 美しいもの

そんなたいそうなものにならなくても良い

安心して触れるような

やさしい形になれ

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私の手よ

土や水に絶え間なくさらされて

こんなにも荒れてしまった

指先はささくれだって

爪はざらざらに傷ついている

ぴかぴかに磨かれた

同じ年頃の娘の手とは

比べものにならないほどに

けれど私はこの手が好きだ

こうして字を書いている手

土を練っている手

だれかのために

じゃがいもを切り

にんじんを切り

縫い物をすることのできる手

だれかのほほを

やさしくなでることのできる手

おもいを込めて

この手を見やると

温かな体温が

爪の先までめぐっているのが感じられる

生きている限り

この手は私と共にあるだろう

まるでもうひとつの生き物のように

大切に握りしめていたい

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休暇

やっととれた休暇

半日眠ったあとに

大きなデパートにでかけた

ホビー用品横のおもちゃ売り場は

親子連れであふれ

きかん気な顔の子どもたちが

おもちゃをねだって泣きわめき

癇を立てた母親が

きいきい声で叱りつけ

不機嫌そうな父親が

黙って突っ立っている

互いに絡み合って自由を奪い

要求し 命じ 抵抗し 服従し 諦める

一人で暮らしていると

そんなわずらわしさも

大切でなつかしい

家族であるというだけで

そこにはひとつの可能性がある

次の瞬間 みんなで笑いあえるかもしれない

という可能性が

見晴らしの良い自由

それを望んでいたはずなのに

私の両手はからっぱだ

どんなに着飾っても

どんなに贅沢をしても

私の両肩は寒い

私は笑えない

私を笑ってくれる人がいない

良く晴れた休日の真昼

にぎやかな食堂の前で引き返したのは

そんな理由だ

群れ歩く感情の波間に揺れながら

別の価値に生きる自分を

肯定しようとして

重い粘土の包みを

胸の前にしっかりとかかえ直した

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ぼんやりと

ぼんやりと

庭を見ている

音たてて

大きな黒い鳥が

頭上をかすめた

新しく来たものの重みは

確かに加算されている

そのために

こんなにも

わたしの想いは

揺れるのだろうか

心に沁みついた人の

課していって言葉

むしろ荒々しい盗みの方が

楽だったかもしれないのに

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あの時 あなたは

あの時 あなたは

私の手に触れてもよかったのに

昨日読んだ難しい本のことばかり

夢中になって話していた

あの時 あなたは

私の肩を抱き寄せてもよかったのに

さざめく池の面をみつめながら

生きていく方法について

静かに語り続けていた

あの時 あなたは

私に口づけてもよかったのに

揺れる木立の中で

花の名前を思い出そうとして

まぶしい空を振り仰いでいた

星座のペンダントが

うすいTシャツの下で

鏡のように

小さな光を反射しているのを

私はそっとおさえている

夕暮れ

駅まで送ってくれるというなら

ちょっとだけ道をはずれて

小さな丘に登ろう

一緒に夕日を見よう

友達の気安さのままで

本当の心は

ポケットの中に

こっそりしまっておこう

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日没

日はとうに沈んでしまったが

西の山の上には

まだ朱色の夕影が残っている

山のへりを縁取り

淡い手触りの 暖かな光

丸く刈られた満天星に

そっと日記帳を伏せて

私はベンチから立ち上がる

近くの木に鳥がとまる気配

見上げれば

飛び去った後の枝が薄く揺れている

愛する者の欠在

その手に触れることも

声を聞くこともできない夜を

私は恐れている

新しい感情が私を弱くしている

私は今 平気な顔をしているだろうか

ひとりでも大丈夫、という顔を

ベンチの木目に闇がすりこまれていく

風景は色を無くして

ただ光か闇かに分かれる

もうここも私の居場所でない

この夕暮れはあなたのもとには

柔らかく訪れただろうか

遠い多摩川を隔てて

あなたの街は

私とは無関係な一日を終えようとしている

日記帳を抱えて

下宿の方へゆっくりと歩きだす

一息一息で勇気をふくらませようと

肩で大きな深呼吸をしながら

石神井川にかかる短い橋の

ざらざらした欄干に

左手の指先を踊らせて

そうして街灯がつきはじめたら

お風呂屋さんに行こう

あそこなら明るい

人通りもまばらな

中学校裏の路地にさしかかった時

あなたの部屋に小さな明かりがともされたのを

一瞬 まぶたの裏に

チラリと感じた

私の夜に

あなたという明かりが点く


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榛名にて

湖には一面に氷が張りつめていた

白鳥の形をした遊覧船は

ひと冬の間 羽を休めて

湖のほとりにうずくまっている

湖をめぐる舗装道路から

榛名富士は見え隠れしていた

四月の残雪は

道路の片隅においやられ

うすく土ぼこりをかぶっている

共に生きる人はいて

いつも隣でやさしく語りかけてくれるのに

ただ無言の中にひきこもり

一人自分のことだけを

考えていたい時がある

葉の落ちた木立に紛れて

ただ 自分の命

自分の願望だけを

その人とは無関係に考えている

この氷のような自我

それが私の素顔なのかもしれない

冷たい触手を震わせながら

胸の底でうごめいているもの

素直な流れに身を浸していけない

得体の知れない怯え

私たちは

ほほえみあいながら

楽しかった旅のことを離していた

