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第31詩集 同居しているもの

ダミさんの名前


娘が

今日は面白い発見をしちゃったよ

と言いながら帰ってくる

近所の小学生がダミさんのことを

 「ゴロスケ」と呼んでいたというのである

まあ ゴロスケさんね いいねいいね

ゴロゴロしていてスケベだからかいと夫が言う

そうではないでしょ

ダミさんとしてはどちらの名前がいいの?

たまにゴロスケさんと呼んでいい?

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夏が来ている

七夕の短冊は

いつも雨に濡れてしまう

薄い折り紙は

なまぬるく形をくずし

願いも斜めに身をよじり

今年

初蝉を聞いたことを

最初に報告したのは

私ではなく長男だった

ここより南の

丘の上に建つ高校からの帰り道

七夕の笹を飾らなくなって

もう何年

そういえば

二、三軒の家でもう飾っていたと

最初に報告したのも

長男だった

やわらかな鼓膜が

けがれのない網膜が

夏の到来をいち早く知る

もう私ではなく

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完全右脚ブロック

息子が学校の心臓健診のあと

「完全右脚ブロック」と書かれた紙をもらい帰ってきた

ややっと思いよく読んでみると

再検査も治療も必要なく

経過観察 とのみ書かれてある

おりしも雨の中を水泳の授業があったそうで

あまりの寒さで心臓がキュッとなったそうで

むむっと思いインターネットなどで調べてみたら

これはたとえばくせっ毛のような

個性のようなものだから

日常生活になんら差し支えなく

もちろん運動制限もなく

と書いてある

なあんだ なら 病名っぽく書いた紙を

わざわざ保健室に呼び出して渡さないでよ

個性よね 個性

でもなんだか病気っぽい個性

そういえばわたしだって

個性っぽい病気を持っているような

いずれにせよ人生だれでも経過観察中

苦手な体育のときは

「実は心臓が完全右脚ブロックで」と言って

さぼってみてはどう?

