1、詩人について (詩を書く人と話す機会が
2、皮 (生の鮭の大きな切り身をもらったので
3、保育実習 (幼児が 「これカボタン」とか
4、丸裸 (あたたかな毛皮に覆われた
5、貸借 (二十年前に友人に借りたマンガの本が
6、仏もいつか (五十六億七千万年後は
7、S (きみの頭蓋は
8、いやなことといいこと (いやなことがありました
9、いつか誰かのために(私の半生の中には
10、クリスマスプレゼント (ずっと昔私が小さかったころ
11、やきそばを食べながら (私がもっと繊細だったなら
12、表札 (雨が降り続く ヤモリは平気で濡れながら
13、愛するとは (愛する人を失って
14、判断の基準 (それをしたら(しなかったら)
15、歩行器はどこにいった (うつぶせ寝が奨励されている頃の育児だった
16、労働量と報酬 (取材のお仕事なの二万円お支払いできるのどうかお願い
17、二センチ傾いて (この間の大地震で
18、七年 (七年もかかったのだ
19、雑巾を洗う (詩の合評会でさんざんに言われている人がいて
20、受験生の母 (「克己心」を「こっこしん」と読む息子の
21、新年に寄せてなにか一遍と思いつつ (私が食卓のテーブルに座り
22、冬至が過ぎて (冬至が来れば楽になる
23、陶芸の先生(陶芸の先生は 新宿の雑踏の中にいると落ち着くそうで
24、手紙 (実家へは子どもの写真を入れた手紙を
25、被写体 (夫は山や花の写真を撮る
26、防災対策 (夫と防災用品の買い出しに出かけながら
27、梅の香り (電車の中吊りの
28、種 (その人は最後に会ったときも
詩人について
詩を書く人と話す機会が
今までに何度かあったけれど
「一般の人」とは違った意識を持っているのだとか…
「一般の人」にはこの感性はわかってもらえないらしいとか…
「一般の人」でない位置にいる人がいて
それなりに面白い
ひょんなところから言葉を捕まえてきて
ありえない組み合わせで構成し
ただそれだけで詩らしきものに仕立て上げ
詩を書く人は
ややあぶない
当たり前のことを当たり前のこととして
見ようとしないところが既にあぶない
単なる落ち葉を
「魂の浮遊」とか呼んでいそうで
けれどそのあぶなさに
ふと思いがけない涙がにじむこともあるのだ
隠された真っ白な素肌に
初めて触れたときのような
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皮
生の鮭の大きな切り身をもらったので
小さく切り分けようとしたら
これがもう なまくらの包丁では全然切れないのである
分厚いゴムのような皮が
きっちりと身を守っている
生きていたころの鮭を思い浮かべる
きっと筋骨隆々で
すっきりしまった若者のような鮭だったに違いない
申し訳ないと思いながら
最後の手段 はさみで皮をジョキジョキと切る
これくらい強い皮なら
擦り傷もつかないだろうし打撲の痕もつかないだろう
どんなケンカにも打ち勝てそうだ
それに比べてわたしのこの脆弱な皮膚
たかが小さな軋轢であったにしても
ぱっくり裂け目が入ってしまい
薄っぺらい中身が
軽率にも無防備に
年中飛び出してしまっているのである
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保育実習
幼児が
「これカボタン」とか
意味不明なことを言いながら
砂に絵を描いたり
鼻水をたらして
ポケーっとしている様を
実習の一環として見てきた君は
沈思も熟考もない
幼児の世界を
愚かしいとも馬鹿らしいとも思いつつも
そこに天晴れな天国を見なかっただろうか
そういえば君も同じ年頃
黒い虫歯止めを塗った歯を
思いっきりむきだして
大笑いしながらそこらじゅうを走りまわっていたっけ
(なんであんなに馬鹿だったのか
見当もつかないと君は言うが)
私もまたそこに最高の天国を見ていた
それは今も君の中にある
いつまでも私の心の中にある
(君がどんなに嫌がろうが
残念ながら消し去ることはできない)
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丸裸
あたたかな毛皮に覆われた
優美な生き物の体をなでながら思う
どうして人類は
丸裸になってしまったのだろうと
体毛のないネズミやモルモットや犬や猫の
ぬめっとした皮膚感
寒さにブルブルふるえているさま
哀れさえ催す頼りなさ
