五行歌・坪庭のつわぶき
鏑木恵子
弱ったセミが
軽石のくぼみに
はまりこむ
もうそこから動けない
最期の棺を見守る
シオカラトンボが
腕にとまった
皮膚に感じる
点のような力
小さくトンッと
春に出会い
秋には恋と気づいた
招かれて訪ねゆく
白い電車に乗って
故郷に向かうより心楽しく
父親が憎くてたまらない
と言って
泣いていた女友だち
あの夜の
お酒の味が時々甦る
初めてマフラーを
編もうとした日々
長すぎたけれど
喜んで身に着けてくれた人
茶白まだら並太の純情
スマホが時折
写真のスライドショーを
勝手に送ってくる
亡くなった猫の遺影は
やめてほしい
空爆の有り様や
人々の泣き顔を
映し出したニュースは
いきなりデカ盛りの
はじけた取材に移る
母が亡くなり
ためこんでいた毒を
やっと吐き出したあと
再びまっさらな
母と娘になっていく
今度は唇の横に
また粉瘤らしきもの
顔の手術となるか
自然消滅はあるのか
先送りの構え
こちらの屋根と
あちらの屋根
二羽の鳩が
夫婦になろうと
目配せしあっている
カーテンが揺れると
あの猫が
風と共に
顔を出してきそうな
気がする
一年ごとの健診に
ついおびえてしまう
とりあえず
結果が大凶でなければ
よしとする
さびしさと
嘆きの総和が
十二月に押し寄せる
お正月に
もう父も母もいない
ごめんなさい
そう言えたところまで
夢を見て
何かを解決した気分で
目をさます
別れでもあり
結びでもある
それぞれの花を揺らして
てのひらの中に
桜湯のかおり
まだ遠いのに
にらんでくる番犬
とりあえず
来た人みんな
吠えておけ
骨になる前に
触ってもらってよかったと
思っている胸があり
その胸が感じた
産毛のようなやさしさ
クリスマスから
年末にかけての
火事や事件や事故は
とりわけ
いたましく感じる
信号待ちの間
ご主人の足にずっと
体をすりつけている
小さな犬
猫の因子を持っている
若くもない体を
すみずみまで意識する
外見だけでなく
体組成についても
惚れ直してもらうために
海のない町に生まれ
人ごみの東京に倦み疲れ
さまよい尽くしたあとに
川のある町へと
さらわれてきた鮮やかに
歩くときは
ひとりに限りますよ
だれかと一緒じゃ
絶対に続きませんよと
近所の散歩の達人が言う
介護が終わっても
大掃除をする気に
なれなかった
やっとである
三年もたって
小児用座薬を
昔「ロケットかんちょう」と
呼んでいた
逃げていく
かわいいおしり
守られるだけではなく
守る側にもなりたい
それゆえの筋トレ
未知なる脅威に対抗する
強い上腕と腹と脚
言えていなかった
ありがとうを
今年はLINEで
何度も送った
夫は照れているらしい
帰っていいよと
何回も言う姑
月に1度の面会で
それはそれで
こっちが寂しい
お正月は
掃除洗濯をするな
そう言われても
汚れは速攻清めたい
自分ルールを福とする
テーブルの上に
原稿用紙を
広げるとして
わずかな油のしみも
許せなかった友
星空を目指した
仲間たち
費やしたペンと紙とを
競おうか
まだ星は見えているか
檸檬を
置いてくる
たとえば
若い人に読んでほしい
古い青春の本の上にも
十二月の太陽は
じわじわと
腰を落として
元日への
助走をはじめる
年老いた藤の木の
ぼろぼろ加減と
絶妙な傾き
あの子の爪とぎに
ちょうどよかったのに
見上げれば
龍の息が
白い筋となって
冬空を走る
幻獣を追う一年とする
生き延びる術を
共に考えよう
はるか青海波
命奪うものがひそむ
この時空
事故災害悪縁に苦しむのは
過去世の業による
そう言い切る仏教徒の友に
全力でかみついた若い日
今でもきっと言い返す
ひとりきり
池の中の
十年目の金魚
卵を産んでしまった
何を期待して
斜めに落ちてきた
橙色の日の光に
照らされて父子は
片隅の小川に掬う
やがて郷愁となる澱を
男は女に比べて
生活を変えてこない
そこが
不満だったかもしれない
育児でも介護でも
一回一回を
心に刻んでくれ
そう言う夫を
つい茶化しつつも
その言葉をも心に刻む
勇者や魔法使いや
僧侶たちと一緒に
旅してみたかった
でもまあ
夫と冒険できている
猫はときどき
胃袋のかたちになる
とくに
日当たりのよい出窓に
座っているときなど
夫婦愛とは
共に天国に昇ったり
共に地獄に堕ちたり
新しい朝ごとに
ふざけた敬礼を交わし合う
少年の夕方から
ボール遊びの音が
消えて行く
詰襟の制服に
体を閉ざされて
横切るのは
触らせてくれない
知らん顔の猫ばかり
あの手触りを
忘れてしまいそうだ
いろいろあったけどさ
俺たち
人生楽しかった方じゃないか
夫にそう言ってもらえて
密かにうれしい
すぐ死んで
楽になるか
生き延びて
地獄をみるか
答えは分かっている
『我が身に置き換えて』
それが真の意味では
できないから
こうして生きていられる
まあまあ幸せな顔をして
肩が寒くて
目覚めてしまった夜中
夫の布団に
もぐりこめるほどに
素直であればよかった
切実に欲しいときには
全然無かった
スーパーの棚に
潤沢に補充されている
ヤクルト1000
いつか人類は絶滅し
地球は黒ずむ
その時まで生命は
脈々と代謝し
愛を律動する
前を歩く若い人の
そう急ぐでもない足取りに
遅れまいと
つい意地になる
まだこの体を諦めない