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第3詩集 君の物語(2)


機関銃の夏

太陽は空の天辺で

煮えたぎった油に放りこまれた生贄のように

チリチリと泡を噴き出して

あばら骨までカリカリになっている

浜辺には水着姿の家族やカップル

日に焼けたサーファーたちの

いやにやせたシルエット

サンダルを脱いで

きわどい波の近くを

かみそりの手際よさで走り抜ける

紫色のアイスクリームのような貝を拾った

背中を丸めた小虫が

ちくりと足指を噛んで逃げた

真っ黒なサングラスをかけて

今 君は最高に危険人物

流れ着いた赤いリンゴを

砂山の上に据えて

「リンゴ星人」と言って笑ったね

濡れた砂の手触りは

糊のきいた白いシーツ

ごろんと寝転がって くるりと転がって

海がひとつの頭脳だったとしたならば

私たちは記憶の光粒子として

頭脳の片隅にはりつこう

薄く海にばらまかれた光の点景として

海の真ん中に

鯨でも顔を出しそうな

パノラマの大スクリーン

今年はおなかのあたりまで海に浸けこんで

夏の真昼の太陽は

撃ち出したら止まらない機関銃

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石段をのぼる

昨日の雨がまだはりついている

濡れたまつぼっくりが

しぼんだまま転がっている

階段の隅には

ジグザグ模様の松の葉っぱ

山鳩が飛び立とうとして

木の枝にぶつかった

時には飛び損なうことだってあるだろう

少し羽が痛かっただろう

「ママが大好きなものは何?」

「好きなものは お寿司 宝石 かわいいペット」

(だけど本当はもっと他にある)

「じゃあママがきらいなものは?」

「嫌いなのは 長-いヘビ 高いところ」

(だけど本当はもっと他にある)

石の階段をのぼる

竹の林がいっせいに揺らいで

銀の手すりの上で青い空が曲がっている

本当のことは

空の遠くに投げ捨ててしまった

ジェット機でさえ探し出せないほどに

そのまま雲になって

ふわりと消えてしまえ

誰にもつかまってはいけない

石の階段をのぼる

風の吹く天辺に

たとえ晴れやかな今日が

待っているのではないにしても

ガムを噛みながら

あどけない質問に

よどみなく答え続けてあげよう

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雪の遊び

トポル ポクル

長靴を蹴りながら

びしょびしょの雪道を歩く

昨日降った雪はすぐに雨に変わり

凍りもしないで

もう溺れ始めている

トポル ポクル

瓦屋根から雪のかたまりが

死んだように落ちてくる

木々の雫は輝こうとして

精一杯ふくらみながら滴っている

畑の中を椋鳥が群れて

浅い雪に足を沈めながら

餌を探しまわっている

トポル ポクル

梅の蕾も色づいてきたのに

空はまだ砥石のようにざらついている

子どもたちは雪のかたまりを

あちこちからかき集めてきては

やっと小さな雪だるまをつくった

去年の大雪の日には

仲のよい少年と一緒に

大きな大きな雪玉を転がし

雪の滑り台を背中ですべり

背よりも高いかまくらをつくった

覚えているかい?

