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kaburagi2

第43詩集                                      苔庭づくり

更新日:8月7日

鏑木詩集(新)



1,人間と犬(腰が曲がり始めたご夫婦が

2、池の満月(森の奥深くに

3、足と手(車椅子を押す手に

4、ほぼ皆既月食(ほぼ皆既月食の日だと

5、歩く(毎日お天気が違うように

6、75日(畑で取れたさや

7、秋の仕事(家の前の道を

8、抜け殻(厳しい雨風が

9、粉瘤の手術(粉瘤の手術をした、

10、生きる構え(何気なく受けた検査で

11、自省録(マルクス・アウレリウスの「自省録」の中に

12、生きる極意(とにかくリラックス

13、春の光の中(見たはずの桜を

14、ダミさんの看取り(大きく一呼吸

15、ダミさんが死んで4か月(外から帰ってくるたびに

16、体重(クリーム色の大きなラブラドール犬を二頭

17、海の定義(海のそばに

18、2022年11月8日(皆既月食と惑星食が重なった

19、五分間(高校の英語の授業中

20、洗濯機を見る(洗濯機の表示を

21、青春を記す(大学時代の詳細な日記を基にして

22、かかりつけの歯科医院(今のところ歯は

23、カレンダーと日記帳(11月を前にして

24、​山椒とアゲハチョウ(柿の木の下に

25、十月の姑(十月の半ばぐらいに

26、介護を終えて半年(姑の自宅介護という仕事がなくなって

27、姑との面会(半年ぶりに

28、姑の転院(姑の入っている施設が

29、半年ぶりの面会(半年ぶりに姑と面会できるようになった

30、ケーキの話(去年 90歳を迎えることはできないだろうと

31、10万円(姑は施設に入って





人間と犬


    

​腰が曲がり始めたご夫婦が

もちもちしたおしりの若い柴犬を散歩させている ​​

この明け方の小径 ​

犬はいつ ご主人たちの歳を

追い越してしまうのだろう ​

散歩が終わる日

そこに残っているのは 誰だろう ​

​一足一足

老いた人と

若い犬


もちもちとしたおしりの後ろ姿

二人と一匹が

明け方の小径を

静かに川の方へと歩いてゆく ​


(2021年7月30日)



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池の満月



森の奥深くに

満月を映す池があり

水の面がこわれないように

木の上で番をしているのは

白いカラスだ


くしけずられた風

ほぐれていく笹鳴りの音

絡みつく蔦の螺旋

ひとつ星の強いひかり


池の周りに広がる

腐葉のぬかるみ

かつて一度立ち去った

その場所にふたたび

こころを忍ばせる


ぐらついていても

倒れたりはしない

揺れていても

必ずホメオスタシスに向かう

記憶を信じ

白いカラスとみつめあう


池の面にはいつでも

正しく前を向いた満月

この場所でだけ輝く

欠けている姿を

誰にも見せることもなく



〈2021年10月1日)



