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第46詩集                                             ベテルギウスをさがして(2)

更新日:8月25日

鏑木詩集(新)収蔵



1、夫が退職した(夫が3月に退職した

2、老婆(最近「罪と罰」を読み返してみた

3、絶滅していく(原始 地球が作り出した水や空気や適度な気温などが

4、電車の中にて(華やかな若い女性の一団が

5、泣いている赤ちゃん(近くの道のどこかで

6、姑の面会(2024年6月)(姑の面会に行ってきた

7、20代の頃(東京に住んでいた頃

8、間違い電話(ある夕方 突然電話がかかってきた

9、校正をする(2か月近く続いた校正の仕事がようやく一段落つき

10、明日 巨大台風が来る(巨大台風が来るという

11、











夫が退職した

 

 

夫が3月に退職した

4月からどうするのかと思っていたら

さっさと近場のスポーツ施設に通い出し

今は水泳にはまっている

定年クライシスを難なく突破して

楽しんでいる様子にほっとする

 

家で何もせずにゴロゴロして

私の趣味やお出かけを阻害してくることがあったら

イヤだな ストレスだなと

少しばかり思っていたが

杞憂だった

それぞれが別々の時間を楽しんで過ごす

それがベストだ

 

時々は一緒に散歩に行ったり

外食もするようになった

昨今の店は注文や支払いが

セルフや自動やアプリ形式や二次元コードになっていて

「なにこれ えっ? どうやるの」などと

二人で焦りながら対処していく

それもまたいい勉強だ

 

二人だからこそ

行ってみたい場所

踏み込んでいける場所もある

それぞれが別々の楽しみを持ちつつも

二人であるうちに

二人でいられる時間を大切に過ごしたい



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老婆

 

 

最近「罪と罰」を読み返してみた

ラスコーリニコフが殺したのは

金貸しの老婆である

ずっと80歳ぐらいだろうと思っていたが

60歳だった

60歳で老婆

 

そういえば夏目漱石の短編でも

「50あまりの婆さん」という表現がよく出てくる

60どころか50でも婆さん

 

100歳近く生きる人が

まわりに多く見られるようになってきた

そんな展望にうかうかと騙されまい

60歳でも昔の人にとってはかなり晩年

もう人生の終わりをみていた

 

今と昔

まだ先がある もう先がない

両者の思いを腑に落としつつ

心して生きなくてはならない

「罪と罰」の世界にいたなら

私は世に害を成す老害とみられて

撲殺される存在なのだ



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絶滅していく

 

 

原始 地球が作り出した水や空気や適度な気温などが

生命の発生にマッチしていたから

人間が生み出されてきただけなのであって

 

地球がその環境を変えてきたのなら

その環境に適合できない生き物は

絶滅する

ただそれだけのことなのだ

 

恐竜をはじめとして

今までに50億種から500億種もの生き物が

絶滅したという

 

気候の変動が激しい

あらゆる天災に命がついていかない

そうならば

人間も絶滅危惧種に付け加わった

ただそれだけのことなのだ

 

この思考もDNAも

いつかまっさらになってしまう悲しみ

次に発生する新種の生き物は

もっともっと強く

もっともっと美しくあれ


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電車の中にて

 

 

華やかな若い女性の一団が

サンダルの音をガタガタさせながら

電車に乗り込んでくる

ひらひらしたカラフルな服と

日に焼けた長い手足

ひとしきり仲間言葉で話し続けたあとに

2、3駅先で

騒ぎながら固まりで降りていく

 

そばで見ていた夫も私も

思わず苦笑してしまう

同じ年頃の我が家の地味な娘

友だちもいなくて

黒い服ばかり好んで着ている

 

「うちの子ももっとおしゃれすればいいのに」

「でもおしゃれで化粧ばっちりな子は

なかなか家に帰ってこないとか

別の心配がきっとあるんだぜ

それより高台のスーパーまで

安売りの麺つゆを自転車で汗だくになって

5本も買ってきてくれるなんて

うちの子じゃないとできないよ」

「それもそうだね

真面目ないい子なんだよね」

 

そんなことを話しながら

納得し合って

二人してちょっと笑った

いろいろと心配はあるけれど

この流れを安らかに見守ろう

親の権利と義務は

どこまでだろう

馬を水場に連れていっても

飲ませることはできないと

ことわざにもあるではないか

思えば私も夫もそんな馬で

お互い飲みたい水だけを飲んできた

今日のお出かけは

もう子ども抜きの夫婦水入らず

若い人たちが幅をきかす大都会

急ぐ人ごみに煽られながら

東京めぐりの夏の途中で



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泣いている赤ちゃん

 

