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第5章 大学2年 1学期③ 大学復帰

更新日:2023年10月4日


 もう六月に入っていた。久しぶりに歩く早稲田の町は、相変わらずごみごみしていて学生たちで混雑していた。梅雨の前の初夏の匂いのする明るさ。早稲田松竹には新しい映画の看板が立っている。クリーニング店の前の歩道にいつも寝そべっている薄汚れた白い犬は、やはり同じ格好でものうく寝そべっていた。ぼんやりしていると踏みつけそうになる。パチンコ店の前で開店を待つ学生たち。古本屋の匂い。道路のなだらかな勾配。

 私は帰ってきた。再び生き直すために。歩道沿いに飾られた商店街の飾りは、もうじき七夕であることを思い起こさせた。

 私はゆっくりと文学部のスロープを上がっていった。大学まで辿り着くのさえ息が切れ動悸がした。まわりを歩く学生たちはいかにも健康そうに闊歩している。私は追い越されるままに、スロープ脇の銀杏並木の隙間から空を透かし見ていた。眩しい。

 O組は語学の授業をやっている最中だった。廊下の長椅子に座って授業の終わるのを待った。この汚い革張りの椅子に今までどれだけの早稲田生が座ったことか。生きることを苦しんだのは私だけではあるまい。青春は若く美しいけれど不安定で倒れやすいことを、この数ヶ月で学んだ。すべての出来事は必然で、きっと何らかの意味を持っている。

 壁に貼られた新入生勧誘のサークルのビラは、もうあちこち引きちぎられていた。同じビラが何枚も横に並んでいる。廊下の壁中に節操も無く貼り散らかされているビラ。それぞれが叫んでいるみたいだ。『学生座禅会』『バンドスタッフ募集!』『会員募集中!』『定期公演』『急募!』

 授業が終わりドアが開かれる。懐かしいO組の人たちが教科書を手にぞろぞろと出て来た。何人かが私を取り巻いて声をかけてくれた。

「あっ、小島さん! 久しぶりだね」

「ずうっと休んでたから、どうしたかと思ってた」

「病気だったって聞いたけど、もう良くなったの?」

「なんだかすごく痩せちゃったね。顔が一回り小さくなったみたい」

「授業、もう出て大丈夫なの?」

 皆の顔を見て私はやっと日常に帰れたと思った。死と再生に揺れ動いた危険な日々のことが、急に遠い昔の出来事だったように思えた。

 片山孝二とその仲間たちのグループも私に眼を止め、

「やあ、久し振り。体壊したって聞いたけど、大丈夫?」

と話しかけてくれた。

 中川誠は顔の右側に大きな絆創膏をしていた。目のそばにもあざがあった。

「その傷、どうしたの?」

と、聞くと、

「あっ、これ、猫に引っかかれたんだ」

と、彼はお茶を濁した。

しかし、そんなものではないことは一目瞭然だった。片山孝二や佐伯伸也がそばでにやにやしながら、

「全く、こいつはドジだからな」

とか言っている。この一か月の間におそらく皆にしても何らかの変化があったのだろう。


 坂口美子が何と言っても一番私の復学を喜んでくれた。

「小島さんいなくて寂しかったわぁ。授業の時も心細くてね。もうすっかり元気になったの?」

「まだ完全には治りきってはいないんだ。でも無理しないようにして薬飲んでれば大丈夫、だと思う」

「そう。私にできることがあったら何でも言って。今までの授業のコピーも必要だよね。私も真面目に授業受けてたわけじゃないけどさ」

「うん。ありがとう。試験の時とかよろしくお願いするかもしれない」

「試験はあんまり当てにしないでえ」

坂口美子は屈託ない笑顔で笑った。


 次の二時限目は彼女が本部のコンピューターの授業だというので、一緒に本部までついて行った。歩きながら彼女はここ一か月にあった出来事を私に打ち明けてくれた。

「私、同じクラブの商学部の四年生の男の人とお付き合いを始めたの。彼、週に二回ぐらいしか授業は無いんだけど、都庁の試験を受けるために大学に来て勉強してるの。すごいお金持ちらしくてね。外車みたいなスポーツカーに乗って横浜の方にドライブに行ったり、青山の高級レストランで食事したり‥‥一回のお食事に何万円もかかるのよ。私そんなとこ一度も行ったことが無かったからびっくりしちゃって」