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足と手



車椅子を押す手に

春の日差しは

淡く降り注ぎ

その光は

どこかで香る

黄色い蝋梅の花たちと

細く紐づいている


急がない踏切の前

矢印の方向から

来て去るものの行方

歩く足と歩かない足

傾く半身に添える片手

声掛けに応える声を

もう求めることもなく



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ほぼ皆既月食



ほぼ皆既月食の日だと

テレビのニュースが言っていたので

夕方から空を見ていた

いつも月が出る東の空は

少し濃い雲が広がっている

果たして月は

ちゃんと見えるのだろうか


月食より先に

夕焼けがはじまった

西の空 梨畑の上

屋根屋根に狭められて

桃色のような朱色のような

淡く紫が混じったような

夕焼けの色としか言えない光の色

これほどの夕焼けは

なかなかそうはお目にかかれない

ひさしぶりに

夕焼けの写真を撮った


東から西に向かって

歩いて職場から帰宅する夫も

帰ってきてから

夕焼けがすごかった 

写真に撮ろうかと思った

と興奮気味に言った


皆既月食は

夕食の時間と

かぶってしまっていたので

ちょっと忘れてしまった

あ そうだと思って

窓の外を見たけれど

真っ暗だったので

雲のせいで月は見えないのだろう

と思った

けれどまた数分後に思い出して

空を見たら

少し左に傾いたお皿のような形の

ぼんやりとした鈍い光が見えた

「ほらほら 皆既月食」と言って

夫にも見せたが

夫は夕焼けほどには興味はないようだった

月はいつも

上手に写真に撮れない

空を見上げているときだけ

私のまわりの空間が

​まるごと宇宙になる

頭上に渦巻く

抗えない流れのようなもの

分らなさ加減 

偏在無限の感覚は

神のごとし


月食はじわじわと太って

明るみを増していく

宇宙って何?

地球って何?

考え出すと

暗い洞穴に吸い込まれそうになるので


はいはい 大きく一呼吸して

お茶でも飲んで

日常に戻りますよ

​​天体のあれこれよりも

この目の前の平地で

日々起きる事

やらなくてはいけない事の方が

​あるいはもっと

計り知れないので

(2021年11月19日)



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歩く



毎日お天気が違うように

人の身体も

毎日違いますから

気にしないで

気にしないで

そんなやりとりも

通りすがりに

聞こえてきて


何もない人なんて

誰もいないから

みんな何かあるのだからと

介護施設の前で

大声で話している

人の声も聞こえてきて


いろいろな見聞きを

胸に沈めながら

私は少し早足で

小さな林への道を取る

足裏に感じる小石の感覚

心臓の鼓動すら

もう聞こえなくなって

紅葉の木陰を抜けていく


(2021年11月26日)



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75日


畑で取れたさやえんどうの

ちいさな天ぷらを

私のお皿にのせてくれる夫​

初物だからと

長生きできるからと


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秋の仕事



家の前の道を

箒で掃除する

あとからあとから

落ち葉が降り注いでくる

気が付くと

向かいの床屋さんの駐車場にも

うちの葉っぱが溜まっている


車がふみしだいていった落ち葉は

道に張り付いてしまって

箒でこすっても

なかなかはがれない


時々マスクが落ちている

コンビニのおにぎりのビニールが

垣根の下に隠れていたりもする


東隣の家の人が

小鳥にひまわりの種をやるものだから

種のカラも三十粒ほど

毎朝地面に転がっている


木枯らしが吹いて

向こうの団地の銀杏も一気に散り落ちた

うちの葉っぱも人んちの葉っぱも

全部箒で掃き集めて

ゴミ袋の中に入れる


家の前の道を

箒で掃除する

それは道行く人のためであり

自身のためでもある

こころを

こころの外にまで

行き届かせるということ


落ち葉が全部落ちるのも

あと少し

キウイのオスの木にはりついた

大きな葉っぱが気紛れに

カラリと乾いた音を立てて

一枚一枚落ちていく

落ちきったら

もう冬だ



(2021年11月22日)



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抜け殻



厳しい雨風が

吹き荒れた翌朝


朝日の中で

濡れたハナミズキの幹に

今もしがみついている

湿ったセミの抜け殻


落ち葉掃く私の

目の高さまで

よじ登ったその力を


なおも足先にこめて

叶う限り耐えて



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粉瘤の手術



粉瘤の手術をした

手術といっても1センチぐらい切開して

中の脂肪球を取り出しただけだが


数年来私の左側の首筋には

にきびのようなものがあり

ときどき夫に中の膿を

ニュルニュルと

押し出してもらっていたのだが

半年ぐらい前から

もう中身が出てこないということで

しばらく放置していたのだった


ふと気が付くとなんだか形状が

大きくなってきたような気がする

そこで皮膚科でちょちょいと

膿を出してもらおうと思ったら

これは粉瘤だから手術です、ということになった


手術なの?とちょっとびっくりしたが

仕方がない

放っておくとどんどん大きくなって

化膿したりもするらしい


それで今日手術に行ってきた

十五分ぐらいで済んだ

頸動脈の近くだから

それだけが心配だった


取り出した脂肪の塊は

直径七ミリぐらいで

ピンクの膜をかぶっていた

思っていた大きさの二倍はあった

これは指で膿を押し出すわけにはいかなかったなと納得した

担当した女医さんは

「真珠みたい 真珠だったらよかったのにね」

などと言って私にその塊を見せてくれた

確かに真珠のような光沢をもつきれいな球体だった


もらってきて夫に見せびらかそうとも思ったが

「ふうん、これが粉瘤か」で済んでしまいそうだったので

もらうのはやめた 

美しいようでいて中身は膿だし

写真ぐらい撮らせてもらえばよかったかもしれない

(2022年1月15日)



