第14詩集 まみず
桜
眠ればいいのに
夜は
戻ればいいのに
美しくなくていいから
幸福を見せてくれなくていいから
もっと静かな
もっと長い息をついて
夜に
窓は閉めておくから
そこに沈んでいて
うっかり眠っていいから
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深夜に
あふれる情報を前に
立ちすくむあなたと
真っ白な空間を前に
息もできないわたしと
立ち向かうでも
迎え撃つでもなく
わたしはここで静かに
受けて立とう
車の往来の隙間を
カエルの声が埋めていく
あなたはあと少しで
あふれる情報を精算し
わたしはいつ終わるともなく
痛むほどの白を染め返していくだろう
深夜に
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個人語
私が誰かの詩集を読むのは
私の言葉が(書き方が)
誰かの言葉に(書き方に)
似てはしないかと恐れるため
(真似なんかするものか)
(OK OK 君のオリジナリティーは
私が宣誓つきで保証するよ)
「ずっと月の地図を描いてきた
青い沙漠の砂を吹き払えば
つるつるに光った裸の都市があらわれる」
なんていう書き方は
私だけのものと言えるだろうか
誰とも違うことを
生きる条件としよう
しまいには
自分にしか分からない個人語で
喋り出しそうだ
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爆風
なにか途轍もなく難しいことを
すらすらと言えたらいいのにと思う
次から次へとよどみなく
過激な理論を組み立てることができたなら
どんな感覚もどんな精神もどんな思想をも越えた
革命的な本を著していただろう
放たれた矢は
永遠にカメの歩みを追い越せないのだという
そんなの変だと思うが
それが哲学だと言われると
つい納得した振りをしてしまう
いつもより速い雲の流れ
晴れていくのかまた雨になるのか
分からない雲の乱れ
明晰な頭脳で
もしミリバールまで観測し得たなら
私はこんなにぼんやりと
雲を見てなどいないのだろう
演繹も帰納も関係なしにやってこられたが
枠を踏み越して
考えていく人に憧れる
私は電柱の数を数える
電柱から伸びる電線の方向を見る
そこから爆風のように
全世界の思想が吹き付けてくるのを
せめて私はここで
立ちはだかって感じていたい
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まみず
「まみず」
という響きに
突然 心うばわれる
ある種のイメージに染まって
この言葉は生まれてきた
底まで見通せるその清々しさに
かえって
どこから手をつけていいか分からず
いつまでも
「まみず」と一言書かれたままに
放っておかれている
山深く
樹林地帯を染み通って
苔の隙間ににじみ出る最初の一滴
動物の喉を潤す秘密の湧き水
里芋の葉っぱの上を転がり落ちる雨滴
やわらかく水草を揺らす小川
または
彼女の耐えかねた涙
思想や観念の言葉以上のふくらみを
たったひとつの
ささいな言葉の中に感受する
その時 言葉はもう
感情になっている
「まみず」
という感情に
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漢字
もう自慢するための漢字は
覚え尽くし 使い尽くした
これ以上は必要ない
盲目のこころは
たぶんひらがなで思考するだろう
あるいは音や手触りで感じるだろう
漢字なんて覚えすぎない方がいい
なまあたたかい痛みが
標本箱に整理されてしまうから
まなざしが「あいうえお表」の上をさまよう
伝えたいことがあるなら
一番みじかいひらがなで
小さくつぶやけばいい
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無名
時には
浅ましく
時には
衒学的に
謎を残す言い方で
母語さえも
もどかしく
散った風を
かき集めるようにして
最後には
名前なんていらないなと思う
探り当てた底に
自分の名前なんて見たくない
ただ
「名前」だけなんて
言葉と感情が
つながれることを願う
私は
万人を貫く感情となって
青光りする魂の
内部に滑り込む
この手も
体もこころも
あとは息のように
温かな湿り気を帯びつつ
無銘になっていけばいい
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省略と退化
省略と退化へと
必然的に向かうだろう
草の書のように
型をたどり
型から少しずつはみ出て
美の限界まで
歪み続けるだろう
わたしは正しくない
そのことも
どこかに滲むだろう
弱気な語尾のぼかし方で
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釉薬を作る
「この釉薬はどのような調合によって作ったのか」
そう強く詰問されても
先生にさえ明かしたくはなかった
マグネサイト
石灰石
亜鉛華
珪石
カオリン
ガラス粉
藁灰
福島長石
どれとどれをどのくらい混ぜ合わせると
釉薬として成功するか
そもそも何をもって成功と呼ぶのか
わずかずつ計量のグラム数を変えながら
こんなところであんなにも毛嫌いしていた