「そうだったんだあ。それはおめでとう。都庁受けるなんてほとんど国家公務員じゃない? 超エリートだね。それに高級レストランでお食事なんて、うらやましい」

「もしかしたら結婚なんてこともあるかもしれないと思ってるの。恋ってこういうものなのかなあって、少しずつ思えるようになってきたし、少し怖くもあるけど、真面目にお付き合いしようと思ってるの」

「もう結婚まで考えてるの? すごいなあ。大人だなあ」

「そういうんじゃないけど‥‥ただ何て言うの、身分の差っていうとおかしいけど、金銭感覚が私と全然違うことにすごい戸惑いを感じる時があるの。たとえば私なんか百円だって大事だし、もし道に落ちてたら絶対拾うじゃない。だけど彼にとって百円なんかはお金じゃないって感じ。このギャップが大きすぎてちょっと疲れる時があるの」

「そうか、金銭感覚ってやっぱりあんまり違うと、変なところで背伸びしちゃったりするかもしれないね。おごってもらってラッキーで済ませられればいいけど、いつもいつも高額なお食事だと気が引けてくるかもね。身についた習慣だから、なかなか相手に合わせるのも大変でしょ?」

「うん、そうなの。私もあんまりラフな格好できないしね。とっても背伸びしてるとこがあるの。まだお付き合いが始まったばかりだし、これからどうなるか分からないけど」

 彼女は恋をして少し大人っぽくなり、憂いを含んだまなざしをするようになった。大学のキャンパスを見渡せばあちこちにカップルが歩いている。幸福な恋人たちもいれば、会えば傷つけあってしまう恋人たちもいるのだろう。私にはまだ恋愛のことは分からない。私を支えて欲しいと思う人はいたけれど、その人は私のことをそういう対象として見てはいないのだろう。


 大学の授業は進んでしまってはいたが、追い付けないほどではなかった。授業の進度より、英文のクラスでできかかっていた友だちが、この一か月で別のグループに入ってしまったことが痛かった。女子の場合一旦グループを組んでしまうと、そこに新しく割り込んでいくのは容易なことではないのだ。


 英文の授業の後、一応歎研の部室に顔を出して挨拶だけはしておこうと思った。もう仏教の話を聞く気はなかったし、これから少しずつ会から離れて行こうと思っていた。吉川清彦のことはともかく、歎研で仲良くなった山上美代子に会えなくなるだろうことは残念だった。いい友だちになれそうだったのに。

 やめたいと思っているサークルに何故私は性懲りもなく顔を出そうとしているのか。久し振りの東京。私はひとりぼっちでいるのがまた怖くなってしまったのだ。怯えに似た気持ちが居座っているうちは強くなれない。きっぱりと歎研と関りを絶つには、もう少し時間が必要だった。

 竹前ビルに行くまでの神田川沿いの道には丈高いビワの樹が何本も植えられていて、小さなだいだい色の実を実らせていた。木々の葉っぱの色もいつのまにか深い色に変わって初夏の近づきを告げていた。

 歎研の部室には一人しかおらず、この時間、本部の広場に皆集まっているという。私はまた本部にとって返して、広場に行ってみた。歎研は今創価学会批判をやっていて、大隈侯の前に大きな立看を並べ、時折部員がマイクで何かをがなりたてていた。椅子やテーブルを演壇のように並べ、拡声器を使って叫んでいる部員たちは、仏教の信徒というより革命の闘士のように見えた。

 歎研は『歎異抄研究会』という名前ばかりではなく、『文学哲学の会』『東洋思想研究会』『深層心理研究会』という別名で勧誘していることも前から知っていた。何故そんなことをするのかある部員に尋ねてみたところ、仏教への入り口はさまざまでも、出口はひとつなのだからとうまくはぐらかされてしまった。結局、歎研はどこかに嘘を隠し持っていると感じた。

