第30詩集 ダミさん
反省
私の一言が
誰かに静かな致命傷を負わせているということもある
そんなことは全然気づきようもないので
大笑いして過ごす時間が
果たして許されているのかどうか
猫の背中をなでたら
いきなり毛玉を吐き出しそうになった
やさしいつもりの手が
吐き戻しの手伝いをしているだけということもある
裏の意識は私には届かないので
私はのうのうと楽しく生きていられる
誰かが私に顔をそむけても
傷つかない自信はある
知らないことで得ている平穏は
まがいものなのかどうか
知ったところで
もう今更対処できないことも多いのだが
私は自分で思うほどにはよい人間ではないのだ
意識するせざるに関係なく
それははっきりとした確定事項だ
少なくとも
ただの冬眠だったかもしれないハムスターを
うっかり埋葬してしまった私なのだし
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反故紙
資料を印刷した紙なら
少しでも白い部分が残っていればとっておいて
ぎりぎりまで使いまわすが
詩の反故紙は
いくら白い部分が多くてもとっておけない
詩の完成品なら別に誰に見られたって平気なのに
どうしてだろう
途中経過のもがきぶりは
誰からも隠し通して
どこにも苦しみはなかったという風に
晴れ晴れと最後の姿だけを差し出したい
私の日々の笑顔も
そんな風なのだ
反故紙に書かれた低いつぶやきは
さっさと丸めて捨て去り
入念に作り上げた笑顔だけを
最初からそんな顔だったという風に
まっすぐにあなたに向けている
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梅を見に
湯河原の梅林に来るのは
二年ぶりだね
梅祭りの時期も終わって
出店も取り払われ
梅見の人たちもほんのわずか
見渡せば花はまだ十分白く
山肌を覆って咲いているのに
「花」よりは「祭り」を見に来る
それが人というものだから
この木はまだ若いね
そう言いながら
か弱い枝の木を指差している
若いといっても
「何歳」という基準はあてはまらないので
どう若いのかは言えないが
今ここで私が
一本の木になったとしたら
その幹は枝は花は
どんな具合になるのだろう
素直なシンメトリーの木ではない方がいいな
ぐぐっとよじれて洞も空いて
根っこも行儀悪く飛び出して
あっちこっち邪魔な枝を伸ばして
無理しない程度に花も咲かせて
写真を撮る夫が
この枝一本折りてえなと言うのを
ダメダメと制しながら
絶え間なく吹く春風の中
揺れながら踏ん張って斜面に立つ私たちもまた
若くはない二本の木
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梅の香り
電車の中吊りの
華やかなブライダル広告を見るのが
やけにつらいと感じる日々もあったし
支援施設へ子どもを送り迎えする婦人が
川沿いをゆっくり歩いていくのを
後ろから追い越せずにいたときもあった
赤ちゃんを抱く若いおかあさんや
当たり前に通学する中学生
駅に向かって闊歩する人々…
幸福は
年齢ごとに定義を変え
何を見てつらく思うかについても
その時のまわりの状況
自分の状況によって大いに変わり
つまりかなり相対的なことなので
幸不幸を感知する心を過信しないことが肝要だ
もう梅の香りが
日当たりのいい方からかすかに漂ってくる
涙こらえかねた坂道も
今日は平気な気持ちで鼻唄を歌いながら歩いている
誰とも比べる気が起きなくなったのだ
人の上下とか左右とか前後とか裏表とか大小とか高低とか
降り注ぐ春のぬくもりを感じるのに一生懸命で
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大動物
かよわい小動物のようだった子どもたちも
いつのまにか大動物に育ちあがり
私より背が高かったり
体重が重かったり
もうたやすく熱は出さなくなったし
死んでしまうことを心配するほどに
寝込むことはなくなったが
体が大きいからといって
傷つきにくくなった、ということはない
魂の奥深く
出口の無い膿と熱をこもらせながら
むしろもっと複雑な名前の痛みを
抱えてしまっているのかもしれない
成長するということは
泣くことや笑うことを
少なからず抑え込んでしまうこと
大きくなったらなっただけ
傷の大きさも引き伸ばされる
小さな手当では追い付かない
助けの手を出そうとしても
親はいつしか遠ざけらる
本当の恋や友情を得ていたなら
その人の前でだけ
思い切り泣いたり笑ったりできるのだろうが