生き物としてこれはよくないと思う
サル→人間
きっとこの流れのどこかにも
何か遺伝子の間違いがあったに違いない
丸裸でいいはずがない
服を選んで買って着なくてはいけないなんて
恐ろしく不経済で面倒ではないか
なめらかな毛皮に覆われてみたい
きっと自分の体を撫でては
うっとりとする
全身をくまなく覆う毛皮
ありふれた普通の茶色でいいから
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貸借
二十年前に友人に借りたマンガの本が
押入れの奥から出てきて
こりゃしまった
どうしようかな 送り返すべきかな
いいかげんもう時効かなと思いつつ
もう一度 押入れのダンボールにしまいこむ
今でもメールでつながっている友人だが
借りがある
もしかしたら貸しもある
そこら辺のところがもううやむやだ
実際の物品・金銭については言わずもがな
魂の出納帳を誰かがつけてくれているとしたら
多いのは
借りだろうか
貸しだろうか
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仏もいつか
五十六億七千万年後は
地球も人類も完全に滅んでいるので
やっとの思いで出現した弥勒菩薩も
意味ないじゃんとかつぶやいて
すねてしまうに違いない
特にぶっ殺したい先生はいない
と言う息子は
昔から仏のようだったので
私はいつも拝みながら育てさせてもらっているが
バクバクに割れたスニーカーを
注意されても履き替えない
という態度は
一種の反抗の証ではないのかい?
現代の仏は
淡々とバクバクときっぱりと
歩いていくのだ
すねている暇はない
あちこちに罠を張る小さな滅びを
ひとつひとつ飛び越えながら
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S
きみの頭蓋は
きっと透き通った水晶でできているに違いない
色分かれする日射
季節のうごめき
皮膚組織のわずかな電気変化を
人よりも多く感じてしまう
きみの頭蓋の美しさを
わたしは想像する
純度の高い感情
しみるような痛み
血管を伝わっていく響き
分かちがたくきみの内側にある美しいものは
血肉を大きく開かないことには
きみは見せることができない
人は見ることができない
水晶のドクロは
今日もきみの熱い脳を包んでいる
人よりも多く涙を流すとしても
きみはその頭蓋を
単なるカルシウムと取り換えてはならない
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いやなことといいこと
いやなことがありました
コンビニでお菓子を買って
自転車のカゴに入れたままスーパーに寄って戻ったら
すっかりお菓子が盗まれていました
いいことがありました
流れ者のダミ声の猫が
いつもは近づくと逃げてしまうのに
今日は上目遣いで固まりながらも
逃げずにさわらせくれました
いやなことといいことのグラム数は
たぶんそうは変わらないのに
いやなことの方がずしんとくるのは何故だろう
ダミ声の猫のことを三倍多く思おう
そうしたら重さ加減がつりあって
四倍多く思ったなら
菓子なんぞくれてやらぁと思えるかもしれない
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いつか誰かのために
私の半生の中には
どうしても語ることが難しい数年があり
語ろうとすると
まわりを深刻に巻き込んでいきそうなので
いつもあいまいに笑ってごまかしてしまう
しかし
娘の悩みに向かって
何か言ってあげられるとしたら
正にその数年間があったからこそなのである
許したり受け入れたり
添ったり汲み入れたり
立ち向かったり励ましたり
さまざまな感情の技巧の大半はその数年間に学んだ
すべて自分に起きたことは
いつか誰かを救うための準備
娘にもいつかきっとそんな日が来て
ああそうかと
すべてそのとき氷解するのだ
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クリスマスプレゼント
ずっと昔私が小さかったころ
あるクリスマスの朝
枕元に電車の絵本が置いてあったことがあった
その絵本を一目見て
こんなものは欲しくないと
私はひどく泣いたのだった
父は困った顔をして「電車はきらい?」と尋ね
次の日曜日 私を本屋に連れて行き
