HP鏑木詩集(1)に収蔵
1, 時間図 (地図に載っている道を歩いているとき)
2, 波の名前 (あなたが言った または言うべきでなかった)
3, 半夏生の光 (紫陽花が露を湛える)
4, 湖にひそむ (湖は空に向かって裸眼を開き)
5, 点 (いま私はここにいて)
6, 子どものころ兄がくれた二枚のクリスマスカード そのうちの一枚、青いカードについて (黒ずんだ木の机の一番下の引き出しにしまってあった)
7, 子どものころ兄がくれた二枚のクリスマスカード 別の一枚、オレンジ色のカードについて (黒ずんだ木の机の一番下の引き出しにしまってあった)
8, 青磁の月 (何もないところに)
9, 蛇影の月 (雪が崖縁の空を)
10, 風鈴市 (首を吊っているみたいと)
11, 今日 (言いたいことはすべて言い尽くしたように思った)
12, 月の観測 (南西の空に 四十二度の高度で)
13, 革靴 (曲がり角を曲がったら)
14, 散歩する足音 (ハンバーガー店で少女は)
15, 惑星の年越し (明るい鉄さび色の惑星の路上に)
16, グランドピアノの下で (ほこりまみれですべりこむ)
17, 光射す食卓 (太陽が昇るのではなく)
18, 光降る夜 (日が暮れてから降り出した雪は)
19, 右か左か (開いた人体模型の中で)
20, 三日月 (やつでの葉の上にうずくまる青い蛙の中に)
21, 花の種 (かすれたように淡く紛れて)
22, 植物園 (温室のガラスが割れている)
時間図
地図に載っている道を歩いているとき
わたしは安心している
迷うこともない
きっとどこかにたどり着く
駄菓子屋までの近道や
かたつむりの這っていた垣根の道や
草に隠れた石段も
確かに地図に描かれていたのだ
それと同じように
時間にも道筋があって
どこへ通じるのかは
だれかが持っている時間図に
ちゃんと記されているのだろう
既に記されているしるべの上にいると思えば
どの空間にいてもこわくない
自分の位置を
濃い影のようにはっきりと感じている
時間図には
恐れはここで終わると描かれ
悲しみはここで消えると描かれている
四角を抜け出して
今わたしは自由なかたちになった
この存在はすでに
地図に委ねられた旅だ
ゆっくりと確かめていけばいい
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波の名前
あなたが言った
または言うべきでなかった事柄も含めて
私は言葉の周辺で
いつも審判を下している
サンダル履きで
ねじれた石の階段を下りていく
夏の海の植物が素足に絡みつき
ほつれながらヘビのように退いていく
誰もが自分のことを語りたがっている
地表の上わずか数メートルの間で
起こり得る日常
誰の幸福 誰の不幸 その差異を語ることは
波のひとつひとつに
名前を与えることに似ている
遠くまで平らに均された真夏の海
明日のことも
一年後のことも
思い患うことのない姿
釣り人はリールを巻き上げる
水面から天空へとつながる言葉が聞きたくて
光を肩に乗せながら
抜き手はひらめく
声嗄らすことのない発声をもって
語られるべき正しい言葉は
まぶしさの向こう
白いマストの上に小さくぶら下げられている
海鳥の羽が風に舞いひとひらの白
その行方ほどの明日
次々と生まれ消えていく波に
もうあえて永遠の名を負わせない
あなたが言った
または言うべきではなかった事柄も含めて
私もまた波の名前を胸の中に揺らし
息継ぎと息継ぎの狭間をゆっくりと漂っている
(2012年 第42回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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半夏生の光
紫陽花が露を湛える
明けていく朝を
無限の諧調で染め上げるために
くちなしが白をまとう
おびただしい埋葬を
かぐわしい祝祭に変えるために
空を映したフロントガラスに
ゆっくりと淡い海月が這い上がる
梅雨の晴れ間を待ちかねて
どこの物干し竿にも
たくさんの昨日がぶら下がる
すずらんが小さくうつむく