雪に隠れてしまったサッカーボールを

泣きながら探したことも

蒼く吸い取られた夕暮れは

いつまで帰らずに待っていてくれた

トポル ポクル

やがて春になっていく雪

ねじがゆるんで

外れ落ちそうになっている冬の鏡

今年 少年はひとつ大人になり

もう雪の遊びはしないのだろうか

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盆踊り

盆踊りの夜

いつもとは違ったにぎわいの街中を

浴衣を着た少女たちが

かわいらしく髪を結んで駈け出していく

下駄の音がカラカラとアスファルトに響き

母親はあわてて子どもの袖をつかむ

この幸福らしきもの

一夜の盆踊りの輪の中に

なにかかなしいほど

美しいものが集っている

いくつもの提灯が張りめぐらされた高いやぐらの上で

歌と踊りは飽かず繰り返されていた

桃色やうす緑色の光は揺れて

幻影のように

人々は動いている

果てしない円

生命の法則のように

やきそばやかき氷の小さな屋台の前では

子どもたちがお金を握りしめて

キョロキョロしながら列を作っている

母親はそのそばで叱ったり笑ったりしながら

子どもたちを見やっている

この幸福らしきもの

何かを買ってあげたいと思う人がそばにいて

その人が笑顔を返してくれるということ

この公園のいつもの夜は

どんなに暗く深いかを私は知っている

私はずっと夜を歩いてきた

太鼓の音が胸の奥まで響く

ボリュームいっぱいの盆踊りの歌声に

人々の声もかきけされて

提灯の光も届かない夜の奥から

黒い砂時計がこぼれてくる

踊る人々の上に 提灯の上に

にぎわいの上に

降り積もる ただサラサラと

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やがては

ひこうきの音が空に聞こえれば

空を見上げ

ひこうきが空を行き過ぎれば

飛びゆく先を指さして

「あれは?」と声をあげる

かぜが吹き

かぜに向かって走り出し

花がゆれれば

そのもとにしゃがみこみ

ちょうが舞い

ありが歩き

猫がねころび

植木鉢の下の

だんごむし

ただわけもなく土を掘り

その穴に水を流し

泥をこねて

いくつもの土だんごを並べて

教えることは山ほどあった

すべてを教えたいと思った

歩き出し

そのうち走り出して

やがては

教えようとする言葉をさえぎり

たった一人で探し出しにいくようになるまで

その時まで

手をつなぎあって

同じものを見ていたい

つまみあげた一匹のみみず

とびのき おどろき

一緒にのぞきこんで

そのあばれように笑い

笑いあいながら

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星々より

夜 ベランダに出て

星を見た

きみたちは早速 星を数えはじめる

「いち にい さん ろく はち じゅう…」

きみたちはベランダから

身を乗り出して

もっと見たいとせがむ

億光年を旅する光たち

私たちはやっと出会うことができた

この輝きの鈍った目の捉える

星々の稀少が

私に教えてくれる

私たちは奇跡のように出会った

確かに 私はそれを抱きとめた

笑ってばかりいられると思った

きみたちとの生活の中に

少しずつ悩みが紛れ込んだ

怒りや 焦りや 病気の心配が

絶えず私の心を曇らせる

星々よ

それでも

私にはこれ以上の願いは無かったのだ

ベランダを小さく踏み鳴らす足音

夜空にヤッホーと叫ぶ無邪気な声

聞こえるか

この生命の音

わがままで 身勝手で

しかも 温かで弾力のある…

私のもとに流れてきたこの光

それは 私の一切を変えて

私は微笑みながら変えられていく

ひとときを私のもとで過ごせ

星々が射た光の矢たちよ

そのしなやかさのままで

その輝きのままで

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風の行方

通り雨が過ぎて

にわかに雲が切れた

高いヒマラヤ杉の途中に

引っかかっていた白い風船が

咲き揺れてつやつやと光りはじめた

さっきまでは淋しい花のようだったのに

輝き出す太陽を待ち

川沿いに続く遊歩道を

かみしめるように歩く

水たまりをこわしても

こわれた世界は必ずもとに戻る

向こうから若い母親が

ゆっくりと歩いてくる

海のような笑みを浮かべて