電車の絵本を動物の絵本に
取り換えてくれたのだった
父は国鉄の職員で
大宮駅や石橋駅の助役をしていた
きっと電車の絵本を私に見せながら
これが東北線の電車だよ
これが新幹線だよと
私に教えたかったに違いない
泣いたけれど
本当は電車の絵本でもよかった
ひっこみがつかなくなって
動物の絵本に取り換えてもらったけれど
電車の絵本をくれた父の気持ちも
本当は知っていた
そもそも「それはサンタさんがくれたものなのだから
きちんと受け取れ」と父は言ってもよかったのだ
今年もサンタが悩む時期になった
的はずれな期待はずれなプレゼントが
巷に飛び交いはじめるが
子どもが泣こうがわめこうが
サンタは誇りをもってそれを贈ればいい
それは単なるいつもの買い物ではない
贈ろうと思ったときから
累々と積み上がっていく思い
それにしても
十五歳と十七歳の我が子よ
プレゼントをねだるのもいい加減にしないと
「ジャン・クリストフ」または「罪と罰」を
どかんと全巻贈ってしまうぞ
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やきそばを食べながら
私がもっと繊細だったなら
もうそろそろ新聞も読みたくなくなるし
テレビのニュースも見たくなくなる頃だ
世界の数式が次々と壊れていき
あたたかな陽射しさえ
何かの罠のように思える
今日 学生たちのまつりの中を歩き
刹那の喜びを共に笑った
行く手には希望 隣には友
そんな歌を歌い合って
人を殺す人も
自らを殺す人も
子ども時代にはきっとこんな風に
皆と一緒に笑い歌っていただろうに
やきそばやフランクフルトを食べながら
世界の終りについて考えよう
今日ではなく明日でもなく
生きている間でもなさそうだと仮定して
焼き鳥のタレにまみれ
綿あめで手をベトつかせ
先生方の妙な踊りに笑い
いつかこの場所をきっと俯瞰する
新聞を読むのに嫌気がさす日にも
遠いまつりは焦げた秋色
指先の小さなやけどのように
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表札
雨が降り続く
ヤモリは平気で濡れながら
外壁を伝い歩いている
クモは乱れた糸をそのままに
しばらくは軒下でうずくまる
心やさしい人という言い方には
忍び寄る蔦のような
どこかはがしにくい嘘がある
表札を洗おう
緑色の苔に覆われないうちに
雨が降り続く
自転車がさびてしまう
何かいいことはないか
池の中の金魚はいつものように
水草とたわむれ
ヤモリもクモもどこかふらついている
結局そこに落ち着いていく
ヤモリやクモのように
好かれていないことにも気づかず
好かれようともしない心境
表札を洗おう
呼ばれすぎた名前を
きれいに忘れてしまえるように
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愛するとは
愛する人を失って
愛することに臆病になってしまう人の話は
映画や小説でよく描かれるが
そのたびに
「早く吹っ切ってさっさと次の愛に燃えなさい」と
ついブツブツ文句を言ってしまったりもするのだが
その主張は変わらないのだが
ダミ声の野良猫がだんだん馴れ馴れしくなって
どんどんすり寄ってくる
エサをねだってダミ声で鳴きまくる
「こいつ かわいいぞ」と思っても
過去 愛してきた猫を五匹も失っているので
なんとなく愛も控えめに
撫で方も中途半端に
ついよそよそしい振りをしてしまう
ふと気づけば
私も愛に臆病な人間のひとりだった
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判断の基準
それをしたら(しなかったら)
後悔するか否かで
娘は
行動を決めるという
する方を選ばざるを得ないことの方が多いようだ
自分にそれができるか(できないか)で
私は
物事を判断する
できないかもしれないことも
できるさ!やってやるさ!と
つい強がってしまうので
やはり する方を選ばざるを得ないようだ
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歩行器はどこにいった
うつぶせ寝が奨励されている頃の育児だった
揺さぶられっこ症候群なんて聞いたこともなかった
抱き癖がつくから泣いても抱っこするなと
識者はみんな言っていた
それは間違いだったといまさら言われても ね・・・と