こぼれ続ける記憶を
丸いグラスで受け止めるために
花菖蒲が肩をそびやかす
しおれた傘を
鮮やかな青で塗り直すために
開いたてのひらに
浮かび上がる蜘蛛の巣のあやとり
そこに咲く霧雨のような花々
幾たびも破られて
こまやかな笹の葉がそよぐ
短冊に書かれた送別の作法
かたつむりはさかのぼる
銀色の天の川につながろうとして
ゆらめく今日を抱きとめる力は
一息一息の重なりの中に
曲がり角ごとに溶けた水たまり
虹の油膜を乱しながら
歩き通す半夏生の小道
破られたものは幾たびも繕われて
明日に待ち受ける明日咲く花々
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湖にひそむ
湖は空に向かって裸眼を開き
瞳の中に太陽を落とし込んでいた
年若い釣り人は自らを支点にして軽々と立つ
踏み込めば落ち葉が足元を湿らせていく
少年よ この日陰の岸から
君の垂らす釣り糸を静かに見入っていよう
君の規則正しい脈拍と
一点に凝縮した眼差しと
弓のような腕とが
釣り糸を張りつめた旋律にしている
水面に広がるゆるやかな波紋
陽は魚の銀鱗にまで射し込む
安らかなこの平衡の上に立ちながらも
私はどこか遠い座標と共鳴しあっている
飽和した水の命の中で
魚類たちのせわしない呼吸が聞こえる
少年の釣りは気紛れだ
釣り竿をそのままに
もう仲間たちの方に駆け出している
そう それがいい
輝かしい反射を一枚めくれば
水のてのひらが遮光する小暗い寒さ
俊敏な君の足なら
湖の呪縛から逃げおおせるだろう
何か巨大な魔に食いつかれないうちに
風が湖をこすり 湖は一瞬年老いた
湖深く垂れる釣り糸のおののき
震える針先が唇をかすかに傷つけていく
もう観念しよう
とうに気づいていた
夥しい魚眼が今しも私を見ていることに
その冷ややかな目の動きの中で
いびつに膨れ上がった幾百もの私が
葡萄のように
爆ぜようとしているのを
(2014年 第44回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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点
いま私はここにいて
プラタナス並木に日は当たり
ひらひらと葉は揺れる
つまりそれは
秋の日差しではあるけれど
季節の定義さえ疑わしくなるような
瞬間の覚醒のなかで
私ははるか上空に浮かび上がり
信号の手前で立ち止まっている自分の姿を
見下ろす
つまりあそこにいるのは
ただの点にしかすぎない と
点であるなら
余計な感情は慎もう
今まで無闇に謝りすぎてしまったほどだ
無防備に眠る幼児の
ポッカリあけた口の中にも
理由や言い訳はぎっしり詰まっている
私は点にしかすぎない
ただの点だ
もうこれ以上壊されようのない点
よく晴れて
すみずみまではっきりと見えている
点の無神経さで
直線移動も 回転運動も
上下浮遊も
つまりお好みのままということで
秋空の呼吸
質量ゼロの心地
フッと飛ばされそうな軽い散歩
言葉の記憶をかきまぜながら
命に関わる一歩手前
ピリオドとしての私がピョンと跳ねる
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子どものころ兄がくれた二枚のクリスマスカード
そのうちの一枚、青いカードについて
黒ずんだ木の机の一番下の引き出しにしまってあった
慈善の名のもとに作られたカード
横長で大きめの白い封筒の中には
銀の星々 雪明りの森にたたずむ古びた教会
私はその頃 たった一人の大切な親友を持っていた
私は青と白と黒の太い斜めのストライプの入ったマフラーを首に巻き
彼女は黒味を帯びた赤薔薇のようなコートを身にまとい
悲劇的な物語を作るのに夢中だった
大人になっていくことに意思的な抵抗をしながら
深い夜の森に雪は沈んでいく
誰も聞くことのない鐘の音が響く
さんざめく星々の下に一人の神が誕生したとしても
その光はまだ幸福になれるかどうか分からなかった
月はいつも淋しい横顔をして朝の方へ歩いていく
閉ざされたまま世界は構築されていた
窓を内側からあたためて
そのあたたかさが逃げないように
