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海くんの肩もみ(2) (出版詩集)


場面


子どもを産むとき

その痛みの中で

次の瞬間にも場面が変わって

胸に赤ちゃんを抱いている姿になっていればいいのにと思った

けれど場面は一コマも落ちなかった

死ぬ時もきっとそうだろう

はやくさっぱりと乾いた

天界の朝に飛び移りたいと願っていても

心電図の波形が尽きるまでは

場面は一コマだって私を許してくれはしない

生の回転から逃れられないことは

ひどく怖いことだと思った時もあった

意識すればするほど

自分を映した映像はぎこちなく固まっていく

フェードアウトできるのは眠っている時だけ

けれどそれもたいして長い時間ではない

過ごしてきた画像はいつのまにか

もう編集しきれないほど巻きを膨らませている

あんなにも滞っていた場面も

ここに来て少し流れを速めたようだ

下宿の裏側の窓から見えた過去

北側の窓から見えた未来

そのどれとも違う現在を

一本の切れ目ないフィルムにおさめる

一コマに集まり散る人々子どもたち

腹を据えてたぐりよせよう

晴曇雨風嵐雪 すべての場面を

理不尽な意識のスピードで

もっとしょぼくれたり

もっとうろたえたりしながら

打ち上げは

「ブラボー!」の大合唱であるように

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アレ


子どもが寝言で

合点したような口調

「ああ アレね」

アレの守備範囲は

どこまで広がった?

もう想像が追い付かない

開いた展開図の中に

アレとアレとアレ

いや もしかして


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見せにくる


猫が

雀を見せにくる

口にくわえて

もうぐったり死んでるやつを

トカゲを見せにくる

シッポが取れたばかりのやつを

バッタを見せにくる

ぼんやりうつろな目をしたやつを

蝉を見せにくる

ビービーさかんに鳴いてるやつを

ゴキブリを見せにくる

ぎらぎら黒光りしたやつを

ハエを見せにくる

これはすぐに逃げていった

人間の子どもが

ビー玉を見せにくる

てのひらに握りしめ

傷がいっぱいついたやつを

雑草の花束を見せにくる

少ししおれかかったやつを

小さな貝殻を見せにくる

砂場の深くに埋もれていたやつを

似顔絵を見せにくる

思いっきりふざけた顔をしたやつを

はなくそを見せにくる

まるまるとでっかいやつを

テスト用紙を見せにくる

二十八点と書いてあるやつを

見せてやる

ベロベロバーの顔を

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花束


抱いているうちに

ねむってしまった

そっとそっと

ひざまづいて

花束をささげるように

そんなふうに

ねむらせてもらったことを

人はみな

わすれてしまう

きみもまた


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回復力

大事なことは

回復力だ

あるべき状態に戻ろうとする

強くしなやかな力だ

しおれた花が

水を吸ってぴんとよみがえるように

高熱に寝込んだ子どもが

いたずらな目をして体を起こすように

吹き荒れた嵐が

冴え冴えとした青空にとって代わるように

すべては回復の過程だと信じたい

打ち明けられた話に

心が沈む

かけられた言葉に

ほっと息をつく

あなたの笑顔に

少しずつ笑顔が誘われる

日々回復していく

眠り 目覚め その繰り返しの中で

わたしは回復してきた

下向きの矢印でさえ

回復への移行だったと

今ならわたしははっきり言える

悲しみに黙り込む日々もある

小さな一息一息が熱を鎮める

苛立ちをおさえる

正しい視覚をよみがえらせる

明日の天気に気をとられはじめる

そういう仕組みになっている

すべてこの在るべき世界は

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繰り返す

この雲の形も色も

あるいは以前にどこかで

見たことがあったかもしれない

今あなたと話をしたその会話も

いつかの話と同じだったような

今まで笑ってきたその同じものに対して

これからも笑うのだろうし

今まで悲しんできたその同じものに対して

これからも悲しみ続けるのだろう

どんなに訓練しても平静ではいられない

そんな場面にもこれから何度も出会うだろう

あなたは小さな赤ちゃんを胸に抱いて

「かわいい」とほほえむ

わたしも同じものを見て

同じように「かわいい」とほほえむだろう

どう生きてきたかなどとは関係なしに

感情は人々の中で繰り返されていく

あなたの赤ちゃんもいつかは

暮れていく空に痛みを感じるだろう

哀れで滑稽な人間の感情

繰り返す

繰り返す

生まれては死に 死んでは生まれ

涙も笑いも恐れも憎しみも

魂が記憶している

赤ちゃんがおっぱいをさがそうとして

顔を押し付けてくるとき

尖った熱さで胸に満ちてくるもの


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不思議


あの頃

自分が子どもを生むなんて

考えたことがあっただろうか

まずこの自分をどうしたらいい?