夫と悲しく目配せを交わす
まあ なんとか無事に育ってよかった・・・よな
正しいとか間違っているとか
時代が言っていることは信用がならない
今の常識もあと少ししたら非常識になる
いまだ動物実験の域にいる
風邪をひくたびに尻に太い注射をされた私もいる
ため息をつきながら
まあ なんとか無事に育って・・・
と言っている夫婦がいつの世にも消えないのである
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労働量と報酬
取材のお仕事なの二万円お支払いできるのどうかお願い
でも今忙しいからちょっと・・・
他をあたってみたけれどやっぱりあなたしかいないのどうかお願い
と拝み倒されてやむなく引き受けた取材だが
なんとかやっこらやりおおせてほっと一息ついた後に思う
これで二万円なんておおなんともったいなきしあわせ
陶芸家に弟子入りしていた時は
月に五万円もらっていた
朝七時から夜中十二時まで(時には夕方五時で終われたが)
土練りから窯焚きまで
労働基準法はどこに行った
私は確かに五万円以上の働きをしていた
労働量と報酬の関係をグラフにできるものならグラフにせよ
楽していっぱいお金をもらっている人は反省するように
苦労しているのにあんまりお金をもらえない人は腹をたてるように
今すぐこの部屋を完璧に掃除しろと言われたら
その労働量の膨大さに立ち尽くし
しかも報酬ゼロ円に呆然とする そんな主婦Áなのだ私は
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-二センチ傾いて
この間の大地震で
地球は地軸を中心にぐらぐらと揺れ
そのせいで地軸の位置が二センチほどずれ
一日の長さが百万分の三秒変化したそうだ
2004年12月30日の小さな新聞記事によると
そうして私は正月に向けて煮物を作り
やり残した換気扇の掃除も
雪だからと延期してしまう
年末のテレビは特番ばかりだ
報道されなくなると
すべて終わったことのように勘違いしてしまう
人類滅亡のうわさも
いくつもの災害のその後も
明日 地球の正月がくる
子どもたちが作った雪だるまがカチカチに凍って
そういえばそれは物置の入り口付近にあったことに思い当たり
灯油缶が出しにくいな
ということなどを思っている
地軸がぶれたことの影響と結果は
はるか先に宇宙人が確認してくれるだろう
二センチ傾いた感覚をこっそり持ちながら
ÀⅮ2005年最初の朝は
あけましておめでとうの後に
雪かきということになるかもしれない
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七年
七年もかかったのだ
土星の惑星タイタンにたどりつくまで
ただ果てしなく
プログラムに従っていくしかない旅
暗黒と真空と沈黙の中を
地球は七年の間
その地表に
地獄や天国を乗せて回っていたのだ
罠のような平安の次にも準備されている
よじれた星の並び
行く末の不明におののきながら
宇宙をさまようにしても
まだ七年後にたどり着くべき確かな指標があるなら
そのほうが幸せなのではあるまいか
何の約束も交わせないこの地表にいるより
立ったその場所が
たとえ愛のかけらもない暗い星であろうとも
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雑巾を洗う
詩の合評会でさんざんに言われている人がいて
その人は急に気弱になって
もうこういう書き方はやめようかと思っているんです
などと言う
詩は
傲慢でわがままなもの
これでいいと思ったなら
これでいいのである
気安く手を入れられていいものではないのだ
人に雑巾をお渡しするときは
たとえどんな古雑巾だったとしても
きれいな清水に通してからお渡ししたい
そんな気持ちで
一編の詩をおずおずと差し出したりもするが
首を傾げられるのはまだしも
コキおろされるのもまだ正直な意見ということで
腹を立てながらも耳を傾けたりもしようが
さてさて大げさな賛辞は
うそくさいと思わなくてはいけない
それを一番よく知っているのは
ほかならぬ私なので
今日も
雑巾を洗うのに余念がない
おろしたての白にどれだけ近づけるか
読んでいただくにも陰ながら礼を尽くす
人の世も詩も
そんなことの積み重ねなので
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受験生の母