戸口に入り組んだ鍵をつけるのを忘れなかった
彼女は赤薔薇のようなボタンを私に握らせて
私は星々が輝く青いカードを彼女に差し出した
銀色の粉が一面に振りまかれた青い夜
細く高い犬の鳴き声が遠くから聞こえてくる
白い雪に塗り込められた教会は十字架だけを強く輝かせ
誰も入り込めない夜にたたずんでいた
物語のノートは鉛筆の字で汚れていった
私にはある瞬間から
そのノート以上に大切なものはなくなっていた
賛美者は私からそのノートをいつも奪いたがっていた
彼女の手には
銀色に輝く青い夜のクリスマスカード
私の手には赤薔薇のようなボタン
身代わりのように
(2005年 第35回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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子どものころ兄がくれた二枚のクリスマスカード
別の一枚、オレンジ色のカードについて
黒ずんだ木の机の一番下の引き出しにしまってあった
慈善の名のもとに作られたカード
横長で大きめの白い封筒の中には
赤々と燃えた煉瓦造りの暖炉
天井まで届きそうなクリスマスツリー
父は新しい家の間取り図に
同じ日当たりの縁側を書き込み
母は窓際で内職のミシンを踏みならす
ねむの木の枝にぶら下げられたブランコは揺れる
葡萄棚の向こうから射してきた夕暮れの光
汚れたおもちゃはみんな捨ててしまった
何が大切だったのか分かりもしないうちに
私はその頃 一人の少年のことばかり目で追っていた
少年はトランペットの入った黒いケースを片手に練習の教室へと急ぐ
目じりのほくろさえ秘密の座標にして
廊下ですれちがう一瞬だけで私は少年のすべてを学んだ
その冴え冴えとした魂の色をも
暗い部屋の暖炉に赤々と火がくべられる
クリスマスツリーにつるした金色の楽器のオーナメント
描かれた香りが果物皿の上で混じり合う
豪奢にしつらえた席にたった一人の招待客はまだ姿を現さない
パーティーは動き出さない 舞踏曲はもう流れているのに
暖炉の上の大時計
ケーキとシャンパンと湯気の立つ御馳走と
火が燃え尽きた瞬間にすべて消えてしまうまぼろしを封じ込めた
オレンジ色のクリスマスカード
少年は少年のまま 冷たい唇のまま
暗い部屋の片隅に灯された一本の蝋燭ほどに光ひろげ
その光の中で
私は少女のまま 短い髪のまま うとうとと眠り続ける
むきだしの魂を隠そうともせずに
父は新しい家の間取り図に
同じ日当たりの縁側を書き込み
母は窓際で内職のミシンを踏み鳴らす
ねむの木の枝にぶらさげられたブランコは揺れる
葡萄棚の向こうから射してきた夕暮れの光
無傷な夢をみていた
遠ざかるほどに清められていく聖なる夜に
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青磁の月
何もないところに
差し入れた指先は
震えながら
夜明け前の蒼い月をつかんだ
裸形の樹木は
身を守るために
鋭く空を貫かなくてはならない
頬を探そうとする暖かな掌に
ひとときを委ねながら
もう
月の言葉で語られた箴言を
しずまりかえった瞳で
読み取ろうとしている
くっきりと白い首筋をさらして
浅い寝返りをうった
身代わりとなるために
蒼い月をつかんだ
殺ぎ落とされた月の光から
このまどろみを庇うために
ガラスの水差しの中で
捩れたモノグラムが絡み合う
行く先々の指標として
見出されず済むのなら
それが一番望まれた答えだ
動き出した冷たい霧が
肩に降りかかる
まだ目覚めてはいけない
夜明けはただ
砕けた青磁のかけらで
肌をうすく
傷つけていくように
(2013年 第43回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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蛇影の月
雪が崖縁の空を
さかさまに落ちてくる
人ごとのように
覗き下ろすことができるのなら
引き絞られた真夜中の月は
呼吸を苦しまずに済むだろうに
もっと楽になれ
どんよりした霞雲はそう呟く