 歎研の他にも、オウム真理教のようなカルト宗教も大学に入り込んでいたのだろうと思う。宗教、とは言わず、「カレー同好会」のようなサークル名で勧誘してくるのだ。

 もし、私が歎研(親鸞会)ではなくオウムに勧誘されていたとしたら‥‥。私はしかし、やはり入信などはしなかっただろう。信じれば救われる、などと言われて私が素直に信じますという訳がない。反駁に反駁を繰り返して、地獄に落ちるぞと言われても、はいそうですか、それなら私は地獄に落ちますからどうかおかまいなくと言って席を立って帰るのだ。押し付けられた宗教は、たとえどんなに精神的に苦しい状況にあっても、条件反射的に拒否する。それが私のその頃の心理状態だった。弱い心を持った私だったが、それにつけこまれて折伏されるのは絶対に嫌だった。

 宗教に対してはそうだ。しかし私に熱心に話しかけてくれた吉川清彦とは本当にもっと親しくなりたかったのだ。宗教とは完全に離れてお互いのことを知り合いたかった。もっと友人としていろいろなことを話したかった。しかし彼とは話が通じ合わないことを私はここ数ヶ月ではっきりと悟ってしまったのだ。


 広場の立看の前に二、三十人ぐらいの部員たちが集まっていて、その中に吉川清彦がいるのをみつけた。長身に夏らしいシャツとスラックスを纏い、なめらかな白い肌を涼し気に風にさらしていた。線が細い美貌、そう言ってもいいかもしれない。あのようなことがあってからも、ずっと会いたかった、しかし会えばまた失望を植え付けられそうで、もう会わないほうがいいのではないかと思っていた。

 あの、宇都宮に来てくれた日、肩を並べて歩いた故郷の道で、私たちはまるで別のことを思い合っていた。つまり、これからもきっとそうだろうという事が、まるで流れていく季節の行く末を見るように予測がついてしまったのだ。彼はもう私を救う存在ではなかった。

 部員たちが私を見て、「あっ、小島さんだ。久しぶり」と声をかけてきた。

 吉川清彦も私を見つけて近寄ってきた。鼻に皺を寄せるようにしてちょっと笑っていた。彼のこの笑い方は好きだった。いつでもこんな風に笑っていてくれたらいいのに。

「いつ東京に出てきたの?」

「二、三日前です」

「検査の結果はどうだった?」

「あの、まだ半分ぐらいしか治っていませんでした」

「それで東京に出てきちゃったわけ?」

「はい」

「完全に治しちゃったほうがいいんじゃない?」

「ええ、そうなんですけど、でも二か月休んでしまうと進級できなくなってしまいますから」

「そう。進級したいわけ?」

 進級したいに決まってるじゃないか。それとも私が落第して落ち込んだところを、お見舞いと称してまた仏教を顕証しようとでもいうのか。

「はい。あと一か月もしたら前期試験ですから、それだけでも頑張って受けようと思います」

「そう。明日の部会は出られるかな?」

「夜は駄目です。昼なら出られるかもしれませんが、まだ体力が戻ってないので、お約束はできません」

「そうか、ん、わかった。じゃ、またね。おやすみなさい」

 こんなに明るい真昼なのに、また、おやすみなさいの言葉‥‥変な口癖。そんな言葉、家族か恋人にしか言わないで欲しい。おやすみなさいなんて‥‥この先も無防備な眠りを見せ合うことなど決して無いのに。


 六月に入って初めて体育の授業に出た。私は弓道を取っていた。ハードな種目ではなくてつくづく良かったと思った。弓道場は本部から南に少し行った先にある予備校の早稲田ゼミナールの近くにあった。サークル部室用の建物の脇を通り過ぎるとすぐに雑草の生えた敷地が広がっていて、東端の盛土に小さな的が立てかけてあった。

 弓道部の男子部員が二、三人、白い胴着に黒い袴をはいて生徒のそばで指導に当たっていた。皆、背筋がピッと伸びていて武道をやっている人らしい端正な佇まいだった。弓道講師は幾分背が低かったが、がっちりとした体つきをしていて、声が太く、穏やかな顔をしていた。授業を受ける生徒は男子三十人、女子十人ぐらいだったろうか。