化学的思考が必要になったことに
密かに苦笑していた
手っ取り早い成功を望む人は
出来合いの釉薬を使えばいい
失敗しないやりかたなんていくらでもある
だけど人は飽きないのだろうか
いつまでも失敗しないでいることに
決定されるまでに
釉薬は何度もひび割れ 流れ落ち
泡立ち 縮れるだろう
企業の論理に急き立てられたとしても
粉末の花は何度も枯れるだろう
完全に踏み外したところだけに咲き開くもの
失敗の美学
だれにも教えない
おいしいところを持っていかれたりはしない
たとえ先生でも絶対に
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まだ
坂道をのぼりきれず
ため息でたちどまる人を
うしろからすいっと追い抜いていく
「やがて」
「いつか」
「そのうち」
時の副詞に出し抜かれないように
「まだ」と言い刺しておく
赤錆の水が
マンホールの下を流れ下る
ひきずられるとしたら
いつも下の方へだ
「まだ」
そうはいかない
たとえ
切れた息を隠していたとしても
こころには
「まだ」
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真面目な苦しみ方
真面目な苦しみは
ナマではおいしく食せない
よく水洗いして
乱切りにして
叩いたりのしたりした後に
軽く調味料をふりかけて
十分に熱を通してあげなくては
盛り付けた皿には
ミントの葉っぱを二~三枚
お好みに合わせて
ソースを一滴二滴
よい音楽などもバックに流して
お客様に召し上がっていただくには
それくらい気を使わなくては
わたしひとりの食卓なら
ナマでも一向に構わない
個人的な問題はひとえに
おいしいかどうかでなはく
消化できるかどうかだ
たとえば
昔書いたものなんかは
まるで半ナマだったなと思う
ひとかじりですぐ分かる
切ないくらいの真面目さで
ざらざらした口当たりで
苦しみが苦しみでしかない
そんなのは
人に読ませてはいけなかったのだ
苦味しか口の中に残らない
素材の味を引き立てる
シェフの心構え
わたしはいま
ぐつぐつ煮込んだ大なべを前にして
どの香草を散らそうか思案している
極上の料理に仕立てるために
それがもとはギザギザの毒草から生まれたものなんて
さらさら感じさせないように
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時間図
地図に載っている道を歩いているとき
わたしは安心している
迷うこともない
きっとどこかにたどり着く
駄菓子屋までの近道や
かたつむりの這っていた垣根の道や
草に隠れた石段も
確かに地図に描かれていたのだ
それと同じように
時間にも道筋があって
どこへ通じるのかは
だれかが持っている時間図に
ちゃんと記されているのだろう
既に記されているしるべの上にいると思えば
どの空間にいてもこわくない
自分の位置を
濃い影のようにはっきりと感じている
時間図には
恐れはここで終わると描かれ
悲しみはここで消えると描かれている
四角を抜け出して
今わたしは自由なかたちになった
この存在はすでに
地図に委ねられた旅だ
ゆっくりと確かめていけばいい
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春になる
だれもが知っている
それは花々の
突然の開花からはじまる
雪柳が
名残の雪を吹き上げる
木々の皮膚はむずがゆくなって
はちきれそうな裂け目から
緑色の産毛を押し上げる
蝶だ
告げてまわるのは
藤の花は
咲き始めたその日から
たちまち熊蜂を呼び寄せる
梨畑の床土の上に
切り藁が白い流れを作る
車いすの少年の
ひざ掛けももういらなくなった
促されて
つい余計なことを引き受けてしまう
あるいは
口実を探し回る自分の醜さにうんざりする
猫は出ていったきり
なかなか戻ってこない
縁側に出て
せんべいをバリッとかじる
そんなことさえ幸福な営みだったと
思うのかもしれない
いつか冬めいた日に
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想像してごらん
想像してごらん
青々と茂った草の上を
どこまでもはだしで歩いていく
痛い小石など
ひとつも転がっていないことが
ちゃんとわかっていて
そこは
走っても寝転がっても平気な原っぱだ
足の裏に感じるかい
ひんやりしめって
ちくちくとくすぐったい感触を
横たわって
ほっぺたを草の中に埋めてもいい
土の匂いには確かに
雨の匂いが混じっている
いきなり
草を両手でわしづかみにして
バリバリッとひきちぎってもいい
一本の巨木が
原っぱの真ん中に立っていて
ふり仰げば
緑を乗せた枝々が向こうまで広がっている
巨大な影の中に君はいるんだ
影に覆われていると
今日はいいお天気なんだなということが
よく分かる
そこまでうまくいったなら
さあもう一度はじめから
想像してごらん
草の上をはだしで歩いている
その君のとなりを
君の一番好きな人が
ほほえみながらついてくる
巨木にはいつのまにか
真っ白な花がびっしり咲いていて
原っぱはどこまでいっても終わらないんだ
濃くて落ち着いた緑色が
足先から体の中に入ってくる
君はもう原っぱそのものだ
繁った草の揺れ方に習って
君は風を受ける
わかるかい?