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雪の記憶
立ちすくむほどの一面の青い白
あの夕暮れから夜の時間
どうしても行きたい場所があったのに
途中でへこたれて帰ってきた
あの雪の日を繰り返し思い出す
傘を持つ手も凍えきって
冷ややかな罠ばかりが仕掛けられた氷の街
今日の雪がすっかり消えたら
あと数か月は雪を見ない
見なくてもいいのだ
思い出すのが
あの日のことばかりであるなら
途中の墓地に供えられていた
菊の花束だけが
唯一雪の中で生きていたような
その日に引き続く次の朝が
とてつもなく明るく輝いていたことを
人がいつもより優しかったことを
滑稽なほど転びながら駅に向かったことなども
一連の雪の記憶の中のひとつとして
あるにはあるのだが
ジーンズの裾を凍らせた重い氷を
まだどうしても振り落せない
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針金ハンガー
春になると
物干し竿の針金ハンガーが
歴然と減っていく
確かに20本ほどあったものが
今では3つしかない
私は知っている
それはカラスの仕業だ
針金ハンガーは
カラスにくわえられた時
なんだなんだと焦ったに違いない
どこかの木の上に運ばれ
同類の仲間や小枝や枯れ草と一緒に
積まれ組み込まれて
窮屈に身を縮めて
なんたる運命!と
天を呪ったかもしれない
空と風と緑の中で
咲き始めた桜なんかをぼうっと眺めながら
そして気づいてくる
注意深く加わってくるあたたかな重みが
決して不快なものではないことに
自分の上で
小さなヒナが産声をあげ
身じろぎをしはじめるとしたら!
物干し竿にいた時よりも
たぶん彼は幸せになったのだ
うんうんとうなづき思い馳せながら
しかし私は
手にしたTシャツを
干すのに少し困っている
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辛口
こう見えても
かなり皮肉屋で理屈っぽい私は
ドラマや映画を見ていても
美形、イケメンに見とれながらも
構成の矛盾点を鋭く突き
理不尽な展開ぶりに
それはないだろ!と
激しく突っ込みを入れてしまう
子どもは
あんた細かいねえと呆れ
ドラマなんだから少しぐらいいいじゃんよと言う
まあそれはそうだけど
物語の整合性はちゃんととってほしい
行為の必然性もちゃんと検証してほしい
SF小説やミステリー小説を読んでいても
書いてある以外や以上を想像して
もっと違う結末にならないのかと思ってしまうたちなので
ドラマに対してもつい辛口コメントになる
ならばあんたがドラマ作ったり映画作ったりすればいいじゃんと
言われそうだが
おそらくたぶん結局それはできそうもないので
批評はもう少し小さな声でしよう
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手に負えない人
手に負えない人だと
よく言われてきたので
自分ひとりで生きてきたような顔をして
わがまま三昧に生きている
御しやすくあるべき生き物は
馬や牛ぐらいでいいので
(国語の漢字テスト以来に、≪御しやすい≫などという言葉を使って、今ちょっと新鮮な感じを受けているのだが)
むちゃくちゃ複雑な感情を
あらわにしながら生きていていいのだ 人間は
夕焼けが時に泣けるほどに美しい紫を広げ
時に赤黒く乱れて垂れ込める
どちらもあっていいのだ
人は誰の手にも負えない心をもつ生き物だから
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訓示
私はダッシュしてすぐに休んでしまうウサギなので
じっくりゆっくり着実なカメに
知らぬ間に追い越されているのだろうが
だからといってカメのようになりたいとは思わない
カメはウサギの傍らを通り過ぎるとき
きっと
「うっしっし この隙に」とか
「ざまあみろ おいらの勝ちさ」とか
思ったに違いない
その根性の腐れ加減を考えると
愚かなウサギのまま
うっかり寝過ごしている方がいいと思う
人生の歩みを山登りにたとえて
ぐいぐい登ってすぐにばててしまう人と
あとからゆっくり追い抜いて先に頂上に立つ人との比較を
卒業式の訓示で言っていた校長さんがいたが
追い抜いていくときの心根は
どっちかというとなんかいやらしいよなと
反抗的に問いかけてみたかった
追い抜いていく傲慢な気持ちを
実は私はよく知っていたから
仕方なしに受験社会で戦ってきたが
きっと私は根っから勝負事はきらいなのだ
勝つのも負けるのも