不定形な望みに縁どられて
雲は白薔薇の顔で笑う
笑っているがいい
尖った警句ひとつ吐けもせずに
見つけ出せただけの微かな光量を
散り散りに分け合いながら 雪は
藻夜中をくらくらと落ちていく
ああ…と叫ぶ間もなく
ああ…と呼び止める間もなく
その身に蛇影をひそませながら
やせlこけた月は
闇の中の綱を固く握りしめている
…手を離せば楽になるよ
…もっと気楽にさ
…さあ一緒に
耳をかすめてゆく声は
ただ果てしない闇の滝壺へと急ぐ
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風鈴市
首を吊っているみたいと
彼が言った風鈴は
けれど夏風にもまれてにぎやかだ
悲しいイメージ 分かりにくい迷路に
入り込むのはもうよそうじゃないか
自転車を倒して
ハト豆を撒き散らして
少年は参道の真ん中に
足を投げ出して座っている
群れてくるハトを
信者のようにはべらせながら
風鈴の音ひとつごとに
黄昏や憂愁を聞くのではなく
優しい笑みや素直な呼吸を聞こうじゃないか
はだしで水辺を歩くそんな姿勢で
丸く膨らんだガラスの中に
丸い目玉の赤だるま
何百もの風鈴の中から
とりわけいびつな顔を選んで
さあ一緒に帰ろうね
災厄をすべて取り払ってくれとは言わないから
彼の風鈴は
ちりりちりりと
吐息をもらしたそうだが
私の風鈴は
がららがららと
大笑いしそうである
(2010年 第40回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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今日
言いたいことはすべて言い尽くしたように思った
黙っていれば代わりに誰かがしゃべってくれる
水車のように回転して
時間は粉々にすりつぶされていく
誰かの口から光合成の泡があふれる
たとえ明日が予言によって既に破滅していたとしても
今日は約束の仕事を果たすために
私は動き続けるだろう
生きることの価値を
ささやかな金銭に換えるために
からっぽになった両手に溢れる水を受け
水の去り方の見事さを学ぶ
まず念入りな朝の身づくろいから
さっぱりとした今日を始め
その心地よさで今日を満たしていこう
生体の反応が感情を決定していく
当たり前の思いを正当に浮かべ
語りたくない口は閉ざして
卑屈な笑いを切り捨てていく
駆け降りる地下道
張り巡らされたタイルのトンネルに
響き渡る幾百もの足音
快が不快になるぎりぎりのところを
危うくかすめていく
心が囲い込む空間の外へと
そのままのスピードで
約束の地図を描き替えに行こう
昨日 白く乾いていた土地に
今日 人々は都市を作り始める
明日 骨組みから廃墟が透けて見えようとも
求められたすべてを果たしにいく
降りた階段の数は数えない
もっとはみ出した今日を描くために
(2004年 第34回 神奈川新聞文芸コンクール 最優秀賞)
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月の観測
南西の空に
四十二度の高度で 夕方六時
三日月が現れている
おとといは新月のはずだった
それが一月一日の月だと
二〇〇一年になって初めての月だと
世界のどこかで 誰かが同じように
記録しているだろうか
三日月はいつも
家の真向かいにある団地の上に現れる
満月はいつも
東の窓の向こうのマンションの上に現れる
砂漠の月でも 海の月でもなかったこの運命についても
書き記す余白はあるのか
西の方へ急速に傾いていく
別の夜に入っていく
向こう側から投げかけられた光を受けて
三日月は当たり前のように現れる
賛美する者はいなくても
灰色のプラスチックのおもちゃほどの観測器で
一時間ごとに定点観測されている
思っている
真夜中の月を見上げることが
ほとんど神経症的な恐怖であった頃ほど
すべての記憶が青く際立っていた時はなかったと
刃物の上で踊り続ける日々から
いつ下りることができるのかも分からずにいて
十時を過ぎると 三日月は
西南西のマンションの向こうに隠れてしまう
沈みゆく月を
最後まで見届けることができるのは