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生きる構え

何気なく受けた検査で

私の身体の中に

思いがけない脆弱性が見つかった

健康のためにやってきたことが

すべて崩れおちた気がして

結構気持ちが萎えた

細胞レベルの話なので

私の努力ではいかんともしがたい


80歳90歳まで生きるのが当たり前になってきた時代

そこまでたどり着けない人も

実はかなり多い

そんなことにも改めて気付かされた

急に人生が先細りになったような気がした

ここにきて私は誰のために

どのようにこの命を使おうか

そんなことまで考え始めている

別にいまのところ

命に別条があるわけでもなく

淡々といつも通りでいいのだけれど

ただ平均値より結構劣っている

私の人生にそんなことがあってはならないという

この変なプライド


少し思う

知らないほうが当面幸せだった

しかし

何も知らず破滅への道に向かっているとしたら

知らない間の幸せなど

後悔にしかならない

つらくてもすべて知っておくべきなのだ


私は憤激し次の一手を考えはじめる

苦悩の時期のあがきやもがきが

人を成長させる

自分の駄目さ加減を知ったうえで

私は勝ちにいきたい

つぶれたままでなんかいるものか



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自省録

マルクス・アウレリウスの「自省録」の中に

「君がなにか外的な理由で苦しむとすれば

君を悩ますのはそのこと自体ではない

それに関する君の判断なのだ」という記述があった


先走った判断や偏った考え方

それさえ改めることができるなら

ただあるがままに

自然に楽に日々を生きられるのだろう

自分の脳こそが最大の難敵

今年も桜が咲き始めた

噴き上がる春のエネルギー

気持ちがついていかなくても

明るい方を向くように

それだけを常に心掛ける

無理にでも笑顔でいる

そのうち本物の笑顔になれる


このありがちの幸福論

ありがちすぎて

幾分馬鹿にしていたのに

今日の私はいやに素直だ



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生きる極意


とにかくリラックス

無駄な力 不必要な緊張を取り除いていくこと

人にそう言ったり

自分でも呼吸法をじっくり試したりするけれど

そうすぐにリラックスできないこともある


にぎりこぶしを一日中握っていたとしたら

エネルギーの無駄な消費

下半身にしっかり気を落とし

馬歩の形で膝を緩めて立ったら

上半身は無でいいのである


ストレスの元があちこちにあったとしても

上がった気をすっと下げ

徐々にリラックスしていく

それが生きていく上での大事な極意​

理屈ではわかっているのだ

しかし無になるのは本当に難しい

人は悩み落ち込み体を固くして

低く雌伏し這いまわった後に

やっとの思いで立ち上がっていく


思い詰めた場所から

いつか徐々に緩んでゆく

その時はなぜか炭酸水が飲みたくなる

炭酸水をコップになみなみとついで

高く掲げるまでの一連の流れ

人生の滋味は

まさにそこに在る



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春の光の中

  