どちらも心の有り様は歪んでいる
だからせめて表向きの顔は
いつも試合放棄のねぼすけウサギ
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ぽかぽか
最近ぽかぽかしたところにいると
(たとえば
陽だまりの窓辺とか
ぬるいお風呂の中とか)
決まってウトウトと居眠りをしてしまう
これじゃまるで
お年寄りか赤ん坊か猫じゃないか
と思いながらも
その気持ちよさに抵抗することができない
ふにゃふにゃっとして
過ぎていく時間
それがいいのか悪いのか…
ただ思いつめたつらい心が
いつまでも残す鮮烈な記憶も
今にして思えば
そんなに悪くはなかったような…
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ペットショップ
デパートをぶらつくついでに
六階のペットショップで
子犬や子猫を眺めてきた
そしてうなづきながら思った
〈30万円〉の大変かわいらしいアメショーと
〈ただ〉のチンケな顔のダミさんが
ショーケースの中に並んでいたとしたら
やっぱりダミさんを選んであげる
〈ただ〉だからじゃないよ
〈ダミさん〉!だから
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てふてふ
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」
という安西冬衛の詩がある
国語の授業でもよく使われる詩だ
国語の先生は
この詩を書いた詩人はどこでどのように
この「てふてふ」を見たのかとか
今見えているのかもう見えなくなってしまっているのかとか
韃靼海峡とはどこか
などについて質問するようだが
私も小学校の頃この詩を読んで
こんな一行詩ならすぐに書けそう
などと不遜なことを思ったりもしたが
やっと今だ
この詩の恐ろしさに気づいたのは
てふてふの目で
今 海を見ている
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チューリップ
十月に買ったチューリップの球根が
咲き出した まず白が 次に紫が
確か白白ピンクピンク黄色黄色紫と
買ったのではなかったっけ
7本同時に咲くことをイメージしていたが
案外自分勝手に申し合わせも連帯も無く
思い思いに咲きたい時に咲いている
球根を買った時
チューリップが咲くころのもろもろのことを
心配していないこともなかったが
どうやら無事に3月を越え4月を迎え
慌ただしくもしみじみと
花の咲く時期を迎えることができた
どうせなら祝福するように
7本そろって咲いていてほしかったが
まあいいか
次に咲くのはピンクか黄色か
時間差で次々と来ればいい
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ダミさんと鳥を見る
朝 玄関の外で待ち受けているダミさん
しゃがんで撫でていると
必ず膝の上に乗ってきてくつろいでしまう
喉をゴロゴロさせていたかと思うと
そのまま二、三度ため息をついて
うとうとと眠りに入ってしまう
その安らかさに
忙しいのになあと困りながらも
しばらくは膝からおろすことができない
ダミさんとじっとしていると
実に夥しい数の鳥たちが
屋根や木々やアンテナの上で
鳴き交わしているのが聞こえてくる
この世界にいるのは人間ばかりではないのに
人間のことばかり気にして
人間のことばかりで悩んで
ああ 鳥がこんなにいるのなら
他の生き物や虫たちも
どこかにいっぱいいるのだろうな
ごめんね ダミさん と言いながら
膝からおろすと
少しものうげによろけて歩き
仕方なしに足などをなめ始める
そして目を離した隙に
いつのまにかどこかに行ってしまう
ダミさんは扉
その向こうに広がるこことは別の世界
ダミさんが体につけてくる見知らぬ種は
一体どんな花を咲かせるのだろう
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ダミさん
野良猫のダミさんは
ダミ声だからダミさんと呼んでいるのだが
だんだんなついてきてかわいくなってきたので
子どもがもっといい名前をつけてやればよかったのに
と言う
そういえば学生時代ずっと好きだったヘッセの「デーミアン」は
もしかして悪魔の子「ダミアン」と同じ綴りかな
などと思い
いい名前なのか悪い名前なのか
いや ダミさんの場合は
そんな深い意味は無いんだからねと
ちょっとあたふたして
長男の受験の折には
ウンのついた手でタッチしてくれたから
