五行歌・坪庭のつわぶき
鏑木恵子
三軒先の
駐車場の陰から
猫が馬のように
走ってくる
雷が追ってくる
丸く刈り込まれた
柘植の木の上に
小さな靴が
干してある
夏が終わる
植木鉢の隅っこに
若いコオロギの
よじれた抜け殻
青白い裸で
夜へ降りたか
香りをまとい
香りとともに
家に帰る
宵闇の中で
光放つ金木犀
満ち欠けの
カレンダー通りに
ほおずきは
深海より
浮かび上がる
枝豆をゆでる時と
あさりを煮る時の
微妙な相似感
小泡を吐く息
つぶやきのような
記号と数値による
解析と証明が必要だ
このざわめく情緒を
ナノの単位まで
誰かと共有するためには
嫌が応にも
毎日大ざるにいっぱい
家庭菜園のひとときの旬
よろこびと
幾許かの困惑と
寝床の猫の
丸まり具合と
へぼきゅうりの
曲がり具合で
夏の終わりを知る
飼い猫が
小鳥を狩ってしまった
正月であるがゆえに
いつにも増して
罪深い
友と見たからこそ
絶対に忘れない
放課後の校庭
七色を数えた
全天の虹
何度来ても
頭の中に
地図が描けない町
猫の後を
ついていこう
傷を受け
傷を与え
猫は
帰ってくる
賢者の顔をして
ナスを
もいでいるそばで
長靴を
必死で吸っている蚊
一体何を吸った
街角の
燃えかすで
若者は
盆の明けを知る
たたずむ牛馬たち
「赤れんが」の
だるまおやじ
と言えば
二人して同時に
思い浮かべる顔がある
小さなラジオの中
ランダムに
つかまえた声が
真実を
言おうとしている
ご褒美を買ってあげた
あの文房具屋さんは
もうなくなっていたよ
昔かよった
小児科への道
その方が幸せだから
手のひらにつつんで
窓の外に放つ
住み着きはじめた
台所の蜘蛛
日曜日の真昼に
少女のピアノは
自由になる
鍵盤に下り立つ
子猫の肉球
よく晴れた
秋空を
なつかしめば
炭酸の
泡があふれる
トイレのドアが
ガマガエルのような
声を響かせる
深夜の一角が
小さな沼になる
目が合って
愛してくれるかと
訊いてくる
野良猫にも
春の陽はそそぐ
何年かぶりに
チューリップの
球根を植えた
一緒に寒がりながら
春を目指そう
積もった落ち葉に
乾いた陽射し
足音を隠せない
目覚めた虫の
一歩二歩
すれ違った人の
見える弱点
見えない弱点
平気な顔をして
私もどんどん歩く
夢の中の私は
小学生となって
軽々と
エスケープする
夏休みの森へと
桜貝ひとつや
サザエの蓋ひとつ
宝物だったことには
変わりはない
古い引き出しの中
美容院の
ひとつ鏡の中の
ツーショット
親子とみるか
恋人とみるか
この黄ばんだ電卓は
大学の生協で
買ったもの
青春は
何を計算したのか
日に焼けた
いい二の腕をした若者が
郵便バイクで
遠ざかる
初秋の便り一通
もう何も教えられないと
言ってあるのに
訊いてくるから
今更ながらの
汗だくの数学
娘の自転車かごに
黄色い落ち葉が
三枚
イチョウ並木の下を
走り抜けてきた
木枯らしが
突き抜けても
女郎蜘蛛は
中心に立ち続ける
逃げる気がしない
まだ夜の暗さ
始発電車の音がする
うつむいて
そんな列車に
乗ったこともあった
咲いているうちは
雑草とはみなさない
タンポポの丸い黄色
せめて
白い綿毛になるまで
哀しみを
投げ上げる術は
どこにあるのか
ただ青い科学
ビル風の狭間で
季節外れの
ぎりぎりを
麦わら帽子が遠ざかる
スカートを染める
サフラン色の夕焼け
こんなに
よく晴れているのにね
そう言って
黙り込む
冬の陽の車椅子
譲る譲らない
もうそろそろ
譲られることもありうる
目と目のやりとり
電車の席をめぐって
軸を下にして
垂直に落ちていく
命の終わりに
金色の陽を浴びる
ひとひらのプラタナス
いきおいで
殺してしまいそうな
手をとめる
晩秋の草むしり
枯草色のバッタ
雪の日の温情で
半野良は
家に入れられ
そのままそそくさと
家猫におさまる
リスでもいるのかなあ
小学生たちの声に
立ち止まる
時満ちて
落ち続けるどんぐり
ありがとうも
すみませんも
言わせたら負け
そんな身のこなしで
かわしていく街歩き
夜半の雷
遠い雲の向こう側で
強く明滅する光たち
目の中で響き合う
無音の祭り
ビル風の渦の中に
まっすぐに立つ
ぶれないための
ジャイロ効果
背骨を熱くする
差し込む光の
白い帯の中に
謹呈の文字を読む
ようやく
春が届いた
夕暮れの
大隈講堂の丸時計
学食の
月見うどんが
懐かしくなる
はじめてのドリアを
食べたのは
待ち合わせの喫茶店
つわぶきの花が
坪庭に咲いていた