 胴構え、弓構え、押し開き、ものみ、詰合。弓を射るにも決まった型があることを知った。最初のうちは型の順番を覚えるのがやっとだった。左手の親指の付け根に擦り傷をいつも作ってしまうということは、どこか体勢に歪みがあったのだろう。矢を放った後、弓の弦が右頬を打つこともあった。弓道講師は繰り返し肩の力を抜けと言っていた。


 弓を持つと不思議なほど静かな気持ちになった。虚無、無心といった心境。的を狙う時の息をつめた静止が好きだった。私は的を見つめる。的は私の心臓である。何も考えない。何も予測しない。ただ矢は弦に弾かれて前へ飛んでいくだけである。矢が的に当たろうが当たるまいが構いはしない。矢をつがえながら私は深い沈静の底に沈んでいくのを感じていた。


 六月から始まった講義に英米演劇があった。松原教授は学内でも評判の右翼だそうで、授業中過激な発言がぽんぽん飛び出し、それがこの教授の授業が人気のある所以だった。

 ある授業中、開けた窓から学生たちの拡声器を使ったアジテーションが聞こえてきた。松原教授はそれにしばし耳を傾けていたが、おもむろにこう言った。

「原理だの、革マルだの、民青だのがよくスピーカーで怒鳴っている。本当にバカな奴らだと君たちは思っているかもしれないが、少なくとも君たちよりはよっぽど真剣だよ。自分以外の事に夢中になれて、自分を忘れてしまうほど熱中できるものを何か一つ持っている人間は本当に幸福だよ。それが生きがいというものだよ」

 外でがなりたてているのは、もしかしたら歎研の部員であるかもしれなかった。確かに彼らは今、熱中できるものを持っている。仏教という一つの思想のもとに固く結束し、運命共同体ともいえる集団にまで昇華しつつあるのだろう。私はよく分かっている。彼らが真面目に幸福について考えていることを。しかし私はもう彼らを羨まない。私は幸福について百の言葉を玩弄するより、幸福のために一つずつ行動していこうと決めたから。私は私自身の方法で生きがいをつかむ。


「キリスト教には矛盾がある。まず神は何故、人間の堕落の原因である蛇を作ったのか」

松原教授がキリスト教について話しはじめた時、四月に吉川清彦とキリスト教について議論したことを思い出してはっとした。

「蛇さえいなければアダムとイブは平和に暮らせたわけだ。蛇を作ったのは神の失敗だったわけだ。細かいことを言えばどの宗教にも矛盾がある。しかし、イエス・キリストをインチキだとか馬鹿者だとか罵ったとしても、あのように十字架に上っていったイエス・キリストを憎むことが君たちにはできるか? できないはずだ。人間はだれでも善良であることは良いことだと思ってはいるが、しかし完全な善良になろうとはしない。完全な善良イコール馬鹿という公式が頭の中にあるからだ。イエス・キリストは完全なる善良の象徴だった。それゆえに信じるに値するのだ」

 もしここに吉川清彦がいたら松原教授にどう反駁するだろう。

 一つの真理を絶対のものと信じて精進していくことは、それ自体は素晴らしいことに違いない。しかしその真理は万人にとっての真理だろうか。私は仏教を聞いてきてどう力説されても、仏教だけが唯一無二の真理なのだとはどうしても思えなかった。


 死後の極楽が保証されていたとしても、今、病気なのはやはり苦しいし、今、人と心が通じ合わないことは、やはり心を鬱屈させるものなのだ。この感情は「絶対の幸福」「信心決定」を得られたとしてもきっと消えることはない。呼吸し、心臓が動いている今、この瞬間だけが信じられる唯一の絶対であり、大切なのはそれをどう生きるかなのだ。遠い救済の約束など当てにしたくもない。

 吉川清彦にしても、私の信念をぶち壊す資格など無いのだ。第一ひどく的外れだ。私には信念といえるものなんか無いのだから。有るのは仏教に対する意識された反感だけだ。吉川清彦に会う以前の方が、反感が無かった分だけかえって仏教に近かったかもしれない。


 数日後、本部図書館に行こうとしていた時、やはり広場で創価学会批判を拡声器で叫んでいる歎研の部員たち二十数名に会った。このところ連日で行っているようだ。図書館は広場に面しているので、どうしても目についてしまう。その中にまた吉川清彦がいた。理工学部の人なのに、どうしてこんなに本部に来れるのか不思議だった。