けれど指先ひとつで崩れるやじろべえの平衡

みつめあったその人の目が

あまりに暖かかったなら

不意に切なく

急に黙り込むかもしれない

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気配

命の気配を感じる

やわらかな息の満ち引き

伸ばされた手足のすみずみまで

緩んだ鼓動をゆっくりとめぐらせて

あなたは私のかたわらで

深く眠っている

カーテンの布地を透かして

灯台の明かりがまわる

夜更けの重い波が揺れている

もう何度目かの旅なのに

はじめて寄り添った日のように

眠れずに

いとおしく寝顔をみつめている

爪木崎の野水仙は

今年も一面に清楚な花を咲かせ

あなたはカメラを片手に

少年のようにとびまわった

いつか思い出せるだろうか

私が心を決めたのは

白い花の咲くこの岬だったことを

小さい漁師町の宿

聞き取れないほどの寝言をつぶやきながら

あなたは腕を投げ出してくる

ふたりだけで眠り合う

雨音とも聞きまごう海鳴りに包まれて

だれにも知られずに きょうは

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この春


逃げ腰であるうちは

まだいいのだ

この春からは

逃れがたく

すがすがしく伸びた

あのしなやかな肢体に

今日は妙に取りつかれている

まぶしくそよぐ若葉と

時折のそよ風が

けだるいなつかしさで

また私のそばにすべり寄る

熱い恋ならば

ぼんやりした春は

かえって苛立たしい

ゆらゆらと

かげろうの揺れるテラスで

その人の長い腕を思い

熱く息づく胸を思い

なめらかな首筋を思った

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銀の鎖


銀の細鎖が

あなたの指先をすべり落ちて

乾いた落下音が夜に響く

重力のままに横たわる金属は

身をくねらせて鈍く輝く

月あかりに化粧(かざ)られた肌

つまみあげた鎖が

冷たく腕に添いからみつくもの憂さ

蛇のように

イルミネーションの点滅する

いっさいの過去とやら

おそらくは

私の装われた証は

物音のない暗い夜には

脱ぎ捨てられなければならない

素裸になるまで

あなたの手のひらの中で

意思もなく崩れ落ち

また引きずり起こされるままに

銀の鎖は

無力の隷従を演ずるようだ

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葡萄

甘い大粒の葡萄を一房

真夏の乾いた道で手渡されたなら

私の悲しみは素直になるだろう

私はおずおずとその人を見上げ

はじめから迷子だったかのように

涙を流すかもしれない

今宵 野辺の干し草の中で

ひとり 星あかりを浴びれば

それはジプシーのような寂しさだろう

私はつぶやいた

「もうひとりぼっちはいやです」

その人も無言でこうささやいた

「おまえの好きなように」

あとにも先にも

白く照り返す道があるばかり

舞い上がる土けむりに肌を汚し

どこまで行けば夏は暮れるのか

白昼を涙ぐみ

ただ精悍に焼けたその人の腕にすがるように

おぼろげな異国の道をいく

口に含んだ一粒の葡萄

‥‥夢から覚めた私の味覚にも

まざまざと

その甘酸っぱい汁の味は残っていた

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祝婚

      ~友人の結婚式のために

白い回廊に一筋の光が射し

讃美歌のような朝がうまれる

いくつかの記憶は

かすかに身じろぎをして

眠りから覚めようとしている

ガラスのように透明な空気は

そのほほをつややかに輝かせ

昇る太陽の光は

その肌に

花びらのようなベールをまとわせる

海の音が聞こえる

絶え間ない砂の流れ

開け放たれた窓から

その景色は見えるだろうか

海は輝いているだろうか

風の中に手のひらをすべらせて

海鳥の翼を憧れる

心深く秘めた祈りは

白い花のように震えながら

今 愛を署名する

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帰郷

一日が終わり

赤い光芒が

鏡のような反映を空に広げる時

私は故郷のあぜ道に帰ってくるだろう

左肩に稲穂のおおらかな実りを聞き

右肩に心静かな秋の闇を嗅いで

私はきっと いとけない小児のように

ものに驚きやすくなっている

なんという果てしない旅

何ものかを得んとする彷徨は

いつも故郷への道を遠ざけた

老いた父や母の淋しいいとなみに

私はどれだけの明かりだろうか

帰ってきたことだけで

孝を尽くそうとする

何の手土産もなく

手負いの心ばかりを胸に抱えてきたが

故郷は切ないばかりにあたたかく

何事もなかったかのように

にぎやかに整えられた食卓をめぐって

私を穏やかに溶け入らせるのだった


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独りの時の終りに


街灯ごとに 私の影は

様子をうかがうように

後になったり先になったりする

妙にはしゃいで

私のまわりをくるくるめぐる

街灯の真下に立ち止まれば

影はいたずらっこのように

足の下に隠れる

公務員住宅のアパートには

色とりどりのカーテンをすかして

きっちりと矩形の明かりが並んでいる

堅実な幸福を歩むようになれば

夜のひとり歩きもやみ

おとなしく四角い明かりの中に

閉じこもるようになるのだろうか

もう夜をもてあますこともなくなるのだろうか

影は

ちょっとだけ ふふっと笑って

無邪気に私にまとわりついている

舗装道路に乾いた足音を残して

私は一つの時代を終わらせようとしながら

静かな気持ちで 影とふたり

ゆっくりと夜の散歩を続けていった

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