合格できたのだし
ちっともハンサムじゃなく
太ってきてもチンピラな顔をしているけれど
やっぱり君はダミ声のダミさん
飼い猫の一歩手前で
いつも家のそばをうろついていてほしい
具合が悪くなっても姿を隠さないで
今度こそ
ひざの上で看取ってあげるんだから
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しだれ桜
あえて名前も場所も言わないでおこう
ある村に
一本の大きなしだれ桜がある
それは小高い山の端から危うくせり出して
村を包むように柔らかく枝を垂らしている
一年に一度 神の力によってざわっと目覚める桜
人に汚されていない白い桜
名だたる桜の名所はどこも
カメラマンが群がっているものだが
不意をついていきなり咲いたのだろうか
村人がちらほら
心から感嘆するためだけに登ってくる
スピーカーからのどかに村人に呼びかける声
「お昼過ぎからお花見をしますから
お昼ごはんはいい加減にして
みなさんでおいでください
そこの犬 鳴いていないで静かにするように」
見下せば
人の気配も無い静かな村里
犬だけが何かに向かって吠えついている
桜よ 見られすぎる前にいっそ
はらはらと散り急ぎ
他の木と同じ姿に擬態してしまえ
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ママの誕生日
誕生日に邪魔が入ると
普通の日より何倍も手痛いので
誰とも何の約束もしないようにしている
学生時代 二人きりで祝っていたのが
いつのまにか家族も増え
年を経て少し減り
この人数のままもう少しいさせてほしいと
誕生日にはいつも思う
人の誕生日にかこつけて
ケーキを食べられることがうれしい子ども
夫はチョコのお菓子をたくさん買ってくる
バレンタインの売れ残りが安い時期なので
ずっと冬の子として育ってきてしまったような気がしていたが
もうそろそろ春の子だったと言ってもいいだろうか
取り出したハートが
思いがけなく温かかったことに初めて気づいた子どものように
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息子の突き指
息子が体育の授業で
突き指をして帰ってきた
赤黒く内出血をしている 軽くはなさそうだ
「医者に診てもらいなさい!」
「そんなに痛くないからいい!」
「ちゃんとレントゲン撮ってもらって!」
「人のことなんだからほっといてよ!」
「放っておいても大丈夫かどうか診てもらいなさい!」
と ひと悶着のあと
病院へと無理やり送り出した
私にも一本 突き指を放置してしまった指がある
左手の中指で
今でも少し内側に曲がっていて
なにか心もとない感じが残っている
戯れにギターを弾いたりするときも
なんとなく中指を使うのを避けてしまう
三十年以上もたっているのに
なおも「負傷中です」とかすかに訴えている
突き指をした指は
他の指とは違う育ちをしてしまった
特に今日は息子のせいで
自分の突き指が強く意識させられる
息子が指を包帯と金属板で固定して帰ってきた
骨がちょっとはがれてどうとかブツブツ
「包帯してるとウザイよ」
「イライラする」
「指がかゆいのにかけない」
「風呂はどうやって入るのだ」
などとぼやいている
それでもとにかく医者に行ってくれたことで
私の気は済んだ ちょっとほっとした
自分がしそこなった治療を
息子にはきちんと受けさせたかった
ただそれだけのことなのかもしれないが
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春のエーテル
水の面にほほをつけ
白い花の立ち姿がいくつも
風に揺れているのをみつめている
茶化したり気負ったりしながらも
私は静かに
君を想うことに心傾けよう
やわらかな芽吹きに
時折の雨が降りかかる
心に満ちる消毒液はすべて捨てて
淡い春のエーテルを注ぎ込む
一番大事なことは誰にも言わず
透き通った器に入れてながめていよう
溶け残った古い雪に
清潔なナイフのような手紙を差し入れて
内側の白を照らし出す
時が来れば
君の悲しみはいつかきっと流れ出し
私はまた君の微笑みに出会うだろう
返事を待つ間
次々と咲いては散る花のもとに
私はずっと立っていよう
飽きることなく鳥の声を聞きながら
遠くの山をながめながら
わずかな揺れをいつまでも楽しんでいる
細い腕を水平に広げる天秤のように
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片づける!
