第50 集 新しい白紙
- kaburagi2
- 3月11日
- 読了時間: 20分
更新日:8月14日
梅と猫
夫と羽根木公園に行ってきた
梅は既に見頃を過ぎて
2~3割咲き残っているだけである
梅まつりも終わってしまっていて
何のお店も出ていない
歩いている人もまばらで
それはそれでゆっくりと散策できる
保育園や小学校低学年らしい集団が
先生に連れられて遊びに来ている
カラフルな帽子が
梅の木の間に見え隠れしている
梅の木はたぶんだいぶ老朽化して
きつめに剪定もされていたと思う
もっと大きな木だったよねなどと
夫と言いながら歩いた
羽根木公園へは今までも何度か来たことがあり
梅の最盛期の賑わいも知っている
夫は以前ここの植木市で柚子の苗木を買った
家の畑に植えられたそれは
今では毎年たくさんの実をつけている
庭先に出した無人販売で
いくらかのお金にもなっている
お互いにもうあまり遠くへ行きたいとも思わなくなって
午前中ですぐ帰れる場所ばかり選ぶ
午後はそれぞれ出かける場所がある
夫とは同じ思い出を語れる友でもあった
振り返ることも多くなった
新しい場所でなくてもいい
誘ってくれることだけでも嬉しいと思う
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豪徳寺の招き猫
ご自宅のお墓はどこにあるんですかと聞かれると
豪徳寺ですと答えるが
この場合豪徳寺は小田急線の駅名で
お墓のあるお寺は常徳院である
それはそうとお墓参りのついでに
その本家本元の豪徳寺に行ってきた
ここは招き猫で有名なお寺だ
住宅街の静かな道を歩いていくと
やはり寺に向かう何組かのグループがいて
そのほとんどは外人さんのようである
英語、スペイン語、中国語などが聞こえてくる
お寺の中の招き猫が飾ってある一画は
更に外人さんでごったがえしている
その猫スペースも40年前に見たときと比べて
更に10倍ぐらい拡張していて
大小の白猫たちがひしめいている
招き猫を買える事務所には長い行列ができていた
40年前
大学生の頃に見た招き猫は
整った顔のきれいな真っ白な猫だけではなく
幾分雑多ないろいろな顔の猫も交じっていて
きつねじゃないのかと思われる置物も混入していた
外人さんたちは
美しい白い招き猫をここで買って
おみやげとして持ち帰るのだろうか
世界の戸棚の片隅に
飾られている白い猫
無機物の置物に感情を乗せることはすまい
うちの押し入れのどこかにも
ロシア民芸品店で買った
マトリョーシカ人形が眠っている
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沈丁花の花
3月に入って
遅れてきた雪を何回か重ねて
やっと沈丁花の花が咲き始めた
ふと庭の一画を見遣ると
白木蓮も蕾をふくらませている
これからはどんどん暖かくなっていくのだろう
その春の手前に
どうしても大きな震災があった日が
めぐってきてしまう
テレビでもひとしきり特集が続く
今年で14年目
あらためてその悲劇の大きさに
心が締め付けられる
その場にいて
同じ経験しなければ
本当の意味で悲しみに寄り添えそうにない
想像も追いつかない
そんなことを思いながら
ほこりまみれのテレビ周りを掃除する
知らぬ間にひどい有り様だ
一日一日を
きちんと片付けていくこと
ただそれだけをしっかりと目指す
沈丁花の花は強い
しばらくはその形も香りも
しっかりと保たれるだろう
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五反田川の河津桜
五反田川の河津桜は
まだ咲いてはいたが
幾分盛りを過ぎ
葉っぱがちらほら交じっていた
ヒヨドリらしき鳥が何羽も
花のあちこちに入り込み
羽ばたいては
別の花群れに飛び込んでいく
花びらを食べてでもいるのか
甘いのだろうか
なんとはなしに騒がしい
ソメイヨシノももうそろそろ
蕾をわずかに膨らませて
本番の出待ちをしている
今見ているものだけに
思考を集中する
それが今を幸福にする極意
今日しか見ることのできない景色を
今日しかいない今日の私が
一生懸命見ている
五反田川の河津桜の下
夫に誘われて娘も一緒についてきた
娘が恥ずかしそうに写真に収まる
それだけでも
今日は唯一無二の大切な日だ
私も写真を撮る
桜よりも
夫や娘の姿を
スマホの画面の中に追い続けて
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ラベンダー
庭に何年か越しのラベンダーのプランターがある