見たはずの桜を

思い出そうとしている

目の中に映っていたはずなのに

あの時わたしの心は

うわの空だった


降り積もった花びらの山に

ふわっと倒れ伏す心地よい夢

そのまま地球の芯まで

沈んでいきそうな

春の始まりの余韻


桜が終われば

梨の花が咲き拡がる

まぶしい一面の白を

初めての景色のように

驚きながら今年も眺めやる

見えている世界が

そのまま私のこころだ

落ち着いて

正しく

歪みのない視線を保つこと

ただそれだけで

​命は整っていく



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​ダミさんの看取り


大きく一呼吸

そのあと数秒 呼吸が止まり

また思い出したように ため息のような一呼吸

そしてまた呼吸が止まり

数秒後 おっと忘れてたいかんいかん という風に一呼吸をし

そしてまた止まってしまう

そんな感じの最後の呼吸が5~6回

日曜日の深夜

ダミさんのかたわらの

冷たいお風呂場の床

猫は死ぬときが近づくと

寒い場所を求めるって

ネットで調べなかったら知らないままだったよ

2日前から暖かい部屋を抜け出して

寒いお風呂場や雨降る庭に

よろよろと行こうとしていたものだから

2週間前から何も食べなくなり

1週間前から少しの水しか受け付けなくなり

平べったくなってしまったやせた身体

なぜか昨日から

ダミさんのおなかがゴロゴロ鳴りはじめ

おなかがすいてるみたいだけれど

きっと何か違う変化が起きている

深夜2時の少し手前

ダミさんの呼吸を見守り続ける

そばにいるよと

声をかけ

体をゆっくり撫で続ける

父が亡くなるとき

ベッドの傍らで

首の血管の脈の動きを

ずっと見ていたときのことを思いだす

ダミさんも頑張ってまだ生きようとしている

さっき2度ほど起き上がろうとして

頭を持ち上げ身をよじっていた

そのバタつく音で

最後のダミさんの異変に気付いたのだ

そして7つ目の息を大きく吸ったあと

ダミさんの呼吸は

完全に止まってしまった

じっと目を凝らしたが身体はもう

どこも動いていない

耳をダミさんの体に押し付けて

心臓の音を聞こうとしたが

何も聞こえてこない

ダミさんは死んでしまった

17歳と半年 

よくがんばった えらいえらいと

頭を少しなでて

少し汚れている口元や前足を

濡れたティッシュで拭いてやり

白いタオルで包んであげた


まだ深夜の2時半

私は自分の寝床にもどった

ダミさん もうつらいことは全部終わったね

そんなことを考えて涙も少し出た

夜が明けたら火葬の手配もしなくては


たぶん

今後猫は飼わない

一匹の猫の生涯をこれだけ見たら

もう十分だ

ダミさんの思い出だけを大切にする


(2022年5月15日)



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ダミさんが死んで4か月



外から帰ってくるたびに

大声をあげて低い声で

「あー、あー」と

呼んでくる猫だった

その声を聞くことができなくなって

もう4ヶ月

今でもこたつから

のろのろと這い出てきそうで

車の下に

寝そべっていそうで


早朝から玄関口で声を張り上げているので

たびたびご近所さんにも謝っていたが

私には全然迷惑なんかではなかった


「あーあーあーあー」と

また思い切り怒鳴りながら

帰ってきてほしい

私の顔を見て満足そうに

うむ くるしゅうない 

という顔をしてほしい


火葬の台に乗ったダミさんの形の骨

頭蓋骨

のど仏

肋骨や手足の骨

尻尾があったなら

尻尾の形の骨もあったのだろうか

ダミさんの指の骨は

細く

爪楊枝ぐらいの細さで

思ってもみなかったはかなさで

その指で

随分ネズミを捕ってきたよね

(2022年9月16日)