娘が猛然と片付け物をしている
自分のものをどっさりゴミに出し
うまく入れ替え並べ替え
押入れにも久しぶりに風通しのいい空間が生まれた
ほほう すっきりしていいねいいねと思っていたら
はみ出してあちこちほったらかしの
私の服にまで魔手を伸ばしてくる
「昔の服捨てなさいよ 昭和の」
あらまあ ぐうのねもなく
捨ててもいい昭和と
捨ててはいけない昭和
私の中で葛藤はまだまだ続くのである
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樹木のように
何があろうが
私は明るいたたずまいで立っていることしかできないので
人は明るいたたずまいで立っていることだけで
生きることの多くを果たしているのかもしれないので
原因も結果も
過去も未来も
木々の間を渡る風のように流れ行かせる
たぶん大きな間違いを含んでいる私だが
太陽は光を
地面は水を
健やかに与えてくれている
ここで
変わりゆく緑を大きく揺らしながら
まっすぐに堂々と立っているばかりだ
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多摩川の散歩道
同じ多摩川の川べりを
東と西に分かれて
私たちは歩きあっていた
互いをまるで知らないままで
堰の近く
川幅が広がったあたりを
透き通った片翼の羽虫が
いくつも漂っている
あまりにもよく晴れて明るいので
誰もが皆ひどく間違っていることを
つい忘れてしまいそうだ
人は明快な等式を形作れない
時にはぞっとする
何か取り返しのつかないことに
手を貸してしまったのではないかと
すぐに立ち直る
これがぎりぎりのすべてだったと
多摩川の上にだけ広がる空
逆向きに歩けば
また違う種類の誰かと出会う
集合の記号で言えばΦ(ファイ)の状態
どうしようもなく別々ではあっても
あなた(A)とわたし(B)は
全体(U)の同じ箱の中に
きちんと染め分けられて
かなり近くに立っているには違いないのだろうが
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母の日
母の日が終わって三週間もたつのに
まだ鉢植えのカーネーションが
窓辺に咲いている
母親なんていう 柄にもない役割を
そういえばずっとやってきたわけで
時に目の前を雪でいっぱいにし
時に果樹園の香りを胸に満たし
時に天球を抱え上げる筋肉をぶるぶると震わせ
子どもに成長曲線があり
こまかい発達チェックがされたように
親にも成長曲線があり
こまかい発達の段階があったはずで
それはもう
きっと形にはできない成長発達ぶり
横ばいあり後退ありスキップあり
いいはいい 悪いは悪いは当てはまらない
起きた現象によって評価も変わるから
まだカーネーションのつぼみは残っている
まだ曲線が動いていく余地はある
次の点は
グラフの枠からとんでもなく遠くに
ちょこんと付されゆく気配もして
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本を踏む
猫がすまし顔で座っている
片足が
アメリカ名詩選の文庫本の上に乗っている
人の足だったなら
許さないところだが
猫の足だから まあ仕方がないか
本は部屋のあちこちに散らばっているが
なんとかみんな踏まないように歩く
踏んではいけないという思いが
心のどこかにある
その前に 片づけろという話だが
あくびをしている猫は
口の裂け方が
デビルな感じで
まだ本を踏んでいる
昨日の夜に読んだ表紙のきれいな私の好きな本を
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ほっぺ
息子が
「ほっぺを蚊に刺された」と
ぼそっと言う
そこにいた家族みんなが
「ほっぺーっ?!」と