君はこの感じを
そうしようと思っただけで
いつでも取り出すことができるんだよ
たとえどんな悲しい風景の中にいたとしても
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汚れ
悲しい気持ちを起こさせる話し方しか
できない人がいる
そしてその人はそのことに
決して気づかない
憎んでもいいかと
私はこころの中でたずねる
憎み憎まれる罪を
その人は等分に引き受けるはずもなく
私も手を離す
汚れないようにと
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たましい
いつもは地面から
ニメートルぐらいのところに
浮いている
少しだけ見下せるけれど
たいした高さじゃない
ほとんどいつもの視界と変わりない
人の頭のてっぺんぐらいは見える
つむじの巻き方だって
ずいぶん学ばせてもらった
まるくて
つやつやしているつもりでも
診察を受けたなら
へこみを治療した跡がわかるだろう
わずかな穴を気にしている
たぶん最後まで壊れないくらいの
強さはあるつもりだけれど
少し花の香りをかぎたい
地上すれすれまで下りていって
そのまま
地面の草の上に乗っかって
眠るようにつぶれていけば
もう二度と膨らめなくなって
ほとんど流れ出してしまいそうで
歌だって歌い出しそうだったのに
フワフワしていたのに
柵の上を軽々と越えて
そのまま屋根の上にも
とびうつれそうだったのに
雨のせいかな
精一杯息を吸いこんでも
今は地面から
三十センチぐらいの高さしか
浮かび上がれない
いびつな形のまま
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部屋に帰る
その部屋は心地よい
中に入れる者は
わたしが選別し
たとえどんな利害が絡もうと
きらいな者の入室は
断固として断る
その部屋に帰れることがうれしい
帰れることを思うだけで
涼しい風が吹いてくる気がする
桃や苺の香りがして
胸のあたりがすっとする
何が好きだったのか
これから何を好きでいられるのか
部屋に入るだけで
わたしにははっきりとわかる
窓は四方に開け
自然光が混じり合う
空の影が落ちるところに
わたしの机はあり
取り散らかされたすべては
好意ある沈黙を保っている
小さな誇りは
一番下の引き出しにしまいこんである
友よ ここへ
あなたを招こう
何の挨拶も
何の批評も
何の感嘆も
何の容認もいらない
わたしが
気持ち良いと思うものの中で
あなたは
みつけた椅子の座り心地を試し
わたしは
何の心配もなく
それを見やるだろう
お茶を飲み
あくびをして
黙っているうちに
あなたは眠りこみ
とどこおることなく
急ぐことなく
一日は暮れていくだろう
あなたが眠っているうちに
わたしは羽化を済ませる
あなたがひとりで
どこへ行ってもいいのと同じように
わたしもひとりで
どこへさまよい出てもいい
生まれたての羽をなめながら
気持ち良いあれこれを思う
いつでも部屋は
ここにあって
どこにいても思うだけで
この部屋に帰れる
帰らなくても部屋は消えない
会わなくても
あなたの面影が消えないように
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切手
雨の日
地面にはりつけられた一枚の切手
宛名は地平線のむこうに書いてある
地球は今
どこかに届けられる途中だ
火急の用事をひた隠しにしながら
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花束
抱いているうちに
ねむってしまった
そっとそっと
ひざまづいて
花束をささげるように
そんなふうに
ねむらせてもらったことを
人はみな
わすれてしまう
きみもまた
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ネコとネズミとわたし
なぜか
ネコとネズミを同時に飼っている
夜になるとネズミは起き出し
切り刻んだ新聞紙の中から飛び出してくる
ネコはネズミが気になって仕方がない
プラケースの外から
さかんに攻撃を仕掛ける
ネズミは全然平気だもんねといった顔で
イモを食おうかチーズを食おうか
クッキーを食おうか思案している
わたしも気になって仕方がない
ネコはネズミを本気で食いたがっているのか
ネズミはネコを本当に恐れてはいないのか
狙う方は真剣で
狙われる方はぼーっとしている
昼間二匹をそのままにして
外出から帰ってきても
別に何事も起こってはいないようで
それともなにかい?
やっぱりバトルはあったのかい?