地平にいる黒い犬だけだ
遠吠えが野太い記録の手となって
新年の月は位置を定める
くっきりと 鋭く漲りながら
射抜くかたちで
今夜 ただひとり新年の月であろうとする
(2009年 第39回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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革靴
曲がり角を曲がったら
薄汚れた革靴がいきなり転がっていた
見たなりに立ち止まって
そのままじっとながめていた
革靴はひとりきりで黙っていた
桜の花びらが指先で肩を押しても
首のあたりに不機嫌そうな皺をよせて
くすんだ目をして転がっていた
日当たりのいい道の真ん中で
すぐ脇にはどろっとしたどぶの水
苦しげに白い膜をかぶったヘドロの泡
通りかかった茶色の迷い犬
自信無げに振り返り振り返り
革靴にものを尋ねたそうに
塀の向こうから老婆の押し殺した念仏の声
果てしなく続く呪詛のように
春風になぶられて 桜は桜 桜葉は桜葉
いつも通りに始まった四月に
誰も彼もがごろんと投げ出されて
どうにもまだ据わりが悪い
といった風情で
この完璧な背景におさまって
革靴は不機嫌だった
革靴は
見つめている私を蹴飛ばしたかった
革靴は
ゴミ捨て場の上に放り投げてほしかった
言葉で嘗め回してほしくはなかった
そうか
ではこの辺で勘弁してやろう
革靴の横を通り過ぎると
革靴はほっとして
革靴そのものになる
もう生きてはいない
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散歩する足音
ハンバーガー店で少女は
精一杯の笑顔を売り続ける
木材を肩に担ぎあげた青年は
白い息を首筋に巻き付けてゆっくりと歩き
携帯電話を耳に当てたサラリーマンは
信号に向かってしゃべり続ける
道端で首を縮めたタンポポ
そのそばで
咲き始めた白い水仙
無意味さを振り捨てて
立ち上がるめぐりに立ち
散歩する足音を
おなかにまで響かせて
生まれ出ようとするものに
そのリズムを教え聞かせる
黒衣の牧師が裾を翻しながら
田んぼの横の教会に入っていく
クリーニング店のドアが
開け閉めのたびにチャイムを鳴らす
傍らにずっと目を離さず歩いてきた
健やかであろうとして
探り寄せるそれぞれのリズム
望む方向に向かおうとするスピードで
太陽は確実に動いていく
叫びが似合うものは叫び
沈黙が似合うものは沈黙している
呼応する規則性をわざと乱そうとしながら
どぶ板の上を音させて歩き
点字ブロックの上を目を閉じて歩く
からだの中に向かって
新しいリズムをたたき出す
まずはこの散歩するリズムから
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惑星の年越し
明るい鉄さび色の惑星の路上に
電柱の影は長く細く倒れ
露天の八百屋の店先で
山積みのみかんは
ひんやりとしていた
空だけを見れば
夏のような青と白
時は
鈴のついた首輪をはずして
落葉しきった風通しのよい午後を
すばやく歩いていく
誰のもとにも
うつむく夕暮れは訪れ
誰のもとにも
ひざまづく夜は訪れ
しかし
惑星の自転がもたらす回復の周期は
心臓ごとに
違ってはいなかっただろうか
くっきりと退いていく照り返しを
肩越しにながめている
黒い子犬だ
そんな時 足元にいてほしいのは
ひとときも待つことができず
鼻先の望みのままに
遠くへ行こうとばかりして
じきに
赤い満月も随行してくる
大きな川の上にかかる
鉄橋のあたりに
やわらかなビロードの旗が
降り下ろされる頃には
(2011年 第42回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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グランドピアノの下で
ほこりまみれですべりこむ
黒く光ったグランドピアノの下へ
頬杖をついて腹ばいになった
隣り合った少年の巻き毛
いつも斜めから見透かすように
ダンボールで作った森が