もうすっかり関心がなくなり
水やりもいい加減になっていたのに
地味に葉っぱを増やしていき
去年やっと紫色の花が咲いた
その花は思ったよりくすんだ地味な紫で
北海道のラベンダー畑のように美しいものではなかった
花が終わると
またしても水やりがずさんになっていき
ついほったらかしにしてしまう
しかしこれが実に強い植物で
少しぐらい土がからからになっても
枯れたりしないのである
あの真夏の炎天下を耐えきって
冬も霜に焼けたりしないでいる
香りがどうこうより
生命力が強い
どんなことが起きようと
傷つきもしないでどっしりと構えている
たぶん土の下の根っこは
すこぶる筋骨隆々
下支えが半端ない
これから春が来て春も過ぎ
また巡りくるあの酷暑も
やはり平気で生き延びるのだろう
何気にラベンダーを尊敬する
人間もこうでなくちゃ
ひとつの生きる手本として
ラベンダーをながめやる
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4月に向けて
4月に向けて新しい取り組みと決断があり
責任を負う立場なので
少し疲れた気持ちにもなった
挑戦することで人間としての成長があり
新しい景色が見えてくる
そんな言葉を探し出して
自分を鼓舞する
自分を信じろ
強気で行け
そういえば夫は
若い頃 毎週のように山に登っていた
一人で夜中に出かけ
時には山小屋に何泊かしてきた
なぜ山に登るのか
今なら少しわかる気もする
挑戦することで
新しい景色を見たかったのだ
苦労や疲労と引き換えに
大いなる達成感もあっただろう
山を登り切り
今まで見なかった景色を見て
また安全に家に戻ってくる
夫がそうであったように
私もそうでありたい
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神代植物公園
桜の時期なのに
4日間も霧雨が降り続いた
やっと晴れた金曜日
夫と神代植物公園の桜を見にいった
まず植物園に車を停めて
野川まで歩いていった
野川の遊歩道を歩くのは何年ぶりだろう
まだ40代後半か50代前半の頃
ひどく暑い日差しの中
川遊びする子供たちを眺めながら
国立天文台まで歩いていったのだった
あの時から比べると
私たちもけっこう年をとった
だがまだスタスタと歩ける
そう言えるのはいいことだろう
野川の桜や菜の花を見てから
神代植物公園の方に歩いていったのだが
地図を見ながら道を迷う私たちに
この道を真っ直ぐですよと言ってくれる男の人がいて
けれど私たちは修道院のある細道に入ってしまい
男の人はわざわざ追いかけてきてくれて
この道ですよと再度言ってくれたのだった
優しい人情に触れて暖かい気持ちになった
蕎麦屋の辺りの道に出たのだが
いつも店の中を楽しみにのぞいていた鬼太郎茶屋が
すっかりなくなっているのにびっくりした
建物があったあたりの盛り土のくぼみに
雨水が池のようにたまっている
この茶屋の2階の畳の間で
いつもくつろいでいたのだが
あとで調べたら商店街の方に移転したそうだ
つぶれていなくてよかった
神代植物公園は
桜も満開で見頃だった
私たちは写真を撮りあって
コンビニで買ったお弁当を食べて
混み始める11時には家に帰ってきた
夫のおかげで今年もいいお花見ができた
夫が退職して1年が過ぎた
今のところ夫とばかり出歩いている
他に誘い合える友人はいないのかと
自分に そして夫にツッコミを入れたくなるが
そうなのだから仕方ない
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猫
すぐ裏手にあるアパートの
日当たりのいい階段下に
久し振りにキジトラ猫が現れた
日向ぼっこでもしているらしい
以前 このあたりは
けっこう野良猫のたまり場だったわけで
3~4匹の猫が出没し
時にはギヤーギャー大声で
明け方あたりによくケンカをしていた
うちの飼い猫が時々外で吐いていたから
家のまわりにキャットフードの匂いが
どことなく漂っていたのだろう
誘われるように
野良猫が何匹も出没していた
その飼い猫も3年前に死んで
それ以来野良猫の来訪も減ってしまった
猫好きだった娘と時々語り合う
日向の猫の体の香ばしい匂い
魚臭いお口
寝床に入ってきて
狭い隙間で寝てしまうから
人間は身動きできず
寝返りが打てなくなること
顔をうずめたときの
毛皮のやわらかさとあたたかさ
全部全部懐かしいと
よく眠れていたのは
彼のおかげだったのだと
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桜めぐり