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同居しているもの

猫がカナヘビをつかまえてきて

じゅうたんの上にポトリと落とす

まだ元気で這いずって逃げ回っている

わたしはぎゃあと叫びながら猫を押さえ

カナヘビをとにかく何か入れ物に

とっさにお鍋に入れようと

追いかけ回したが

机の下の書類ごみためのなかに

しゅるっと逃げ込んでしまった

こうなるともう迷宮入りだ

二年ほど前にも

猫が小さなねずみをくわえてきて

甘噛みで無傷なそれが

ぴゅるぴゅると部屋中をかけめぐり

とうとう見失ってしまったことがあった

ねずみとカナヘビ

この部屋のどこかにいる

いるぞいるぞと思っていると

なんだかスリリングにうれしい

そういえばゴキブリのがさつく音も

夜中聞こえてくるようになった

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無菌

抗生物質を飲み続けているので

今わたしのからだは無菌状態なのだが

そんなからだではいけないと思い

乳酸菌を流し込む

からだの奥深く

どこまで生き延びてくれることやら

人には

にぎやかな助けが必要だ

お役に立てなくてと

悲しい顔をわたしに向けた人の心を

ありがとうとつぶやきながら

まっすぐに受け止めようとしている

見えなくてよかった

菌も心も

早く雑菌だらけのからだに戻りたい

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救う

朝 金魚の池に

エサをやりにいくと

水面に

カナブンが必ず三、四匹浮いてもがいている

白樺の木についていたのが

風で落ちたのであろう

池のカナブンを救うことは

私の毎朝の務めだ

今日買い物の途中で

見知らぬ家の金網の向こうの

発砲スチロールのたまり水に

一匹のコフキコガネが

おぼれてもがいているのを見た

金網の向こうなので

どうしようもなかった

どうしようなかったので

振り返りながら

黙って通り過ぎた

できるだけ離れてしまうより他なかった

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ここまで育って

振り向きざまに

ママ大好きと

言ってくれる君がいて

ママにおうち買ってあげるからねと

ウルトラマンを飛ばしながら

言ってくれる君がいた

汗いっぱいで

バッタを追いかける君がいて

泣きながら

幼稚園に行きたくないと

道を引きずられる君がいた

叱ることに慣れていなくて

私はいつも目の前にあるものを

バカ!と怒鳴りながら

いろんなところに投げてしまう

泣かせてしまった後でも

君はいつも

愛らしい声で

笑いかけてくれることをやめなかった

触ることなく思い測る

うつむいた視線が私を育てる

ひとつの笑いが私を育てる

水を飲む姿勢が私を育てる

君の反応が

私を修正する

きちんと信じて

動じないでいてよと

君は今も静かな目でささやく

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アオスジアゲハ

ふるさとでは

決して見ることのなかったアオスジアゲハが

ここでは

何の不思議もなく目の前を飛ぶ

蝶にしては

軽快にすばしっこく

精悍ですらある黒縁のとがった羽

子どものころ見つけたなら

きっとどこまでも網を持って

追いかけただろう

あの水色

青空を映した氷雨のような

とんがった冷たい色

花にはとまらない

ただ飛ぶことを楽しんでいるような

ひとりぼっちでも全然平気な

口笛でも吹いていそうな蝶

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四つの椅子

食卓の四つの椅子が

あっちこっちを向いている

窓の方を向いていたり

テレビの方を向いていたり

大きく脇へ飛びのいていたり

やけに猫毛にまみれていたり

それがそのまま

家族の心の向きだ

などとありきたりなことは言うまい

はじめから

きっちりと中心を向いて座ってなどいなかった

私は子どもの残り物を漁るために

椅子から椅子を渡り歩く

礼儀やしきたりに反しているのかもしれないが

これは自分の椅子だというものがない

私はどの向きにもなる

いろんな向きで座ってみる

背もたれが壊れかかった椅子に

うっかりもたれかかって

転げ落ちたりもする

だれもが

違う椅子の心地を試したらいいのだ

激しくあっちこっちを向いてみたらいい

これしかない

ここしかないなんて

思い込む必要はどこにもないのだから

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踏切

外出先から自転車で帰る道すがら

涼しくなりかけた風を受けながら

恋をするのに丁度いい夏の夕暮れ

というものがあったことを思い浮かべてみる

見知らぬ若い二人が手をつないで

ゆっくり歩いていくのを

後ろから見ている

そこから先を私と彼も歩いてきた ここまで

いくつものカレンダーを取り換え

日が暮れて 夜半の雨

茜色の朝焼け

入道雲の青空 河原から見た遠い花火

もう手をつないだりはしないけれど

歩幅をわざわざ相手に合わせたりはしないけれど

また若い日に出会えたらもう一度恋を始められそう

開かずの踏切がやっと開いて

でも前をいく二人は相変わらず手をつないでマイペース

思い切り二人だけの世界にいるんだね

それはとてもよく分かるけれど

踏切を渡るときだけは

手を離してさっさと歩いてね

手を離しても

互いを気遣いながら これからも

いくつもの踏切を渡っていってね

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凪を待つ

終わってしまったことは

なんと甘くやさしく

遠く

おだやかに

荒れたことのないふりをしている海のように

凪いでいるのだろう

誰かを悲しませたくなくて

黙っていることもいくつかあって

黙っているうちに

全部過ぎて終わってしまえと思う

どれだけ抱きしめれば

愛だと認識してくれるだろう

同じ道を歩く

日々違う心で

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アクセサリー

理科の実験中に硫酸銅の結晶を数粒盗んだのは

その溶液の色の

すさまじい青さに惹かれたためであり

あるいはもう一つ

ただならない危険な気配を

身近に感じていたかったからだった

(化学を専攻したある友人は

青酸カリを引き出しに忍ばせていることを

こっそり自慢げに私に打ち明けた)