 彼は私の姿を見てそばに駆け寄ってきた。

「やあ、もう授業終わったの? これからどうするの?」

「ちょっと図書館で勉強しようかと‥‥」

「やっぱり勉強すごく遅れてしまった?」

「はい。語学とか大変です」

「そう。明日の部会出られない? 日曜日も聴聞があるんだけど、無理かな」

「はい、授業だけで精一杯です。‥‥すぐに疲れてしまって」

「そうか。もし出られたら電話して。聴聞にも来て欲しいんだけど‥‥小島さん来るまでロビーで待ってるからさ。調子良さそうだったら来てみて」

「はあ‥‥たぶん行けないと思いますが‥‥」

 あなたはそうやって、『私だけ』を待っているというような口ぶりをする。きっと深い意味は持っていないだろうに。

「なんだか四月の時に比べて随分やせたね。こんな細かったっけ?」

吉川清彦がふと聞いてきた。

「ああ、はい。ちゃんと食べられなかったので、結構急にやせてしまいました」

「そう。まだちゃんと治ってないんだったよね。でも部会とか聴聞は座ってるだけだから、大丈夫だと思うけど‥‥」

 そんなにご法座に出席させたいのか。長時間じっと座っているということだけでも随分体力を使うということが、この人には分からないんだと思った。愉快な話ならまだしも七面倒臭く面白くもない仏教の話だし。

 大学の一時間半の一コマの授業さえ、私にはまだつらかったが進級のために必須だったから無理して出席していたのだ。もう私に過重な期待は寄せないでほしい。彼が宇都宮に来てくれた日から、私は仏教とは距離を置こうと思っていた。


 彼に誘われてゆっくりと立看の近くに歩み寄った。

「‥‥あの、それはそうと創価学会と何か接触でもあったんですか? ここのところずっと学会批判をやっているみたいですけど」

「接触はないけど、そもそもの初めはね、図書館の男子トイレの壁に創価学会の誰かが

歎異抄研究会の悪口を綿々と書いたんだ。それを見て、あっ、これは破邪顕証せねばと立看書いたりしてこうしてアピールしているんだよ」

「こんな過激なことしていたら、歎異抄研究会について偏見を持つ人がますます多くなってしまうんじゃないですか?」

「偏見を持つ人は持てばいい。僕たちは誹謗を恐れない。間違った偏見を持つ人の方がよっぽど哀れだ」

「あまり立ち止まって聞いてくれている人もいないみたいですけど」

「たとえ一人でも聞いてくれる人がいればそれでいい」

「なんだか部員の皆さん、ちょっとはしゃいじゃってませんか?」

「ああ、そう見える? 一致団結して他の団体を糾弾するなんてそうは無い機会だから気分が高揚して楽しんでいるように見えるけど、本当はすごく真剣なんだよ」


 六月の太陽は夏色の日差しを含んでいた。立看の前で話しているとそれだけで異様な議論の風景に見えるらしく、そばを通り過ぎていく学生たちは、好奇の目で私たちを眺めているようだった。歎研の部員であることは一般学生にしてみれば危険分子であることを意味していた。私が危険分子? 失笑してしまいそうだった。

 そのうち部員たちが立看の前で写真を撮ろうとして並び始めた。皆が私たちを手招きした。

「あっ、私はいいです」

「せっかくだから一緒に写真を撮ろう」

私は歎研の部員として写真に残るのはいやだなと思った。

「本当に写真はちょっと」

と言って身を引いた時と、彼が、

「ほら、行こう」と私の肩を押そうとしたのが同時だった。

彼の手がはずれ、私の左胸をぎゅっと押す形になった。

私は小さく「あっ」と声を上げたかもしれない。

彼は一瞬息をのんだあと、何もなかったかのように、

「さあ、写真に入って。急いで」

と言って、もう一度私の肩を押した。

 私はぼうっとしたまま彼に付き添われ促されるまま写真の真ん中に入ってしまった。部員の皆に、今の事を気づかれなかっただろうか。私にとってその一瞬の接触はなんでもないことではなかった。私の心に残った衝撃と同じように、彼の手のひらにも私の胸のふくらみが刻まれてしまったのだろうか。