「克己心」を「こっこしん」と読む息子の
受験は大丈夫なのでしょうか
自己PR書は清書して学校に提出済み
「緑」の下の力持ち、と書いてしまったのを
直前で慌てて直してセーフ
この時期 イラつくとか 顔つきが暗いとか
荒れるとかよく聞くけれど
特に変化がないので
逆に心配な母なのです
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新年に寄せてなにか一遍と思いつつ
私が食卓のテーブルに座り
ノートと鉛筆を手に
ぽーっと中空なんかを見ていると
息子がすかさず
あっ ポエム書いてるだろ! と言う
そうさ 書いてるさ
くだらない一行二行でつまずいて
苦し紛れに干し柿を食べたり
ココアを飲んだりしているさ
ほんとにしょうもない作業だけれど
餃子を皮から作る手間と同じぐらいの
手間はかけているつもりだよ
星のことや雲のこと
花のことや猫のことばかり言っている中にも
病室で知り合った重い病気の男の子のことや
すっかりよぼよぼになってしまった両親のこと
ものすごい災害の後先のことなんかを思い浮かべている
そんなことは
書いている本人にしかわからないことだけれど
息子の受験問題集にあった詩の解釈の問題
こんなの絶対できないよ やってみなよと息子が言うので
どれどれとやってみたが
私もうまく答えられなかった
「この空欄に入る適切な言葉を次の四つの中から選べ」
四つの他にもあるんじゃないかな
いやきっとあるのだ
その詩を書いた某詩人だってきっとそう思っている
私も
いつだって四択の外を探して
中空を見つめちゃったりしているのだ
そんな時は
あっ またポエム書いてやがる と思って
ちょっとほっといてね
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冬至が過ぎて
冬至が来れば楽になる
そんな気持ちを抱えて
十二月の冷たい夕焼けを見ていたね
舞扇のように
雲は細い骨を伸ばしている
手紙がほしくなる
薄めすぎた水彩絵の具は
どんなに塗り重ねても
水のように弱いので
どこかで強い赤を差さなくてはならない
ポインセチアの鉢植えのように
また夏の盛りにまで
たどり着くことを信じていようね
冬至を過ぎて
日は伸びる一方
数日前までの痛いくらいの三日月も
だんだんやわらかくなっていく
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陶芸の先生
陶芸の先生は
新宿の雑踏の中にいると落ち着くそうで
胸の大きな女性をみつけると
おお・・・と感動の面持ちで見入ってしまうし
危ない儲け話にうかうかと乗っかってしまう人なので
いつもそばにいてひやひやむかむかしていたのだが
先生の方でも
愛想悪く注意忠告を繰り出す私とは
根本的に気が合わんと思っていたかもしれない
二十数年前の話だ
今年 もう八十七歳ぐらいにはなる先生から年賀状が来て
もう年には勝てません 個展も去年で最後にしました
などと書いてあるのを見ると
そうか もうそんなお年かとしみじみと懐かしくも物悲しい
一緒にいてどうも虫が好かん
なにか互いにギスギスしてしまうという人は
必ずいるものなので
そういう人とは時間と距離を置いて
悪い熱を冷やさなくてはいけない
先生もだいぶ枯れて
私も幾分くたびれて
今ならにこにこしながら
やあ あの時はどうも
こちらこそ 生意気で未熟で・・・
などと言い合えるのかもしれない
父親が憎くてたまらないと言って泣いていた同級生を思い出す
和解できないまま
二十六歳で亡くなってしまったけれど
生きていたならきっと
おじいちゃんが孫に甘すぎて困ります
などと書いた年賀状をくれただろうに
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手紙
実家へは子どもの写真を入れた手紙を
ひと月に一度は出すようにしている
最近子どもは写真を撮られたがらないので
仕方なく短い文章で
来週中学の文化祭ですとか
来月高校の入試ですとか
父もこまめに手紙を送ってくる
風邪がはやっているようですとか
油断せずに過ごしてくださいとか
毎回同じようなことが書いてあり
読んでいて同じだなあと思いながらも
特に変わったことがないことがわかるだけでほっとする
それはきっとお互いにそう
素直な手紙を書くのは難しい