前のめりに傾いていく
根元からいくつにも分かれた影
布と綿で作った尻尾を振り振り
冷たい裸足で駆けだしていく
私は場所を探そうとしている
あるいはひとつの情景
夢を遠巻きにして
夢を追い詰めようとした場面を
悪戯な目配せを交わしあいながら
少年は私の隣で
白い尻尾をそっとはずした
さあ 最後の出番
ナイフの用意はできている
生き返った子ヤギたちは
手をつないで
森の外に駆けだしていく
グランドピアノの下にはもう
別の子どもが腹ばいになっている
今度は薄布の羽をまとって
拾った尻尾は赤い傷を負っていた
ほこりまみれの夢は
あれからずっと
群れの中に帰っていない
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光射す食卓
太陽が昇るのではなく
大地が前のめりに倒れていく
光は冬の角度でまつげをかすめ
食卓にわずかな傾きをつくっていく
小さな動作で忍びやかに整える朝
ガラスのコップを透過した光が
食卓に白い空を映し出す
湯沸かし器のお湯が
真夏のスコールのように
両手をあたためる
古びた記憶にしみついた傷みも
あくび一つで逃していける
食卓にはもう久しく花を飾らない
しおれ果てた花の
どの瞬間が死だったのかは
誰も知ることはできない
子どもたちは
無意識に朝日を避けようとしながら
布団の中に小さく潜り込む
黒い猫は細長い陽だまりに沿う
食卓にお皿をひとつひとつ並べて
お皿の数だけ
今日が明るいことを感じている
花よりも飾りたいものがある
氷のように生き延びて
冬の日差しは薄く乾いている
開かれては閉じていく物語
それぞれの椅子に座っていられるだけの
時の間の
拭われた食卓に
もうミルクはいたずらにこぼれない
顔をもたげた花たちの
どの瞬間が誕生だったのか
息をこらして一皿一皿盛りつけていく
あたたかな湯気をまとう言葉だけを
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光降る夜
日が暮れてから降り出した雪は
街灯の光の中
一瞬きゅっと鋭くなったかと思うと
斜めに刺すように落ちていった
雪はあとからあとから吸い込まれていく
ほら穴のような地表の闇へと
真夜中を過ぎて急速に白の領域が増え
見えるすべてが不思議にくっきりと明るい
瓦のぎざぎざ模様も なめらかな畑の起伏も
いつもなら見えるはずもない影の裏側も
光ともいえない明るいものによって
くまなく照らし出されている
坂道の多いあなたの街に降り積もる雪は
規則正しい住宅の並びを
更に単調なフラクタルにするだろう
鉄塔の骨組みは埋められ
巨大な樹木のようになる
もしこの皮膚に冷点を持たなかったなら
雪はいつでもやさしくあたたかいものと
感じていられたのだろう
湧き上がる泡とは逆の作用で
雪は闇の中を駆け下る
重なりゆくものの軽やかさだけを信じ
羽のように埋められたいとさえ願い
失ってしまったもの
ただそれだけを浮かび上がらせて
あなたは今夜眠らない
音のない光が地の底から射してきて
世界は反転した真昼になる
何もできない 何もしてあげられなくて
大丈夫 大丈夫だからと
かすかに呼び交わす声が
繰り返し繰り返し雪に鎮められていく
誰も知らない逆転の真昼に
むしろ華やかな 光の積もりゆく夜に
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右か左か
開いた人体模型の中で
プラスチックの内臓が
カタカタ鳴っている
脳味噌を二つに分けて
それぞれを両のてのひらに乗せている
人が一日に
何文字相当をしゃべるのか
見当もつかないが
私は一日に
二百字の警句を吐くのがせいぜいだ
右か左か
どちらの機能に負うところが多いのか
取り出した脳味噌に聞いてみようか
まずは思うままに
悲しいと言い さびしいと言い 美しいと言う
そこから先の闇に待っている血管の迷路
モルモットは突き進む
学習した道を踏み外さぬように
もっと上から全体を見晴らして
母音を並べ換えていこうか
右か左か
交差する神経が感覚を交換していく
青か赤か
気安く断ち切れば即命取り
大げさな手術の振りをして