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体重



クリーム色の大きなラブラドール犬を二頭

毎朝散歩させている若い夫婦がいる

ゆらゆら歩く犬たちの

安定の存在感


きっと彼らは

一戸建てで部屋も沢山あって

庭などもある大きな家に

住んでいるのだろう


ベッドで

ラブラドールを傍らに

寝ることができたら

どんなに気持ちがよいだろう


小さな猫でも

頭のそばで寝てくれた日には

とても心安らかだった


その猫が死んで

ほぼ四キログラムの猫の

火葬の額の相場を知った

今日も彼らの散歩を見送る

二人と二頭

悲しいけれど

命の値段は

体重で決まるんだよ

両腕で抱えた

やせ細った猫の軽さ

大きな犬だと

どんな重さだろう

そこから先は彼らのお話

二人と二頭

今日も元気な姿だけを

道の隅からそっと見送る

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海の定義


海のそばに

本当に海のすれすれに

下り立つのは

数年ぶりのことのように思える


海辺の町というものは

建物と建物の間の道の先に

不意に平らな海のひとかけらが

見えたりするものだ

ごたついた大地のつながりの先に

すべてを失くしてしまったような

海が広がる


若者たちが

ウインドサーフィンを楽しんでいる

透明な片羽を海から突き出し

溺れゆく小虫たちのようになって


ある夜

東京のビルの最上階

やむない打ち合わせの場にいて

「素晴らしい眺めだろう」と言って

窓の外を指差す人がいた


360度 建物だらけの町

地平線の先まで建物で埋まっている町

夜の闇に覆われ

眼下一面に広がる

夥しくも果てしない光の点


私はめまいを隠しながら

薄く笑って

「美しいですね」と答えていた


目をそらさずにはいられない

都会の無辺際

眼下一面に広がる見知らぬ生活

説明のできない畏れ


あの時

東京の夜もまた

ひとつの海だった

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2022年11月8日


皆既月食と惑星食が重なった

前回は442年前だったそうで

次は322年後だそうだ

夫とまた月食を見ることができた

欠け切った後の赤黒く暗い丸い月

どこに天王星があるのかと思ったが

月の左下あたりに

微々たる感じにあったらしい

もちろん惑星食は全然見られなかった

夫は

「本当だ、月食だ、黒っぽい」と言った


生まれ変わりがあるとして

442年前 私たちは同じ時代、同じ世代にいただろうか

322年後 私たちは再び同じ時代、同じ世代にいるだろうか


世界人口が80億人を超えたという

この地球の上

巡り合える場所はどこ

巡り合える時はいつ

322年後

窓辺で見上げる月食の夜

そこに

また同じ家族を構成していたいのだが


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五分間


高校の英語の授業中

リーディングをしていた先生が

突然黙り込んだ

そのまま立ち尽くし

うつむいたまま何もしゃべらなくなった


ご両親を早くに亡くした先生

親代わりだったたったひとりのお姉さんを

先週 交通事故で亡くしていた

まだ三十代ぐらいだったという


そのことを

生徒たちは皆知っていた

先生は

なんとか授業を進めようと

口を開きかけるのだが

声として出てこない


そのまま五分間

沈黙の五分間

いかに五分間というものが長いか

生徒たちも耐えて静かに待つ


五分後

先生は大きなため息をつくと

低い声で

またリーディングをはじめた

生徒たちも やっと息をつけるようになる


授業をいくつこなせば

哀しみから遠ざかれるのか

次の授業 また次の授業

生徒たちはもうしばらく

沈黙に耳を傾けなければならなかった


あの日学んだのは英語ではなく

苦しみを乗り越えようとしている人の

​そのありのままの心の授業

今でも忘れられない



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洗濯機を見る



洗濯機の表示を

ちょっとかがんで

まじまじと見た

老眼やら近視やら乱視やら

ちょっと白内障が始まりつつあるとかなど

私の生活はだいぶぼやけている


たとえば月を見ても

二倍三倍にふくらんで見える

通りの向こうの人の顔など

さっぱりわからない


それでも今

ひとつ発見した

この洗濯機には

「白い約束」という名前がある

目を近づけてよく見たら

右の方の片隅に書いてあった


白い約束は