もう桜めぐりも後半戦
今日は『くろがねや』に肥料を買いに行ったついでに
矢野口から稲田堤のくじら公園まで
多摩川の河川敷を夫と歩いていった
河原には野球少年やその親御さんたちが大勢いて
「ポイント貯める」とか言いながら
にぎやかにゴミ拾いをしていた
ゴミの多さでなにかご褒美がもらえるのだろうか
川を見渡すと菜の花が群生する中州があって
その明るい黄色はいかにも春らしい
今日は少し曇って寒々しいのだが
やがてくじら公園に辿り着くも
桜はさほど多くはなく
少しだけ写真を撮って
また『くろがねや』に向かって歩いていった
おとといは野川から神大植物公園
昨日は宿河原の二ケ領用水の桜
今日は矢野口から稲田堤と
それぞれ1万歩前後を歩いた
夫と私の万歩計を見比べると
1000歩ほどの差がある
ほら、歩幅が違うんだから私の方が多く歩いてるじゃんと
私は少し不満である
もうそろそろ桜歩きも飽きたところだが
明日も枡形山の桜を見に行く計画を夫は練っている
また全編早歩きだろうなと思いながら
それについて行ける脚力がまだあることを
まずは感謝しておこう
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ぼく、シマエナガ。
『ぼく、シマエナガ。』というXが
とても可愛らしいので時々見ている
シマエナガは
白くて丸っこくて
黒い目や嘴が
なんとも絶妙な配置で
どんな角度から撮っても愛らしい
『雪の妖精』とも呼ばれていて
北海道にいるらしい
シマエナガの写真の魅力もさながら
それにつけた短いコメントにも
ぐっと心をつかまれている
『今日は
もふようび(木曜日)
今日も
生きます』
『今日もいちにち
生きます』
『生きます』
などという言葉を
私は今まで使ったことがあっただろうか
シマエナガの写真と共に
『生きます』という言葉を見る度に
期せずして
毎回胸うたれているのである
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ハナミズキ
桜もほとんど終わり
わずかなしおれた花びらが
葉っぱの間に
見え隠れしているだけである
梨の花の花粉つけは
例年5月の連休の頃だった
という話も知人から聞くこともあったが
あたたかい、いや暑いくらいの日が続いているので
梨のスケジュールも徐々に早まって
もう花粉つけが終わったところもあるらしい
家の庭木としてハナミズキが2本あるのだが
ある日気付いたらいつのまにか咲いていた
いつのまにか、というのは
木が屋根のほうにまで伸びてしまっているので
見上げないと
咲いていることすら気づかないのだ
ハナミズキは美しく満開になっていた
青空を背景に白とピンクの花が
咲き広がっていた
気づこうとして目をあちこちに巡らせないと
咲いていることにすら気づかない花がある
私はどれだけのものを見逃してきたのか
視界を広げて
花を、美しいものを
喜ばしいものだけでなく
隠されている悲しみや苦しみも
もっともっと感じていこう
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ファーマーズ・キャリー
「ファーマーズ・キャリー」という運動法を
ネットでみつけて
試しにやってみた
重いものを両手に持ち
普通にそこら辺を歩くだけの運動法だ
家にあった3キロのダンベルを両手に持ち
以前姑が寝たきりにならないようにと
一緒に散歩したコースをまず歩いてみた
たぶん100メートルもないぐらいだろう
玄関を出て北に少し歩いてから
右に折れて
駐車場と家3~4軒分ぐらい歩いて
また右に折れて
家1軒分とその先の駐車場まで行ったら
また右に折れて家まで戻ってくるという
四角なコースだ
両手に3キロ
つまり体重に6キロ加算で
ただ歩くだけなのに
重さを感じてスタスタとは歩けない
ふと思った
姑はこの100メートルをどんな気持ちで歩いていたのか
手押し車でゆっくりゆっくり
普段横になっていることが多くなっていたから
立ち上がって体を支えるのもきつかっただろう
ほんの短い距離と私は思っていたが
姑には重すぎる負荷
そして
長すぎる距離だったかもしれない
今更ながらの反省だ
「ファーマーズ・キャリー」は
若いうちなら
トレーニング法として有効かもしれないが
重すぎる負荷はかえって体に悪い
背骨や膝の軟骨を痛めるかもしれない
この歳になったら
両手に1キロぐらいの重りで
なんとかゆっくり歩いてみるぐらいがいいのだろう
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顔
