第46集 ベテルギウスをさがして(2)
間違い電話
ある夕方 突然電話がかかってきた
「こころの相談室ですか?」
中年男性の慌てたような声
半ば焦って息が上がっているような声
「いいえ 違いますよ」
「こころの相談室ではないんですか?」
「番号違いだと思いますよ」
「ああ そうですか こころの相談室じゃないんですね」
そう言って男性は気落ちしたように電話を切った
こんな間違い電話は初めてだ
いのちの電話とかこころの相談室とかと
うちの電話番号が似ているのかと思ってネットで調べてみたが
そういうことは全くない
ちらっとでもうちの電話と似ている番号など
どこにもないのである
なぜうちの番号にかけてしまったのか
あの焦った感じのただ事ではない男性の声が気がかりだ
まるで救急車を呼んでいる時みたいな
あのあと無事に相談電話にかけることができただろうか
何らかの解決をみただろうか
ずっと昔 私も同じように切羽詰まって
ある相談所に電話をかけたことがあった
話は聞いてもらえたが特に何の解決も得られなかった
話を聞いてもらうだけで楽になるからとはよく言われることだが
話を聞いてもらうだけで何も進展がなかったなら
それが何になるというのだ
「何の役にも立ちやしない」と
私はしばし憤慨したのだった
あの男性のことは気がかりだが
それ以上は私のあずかり知るところではない
生きるか死ぬかの相談ではなかったことを願う
「何の役にも立ちやしない」と憤慨できたのならそれもいい
40年近く前
この家に越してきた時なぜか
「〇〇商事ですか?」という電話が月1ペースでかかってきた
あまりに頻発するので
「どちらにおかけですか?」と電話番号を聞いてみたら
下2ケタが入れ替わっているだけで確かに非常に紛らわしかった
そういう間違い電話なら
笑いながら納得できるのだが
こころの相談電話だと笑えないし
普段考えもしない他人の苦しみが透けて見えてしまって
どこかやるせない感じが残ってしまうのである
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校正をする
2か月近く続いた校正の仕事がようやく一段落つき
今は2校が回ってくるのをしばし待っている状態
校正の仕事はきらいではない
誰も気づかない間違いを発見すると
下衆な喜びに浸れる
アカが増えていくと
いい仕事をしているような気分になる
ある時点でもう何も見つからなくなって
これでいい もうこれでパーフェクトだと私が思ったとする
しかし別の人が別の角度から見直すと
また別のアカが入っていくのだ
たとえば「~してあげる」という表現に
こういう言い方はイラッとするという校正が入り
ああ そうか そういう反応もあるのかと
私ははたと膝をたたき小さくうなる
人の気づきは偏っている
知らぬうちにバイアスがかかっているし
アプローチの仕方にも癖が出る
校正仲間の鋭い指摘には
いつも学ばされているし驚かされてもいる
2校ではどんなアカが入るか
完璧な原稿を目指すために
また集中力を蓄えて隅々まで目をこらす
そうは言っても
あれもこれもと突っ込みだしたら
際限なく切りがないから
ほどほどのところで手を打つのも
校正の極意ではあるのだが
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明日 巨大台風が来る
巨大台風が来るという
電車や飛行機も明日は計画運休をするらしい
お盆に関わる時期なので
行こうとしたり帰ろうとしたりしている旅行客が
泡を食って右往左往している様が
テレビで映し出されている
災害に対して最近のニュースは
手厚く最大限の備えを呼び掛けてくる
今日はいつも通りにひどく暑かった
少しは非常用の食料も買っておかねばと
サバ缶やシーチキンの缶詰を買った
停電すると冷蔵庫の中のものが駄目になるから
保冷剤を多めに凍らせておくとよいと
ニュースキャスターの人が言っているのを聞いて
なるほどと思った
夫は庭に転がっているいくつものバケツを片付けて
玄関の中に入れた
物干しざおも横に倒した
私はそんな大きな台風が本当に来るの?と
内心いぶかっているので
あまり深刻に考えてはいない
むしろちょっとわくわくしている
さてどれだけのものが来るのか
明日になって
本当にものすごい雨風に襲われて