たぶん果たされないな

うちのタオルはどんなに洗っても

もう白くなんかならない


昨今の洗濯機の表示は複雑だ

取説を読まなくてはならないだろうか

見えないままに

知らないことがありすぎて

全てスルーしてしまいそうな自分を

今「白い約束」が啓発してくれたところだ


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青春を記す



大学時代の詳細な日記を基にして

「青春を記す」を書き起こしているが

これが結構きついのである

恋に陥っていく過程も妙に痛々しい

自分の言動が人にどう影響したか

今にして考えるのも悩ましい

若い日の私のうかつさに歯ぎしりする思いだ


青春はリアルに思い出すものではない

やり直したいことばかりだ

あの頃の自分に注意しに行きたい

しかし同時にあの頃はあの頃で

精一杯頑張っていたんだよな、とも思う


あの時代をまた生きてみたいかと聞かれたら

即座に、否、と答えるが

もし強制的に戻されてしまったなら

まずはもっと美しい服を着て

ばっちりと化粧して

自信たっぷりな笑顔を振りまこうと思う

若いとはそれだけで

人生で一番美しい季節

青春の只中にいると

そんなことにも気付けない

私は自分を卑下してばかりで

うまく人間関係が築けなかった

​あと もうちょっと真面目に勉強もしたほうがいいな


ところであの時代を経て

流れ着いたこの今

選んできた運命のあれやこれや

今だからこそいちゃもんをつけたくなる選択も

あるにはあるが

自分の選んだ道の大筋は

間違ってはいなかったと思う

この今に通じているならすべてよし


そんなことを思い

あいたたた、とつぶやきながら頭を掻き掻き

今日も青春を記すのだ


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かかりつけの歯科医院


今のところ歯は

親知らずを一本抜いただけで

あとは全部保っている

虫歯も歯周病もない

歯の健診も半年ごとに行っている

三か月ごとだっていいのだけれど

歯医者さんが半年ごとでいいと言うので


最近近くに最新設備を備えた

新しい歯科医院ができたのだが

その百メートル先の古い歯科医院に

つい行ってしまう

ここ三十年のかかりつけで

長年のつきあいだから


私と同年代ぐらいだと思う男性の歯医者さんは

いつもおなかが鳴っている

ぐー とか

きゅる とか

ぐぐ とか

診察の椅子に座っている私の方に

かがむたびに

ぐーきゅる鳴っているので

いつも笑ってしまいそうだ

いつか笑ってしまうかもしれない


おしゃべりな歯科衛生士さんがいた時は

私の頭越しに二人で馬鹿話を

延々としているので

それはやめたほうがいいですよと

いつも心の中で思っていた


その歯科衛生士さんもいなくなって

新しい歯科医院のせいか患者も減って

どうやら寂れ気味

でも

なんとなく古い方へ行ってしまう


私の三十年前からの

虫歯や親知らずの経緯を

すべて把握してくれている先生だから

そして私は私で

先生のお腹の事情を

かなり理解している患者だから



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カレンダーと日記帳



11月を前にして

カレンダーと日記帳を買った

姑が家にいた時は

カレンダーは介護関係の訪問の書き込みで

びっしり埋まっていた

今は空白が目立つ

その空白が

何故かひどく苦しかった一時期もあったが

今はもう慣れた


日記は2冊つけている

小さい手帳型の方は

行ったところや買い物したお店

食べた物などのメモ程度

正式な日記帳の方は

もう少し日常のあれこれを膨らませ

更に

有名な人が死んだとか

政治で何か変化があったとか

天変地異の酷いのが来たということなどがあった時

それを書く


学生時代は大学ノートを日記帳にしていた

授業の内容とか感想とか

友人たちとの会話も思い出せる限り書いた

恋人への思いや不満や不安などについても

1日に3~4ページびっしり書くこともよくあった

1時間ぐらいずっと書き続けていられた

それほど多く人に会い話し行動していたということだ


今は数行で足りてしまう

本当に書くことがない

あったとしても

夜まで詳細に覚えていない

1日の中身がひどく薄い

情けないことだが

それが年を取るということなのだろう


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​山椒とアゲハチョウ



柿の木の下に

10センチくらいの山椒が生えていたので

小さい鉢に植え替えた

鳥のフンに種が混じっていて