時々スマホやデジカメで自撮りする
ふだん無防備な自分が
どんな顔をしているのか
けっこう知らないもので
観光地へのお出かけなどで
夫が撮ってくれる
遠景のなかに写っているよそ行きの自分の顔
お化粧をする時のすました顔
それらは
何気ない接写の自撮り写真とは
あきらかに違うもので
おや、と思うほど
眉毛の辺りが険しい感じで撮れてしまう時がある
思っているより老けている
私は普段こんな顔をさらしていたのかと
少し驚く
慌てて感じがいい表情や笑顔を作って
カメラで何度も撮る
何でもいいから明るい顔
少し目を見開いた感じで
これをいつも心掛けなければと思うものの
ちょっと気が緩むと
眉毛の辺りが寄ってしまう
ひどい近視もあるから
自然と渋い目になってしまっている
意識だ
顔の表情にいつも
意識を持たなくてはならない
年中手鏡を持って
顔をチェックしているのも
ナルシシズムすぎるから
とにかく気付いたら
自分で思い描ける限りの
いい感じの表情を心掛ける
嘘くさい笑顔も
いつか本物の笑顔になっていくだろうし
まずは意識だ
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このこころのまま
平然として
平然として
このこころのまま
このこころのまま
春を行き
夏を行き
秋を行き
冬を行く
川のほとりに
あれは五月
雑草の緑を
弾き返すように
鼻を上に向けて
きりりと立っていた
黄色い菖蒲が一本
花を見て
花の強さに
こころ揺れる
このこころのまま
このこころのまま
たったひとつ
このこころのまま
春を行き
夏を行き
秋を行き
冬を行く
こころが
さびしがっていた
川のほとりを
いくら歩いても
どこへもたどり着けなかった
夕暮れの鐘が鳴っていた
ゆるやかなこころを
ただ望みながら
春を行き
夏を行き
秋を行き
冬を行く
夜を越えて
越えゆく先も知らず
このこころのまま
このこころのまま
平然として
平然として
どこにいても
黄色い花のように
春を行き
夏を行き
秋を行き
冬を行く
さびしさのまま
ほほえんだまま
平然として
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新しい学び
陳式太極拳を学びはじめた
趙堡混元太極拳という太極拳だ
今までやってきた太極拳とは全く違って
全部見知らぬ動きである
これをゼロから覚えるのかと思うと
一体どれだけ日数または年月がかかるのか
普通の太極拳を学びはじめた頃の
途方に暮れたような先の見えない感じに
引き戻されるような思いである
これが初心に返るということなのかもしれない
でもやってやろうじゃないかと思う
慣れ切ったことを日々漫然とやっているよりは
できないこと 知らないことに挑戦したい
動ける限り
動けるこの体を感謝し
先に進みたい
60歳を過ぎて酔拳を学びはじめて
大会で拍手喝采を浴びたと
嬉しそうに話す女性に会った
いい冥途の土産になったと
歳を取ってから花開く才能もある
見習わなくてはと思う
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賛美者
もし互いにそばに住んでいたなら
滑稽なあのあだ名で
今も私を呼んでくれていただろうか
私が書いたものを
大笑いながら読んでくれていただろうか
離れていったのは私の方からだった
何度も引っ越すうちに
物理的にも
心理的にも
あなたがどこに住んでいるかも
今は分からない
年に1度の年賀状でだけでも繋がっていればよかった
同じ時代 同い年 同じ空の下
「一生親友だよ」と言い合ったのに
あなたに関する情報が何もない
だから想像する
今もきっと元気だろうと
元気でいてくれるだけでいい
心を見せ合える友情を教えてくれたのは
あなたが初めてだった
私が本当に私らしく笑えたのは
あなたの前でだけだった
あの頃
両親よりも大切な位置を占めていた親友
私が今も
詩を書いているのは
あなたが無邪気に崇めてくれたから
へたくそに書き殴った私のノートを
何度も読みたがってくれたから
真面目に私に向き合ってくれたから
私もまたあなたの聡明さに対する
たったひとりの賛美者
今もあなたの前に頭を下げ
ひざまづいている
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騒音
家の前の道路を隔てたところにある市営住宅が
ここ数年建て替えをしていて
毎日工事の音が聞こえている
昨年半分の棟が建て替わり
今年から残りの棟の取り壊しがはじまった
がらがらという建物が崩れるような音や