そう自問するばかりの日々

子どもや家庭のことなんて

百光年も先の話だった

恋をしていた時でさえ

あなたが

赤ちゃんを抱いている姿を見て

ひどく不思議な気がした

とても不思議なことだね

教室でカンニングしあっていた私たちが

こうして額縁の絵のような生活をしていることは

私が細々とつないできた夢は

小さな詩を書くということだった

あなたの夢は

まだ赤ちゃんの中に眠っているの?

不思議だね

あの頃抱えていた問題が

ここから見ると

まるで物置の奥に横たわる古いおもちゃみたい

どれだけの空

それだけの大地

あなたが窓の外に焼けたピラミッドを見ていた時

私は窓の外に冷えた森を見ていた

赤ちゃんを代わる代わる抱き合って

やっぱり不思議

あなたが子どもを生むなんて

私が子どもを生むなんて

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歯が抜ける

ガムをかんでいて

いきなり歯が抜けて

ものすごい形相で

ティッシュをさがしに来る

血のにじんだティッシュをかみながら

もごもごとつぶやく

「今日は全くついてない日だぜ」

それが四年生の歯の抜け方

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頑張る


二本の道を前にして

私はこう教えられきた

より困難な道を選べと

ストイックな頑張りをみせて

マニキュアもせずに

髪も染めずに

さて振り返ってみれば

こんな私

そんなあなた

切り捨てたものにだって

五分の魂

これでよかったなんて

とても言えやしない

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海くんの肩もみ

「肩をもんでくれる小さな手の感触が

なんといったらいいのか

微妙なふわふわしたもみ方で

それがなんともいえずしあわせな気分にさせてくれたもので

夫にも

「あなたもやってもらいなさいよ」

って言ったんです

そしたら夫も

「おお これは本当にきもちいいねえ」

って言ってくれて

ふたりで いいねえ いいねえって言い合って

子どもってこんなにしあわせな気持ちにさせてくれるものなんだねって

ふたりですごく感動したんです」

彼女が微笑みながらそう言うものだから

私もすっかり思い出しました

十の心配を帳消しにしてくれる

小さなかわいい親孝行

ほんの気紛れだけれど

母親にはそれでありあまるほど十分

ささいな喜びは

大きくふくらむ

期待されていない分だけ

私たちのまわりを

ピストルを撃つまねをしながら

照れてぐるぐる走り回っている海くん

さあ 今のうちだよ

君の存在自体が

まだ思いがけない奇跡であるうちに


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まみず

「まみず」という響きに

突然 心うばわれる

ある種のイメージに染まって

この言葉は生まれてきた

底まで見通せるその清々しさに

かえって

どこから手をつけていいか分からず

いつまでも

「まみず」と一言書かれたままに

放っておかれている

山深く

樹林地帯を染み透って

苔の隙間ににじみ出る最初の一滴

動物の喉を潤す秘密の湧き水

里芋の葉っぱの上から転がり落ちる雨滴

やわらかく水草を揺らす小川

または

彼女の耐えかねた涙

思想や観念の言葉以上のふくらみを

たったひとつの

ささいな言葉の中に感受する

その時 言葉はもう

感情になっている

「まみず」

という感情に

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予約もしないで 行き先も決めず

破れかけた道路地図だけを持って

無茶な旅を何度も繰り返してきた

夜中も夜明けも関係なしに

「たとえ今

同じ場所に行ったとしても

あの時と同じ心で

同じ目で

そこを歩くことはできないだろうね」

それはふたりの一致した意見

いつも逃避行めいていた

霧の中のトンネルを

いくつもくぐり抜けた

蜘蛛の巣が張った断崖の道を歩いた

波が洗う岩場を歩いた

風に揺れる灯台にしがみついた

あの時限りの海の組成に

ふたりして足を濡らして

二度とここには戻れない

そんな思いも確かに感じていた

やみくもに走ってきた旅の行方を

結果から眺められる場所にいて

とんでもなく若かったねと笑い合う

そのまわりで

記憶以降の子どもたちは

パパとママの見知らぬ若い写真を見て

同じように笑いころげている

あの頃のような旅はもうできない

もうしなくてもいい

もう意識も変わってしまった

それでも

するべきではなかったとは決して思わない

たぶんどんな旅よりも

鮮やかな勢いのあった恋

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ネコって

ネコってさあ

ねむってばっかりでさあ

外を散歩するだけでさあ

なんか役に立ってるのかなあ

立ってないよなあ

でもさわると気持ちいいから許す

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実感とは

「うんち」とか「おしっこ」とか

「おちんちん」とか「おなら」とか

無性に書いてみたくなる時がある

「愛」とか「幸福」なんていう

きれいそうな言葉を使うより

よっぽどはっきりした実感があるだろう?