その胸には白い産着にくるまれた赤ん坊

まだ少し湿っている空気は

赤ん坊の頬を柔らかに潤している

少し振り向いて

そのまま空を見た

雲雀の声が流れ星のように空を切る

沈丁花の香りがするころ 私は生まれた

同じ香りの中で

私の胸にも今

小さな赤ん坊が微笑む

少しずつ生きる意味は変わり

歩く道筋も変わった

まだ私は走らない

あたたかく身じろぎをして

風をつかもうとしている者よ

共に風の中を走れる日まで

母親はゆっくりと歩き続けるだろう

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五月

きみの足に

ようやく大地がなじみはじめ

おそるおそる踏み出した一歩が

ある日ふと気がつくと

子犬のようにコロコロと

はずむように駆けだしている

よく晴れた春の日

きみはしゃがみこんで

ありんこのあとを指で追ったり

花々を軽くたたいたり

それから急に立ち上がって

風にたなびく鯉のぼりを

「あっ」といって指さす

いい子になる必要はない

こざかしい美徳も

まだ知らないままでいい

きみが生きるに必要な

光や水や空気や

人々のやさしいエネルギーを

全身に浴びて

ぐんぐん大きくなっていけばいい

・・・ちょうちょがとんでいるよ

タンポポがさいているよ

かわが ひかっているね・・・

どんな夢よりも美しく

かけがえのない

きみの見たはじめての五月

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ねむっている

ねむっている

ふっくらとしたほほ

小さな鼻

大の字になって

あそび疲れた手足を

すみずみまで

また生き返らせるために

ねむっている

大好きな緑色のタオルを

抱きしめて

淡いミルクの

夢を見て

そうしてまた

元気よく走り出すために

「寒いね」と言えば

「ねぇ」と答え

「ワンワンいたよ」と言えば

「わんわん わんわん」で

うっかり「ばかだね」と言おうものなら

うれしそうに

「ばかぁ ばかぁ ばかぁ」だ

笑顔も泣き顔も

かんしゃくもごきげんも

カタコトのおしゃべりも

もうすっかり一人前だ

初夏の日差しのなかを

きみは走り出す

その後ろ姿を追いながら

私の幼年も

こんな風だったのだろうかと

ふと驚きいぶかる

ねむっている時だけ

きみはわたしの胎内にもどるようだ

ねむれ そして 走れ

どんどん遠くへ

父や母が追い付けないほどに

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新しい歯

下の歯がぐらぐらしている

もう新しい歯が

ちょっぴり顔をのぞかせている

きみはそれを

舌先でそうっとさぐりながら

成長することの

ほろにがいおののきを

それと知らず感じているのだろう

初めての歯は

小さな星のかけらのように真っ白だった

その歯でおとうふを食べ

ミルクに浸したパンを食べ

イチゴをかじった

その笑顔も

そのはにかみも

だんだんだれにも似ていなくなる

ひとり歩きしはじめた心を

胸の中に守りながら

きみはきみ自身になっていく

おせんべいをバリバリとかじるように

平方根もベクトルも

元素記号もメンデルの法則も

いつかきみは食いちぎる

食いちぎれるようになるために

私が与えたものを一つずつ脱ぎ捨てて

きみはきみ自身になっていけ

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海の波のような雲が

なめらかに流れていた

小さな あたたかな手をつなぎあって

お空が海だね と

見上げた青空は

もうじき春の雲を浮かばせて

また少しきみが遠くなる

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銀蠅

犬のうんちに

銀蠅が数匹たかっていた

きみは

「むし いた」

と言って

そのそばに しゃがみこむ

私は

「うんち きたないよ

はえさん きたないよ」

と言って

遠くで見ていたが

きみが あんまり熱心に

のぞきこんでいるものだから

つられて そばにしゃがみこむ

ブランコのそばの

少しかわいたうんち

うごめく銀蠅たち

きみは 大きな目をみはって

背をまるめ 顔をちかづける

「このむし きれい

あお みどり ひかってる」

きれい?