そこから生えてきたのだ


その山椒に秋の終わり頃

アゲハチョウのお母さんが

卵を産み付けてしまった


5匹の黒い幼虫が誕生したが

どう考えても成虫になるには葉っぱが足りない

どうしてここに産んだのだと

アゲハチョウのお母さんを責めたいが

お母さんはもう死んでしまっているのだろう


柚子の葉を足してみたりもしたけれど

お口に合わないようで食べてくれない

わずかな山椒の葉で

どうやら1センチちょっとぐらいの

緑の幼虫にはなれたが

そこから先はもう食べるものも無く

成長も止まってしまった


見守るのも不憫になって

放っておいたところ

いつのまにか幼虫は1匹もいなくなってしまった

山椒の葉も1枚も残っていなかった


二者共倒れの結末に

ちょっと悲しい気持ちになったが

最近山椒の裸の枝に

どうやら小さな芽吹きがあるようだ


山椒は来年また葉っぱをつけるだろう

来年また別のアゲハチョウのお母さんは

この葉っぱをみつけてしまうだろうか

捜して探して

ここにしか無かったのなら

仕方がないね

生まれた赤ちゃんは

チョウにはなれないけれど

がんばってがんばって

生きられるだけ生きてくれるよ

それでいいね


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​十月の姑

十月の半ばぐらいに

オンライン面会をした

姑はリクライニングチェアに

きちんと座って応対してくれた

じわじわ姿勢が崩れていくというようなことはなかった


そばにいるらしいスタッフさんに

さかんに「ありがと ありがと」と声をかけている

ちゃんと声を出している

しかもお礼を言っている

それだけでも感動物の進歩だ


姑は少しふっくらとして顔色もよく

私がご近所の人のことを話したら

少し笑ってくれた

表情も明るい

まわりで作業しているスタッフさんたちを追う目の動きもいい

自宅にいたときよりも確実に元気になっている

だれだよ夏には看取りだと言った人は

秋も冬も越していけそうじゃないか


リハビリ病院のソーシャルワーカーさんが

転院した施設で半年一年過ごす、それは絶対にありえないでしょうが

そう苦笑気味に私にささやいたあの日のことを思い出す

ことによると

半年一年いけそうだよ


今の施設で平和に安定して暮らせている

死を迎えるために入った施設で

以前よりもっと元気になっている

こんなことはそうあるものではないだろう

この施設に入れて本当によかった

感謝しかない

​オンライン面会が終わったあと

少し涙がにじんだ

(2021年10月23日)



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介護を終えて半年



姑の自宅介護という仕事がなくなって

半年が経とうとしている

太極拳講師としての活動もはじまって

今は教室をどう運営していくかで

頭はいっぱい


暇をみつけては

道端で拾ってきた苔を小さな鉢に植えて

毎日観察しては霧吹きで水やりをしている

もう二十鉢ぐらいになった

ただの雑草めいた植物も

小さくて可愛らしく葉っぱの形がユニークだったら

拾ってくる

色が悪くなったりしてきたら

道端の苔や植物なので

代わりの美しい株とすぐに入れ替えることができる

環境の変化に耐えられず茶色になっていくものあり

すぐに馴染んで新しい緑を広げるものあり

植物の世界もなかなかに面白い


苔だらけのしっとりとした庭をつくりたい

梅雨時はいいが昨今の猛暑では

枯れたようになってしまう苔もあるだろう

それでも

水をかけると必ず瑞々しく復活する

そんな不滅の苔

死なないと知っているから

見ていて安心していられるのだ



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姑との面会


半年ぶりに

姑と顔を合わせての面会

車椅子でロビーまで運ばれてきた姑は

顔色も表情も

寝たきりになる前の感じに戻っていた

少しはおしゃべりもできて

「今日は仕事は?」とか

「忙しいならそんなに来なくてもいいから」とか

こちらを思いやる言葉もある

腰の痛みも落ち着き

食事もまあまあとれていると

介護士さんからの説明もあり

夫と驚きながらも喜び合う

来年も元気で生き抜いてくれそうだ


と思った翌日

施設から電話があり

「昨晩2時5分に・・・」

と言い出すものだから

まさか、と思ったが

姑は夜中に何故かベッドから落ちて

大声で人を呼んでいたそうだ

医師でもある施設長さんが診察して

ケガもないようだし

痛みも訴えていないし

朝食も普通に食べれたというので

まあ、大丈夫そう

びっくりさせないでよ


(2021年12月30日)