ずしんずしんと地響きのような音が昼間じゅうしている
今日はそのうえ前の道でガス管設置の工事がはじまって
道路を切る音や
作業員たちの声かけも聞こえる
結構な騒音ではあるが
うるさいなあと時折思う程度で
さほど気にならない
気になったら
さっさと出かけてしまえばいいのだ
すべての「気になる」に
そんな単純な解決法があるといいのにと思う
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-
今の涼しさ
5月に入って
もう夏になっていくのかと思っていた日もあったが
下旬になる頃には
涼しいを通り越して寒いぐらいの日が続いている
このぐらいの気温がいいねと思いながら
過ごしている
暑さに弱いとは感じてこなかったが
去年は確かに、これは猛烈暑いぞ40度はいってるよと
ぼやきながら過ごしていた
出かけても長くは歩かず
クーラーの効いている施設で時間を過ごすようにしていた
今年はもう少し意識して暑さに用心したい
どう体を整えていくか
それもよくわからない
睡眠、食事、リラックス
それが人生を安らかに生きる基本だが
人間思いがけないところでバランスを崩す
いまいち強気になれない自分も感じている
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視力
自転車で通り過ぎながら
遊歩道のツツジの植え込みの中に
枯れかけたヒメジオンが何本も
紛れ込んでいるのを見る
あまりに見慣れ過ぎて
もう私はそれらから
言葉を紡ぐことができないのだ
くっきりと
はっきりと
細部まで見通す視力もなくして
輪郭のぼやけた風景の中にいる
美しさの裁定まで
ぼやけはじめている
「月が二重三重に見えてね」
「私もですよ」
そんなことを友人と言い合って
自嘲する
失ったのは
健やかな視力だろうか
若々しい感性だろうか
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紫陽花の花
あちこちの道筋に
紫陽花の花が咲き始めた
遠くから見ると
それ自体一かたまりの巨大な花束のようだ
東生田高校の南側入り口の
道路を隔てた土手の上に
横並びに植えられている紫陽花を見つけた
20株ぐらいあるだろうか
朝散歩に行っていた夫が先にみつけた
今まで散歩でこの道を歩くことはあったが
紫陽花の頃ではなかったので
そこに紫陽花があることに全く気づかなかった
少し見上げる位置に
並んで咲いている青とピンクの紫陽花
背後の雑木と薄曇りの空に映えて
くっきりと色鮮やかだ
きっと高校の関係者が何年も前に
通学する高校生たちのために
植えたのだろう
花のない頃には
道行く人たちは誰も知らない
ここにやがて咲く紫陽花があることに
普段気づかれることのない心遣いが
この季節にだけ発現する
それを私もやっと今年になって
気づくことができた
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動き出す
あなたの一言が
針になる
そこから広がっていく
少しずつ
血をにじませながら
あなたに会うたびに
わたしは打ちのめされる
あなたの書き方 話し方を
わたしは到底超えることはできない
知らない世界については
知ったふりをしてうなづき
限界の付近をうろうろしては
「もうこの辺で」と力を抜いてきた
整った論理で
最後まで貫いていくことを
わたしはいつから諦めてしまったろう
あなたの深さが
わたしに思い知らせる
瑕疵のない身軽さなど
いつかは失われゆくもの
括りつけられた鎖を引きずりながら
ただ前へ
力を込めて足を前へ
もう一度言葉の森に迷い入る
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エゴノキ
うちの庭にはエゴノキがある
(エゴの木かと思っていたらエゴノキである)
今年はどういうわけか花が全然咲かなかった
5月ぐらいにはいつも
白い小さい花がびっしりとつくのに
今年は全然咲かなかった
花が咲けば秋には可愛い緑色の実がなって
それが割れて乾くと
地面に茶色い種を落とす
毒のある種なので
猫を飼っていた時分には
うっかり口にしてしまったらいけないと思い
いつも念入りに木の下を掃除していたものである
茶色くて固くて7ミリぐらいの大きさの種は
何かの手芸に使えるのではないかと思えるほど
かわいらしい形をしている
小さな子供がいたら
きっと喜んで集めたがるだろう
葉が生い茂るばかりの6月のエゴノキ
今年は花も実も見られなくて
少々残念だ