生きるか死ぬかの状態に陥り
私はほえづらをかいているのかもしれない
あるいは
やっぱりたいしたことなかったじゃんと
せせら笑っているのかもしれない
今まであまりに大きな災害を見聞きしすぎた
比較対象の素材が多すぎて
私はもう
多少のことでは驚かなくなっているのである
巨大台風も巨大地震も来る時は来る
来たら最大限対処する
どんなことになっても
この自分の
心と体の確かさを信じるしかないのだから
(2024 年 8月15日)
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秋と冬
光の弱まりに
終わりゆく夏を感じる
日の出も遅くなり
日没が早まっている
気象の陰りと共に
気分も下がってくるという現象にも
内心大きくうなづけるのだ
私は昔 秋から冬至にかけて
なぜかわけもわからず息苦しかったから
校正の仕事は初夏から晩夏には済んで
家族の法事も大体夏のうちに済んで
秋冬に待ち受ける重要そうなイベントも
特に思い浮かばず
日々は
もはや詰め込み過ぎとも言える各種教室への参加や
隙間時間のスポーツジムへの通いなどで
これから年末に向けて穏便に過ぎていくのだろう
何事もないということは
いかに幸せなことか
時に下痢をしてしまったり
腰が痛くなったり
夫が何故か食欲不振で元気をなくしていたり
エアコンが不調だったり
校正のことで行政から問い合わせがきたり
もやもやしたり不安になったりもたびたびあるが
なんとなくいつのまにか
悩みの渦から逃れ出ている
夏は暑い暑いといいながら
暑さにかまけてすごしたが
秋冬はもう少し内省的になるから
もしかしたら要注意なのだ
また心がむずむずして新たな教室に通い出しはしないか
不用意に活動を広げてしまったら最後
なかなかやめられなくなって困る癖に
動き過ぎるのは
もういいかげんやめておけと
すぐに浮き足立ち気味になるこの足を
心密かにいさめている
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順応
40度を越すような気温は
常時体が発熱していると同じだから
体や脳に害悪を及ぼすものであろうことは
誰でも想像がつく
外を出歩くのも勇気がいる
この調子で来年の夏も40度超えは続くのだろう
若い頃 陶芸家の助手をしていたことがある
狭いプレハブ小屋で
週に1~2回は電気窯や灯油窯を焚いていた
窯は最終的には1200度以上にもなるので
近くにいるとやけどをするのではないかと思うほどだ
真夏に窯焚きをした時は
暑さにたまらずたびたび小屋の外に避難した
外は32~33度ぐらいの気温があったが
これが涼しく感じるのである
吹く風も熱風であるはずなのに
爽やかないい風に感じられる
真夏なのに秋ぐらいの体感
山登りやスポーツの分野では
高地順応という言葉がよく聞かれる
深海での作業をする人は水圧に耐えるために
飽和潜水の訓練をするという
私たちも順応すれば
この暑さも平気でしのげるようになるのか
たぶんほとんど駄目だろう
順応したいと全然思わない
エアコンの効いた部屋にいつもいたい
そうしないと熱中症になって死ぬからと擦り込まれているから
のろのろ台風のせいで
ここ数日間雨がちで結構涼しいのだが
台風が過ぎたら
また40度超えになるのだろう
暑い暑いとぼやいている自分が今から見える
ひと夏のうちにも何の進歩も進化もなく
暑さ順応はまた1からやり直しのようである
(2024年8月30日)
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母より
訳の分からない文字列の
見知らぬアドレスのメールが届いた
そのタイトルが
「母より」
一瞬マウスを持つ手が止まった
母のはずはないのに
メールを開いてみたいという気持ちが
湧きあがる
母は本や新聞はよく読むが
文字はあまり書かない人だった
手紙も一度ももらったことはない
日記やメモのようなものも
ほとんど残ってはいなかった
母がメールをすることができたなら
私は母ともっと通じることができただろう
時折電話はしていたが
母の溜めに溜めた長電話にいつも少し疲れてしまい
最後の方は気のない合槌しか打てなかったから
「美樹です」とか「若菜です」とか
女性名の詐欺メールはたくさん来るが
「母より」とは!