一世一代のラブレターならともかくとして
親に対する日常の手紙の中で
やさしい思いを伝えるにも照れがある
父は八十一歳 母は七十六歳
元気で生きていてくれるだけで感謝です
そんなことをもし手紙に書いたなら
どこか体の具合でも悪いんかい?と
かえって心配させてしまうのかも
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被写体
夫は山や花の写真を撮る
仕事を休んでまで撮りに行く
リストラされる危険を冒してまで行くのだから
それなりの自負と自信を持っでかけていく
時折私を誘ってくれることもあるが
私に山や花を見せてくれるためというより
機材運び助手をさせるためのようである
夫は私がそばにいても山や花ばかり撮る
だから私はカメラの前に自分から立ち
「私を撮れ」と命令する
mortalという単語にふさわしい日本語が
どうにも見つからない
私の存在も夫の存在も
というか 人 生き物すべて
山や花に比べて
実際かなりmortalなものなので
ぜひ第一に被写体にしていただきたいと思う
私は何度でも「私を撮れ」と命じる
夫の写真もこっそり撮る
子どもは今撮られたがらない年頃だけれど
逃げ回って顔を隠していても撮る
写真だけではなく
こうして言葉でも撮る
一緒に出掛けたならまず私を撮りなさい
山や花は
百年後もそこにあるから
あなたが今撮らなくても大丈夫だから
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防災対策
夫と防災用品の買い出しに出かけながら
息子の進学のこと
娘の進級のことなどを話す
うちの人間はみんな
真面目にこつこつ何かやるのは得意だけれど
外に向かって強くアピールするのは苦手だからねえ
調子いい世渡りは望めないね
遺伝だね
夫は言う
どんなに調子よくいってたって
大地震が来たらイチコロなんだから
生き延びるっていうことが何より大事だ
うちは絶対みんな生き延びるよ
あとサバ缶何個買おうか
そうだよな
確かにね
サバ缶ばかりじゃ飽きるから
別なのもね
現金も五万円以上用意しといたほういいそうだよ
全然地震が来そうにないいい天気
だけど最後まで生き残れるのは私たちだけ
そんな気持ちを
絶対生きていく気持ちだけは
持っていようね
そうそうあと猫フードの買い置きもね
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梅の香り
電車の中吊りの
華やかなブライダル広告を見るのが
やけにつらいと感じる日々もあったし
施設へ子どもを送り迎えする婦人が
川沿いをゆっくり歩いていくのを
後ろから追い越せずにいた時もあった
赤ちゃんを抱く若いお母さんや
当たり前に通学する中学生
駅に向かって闊歩する人々・・・
幸福は
その人の年齢ごとに定義を変え
何を見てつらく思うかについても
その時の周りの状況
自分の状況によって大いに変わり
つまりかなり相対的なことなので
幸不幸を感知する心を過信しないことが肝要だ
もう梅の香りが日当たりのいい方から
かすかに漂ってくる
涙こらえかねた坂道も
今日は平気な気持ちで鼻唄をうたいながら歩いている
誰とも比べる気が起きなくなったのだ
人の上下とか左右とか前後とか裏表とか大小とか高低とか
降り注ぐ春のぬくもりを感じるのに一生懸命で
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種
その人は最後に会ったときも
一茎の白いコスモスの花のようだった
通りすがりの私に
母のような笑みを
いつも返してくれた人
飾らない物腰で
庭の花の手入れをしていた人
保育園のとなりの
日当たりのいい庭
その微笑み方ですべてが分かる
どんな豪奢な服よりも
あたたかなものをまとっていた人
あの日
抱きかかえられて
車椅子に座り
最後の庭をながめていた
だれもが嘘をつき
彼女はきっとうなづきながら微笑んでいた
今日
その人の夫が
ベランダに置かれた古い椅子に
ひとり腰かける
あの老婦人が残したもの
冬の陽射し
保育園から聞こえるにぎやかな声
今はなにもない庭
けれど
ひっそりと埋められているような気がするのだ
白いコスモスの種がこの庭に
微笑みに代わるあの人の形見のように
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