もっと体にキリキリくるもの

もっと体をポカポカさせるもの 

たとえば

ひとつのポケットの中で握りあった手について

恋愛学的な湿度を論じるより

「好きだ」と一言自信無げにつぶやいた方があったかいように

原始時代はたぶん

ものの名前を作り出すことからはじまった

名詞ができたらその後に動詞が必要になって

身振り手振りを経て形容詞ができただろう

「我は食べる」

「我は肉を食べる」

「我はかたい肉を食べる」

それで歯を痛めたとしても

彼等は決して

「運命」や「絶望」なんていう言葉は使わなかったはずだ

もっと単純に言い表せるはず

それが本当の気持ちなら

原始人のほがらかさで

「虚しい」と言うよりも

「なんだか無性にハラがへった」と

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時間図

地図に載っている道を歩いているとき

わたしは安心している

迷うこともない

きっとどこかにたどり着く

駄菓子屋までの近道や

かたつむりの這っていた垣根の道や

草に隠れた石段も

確かに地図に描かれていたのだ

それと同じように

時間にも道筋があって

どこへ通じるのかは

だれかが持っている時間図に

ちゃんと記されているのだろう

既に記されているしるべの上にいると思えば

どの空間にいてもこわくない

自分の位置を

濃い影のようにはっきりと感じている

時間図には

恐れはここで終わると描かれ

悲しみはここで消えると描かれている

四角を抜け出し

今わたしは自由なかたちになった

この存在は既に

地図に委ねられた旅だ

ゆっくりと確かめていけばいい

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たましい

いつもは地面から

ニメートルぐらいのところに

浮いている

少しだけ見下ろせるけれど

たいした高さじゃない

ほとんどいつもの視界と変わりない

人の頭のてっぺんぐらいは見える

つむじの巻き方だって

ずいぶん学ばせてもらった

まるくて

つやつやしているつもりでも

診察を受けたなら

へこみを治療した跡が分かるだろう

わずかな穴を気にしている

たぶん最後まで壊れないくらいの

強さはあるつもりだけれど

少し花の香りをかぎたい

地上すれすれまで下りていって

そのまま

地面の草の上に乗っかって

眠るようにつぶれていけば

もう二度と膨らめなくなって

ほとんど流れ出してしまいそうで

歌だって歌い出しそうだったのに

フワフワしていたのに

柵の上を軽々と越えて

そのまま屋根の上にも

とびうつれそうだったのに

雨のせいかな

精一杯息をすいこんでも

今は地面から

三十センチぐらいの高さしか

浮かび上がれない

いびつな形のまま


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雨の中のわたし


雨が降っている

その雨は霧のように細かく軽い春の雨

わたしは黄色い傘をさして

垣根と垣根にはさまれた

細い砂利道を歩いている

まだお昼にはもう少し

そばには幼い君がいて

黄色いレインコートに黄色い長靴姿で

ちょこちょこあとをついてくる

わたしは垣根の葉っぱに

たくさんのカタツムリをみつけ

かたっぱしから取っている

左のてのひらの上には

大きな大きなカタツムリが五ひきほど

それが腕の方までのぼってこようとするのを

君と面白がりながら笑って見ている

君にはたくさんの喜びを見せてあげたかった

雨にぬれて冷たくなっていくてのひらの上にのせて

だから雨の日でもかわらずにお散歩にでかけた

雨の日の公園は

やっぱりだれもいなくて

だからわたしたちは

かえって自由だった

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疲れる

今日はめずらしく昼寝をしてしまった

それというのも疲れていたからだ

何故疲れていたかというと

午前中いっぱいかかって洗濯をしていたからだ

特に分厚い毛布がいけなかった

洗濯機に入らないものだから

浴槽のお湯につけて何度も足踏みして洗ったのだった

毛布を洗わなければならない原因とは

つまり子どものおねしょである

出てしまうものは仕方なかろう

うれしくもないが怒る気もない

洗濯物が出れば洗うだけ

洗えば疲れる

疲れれば昼寝する

特に珍しくもない循環の中で

百万人のおかあさんがそうしたと同じように

ブツブツいいながらウトウトする昼下がりである

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自然教室

いつも問題をいっぱい抱えて

うるさく帰ってくるきみが

帰ってこない夜は

静かで落ち着いていて

ゆったりと穏やかだ

ひがまなくていい

「愛する」の範疇には

確かに入っているから

どんなに叱った日でさえ

このままいなくなってしまえばいいとは

一度も思わなかった

今頃は

足をマメだらけにして

固い枕で

ぎくしゃくした友達の間で

それでもぐっすり眠っているだろう

遠ざかることに慣れておかなくては

帰ってこない

帰らない

いずれにしろいつかは誰かの身に

それは起こり得ること

とりあえず二日ばかり

きみは帰らない

互いにあずかり知らない世界で

何かに任せておくしかない時間

わたしは明日久しぶりに

ちょっと遠出をしようと思っているのだよ

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