いつ身の回りから毒が消えたのか

自分から捨ててしまったに違いないのだが

決定的なのは

子どもができたことだった

危険物はそのときからかなり排除されてしまっている

たとえば一粒の水銀でもいい

バイト先でいい加減に作ったアマルガムの感触

無防備で平気な素手の上を

ほがらかに転がる銀色の丸い粒

それだけで生き死にを決定できるような

恐ろしく上品な毒気を

ぎらぎら乱反射させながら

もうそろそろ胸に飾り始めてもいい頃だ

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夏雲

出会った瞬間に

別れの日付が

書き込まれている

入道雲が湧き立った

真っ白い夏の日の方から

懐かしい笑い声が聞こえてくる

見えなくなってしまう

遠くなってしまう

無邪気な水しぶきを浴びながら

黒猫の目で

崩れていく雲を見送りながら

ひとつ夏を越えていく心

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猫と似ている

猫が幼児と似ているところは

ねぼすけなところ

食べ過ぎてすぐに吐いてしまうところ

おなかがすくとしつこく鳴くところ

いも虫を捕まえて見せにくるところ

ティッシュを引っ張り出してしまうところ

無駄に

イライラすることもなかった

幼児は猫に似ている むしろ猫そのものだ

思ってしまえば

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人間の進化

風に揺れる鉄塔から

見下したジャングル

地平まで続く

絡まり合った緑色のシナプス

だんだん伸びていく手足

おもちゃ箱も似合わなくなって

本当に欲しいものが何なのか

すぐには答えられなくなってくる

恐竜の名前なら全部言えたのに

いかような大暴れもお望みのままだった頃

いつの日か必ず

夥しく降り積もった化石を掘り起こせ

胴奮いをして土を振り落とし

空いっぱいに響き渡る雄叫びを上げ

首をもたげて大きな伸びをする

ほんのちょっと眠っているだけ

青い恐竜の卵を割れば

記憶の枠を越えて一息で飛んでいけるのに

原始霊長類の見た

はじめての夢を覗きに

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武器

武器を持たせてあげたい

フィラメントのような

繊細な心の形をした少女に

海賊のように

宝物を集めたがっている少年に

巨大な熱量を秘めた

最高の武器を

もてあまさない程度に重く

見失わない程度に大きく

くっきりと自らの名を刻んだ武器

水晶のように育った野望

ぎりぎりまで研ぎ澄まされた孤独

きゅっと怯えた心臓の鼓動

それらが武器の部品になっていく

望んだ未来を仕留めるための

自分だけのやわらかい武器

かがみこんだ分だけバネが強くなる

うつむいた分だけネジはきつくなる

感じてごらん その手のひらの中に

尖った最初の鉄片を

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かんでしまう

ゆでたまごを食べていて

ちっちゃなカラを

「ザリッ」とかんでしまうのは

いやな感じ

ごはんを食べていて

お釜の蓋にくっついていた固い米粒を

「ガッ」とかんでしまうのも不愉快

歯の間に詰まってしまうし

スイカの種を

「ジョリッ」とかんでしまうのも

納豆の中に紛れている小石っぽいものを

「ギッ」とかんでしまうのも

むかっとする

小さなひっかっかりはいっぱいある

でもすぐに忘れてしまう

横に流れていく時間軸の中で

次から次へと

おいしいものもいっぱい食べているから

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秋を詠えば

花は盛りに

月は隈なきをのみ

見るものかは

猫が血だらけで

帰ってくる

力尽きた様子で

ゴミ捨て場の途中

雨にぬれた

凋落のひまわり群

道の真ん中に転がっていた

頭無しのショウリョウバッタ

羽も足も整ったまま

気持ちをざわざわとさせて

それぞれ生死の際に立つ

秋の随想の惹句として

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苦しんだ小鳥から抜け落ちた

最後の白い羽根が

古びた黄楊の櫛のように

土の上に横たわっている

欠けながら淋しがりながら

不幸中の幸いを

探して回るような散歩

羽を一枚失うごとに

飛べる空は低くなったか

身は軽くなったか

秋空のどこかに生き延びたか

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マイノリティー

人類が月に行ったということを

いまだ私は信じているが

今宵の月を見て

やはり宇宙の中で

一番行けそうな場所だと思う

夜中のコンビニぐらいの意味で

泰然として

冷たくハラが据わっている

望むことは

今も昔もそればかりなので

祈るとしたら

いつも夜の月にだ

誰からも愛される強い太陽よりも

カチャッと

心臓のギアを変えて

呼吸をふっとゆるめる

猫の大あくびを覗きこんで

今 少し笑った

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花ことば

サルビアの花ことばは

一般的には「燃ゆる思い」なのだそうだが

ひと昔の花ことばの本に

「絶倫」と書いてあるのをみつけてしまった

真っ赤なサルビアが咲く季節になった

サルビアを見るたび

「絶倫」か とつい思ってしまう

そしてあらぬ想像をしてぷっと笑ってしまう

紅い花といえば

ヒガンバナも顔を出し始めている

もっと過激な花ことばを期待している

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傘と雨合羽

歩いていて

目的地まであと5分の距離で

突然の土砂降りに見舞われた

用意周到な私としたことが

今日は傘も雨合羽も家に置いてきてしまった