近くの道のどこかで

赤ちゃんが泣いている

 

何事かと思わせる

声を限りの大声で

 

すぐに父親らしき人の

声が聞こえてくる

 

「うんうん 立派な泣き声だね

 うんうん どうしたかな?」

 

おだやかなやさしい声で

 

その声の調子でわかる

あたたかな家庭を成している人

 

少なくとも

心傷つく言葉などとは

無縁な人

 

幸運な赤ちゃん

まだ分からないだろうけれど

この父親は

君の心を確かに救ってくれる人

私は心ひそかに

赤ちゃんに祝福を与える

 

そして赤ちゃんは

すぐに泣きやんでいったのだ

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姑の面会(2024年6月)

 

 

姑の面会に行ってきた

リクライニングの車椅子で運ばれてきた姑は

またひとまわり痩せて小さくなっていた

施設のスタッフの人に

「朝 お約束しましたよね」

などと声をかけられている

きっとこのような面会も体の負担になるだけで

楽しみにはなっていないのだろう

 

姑は何を話しかけても答えてはくれず

いきなりがくっと首を垂れ

少し顔を上げたかと思うと

すぐにがくっと首を垂れ

寝落ちを繰り返しているかのようだった

 

顔を上げた時には夫のほうを見る

夫をよく見ようとしている

そこに母親としての本能的な愛を

読み取れないこともない

 

看護師さんによると

BMIは15になり体重は36キロぐらい

命に危険があるゾーンに入ってきているとのこと

 

私の父の最期の数ヶ月を思い出す

誤嚥性の肺炎になってしまうからと

口からの食事は禁じられ早々と点滴だけに切り替えられて

会うたびにただ厳しく痩せていく姿を見せつけられた

本当にブドウ糖だけの点滴

点滴に何か栄養成分を入れられないのかと詰め寄る兄に

女医は「お父様の苦しみを長引かせたいのですか」と

冷たく言い放った

 

口から食べることのできる姑は

まだ生の残り火を燃やすことができる

点滴だけになっていないことは十分な救いだ

 

もう何も声を発しなくなった

表情もない

ただ夫の方に頻繁に視線を走らせる

別れ際 いつも精一杯手を振ってくれていたのが

今日は振り向きもせず運ばれていった

 

あと2週間で93歳の誕生日だ

食卓にケーキのようなものを出してもらえるだろうか

食べるという行為 食べさせるという行為を

諦めないでほしい

まだ大丈夫だと思わせてほしい

生き物はすべて

自力で食べているうちは大丈夫なのだから



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20代の頃

 

 

東京に住んでいた頃

すなわち私が女子大生だった時や

陶芸助手をやっていた時

一人暮らしの孤独に倦み疲れて

夜ごと近所を散歩してまわったり

銭湯や喫茶店で時間をつぶしたりしていたわけだが

それが正しい生活だったとは決して言えない

いつも苦しい気分をかかえ

見えない将来を思い悩んでいたから

 

もしかして私が

青山や六本木界隈をぶいぶい言わせながら

派手な格好で闊歩する女であったなら

20代をもっとギラギラと過ごせたのか

どこかの酒場で見知らぬ人と

こじゃれた会話を交わしたりカラオケに行ったり

夜中まで遊び倒したりして

結構やせていた昔の私なら

ボディコン姿でディスコに出没しても

なんとかイケていたかもしれない

​東京

その猥雑な景色を

私は味わいそこなってしまっている

チャラい別の運命に生きていたなら

何も苦しまないで

東京で20代を遊び過ごしていたのだろう

 