なんだかあやしい知らんふりのネコ
寝たふりのネズミ
変な緊張状態
ネコとネズミとわたし
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疲れる
今日はめずらしく昼寝をしてしまった
それというのも疲れていたからだ
何故疲れていたかというと
午前中いっぱいかかって洗濯をしていたからだ
特に分厚い毛布がいけなかった
洗濯機に入らないものだから
浴槽のお湯につけて
何度も足踏みをして洗ったのだった
毛布を洗わなければいけない原因とは
つまり子どものおねしょである
出てしまうものは仕方なかろう
嬉しくもないが怒る気もない
洗濯物が出れば洗うだけ
洗えば疲れる
疲れれば昼寝する
特に珍しくもない循環の中で
百万人のお母さんがそうしたと同じように
ブツブツ言いながらウトウトする昼下がりである
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系図
夜中
猫の悲鳴が聞こえた
「あ 生まれたのかな」
娘が起き上がって 耳をすます
おなかの大きな野良猫を
このところみんなで
ちょっとばかり気にかけている
どこで生むんだろう
ちゃんと育てられるだろうか
無関係なようで関係がある
小さくてけなげな隣人
おまえの親たちのことも
さかのぼって知っている
いろんな運命があったんだよ
次の子は四代目になる
無事に生まれたなら
絵入りの系図を書いてあげるよ
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オトナになるのはいつ
「わたしって
二十歳ぐらいまでは子どもでいるよ
四十歳ぐらいになってやっとオトナになろうかな」
じっくりオトナになればいいさ
たとえば木は
いつからオトナと認識するのだろうか
劇的でなくていい
抒情的に
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悪い人
レンガ色のマンションの横から
白い満月が顔を出す
あれは太陽が照らしている
どこかの夕暮れをかすめていった光が
あそこにさっきたどり着いたのだ
他人から見ればおそらくどの人も
「普通の人」で「いい人」で
そこからちょっと外れていたとしても
「悪い人」とは最後まで言わない
けれど本当は私だって
傷つけるためのナイフを握っていたのだ
本気で傷つけたいという思いに震えながら
白い月の中にウサギが見えるという
当たり前な言い方にも耳を傾ける
「いい子」なんてくだらないと思いながら
「いい子」でいてくれた方が気持ちがいい
社会の摂理に従って月の中にはウサギ
だけどいいかい? よく見てごらん
白くなんてない
あれはまだらに汚れた心の裏側だよ
「普通」の裏に隠されている細部
あまりにも体裁よく包まれているものだから
みんな「普通の人」で「いい人」で
でも本当はそうじゃない
ナイフを振りかざそうとしたのは
一度や二度じゃなかったんだ
善人そうな君だって
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消える
最後のセミが鳴きやんだのは
いつのことだったろう
(最初のセミのことははっきりと記憶しているのに)
最後の鈴虫が羽を閉じたのは
いつのことだったろう
(生まれたばかりの白い幼生のことは
はっきりと記憶しているのに)
アリがいて
カエルがいて
その姿を見 声を聞いていたのに
いつのまにかいなくなってしまった
ハエもトカゲも
ハチもバッタも
ネコに致命傷を与えられたハトは
一晩苦しい息をこらえ
翌朝には仰向けに倒れていた
彼(彼女?)の識別ナンバーは
JPN98 MK12054
トリも同じ
ネコも同じ
イヌも同じ
(わがままで手を焼いたけれど愛していたあの犬)
ヒトも同じ
同じだと思おうとしているのに
同じだと思おうとしているのに
ちがう
確かにちがっていて
その一点においてバランスを崩しそうになる
押し寄せる記憶
ほとんど避けがたいスピードで
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解決
「わたし」を
漢字変換したくなくなり
そもそもそんなことは
どうでもいいことだったんだと思い始めている
それがここ数週間のわたしの変化だ
いろいろと考えることが多すぎて
考えはなかなか文字にまとまらなかった
文字にする前に
わたしは動かなくてはならなかった
そのうちわたしは語りはじめるだろう
物事のすべての顛末を
ひるがおが咲き
ブドウが実り
あじさいが土手いっぱいに咲いていた
それらの風景の中で
わたしの思いは囚われ
囚われることを恐れ
囚われを否定し
かえって囚われの中にいることを強く意識した
すべての行動は
情報を整理することからはじまる
わたしにとって
許されないことは許されないこととして
きっちりと保たれていて
そのことがたぶん
わたしの弱点となっていることを知った
そのうちわたしは語り始めるだろう
物事のすべての顛末を
信念というほどの強さもなく
ほとんど弱さによってしか
到達することができなかった解決について
ひるがおが咲き
ブドウが実り
あじさいが土手いっぱいに咲いていた
囚われから抜け出したとき
はじめてそれらを見るだろう
観念の「私」ではなく
漢字をひらいた素直な「わたし」が
s