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姑の転院


姑の入っている施設が

コロナのクラスターに見舞われた

姑も感染して熱は出たのだが

幸い軽く済んで大事には至らなかった

しかし問題は感染が職員さんたちに

蔓延してしまったということ

出勤できる人がかなり減ってしまい

入所者のうち比較的元気な人たちは

他の病院に移動させられることになった

この施設の系列病院は小平市にあるのである

姑はそこへ移動してもう10日ぐらいたった

どんな様子なのかさっぱりわからない

今までの食事 今までのケア 今までのスタッフさんたちに

安定して守られていた生活から

全く違うところに投げ込まれたのだから

何らかの変化も起こっているだろう

どんな様子なのか病院に電話して訊くのも

怖い気がする

夫にしてもそうなのだろう

あまり考えないようにしている

早く戻ってこられるといいのだが

(2022年3月6日)


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半年ぶりの面会


半年ぶりに姑と面会できるようになった

姑はいくらかやせていた

リクライニングベッドに乗せられていたが

座位が保てず

上半身が少しずつ背もたれから崩れ落ちていく

リハビリ病院にいた頃の弱々しさに

また逆戻りしている


半年ぶりに顔を見ることができた姑は

笑顔を失っていた

全然会いに来てくれないと怒っていたのか

なぜこんなところに入れられているのかもわからなくなって

訳もなくイラついていたのか

とにかく終始険しい顔だった

けれど夫や私の顔は覚えてくれてはいたと思う


何かをさかんにしゃべってくれてはいるが

何を言っているのかうまく聞き取れない

少し強い口調で

「・・・は、ゼロ!」

と繰り返し言っているように思った


動く右手を振ったりしている

それがあっちへ行け のような

手振りにも見えて

私は少し悲しかった

そばに口数少なく母親の様子を見守る夫は

もっと悲しかったかもしれない


ちゃんと食べれてますか

眠れてますか

という質問には首を横に振って答えてくれた

意思疎通はまだできる


姑は施設のスタッフさんのコロナ感染により

春頃一か月ほど小平の病院に移されていた

その時にやはり認知がガクンと落ちてしまったようだ

その病院はこの施設と提携しているのかどうか知らないが

なぜか精神病院だったそうで

内科的、整形外科的疾患が気になる姑を

うまく診てくれる医師はいるのかと

私はいぶかしく思っていた


病院からも施設からも

特に問題はなかったかのように

特別なお知らせは何も来なかったが

姑は環境の変化や食べ物の変化で

心身の安定に乱れが生じていたに違いないことは

察するに余りある


短い面会時間はすぐに終わり

病室へと運ばれていく姑に

またね と手を振ると

姑はちゃんと手を振り返してくれた

かわいらしく手を振る姑

去年看取りを宣告されてから

奇跡的に回復してちょうど1年たった

姑はもうすぐ91歳になる


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ケーキの話



去年

90歳を迎えることはできないだろうと

病院に宣告されていた姑は

施設に移動した後

難なく無事に

90歳を迎えることができ

そして今年7月

やはり難なく無事に

91歳を迎えることができた

葬儀の見積もりに奔走した

去年のあれは何だったのか?


会うことがなかなかできないので

誕生日カードを送ってあげた

前回の面会の時

栄養士さんが

「お誕生日にはケーキをお出しします」

というので

夫と「ケーキかあ!」と

うれしく顔を見合わせたが

「でもケーキもミキサーにかけるんです」

の言葉に

なんともはや

何気に食事も結構アバンギャルドだな!

ともあれ

どんな形状であろうとケーキはケーキ

施設のスタッフの方たちに

祝ってもらえてよかった

(2022年7月20日)


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10万円


姑は施設に入って

2年目の秋を迎えようとしている

今年もなんとか無事に

越すことができそうだと思う


姑が入っているのは

ひと月10万円の老健だ

10万円はかなり安い

20万円~30万円支払うのが普通の

一般の老人施設と比べたら


もし今

毎月10万円払ってやるから

自宅で寝たきりの人の

ディープな介護を

24時間365日やってくれ

と言われたらどうだろう


うん、やってやるよとは

すぐには言えない自分がいる

今の自由はお金には代えがたい


しかし30万円払うから

と言われたら

どうだろう

やるかもしれない 30万円なら


と、そこまで考えて

私は5年近くを

全くの無給で

介護してきたよなあ

と思う


姑は月々10万円の施設で

10万円分以上の介護を

受けられているといい



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