大きく目をむく
息子もとうとう
「ほっぺ」という言葉が
全然似合わない男になった
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ダミさんの最近
ダミさんは
半野良だけど
半家猫風になってきて
最近は家の中に堂々と上がり込む
冷蔵庫の中においしいものがあることを悟って
低いダミダミ声でエサをくれろとしつこくねだる
その声は「マンマー」と言っているようにも聞こえ
まるで幼児の子育てをしているかのよう
おまえさん さっき食べただろうがと
その食欲ぶりにぼやきたくなるのは
恍惚気味のご老人を世話しているかのよう
勝手に散歩に行き
勝手に昼寝をしてくれるところは
人間の世話と違って大変楽だ
今日もいつのまにか
廊下のダンボール箱の中に
はみ出ながらはまって寝ているのどかなダミさん
あと
毛が抜けるので
掃除を念入りにやらなければならなくなったよ
ダミさん
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メダカ
朝の駅の雑踏
同じ方向に流れていく人の群れの中にいて
この群れに混じって流れていくことだけが
正しいのではあるまいと思う
皆がどこかを目指して
急ぎ足で歩いていく
また別の群れに混じるために
同じような格好をして同じことをしていれば
なんとなく安心で
同じ靴音で
同じスピードで
水槽の中の100匹のメダカ
私は無理にでも生きる向きを変えてみたい
誰も知らない小さな穴をくぐりぬけて
かき乱されないどこか深くに
銀色の卵を産み付けに
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四葉のクローバー
薄緑色の古い手帳の中に
四つ葉のクローバーの押し葉が一枚
それは私が中学生の頃
近くの林の土手を何日もかけて探し廻り
やっと奇跡のようにみつけた二枚のうちの一枚だ
もう一枚の方は
遠くに住む親友に送ってしまった
まさしく幸運を祈り封じこめて
最近 四つ葉のクローバーの鉢植えをもらった
驚くべきことに
ほとんどの葉が四つ葉を構成し
よく見ると五つ葉まである
きちんと水やりを続けていたら
どんどんはびこりぼうぼうと垂れ下がり
もう幸福が鉢からあふれんばかりだ
枯れる前に
押し葉にしておこうかと思う気持ちも
ないわけではないが
こんなにたくさんの四つ葉
かえって途方に暮れてしまう
大事な人にあげるたった一枚を
どうやって選び出したらいいのだろうかと
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湖
漢字の誤変換で
突然に現れた湖という文字
私はふと
その文字に見入ってしまう
澄んだ水に触れたかのように
梅雨空ににじんで
柿の木の向こう側へと
さっき黒いカゲロウが飛んでいくのを見た
ほとんど命をかすれさせて
首筋の内側をせわしなく
のぼり下っていくもの
少し冷たく
少し甘美なもの
制御できると思わないでいた方がいい
脳の奥にずるく潜んでいるもの
湖の漢字を見ている
かつて一人たたずんだ湖を
白い霧が流れ
取り囲む森は果てしなく深く
物音もなく
水の匂いのする誤変換のままに
白い画面を止めている
その静寂の水面へと
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ダメ押しの一発
トイレが詰まって水浸しになっているとか
熊みたいな黒い犬にかまれそうになっているとか
地球が大嵐で壊滅状態だとか
ものすごくいやな夢をたて続けにみた朝に
ふと気づくと
私に尻を向けたダミさんの黒い寝姿があったので
触ってなごもうと思ったら
いきなり
強烈な長いおならをかまされた
もう屁でもなんでも来いという感じです