 集合写真を撮ってばらけた後も、カメラを持っている部員が個人写真を撮っていて、私と吉川清彦のツーショット写真も、

「もしかして付き合ってたりして? へへっ」

と、ふざけた感じに撮られてしまった。

 彼と別れて図書館の席に落ち付いてからも、気持ちは動揺していた。

 彼がどんな風に私の胸に触れたかを思い出そうとして、自分でもそっと胸を確かめてみる。薄いブラウスを隔てて、そこには小さいながらもちゃんと女性としての胸があり、この感じが彼の掌に残ってしまったということか。ああ、どうしよう。こんな直接的な接触。たとえ瞬間的な事故であっても、男性にこんな風に胸を触れられたのは初めてだった。彼はどう思ったのだろう。恥ずかしい、そんな思いが頭の中をぐるぐる渦巻いた。そして何ともいえない気持ちの悪さが残った。

 彼は写真を撮ったあと、ポーカーフェイスのまま私に部会の事について念を押し、そしていつものように別れ際「おやすみなさい」と言って手を振った。彼の心の動きを読み取りたくて、彼の目を盗み見る。あんなことがあったあとのあの写真。彼はその写真を後でどう見るのだろう。


 あまりにたびたびの電話、部会の誘い、私のためだけの熱心な顕証、下宿や宇都宮に来てくれたこと、偶然のようにしてあちこちで出会ってしまう事。たとえ仏教の顕証のためとはいえ、彼の私への関わり方は度が過ぎていた。私が自惚れを持たなかったと言ったら噓になる。

 もしかして彼は私に好意を持っている? そうでなかったらこんなに私に関わろうとするはずがない。でも彼は、ほとんど仏教のことしか言わないのだ。最初のうちは彼にサポートされているようなうれしさを感じていたが、何度会っても彼が教師のようでしかないことに私は違和感を感じるようになっていた。友人のようでもなく、ただひたすら上から目線で仏教を語り続けるのみ。

 おそらく彼は、私的な感情を持ったとしても、それが仏教とは関係のないことだったなら、まるで無かったかのように意識下に収めてしまい、仏教を畳みかけることによってのみしか私に近づく術を持てなかったのだろう。

 彼の得意分野は仏教だ。仏教のことなら果てしなくしゃべっていられる。仏教で攻めれば私が落ちると思っていたのかもしれない。だがそれは逆効果だった。どんなに言葉を尽くされても反感しか湧いてこなくなった。

 今にして思えば、二十歳そこそこの若さ、未熟さ。彼は人間として、また男女としての付き合い方をまるで分かっていなかった。それは私とて同じことだったのだが。


 本部図書館で一時間ほどドイツ語の予習をしてから、本部事務所に長欠をしてしまった時に大学に申請する用紙をもらいに歩いていった。校舎の裏手にひっそりと隠れるようにあった事務所で用紙を受け取り、それを読みながら文学部に向おうとしていると、

「何やってるの?」

と横から急に声を掛けられた。吉川清彦だった。ほら、また‥‥なんで…?

 部員たちはもうとっくに解散しているはずなのに、もしかして私が図書館入ってから出てくるまでずっと待っていて、その後も私の後をつけていたのだろうか。どういう気持ちで彼がそんな行動をとっていたのか推し測ることも出来ず、私はただとまどうばかりだった。もう今日は会いたくなかった。胸に触れられた衝撃はまだ消えてはいなかった。

「あの、医療費控除やいろいろな書類をもらいに‥‥」

「ふうん、そう。たくさん病気で休んじゃうとそういうのが必要になるんだ」

「先生に証明書を出すと、病欠ということで考慮してもらえるんです。どの講義も3~4回続けて欠席してしまったから、出席日数がちょっと心配で。これからも体調によってはたまに休むかもしれないし」」

「そうなの。いろいろ大変だね。早稲田って案外出席日数にシビアだからね。そうだ、ちょっと時計を見せてくれない? 時計が無いと生活に不自由しちゃってね」

「はい。ええと、二時四十五分くらい」

「あっ、そう、ありがとう」

 ただ時間を聞いてくるなんて、それは私に話しかける口実だったのだろう。

 そうして私たちはゆっくりと並んで歩いていった。彼は珍しく仏教の話を持ち出さず黙っていた。何かを言おうとして躊躇しているようにも見えた。何か他の事を、もっとお互いが分かり合える何かを‥‥言わなくては駄目だと私も心の中で思っていた。でも二人とも何も言えなかった。