ああ 確かにそれは

陽の光を反射して

輝かしく

一瞬のまたたきのうちに 既に

私が知っている「蠅」という虫ではない

これ ほんとに きれい

ひかってるね にじみたいね

うんちに群がるそのむしたちを

私たちは

はじめての発見者のように

驚きながら

じっと みつめていた

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ある夜

暗い部屋の中で

電気ストーブのまわりだけ

レンブラントの絵のように

赤く浮き立っている

小さく湧き上がる蒸気は

白い形で踊りながら

この部屋のどこかへと紛れていく

熱のある子どものせわしない呼吸

湖の中を深く覗き込むように

魂の在処を探している

子どもの病気を治す交換条件として

おまえの目の玉がほしいと言われたら

どうするのだろう 私は

救急車が

家の近くを走り抜けていく

降下していく音の波長

遠ざかる音に犬の遠吠えが加わる

飲むことをさんざんいやがった薬が

枕元に少しこぼれている

今日は絵本を読んでほしいともせがまずに

どこかへ落ち込んでいきそうな重い眠りだ

このまま目覚めないような気がして

思わずゆすぶり起こしたくなる

布団のよじれた影

落書きが笑っているお絵かき帳

サンタクロースの赤いブーツ

そこで止まってしまった

この場所に縛られて

まだ時間は動きださない

ストーブのファンの音だけが

遠く聞く都会の喧騒のように

この部屋の空気をかきまぜている

眠らない姿勢で

壁際にうずくまりながら

かすかな声が水を求めてくるのを

待っている

少しでも笑いかけてくれたなら

もう それだけでいい

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お風呂に入ろう

お風呂場から

きらめくような笑い声が

響いてくる

毎日 お風呂に入れる幸せ

長引く病気で 青ざめ

髪の毛もぼさぼさになっていたきみが

やっと今日 お風呂に入れた

体中きれいになって

とびだしておいで

どんどん元気になって

毎日 毎日 お風呂に入ろう

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ほんのちょっとの遠さ

風船が手から離れてしまったように

からっぽの両手が軽すぎて

行進する身振りでごまかしてみたけれど

ひじのあたりの関節がまだふわふわしている

大きなお荷物だったわけでもないのに

なんだか体重も

いくらか消し飛んでいってしまったみたいに

目的があり

行く場所があるのなら

行って やるべきことをやるしかないだろう

バスが行ってしまった後を

追うわけにもいかないし

ちょっと苦笑い

初めておいてきぼりをくった朝

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富士山

授業参観に行っただけでは

学校でのきみは見えてこない

教室の後ろの壁に

貼り出されている画用紙の中から

やっと探し出したきみの文章

「わかば」と書かなくてはいけないのに

「はかば」と書いてある

「さあ 黒板をよく見てください」

昨日の夜 わざと変な顔の人間を描いて

体が壊れそうに笑った

「棒グラフに書き表してください」

きみにとって大切なものは

この教室の中にあったかい?

「できた人は手をあげて」

教えもしなかったのに

いつのまにか折れるようになっていた鶴

「さあ これが正解です」

うつむかないで

前を向いて

教室の窓からは

遠くに真っ白い富士山が見える

あの山の頂上に立てば

空のことも 風のことも 雲のことも

全部すっかりわかってくる

こんなちっぽけな教室の

机一つ分の場所

「あとはまた明日にしましょう」

ガタガタと音を立てて

椅子から立ち上がった時

本当のきみの時間はそこから始まる

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風邪をひいて

提出しなくてはならない書類が一つ

書かなくてはいけない手紙が二通

行かなくてはならない個展が一つ

台所には汚れた食器

風呂場には脱ぎ散らかした洗濯物

だけど今日一日は

なんにもしない

「ママお熱あるから静かにね」 

「はーい」

外はよく晴れて

逃げ場のないくらい冷たい風が吹いている

風邪薬の力で

意識はしぼんだ風船のようにゆるんで

いつでもすうっと眠っていけそうだ

奇妙な話だけれど

まだ昔歌った小学校の校歌を覚えている

朝礼をさぼった教室で

秘密の指切りをした親友は

今 何をしているのだろう

風が

木の枝に裂かれて

ヒューッと鳴っている

コンビニ横の旗は

めまいがするくらい

激しく風に打たれている

停止した思考は

充電というより

むしろ際限のない放逸で

気持ちがいいくらい

すべてがどうでもよくなっている

脳細胞を黙らせながら

眠気のローラーは

ゆっくりと押し転がされてくる

隣の部屋では

ガチャガチャとおもちゃ遊び

たまにはいいだろう

それぞれに風の音を聞いているのも

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さみだれのように

けれど もう六月

あじさいの花は

まだ 咲いていません

幼稚園の先生は

水色の折り紙で

あじさいの花びらを

切っています

静かな雨が

降り続いていますから

さびしいのです

きっと 先生も

幼稚園の教室に

先生のあじさいが咲くのは

いつでしょう・・・?

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野原一面

春の野原 一面に

淡い かわいい 花が咲いたよ

朝つゆで お顔を洗って

小さな若葉で お顔をふいて

ほんのりあたたかい朝日を浴びると

甘い 甘い 声を出して 

やさしい やさしい 歌を歌う

とても静かで いい気持ち

ぐっすり眠れた次の日は

心に いろんな花が咲く

まだ 風は うつらうつら

あさもやは ぼんやり

春の野原 一面に

淡い かわいい 花が咲いたよ

そっと野原に腰をおろすと

ふんわりと

朝の匂いが 広がっていく

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