夫が夜まで降らないよと

断言したものだから

何年ぶりの雨宿りだろう

途中の団地に逃げ込んで

集合ポストに体を預けて

大きな雨粒がビシビシ落ちてくる様をしっと見る

10秒さらされただけで完全にぬれねずみになってしまいそうな

自分よりギターがぬれるのを

しきりと気にしながら歩いていく青年がいて

あれこれギターと傘の持ち方を変えたあげく

とうとう傘もたたんでびしょぬれで通り過ぎる

自転車をびゅうびゅう飛ばしていく母親がいて

その後ろの座席には

ビニール袋をぐるぐる巻きつけられた小さな子ども

息も止まるほどの土砂降りの中で

目の前の木の中に

やはり息を止めて潜んでいる小鳥が数羽

雨が弱まると少しずつ小さな声で鳴き始めるセミ

私は

立ったりしゃがんだりしながら

降り続く雨を見ている

雨の降り始めを

雨の降り終わりを

空の色の移ろいを

雲の切れていく様を見る

夕暮れの浅いきざしまで

雨のすべての姿を

傘と雨合羽

無いなら無いでよかった

無かったからこそ

差し始めた太陽の光と

それを反射する水たまりの明るさが

こんなにうれしい

セミも小鳥も

やっと思い切りにぎやかに鳴きはじめた


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騒然として

ダミさんがまた夜中

誰かと果し合いをして帰ってきた

大声でタンカを切りあっていたのは

夢うつつに気づいてはいたが

朝 玄関のドアを開けたら

白い猫毛があたり一面飛び散らかって

どこか近くに死体でも

と思われる勢いだ

ダミさんの顔面も

傷のせいか腫れて変形している

チンピラだチンピラだと思っていたが

このごろは「親分」と呼びたくなるような貫禄だ

さすがにその日一日は

黙って押し入れで眠っていたが

傷の点検も思うようにさせないうちに

夜 また外に行ってしまった

そして

セミのように鳴く しかしよく見ると

セミとは違う

小さなコウモリをくわえてきた

また家中騒然となった

コウモリは子ねずみほどだったが

羽を広げると意外な大きさで

悪魔の使いといったイメージも

うなづける

ガラス瓶に入れてひとしきり

観賞そして写真撮影をしたあと 

窓から逃がしてやった

幸い傷もなく

元気に夜空に飛んでいった

今日も明日も

命のやりとりは続く

ダミさんのいるところ

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水を覗き込む

大雨のあと

がらくたがあちこち転がっている家の庭では

器状のものすべてに雨水がたまっている

夏場はすぐにぼうふらが湧いてしまうので

こまめに見回っていなくてはならないが

もうこのごろでは虫が湧く気遣いはいらない

それでも習慣で

水があるところを覗き込んでしまう

下のほうにこびりついている土も

水を通して異様にクリアーに見えて

たぶん大地震か何かで水が途絶えたら

躊躇することなく

この水を飲んでしまうだろうと思う

今だって飲める気がする

ついでにそこらへんの葉っぱも

むしって食べてみたい気がする

虫だって食べるだろうな

案外大丈夫だ 私は

最低の線上から淡い秋雲を見ている

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傍らに

一面のすすきの野を

ゆるやかに渉っていく風の名前は何だろうかと

人に訊かれた

近い名詞はいくつか思い浮かぶが

どれも適切さを欠いているような気がする

何か他にもっと美しい言い方があるような気がして

いつも言葉の向こうを考えてきた

肩にかけたなめらかな楽器のように

胸にかかえた土くさいラケットのように

脇にはさんだ描きかけの油絵のように

私も傍らにいつも

離れがたい何かを付き従えているのだ

大きさも色も形も

何も見えないけれど

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風が行く

敷き詰められた赤いレンガの上を

丸く舞う軽やかな土ぼこりの動きを

窓の内側から

ほほ杖をつきながらながめていた

世界の換気扇が大きく回って

風は勇躍やってくる

幾百もの風車の白い羽根を押し

アフリカゾウの耳をくすぐり

極北のオーロラを揺らしたりしながら

硝煙がたちこめる町の匂いや

はだしの子どもたちの涙の雫を

尻尾のあたりに

かすかに引き連れてもいるだろう

このラウンジからは

日当りのいいテニスコートがよく見えるのだが

まるでへたな

びゅんびゅん空振りするラケットの網目にも

さっきの風が巻いているようだ

自らの意思に拠らず

明日 冷たい木枯らしになっているかもしれない

このテニスコートの乾いた音を

マントのように肩に羽織り

次はきっと

いきなり遠い海の上を吹いている

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崎陽軒のシウマイはどこで売っているのですか

横浜に行く用事があると

なぜかいつも家族に

「おみやげは崎陽軒のシウマイね」

と当然のごとく頼まれる

横浜といっても中華街ではなく

お役所街に用事があるので

崎陽軒のシウマイのお店なんて

そうそうみつからないのである

行くたびに歩きまわった結果

どこにもないと結論した

駅のキオスクはどうかというと

みなとみらい線の構内は

きれいすぎてキオスクさえ

見当たらないのである

仕方なく

南武線武蔵小杉駅の

駅構内の売店で買うことになる

横浜じゃないじゃん川崎じゃん

と思いながら

それも夕方ごろだと

売り切れ続出で

なかなかお目当てのものが

買えないのである

しかもやっとの思いで買って帰っても

スーパーの安売りのシウマイのほうが

うまいかも

などとのたまうのである

いったい誰の舌が正しいのか

変顔の陶器のしょうゆ入れ「瓢ちゃん」だけが

さびしくたまっていく

詳細が無事送信されました!

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