内臓模型をちょっと入れ替えただけ
レトリックの妙はいつも
取り出した心臓の奥の方に
みかけだけは
たいそうな威厳と誇りをもって
神の手は下す
乾いたメスを握り直し
全世界の
共鳴と雷同を言い切るために
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三日月
やつでの葉の上にうずくまる青い蛙の中に
心を溶かし入れてきた
セロファンに包まれたひとしずくの心臓を
透明な人差し指が小刻みに叩いている
冷たい夜風に凍えていくゼリー
目の奥に天球図の星がにじむ
この口はちいさな有機体を食べる
更紗模様が刻まれた薄い羽も
わずかばかりの青白いはらわたも
すぐもげるプラスチック細工の足も
わたしはこの体のすぐ内側にいる
足先を振って跳躍の神経を確かめている
この夜のうちにどこまで行けるだろうか
目の前に飛んできた黄色い羽虫を
無意識の反射で絡めとって
一息で飲み込んだ後
強張った喉をうすくふるわせてみる
ああ 声が出た
水笛の響きを持つ細い声が
守ることも守られることもない
むきだしの濡れた青
わたしの腹の奥でもがく手足
突き破ろうと力果てるまで噛み付く歯牙
外側にめくれあがりそうな嚥下作用
輪廻の舞踏に急かされるように
さあ まず左足
傾いた水平に身体を添わせ
次に右足 吸盤をきつく張り付けて
たわんだ葉の縁から次の縁へと
一人の夜を跳び移っていく
行く先々にいくつもの小さな悲鳴
最後に迫る大きな虚ろに呑み込まれぬよう
金色の虹彩を横一文字に引き絞り
皮膚のすべてで月光を呼吸する
(2019年 第49回 神奈川新聞文芸コンクール 佳作入賞)
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花の種
かすれたように淡く紛れて
ぼんやりと一面に広がっている
花瓶に生けられることを願う花か
地を這っていたい花か
その違いを明らかにするためだけに
私は何行もの文章をすりつぶしてきた
生暖かい春の土の中に
深く差し入れたこの十本の指先は
今 ゆっくりと目を見開き
豊穣な黒をすくい上げる
延々と植物を生かす土のように
有機エネルギーを満たし
消去と改変の白を
すみやかに花の色で
染めることができるように
巨大な都市地図
隙間もなく埋められた記号として
すべてを均一な文字で
記録し続けるだろう
花瓶に生けられることを願う花か
地を這っていたい花か
問う者にしか見えない一面の白
春の土にしみこむ雨の匂いの中で
舞い降りた言葉のぬけがらが
息を吐いて形を崩していく
もう生き返らなくていい
鮮やかな君臨の背後にも
隠された腐蝕が始まっている
絶えず流れていく風媒の音律を
開いた指の隙間に受け流し
過ぎ去った花の時間を
ほの温かい穴の深くに埋め戻す
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植物園
温室のガラスが割れている
風は‥‥
花々の体温は守られているだろうか
木枯らしが吹き過ぎたあと
遠い山脈の雲もちぎれて
山頂あたりの雪渓もよく見える
子どもたちは
小さなどんぐりを拾い集めることで
今日一日の喜びをたやすく手に入れる
黄色い銀杏の葉がちらちらと降りかかる中で
今日は快い日だったと
果たして私は
素直にうなづいて言うことができるだろうか
若い恋人たちは
息を弾ませながら同じ歩幅で歩く
年老いた人の肩にはりつく薄められた光
長く伸びた影
ひとり歩く私の残像が
豊かな力に満ちたしなやかな若者のように
おそらくは見えるであろうことに
今すれちがった人よ
振り返らずに羨んでいるがいい
私の手はこんなに凍えているのに
寡黙な植物園は空ばかりが高く
見知らぬ樹木がそれぞれの葉を散らせている
散るものも散らせるものも
痛みはないのだろうか
落下の感覚
もうじきはじまる長い休暇が
既に喜びではなくなっていることに
私はいぶかしく瞳揺らし首を振る
健やかな食欲
当たり前の睡眠
朗らかな笑い
夕暮れの語感が
かつて安らぎであったとは
今ではもう信じがたい
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