 もしかしたら彼はさっきのアクシデントを謝ろうとしていたのかもしれない。私が何も無かったことにしてあげようとしているのだから、ほじくり返さないで。何か言われたらまた嫌な気持ちになってしまう。

 さっきの立看の前にまだ二、三人の男子部員がいて、私たちを交互に見てにやりとした。

私はあわてて、

「これから授業ありますから。じゃあ、また」

と言って彼から離れようとすると、

「日曜日、聴聞、待ってる」

と彼は急いで言った。

 もう断ったはず。私はちょっと微笑んで頷いてから彼に背を向けた。

 日曜日、彼は私をロビーでずっと待つことになるのだろうか。しかしそれはもう彼の勝手であり、私は行くなんて一度も言っていないのだから。

 ぎゅっと押された左胸、その奥の心臓まで掴まれているような気分に悩まされながら、私は四限の授業のある校舎に向って歩いていった。


 歎研の人たちが顕証のための書類を手放さないのは何故なのかいつも考えていた。部員たちは皆いつも同じ事を、同じ例示を言い立てる。顕証をするためだけの仏教になっていはしないか。芥川、太宰、川端の自殺を例に挙げ、ただ過去の知識人たちの苦しみに満ちた最期を、おそらく部長からの受け売りを、述べ立てているだけのような気がした。

 仏教を信じればすべて解決する。それも部員たちがたびたび口にする言葉だ。違う、何か違う。今の私に必要なのは仏教ではない。そうはっきりと思い始めていた。

 健康を失い、薬を飲み続け、食事にも最大限気を使う日々。シチューやサラダ、スープ、ミルクセーキ、卵料理。野菜をなんでもとろけるほど煮込んで、わけのわからない料理を作った。なんとしても健康にならなくてはならない。あの医者の鼻を明かすために。正直、信心を獲得するなんてどうでもよく、自分の体の内奥の声のみしか耳を傾けることができなくなっていたのだ。

 授業が終わるとすぐ水飲み場に行き、緑色の苦い粉薬を飲む。吐き気を催すようないやな味の薬だ。時々唇にちょっと粉がついてしまっていて、次の授業で会った坂口美子に「小島さん、唇が緑」と注意されることがあった。

「宇宙人に乗っ取られた地球人の血が緑色になる映画があったねえ。私、宇宙人かも」

そんなことを言って笑い合った。

 体重もなかなか戻らなかった。四月にはいていたジーンズはウエストがぶかぶかになってしまったので買い替えた。他の洋服もすべてゆるい感じがした。この一ヶ月で五キロ以上急激にやせていたのだ。

 自分はちゃんと食べれているのか、不安にもなった。自分のことは自分で管理するしかない独り暮らし。とにかく食事療法と薬で体を治すしかない。宇都宮にいる時は一日おきに注射もしていた。たぶん胃酸を抑えるものだったろう。東京に来てからは注射をしなくなったから、そのことが治癒にどれだけの影響をあたえるか分からないことも悩ましかった。悪化したら手術になる、という恐怖がいつも心の中にあった。

 それに勉強。抜けてしまった1か月、特に語学の遅れを取り戻すために坂口美子から貸してもらったノートのコピーを一気に覚えなくてはならなかった。


 弓道は部室内で、立て掛けた畳を前にして型の練習に入っていた。二回ほどやったところで、弓道部の先輩が、

「的に向ってやっていいよ」

と声を掛けてくれた。えっ?と戸惑ってしまった。まだ三、四回しか授業に出席していなくて、大分皆から遅れてしまっていると感じていたからだ。他の学生たちはまだ畳に向って矢を打ちこんでいる。私はどうしようかと後ろの方でうろうろしていたら、さっきの先輩が、