これはうっかり一本取られた
開きたい気分に一瞬でもさせたということだけでも
この詐欺メールは成功している
母ではないことは明らかなので
速やかにメールを削除する
迷惑メール振り分け機能によって
「ゴミ箱」にすら入らずそのメールは消え去る
しばしメール画面をみつめる
このもの淋しい感じは何だろう
ほとんど忘れていたのに
母と永久に話す機会を失ったことを
こんな形でまた思い知らされるなんて
(2024年9月1日)
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ちょっと泣いた
夫が夜 酔っ払って
数日前の私の失態を
何度も何度も話題にし
ふざけたようにしつこく言ってくる
最初は笑って受け流し
なんでもない顔をしていたが
2日、3日、4日と続き
5日目にもまた煽り気味に言ってきたから
さすがに悔しくなって涙が出た
夫は私の顔を見て
酔いが醒めたように黙り込み
「傷つけてごめんね」
と言った
次の日からは
何事も無かったかのように
お互いに普通でいようとしたが
夫はなぜかしょげ気味で冗談を言わなくなって
おとなしくなった
つまらないことで泣いたりなんかして
私も夫を傷つけた
こんなことで泣くなんて
小娘かよ バカみたい
気持ちが近しければ近しいほど
遠慮がなくなって
何気ないことで
傷つけてしまうし 傷ついてしまう
もうこれはこれで
私は終わりにするから
夫がまたお下劣な冗談を言い始められるように
私は笑顔でいようと思う
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ブログ
時々 詩や俳句を書いている人たちの
ブログを見にいく
いわゆるプロのような
人の耳目を集めるような
鮮烈な表現があるというわけではない
際立った才能があるかどうかなどは
もはや関係ないことだ
日々 生きた証を書き残そうとして
文字に立ち向かう人たち
名も知らぬ人たちだけれど
その行いに深く共感してしまう
ブログに「拍手」や「いいね」のボタンがあれば
できるだけ押してみる
誰かの「見ましたよ」の足跡を発見するだけで
強い励みになることを知っているから
私はもう50年以上文学を志しているのだ
到達点はまだまだ先にある
ブログを書く人々もまた
書きためたものを誇りに思いながら
この先を生きていくのだろう
私たちはきっと心の仲間なのだ
顔も知らない名前も知らない
会うこともない
けれど文字が伝える思いで
つながっている
そんなつもりで
文字に関わる世界に身を浸している
才能なんか無くても
この世界に住んでいたい
理由は分からないけれど
いつでも何かを書いていた
書かずにはいられなかった
それが幼い頃からの私だった
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十五夜
スーパーのお総菜売り場のあたりで
小さな男の子が
「ベランダにブルーシートをしくの」
と言っている
そばにいた若い母親が
「ブルーシート? それはお月見のためね?」
と微笑みかける
今日は十五夜
お月見やお団子を楽しみにするのは
多くは小さい子どものいる家庭だろう
日本の文化に触れさせる
そんな教育的意味合いも兼ねて
満月の夜が飾られる
川辺で初老の婦人が
すすきの葉を何本か取っていくのを見た
老いた人にも再び
十五夜がしみじみとしたものになる
甘いお団子はもうそんなには食べられない
ただ薄く揺れるすすきの風情の向こうに
去りゆく今年の秋を見る
もう会えなくなった人のことをふと思い出すのも
そんな時だ
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梨の頃
秋になるといつも
梨畑を営む義伯父が
カゴいっぱいの梨をくれたものだ
形が悪かったり
傷があったり
色が悪かったりしたものなど
義伯父が扱うのは
新高(にいたか)という品種で
赤ちゃんの頭ほどの大きさがあり
実は少し固く
年が明けても保存することができる
赤ちゃんの頭ほどの大きさのもの
義父のおなかにも
ひそやかにそれがあった
気づいた後の流れは
もう誰にもとめられなかった
そのときの義母は60歳
夫もまだ若く
私は二人目の子どもを
産んだばかりだった
失ったものの大きさ
これから背負うものの大きさ
それらは比べがたく
将来にわたって計れるものではなかった
秋になり
梨の実があちこちの番屋に
並べられる頃になると
ついそんなことを思い出してしまうのだ
どの家族にも
いたましい嘆きの年がある
それは思いもよらない時に
順繰りに巡ってくる
物静かだった義伯父も
とっくに亡くなり
息子たちは当然のように後を継がなかった
あの梨畑はつぶされて
今は建売住宅が並んでいる
(2024年9月20日)
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調布の花火
私が住んでいる地域では
間近に調布の花火を見ることができる
東日本大震災の時とコロナの時は中止になったが
ほぼ毎年夏に花火大会が開催されてきた
新婚の頃
夫と自転車で川辺まで行って見上げた花火
子どもが生まれてから
家族で一緒に歩いて見にいった花火
心臓を震わすような轟音
頭上から降ってくるようなカラフルな光の雫
圧倒されるような非現実的な美しさだった
もう40回近く花火を見ている
私が若かったころ