しかし私は確信する

もし過去に戻れたとして

やはり孤独の中を歩いていた

ひとり悩む暗い夜は

​すたれたおそば屋の片隅で

ひっそりといつまでもうずくまっていた

無駄に苦しみ過ぎるという点で

それは正しくはない生き方だったのだろうが

今は納得はできているのだ

派手やかな20代ではなかった

​ちやほやもされなかった

たとえ誰の目にとまらなくても

ただ一人の人の

誠実な瞳の中にいることはできたのだから


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間違い電話



ある夕方 突然電話がかかってきた

「こころの相談室ですか?」

中年男性の慌てたような声

半ば焦って息が上がっているような声

「いいえ 違いますよ」

「こころの相談室ではないんですか?」

「番号違いだと思いますよ」

「ああ そうですか こころの相談室じゃないんですね」

そう言って男性は気落ちしたように電話を切った

こんな間違い電話は初めてだ

いのちの電話とかこころの相談室とかと

うちの電話番号が似ているのかと思ってネットで調べてみたが

そういうことは全くない

ちらっとでもうちの電話と似ている番号など

どこにもないのである


なぜうちの番号にかけてしまったのか

あの焦った感じのただ事ではない男性の声が気がかりだ

まるで救急車を呼んでいる時みたいな

あのあと無事に相談電話にかけることができただろうか

何らかの解決をみただろうか


ずっと昔 私も同じように切羽詰まって

ある相談所に電話をかけたことがあった

話は聞いてもらえたが特に何の解決も得られなかった

話を聞いてもらうだけで楽になるからとはよく言われることだが

話を聞いてもらうだけで何も進展がなかったなら

それが何になるというのだ

「何の役にも立ちやしない」と

私はしばし憤慨したのだった


あの男性のことは気がかりだが

それ以上は私のあずかり知るところではない

生きるか死ぬかの相談ではなかったことを願う

「何の役にも立ちやしない」と憤慨できたのならそれもいい


40年近く前 

この家に越してきた時なぜか

「〇〇商事ですか?」という電話が月1ペースでかかってきた

あまりに頻発するので

「どちらにおかけですか?」と電話番号を聞いてみたら

下2ケタが入れ替わっているだけで確かに非常に紛らわしかった

そういう間違い電話なら

笑いながら納得できるのだが

こころの相談電話だと笑えないし

普段考えもしない他人の苦しみが透けて見えてしまって

どこかやるせない感じが残ってしまうのである 



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校正をする



2か月近く続いた校正の仕事がようやく一段落つき

今は2校が回ってくるのをしばし待っている状態

校正の仕事はきらいではない

誰も気づかない間違いを発見すると

下衆な喜びに浸れる

アカが増えていくと

いい仕事をしているような気分になる


ある時点でもう何も見つからなくなって

これでいい もうこれでパーフェクトだと私が思ったとする

しかし別の人が別の角度から見直すと

また別のアカが入っていくのだ


たとえば「~してあげる」という表現に

こういう言い方はイラッとするという校正が入り

ああ そうか そういう反応もあるのかと

私ははたと膝をたたき小さくうなる


人の気づきは偏っている

知らぬうちにバイアスがかかっているし

アプローチの仕方にも癖が出る

校正仲間の鋭い指摘には

いつも学ばされているし驚かされてもいる


2校ではどんなアカが入るか

完璧な原稿を目指すために

また集中力を蓄えて隅々まで目をこらす

そうは言っても

あれもこれもと突っ込みだしたら

際限なく切りがないから

ほどほどのところで手を打つのも

校正の極意ではあるのだが



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明日 巨大台風が来る

 

 

巨大台風が来るという

電車や飛行機も明日は計画運休をするらしい

お盆に関わる時期なので

行こうとしたり帰ろうとしたりしている旅行客が

泡を食って右往左往している様が

テレビで映し出されている

災害に対して最近のニュースは

手厚く最大限の備えを呼び掛けてくる

 

今日はいつも通りにひどく暑かった

少しは非常用の食料も買っておかねばと

サバ缶やシーチキンの缶詰を買った

停電すると冷蔵庫の中のものが駄目になるから

保冷剤を多めに凍らせておくとよいと

ニュースキャスターの人が言っているのを聞いて

なるほどと思った

 

夫は庭に転がっているいくつものバケツを片付けて

玄関の中に入れた

物干しざおも横に倒した

私はそんな大きな台風が本当に来るの?と

内心いぶかっているので

あまり深刻に考えてはいない

むしろちょっとわくわくしている

さてどれだけのものが来るのか

 

明日になって

本当にものすごい雨風に襲われて

生きるか死ぬかの状態に陥り

私はほえづらをかいているのかもしれない

あるいは

やっぱりたいしたことなかったじゃんと

せせら笑っているのかもしれない

 

今まであまりに大きな災害を見聞きしすぎた

比較対象の素材が多すぎて

私はもう

多少のことでは驚かなくなっているのである

巨大台風も巨大地震も来る時は来る

​来たら最大限対処する

どんなことになっても

この自分の

心と体の確かさを信じるしかないのだから

 

 

(2024 年 8月15日)

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