昨今は季節感が危うくなって
春も夏もいっしょくたになっている
花を咲かせる時期を失し
植物たちも困り顔になっているに違いない
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アナベルの花
6月なのに梅雨前線はどうしたのか
真夏のような暑さが続く
珍しく曇っていたある日
あじさいまつりの時期に当てて
夫と府中郷土の森博物館に行った
アナベルという品種の真っ白な紫陽花が
博物館前広場の周りを囲むように咲いている
その背後には
ヤマボウシの木も何本かあって
同じ白い色の花を咲かせている
少し先にはアナベルの丘と呼ばれるところもあり
ここもまた一面の白い花
これだけまとまって咲いているのを見るのは初めてだ
園内には他にも一万株の紫陽花があるそうだ
曇っていて光が抑えられているのも紫陽花日和
写真も撮りやすかった
割と毎年行く妙楽寺のあじさいは
もう終わってしまっているかもしれない
こう晴れた日が続くと花を見に行くのも
天候を見ながら
暑さに対して防備しながらになる
郷土の森博物館の少し先には
子ども向けの大きな水遊びプールも2つあって
色とりどりの小さなボールが浮いている
まだ準備中のようでもあったが
それは花にまさる華やかさと賑やかさ
ここに人々が集い
はしゃぎ遊んでいる子どもたちがいたなら
まだ梅雨の合間とはいえ
まさにここだけ真夏のまぶしい風景になったことだろう
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多汗症
手指多汗症の人は
紙に字を書いていて
その紙が汗でぐしゃぐしゃになってしまうそうだが
私は今までそのようなことはなかったから
手指多汗症ではない
しかしここ最近頭や顔に異常な汗をかく
暑すぎる時や
運動したときに限っているので
日常生活にそうは支障はないが
とにかく汗ダラダラで
髪がびっしょりと濡れ
汗がしたたる
人と一緒の時は気まずいことこのうえない
この前冷房の故障した会場で
難しい陳式太極拳の動作や理論の講義を受けていた時も
馬鹿みたいに汗を垂らしていた
お隣にいた女性が
涼し気な表情で汗一つかいていないのを見て
なんで私だけこんなに汗を!?と思ってしまう
はっきりいってかなり気まずい
濡れた髪の毛も跳ね散らかって
どんなセットも台無しにしてしまう
お化粧なんてすぐに取れてしまう
女優さんは顔に汗をかかないという
どういう仕組みでそういうことになるのだろう
気力でそうなれるのだろうか
いちいち顔や頭がぐっしょりになっていたら
メイクさんにあきれられて
次からは起用されなくなってしまうだろう
そう思うと
女優でもない一般人の私の汗など
なんということもない
幾分見苦しくても
直接的に誰に迷惑をかけるものでもない
私だけがうっとうしいだけである
それはそうなのだけれども
汗ダラダラでも何食わぬ顔をしているのだが
髪型がぶっ飛んでいくのはどうにも止められない
いつもはこんな滅茶苦茶な髪型ではないんですけどねと
心の中で弁解しながら
早く涼しくなってくれと願っている
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42度
今日うちの駐輪場の温度計が
とうとう42度を記録した
まあそうだろうなと思った
だから去年から言ってたじゃないか
最高気温が37度のはずはない
普通に40度いってるよと
深夜ふと目覚めて
ラジオをつけてみた
チャンネルはいつもNHKに合わせてある
ちょうど世界の主要都市の天気概況をやっていた
ニューヨーク イギリス スペイン リオデジャネイロ
どこも最高気温が22度とか25度だ
オーストラリアなど10度台だ
なんと世界の大部分は過ごしやすい
最後に告知される明日の日本の最高気温
37度(だからもう40度過ぎてるって)
日本だけどうしてこんななのだ
日が暮れてから
太極拳の練習でもしようと外に出た
ああこれはだめだと思うほど
大気がまったりしたお湯だ
外にいる間中お風呂の中だ
災害級の暑さと表されているが
確かに災害の只中にいるらしい
茫然としながらも妙な納得感もある
汗だくで太極拳を通し
そそくさと冷房の部屋で涼む
エアコンがおととい調子が悪くて
買い替えるか家庭争議になったが
もう少し使えそうだ
ありがたき幸せ
使えなくなったら暑さからの逃げ場がない
裸になっても暑い
そう考えると冬の寒さの方が
まだ対処のしようがあるなと思う

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