同居していた義祖母や姑を花火に誘っても
もう見飽きたからと一緒に見には来なかった
昔は調布の花火の他に
よみうりランドの花火
二子玉川の花火など
毎週のように大きな花火大会があったから
見飽きてしまうというのもうなづける
私もいつか見飽きてしまうのだろうか
花火そのものの記憶より
共に見た家族との記憶
今はむしろそちらの方が大事で
変わりゆく家族の姿を
花火から見下ろされているような気もしている
今年は
夫と娘とで近場の中学校の長い坂道を登って
花火を見た
孫でもいればきゃあきゃあとうるさかったのだろうが
大人3人だけだったので
静かに落ち着いて花火を見た
高く打ちあがる大きい花火には
やはりうわぁと目を見張るし
河原の低くで吹きあがる細かい花火の様も
ほほぅと感心しながら見ることができた
中学校脇の道は街灯も少なく暗くて寂しい
何組かの家族もあちらこちらで
小さく歓声をあげながら花火を眺めている
これもある日ある夜ある夏の
大切な家族の記憶になっていくのだろう
(2024年9月21日)
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さるすべり
夏の間中
さるすべりの花が咲いていた
灼け焦げるような日差しが続く中
花は
どのように日々を耐え得たのか
あちらの家では赤紫
こちらの家では淡いピンク
私の家では白
屋根の高さほどの木となって
花の咲く枝を自由にはびこらせている
さるすべりは
上へ上へと
ひどく伸びが早いのだ
強い雨風があると
花殻が夥しく地面に落ちる
もしかしたら
痛んだ花は次々にこぼれ散って
ずっと咲いているように見えている花は
今日新しく咲いた花なのかもしれない
百日紅
夏の暑さを100日耐える花
猿も人もすべるすべすべの木肌
根っこも深くはびこってしまうから
庭に植えてはいけないとされる木
今年も見事に夏を耐えきって
花が終われば来年まで忘れ去られる
腐敗と劣化を早める夏が
もうじき過ぎ去ろうとしている
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コーヒーの香り
町を歩いていたとき
どこからかコーヒーの香りが流れてきた
歩きながら深々と呼吸する
いい香りだ
そう思えるのも
私がまあまあ健康だからだ
若い頃 消化器系の病気で10年近く苦しんだ
その頃は
コーヒーや揚げ物、からいもの
アイスクリームやかき氷など
一切口にしなかった
「コーヒーは毒物のようにしか思えない」
と友人に言うと
友人は心底気の毒そうな顔をしたものだ
デートで喫茶店に入っても
私が頼むのはミルクか紅茶だった
真っ黒なコーヒーは
いかにも胃を焼く毒物のようにしか思えなかった
コーヒーを嗜好品として
たまに飲んでみるようになったのは
割と最近のことだ
コロナがはやっていた時期
コーヒーを匂いの試験薬として
あえて自宅でも飲むようになった
今更大好物にはならないだろう
でももう毒物とは思わなくなった
外食のお付き合いでコーヒーを頼むこともできる
何でも食べれて何でも飲める
ただそれだけで幸福だと思う
「君にとっての幸福とは何か」と
サークルの先輩に厳しく問われて
ただ「健康であること」
としか答えなかったあの頃の自分
張りつめて真っすぐだった
そのけなげさも今はなつかしい
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猫とか犬とか
愛猫が死んで2年半ほどたつ
あれから何の動物も飼ってはいない
ペットを飼うのは案外お金がかかる
食べる物も市販のフードで済めばいいが
何かの病気を得てしまうと
高額な治療食を動物病院から買わなくてはいけない
それが月7~8千円もかかったりする
具合が悪くなって動物病院に行くと
1回の診察に1万円以上はかかる
その他に定期的に健康診断や血液検査もしなくてはならない
愛猫の健康維持のためには
お金を惜しむわけにはいかなくなる
これからまた新たなペットを飼ったら
これだけの金額が将来にわたって
毎月どんどん出て行くのだ
そんなことを考え出したら
もうペットを飼えなくなった
スーパーのペット関係の売り場は
今はもう足を止めずすり抜けるだけである
ペットにかけるお金を今晩の食材の購入に回す
そうだよ人間様第一だよと思うと同時に
私の生活から何か重大なエレメントが
げっそりと欠け落ちてしまっているような気もしてならないのだ
今でも子猫や子犬を飼いたい
抱き上げて頬をすりよせて
モフモフしたい
肉球に触りたい
においを嗅ぎたい
あたたかいおなかに顔をうずめたい
顔を見合わせる度に大きな声を張り上げて
思い切り甘えてきてほしい
このエモーショナルな
どことも言い難い心の分野‥‥
そう まさしくその分野が同時に
私に後悔の痛みをも与えてくるのだ
徐々に衰弱していく姿を
なすすべもなく見守ることしかできなかったあの1か月
この小さな生き物に対する生の責任は
「飼う」という安直な言葉で済ませることのできないほど
大きなものだった
だからもう飼わない
猫カフェの中を窓から覗いてみるぐらいにする
畑に寝そべる野良猫を遠くからながめるだけにする
散歩する犬たちのおしりを振り返ってみるだけにする
愛猫の思い出だけを心に
猫や犬に触れない世界を生きていく
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