「自分の矢を探してやっていいよ」

ともう一度声をかけてくれた。

 恐る恐る弓を構え、二十メートルほど離れた的に向って弦を引き絞った。タン、と乾いた音がして、矢は的の中ほどに突き刺さっていた。

「わあ!」

びっくりして思わず声を上げてしまった。まわりで見ていた人たちも拍手をしてくれた。

そばで見ていた先輩は、

「そう、今みたいにやればいいよ。もう少し上を狙って」

と、にこにこしながら言った。なんだか胸の中が透明になっていくような気がした。うれしい。気持ちがいい。もう一度。ゆっくりと的を見つめ、限りなく心が鎮まった瞬間に弦を離した。また、真ん中に当たった。

「その調子!」

先輩がうなづきながらガッツポーズをする。信じられなかった。

「すごーい!」

周りにいた人たちもさっきより大きな拍手を送ってくれた。

 胸のすく思いとはこういうことを言うのだろうか。私が今まで知らなかった世界がまた一つ見えてきた。この晴れ晴れとした感覚。きっといろいろなことをやってみれば、もっとこの感覚に出会えるだろう。もっと喜びを探したい。この一瞬だけの喜びであったとしても、そんなものすぐに消えてしまうものだよと言われても、私はこの感覚を大切にしたい。小さな喜びを積み重ねたい。


 坂口美子と商学部四年の男子学生との交際は順調に続いているようだった。授業が終わると彼女は、

「ごめんね。今日も待ち合わせあるの」

とすまなそうに言うと、飛び立つように教室を出ていってしまう。

「いいよ、いいよ、彼氏によろしくね」

私はその後姿に声をかける。

一人取り残された私を見て、同級の安堂加耶子は気の毒そうな笑みを向ける。

「小島さん、寂しそう。小島さんもボーイフレンド作ったら?」

「そうだよねえ。こんな美人をほっとくなんて、男子も見る目がないよねえ」

冗談を言いながら、頭の中に、あの面差しが兆すのを消すことはできなかった。

 その思いはもうこの頃では甘いものではなく、痛みを伴ったものになっていた。好きかもしれないと思ったのは、体の弱りから来た幻想。ちょっとばかり熱心に話しかけられていたから、真面目に話を聞こうとしていただけ。しっかりと目覚めた心で思い返してみると、どこにも恋の要素はなかった。ただの先輩と後輩。けれど、心に刻まれ強い印象は良きにつけ悪しきにつけそうそう容易く消していけそうになかった。

 私は溜息をつく。吉川清彦に出会ったことは私にとって、もしかして間違った縁じゃなかったの?


ある晩、下宿の娘さんの薫さんが私の部屋に遊びに来た。

「こんばんは。今忙しい? ちょっとお話しませんか?」

「あっ、こんばんは。大丈夫です。どうぞどうぞ」

薫さんは短大を卒業して幼稚園の先生をやっている。私より三歳か四歳年上だった。お母さんに似たチャーミングな丸い目を持ち、いかにも子どもが好きそうな優しい笑顔が魅力的な人だった。

「ご病気の方はどうですか? すごく痩せちゃったみたい。元々太ってなんかいなかったからすごく細く見える」

「実は一か月で五キロぐらい体重が減ってしまって。頑張って食べているんですけど、なかなか体重が増えなくて‥‥」

「そうなんですか。体調はどうですか?」

「まだちゃんとは治ってはいないんですけど、なんとか授業には出ています。代返してもらえる授業はさぼったりして。まだ疲れやすい気がして、授業が終わったらどこにも寄り道しないですぐに下宿に帰っています」

「そうよね。無理することないわ。健康の方が大事」

 薫さんは家族のことについていろいろ話してくれた。この下宿に一年以上いるのに大家さんたち家族のことについて私は何も知らなかった。下宿代を払いに行く時ぐらいしかちゃんと顔を合わせる機会が無いし、支払いの袋のやりとりをしている間も、特におばさんと世間話をすることもなかった。

 玄関のチャイムを鳴らすとたいがいはおばさんが出たが、一度、息子さんが出て来たことがあった。その容姿を見て、うわわっと私は驚いた。三浦友和によく似ていたのだ。私は得した気分になって、次の日坂口美子にはしゃぎ気味に報告した。

「下宿の息子さんに初めて会ったんだけど、三浦友和にそっくりだったんだよー!」

「やったじゃん。どんどんアタックしてみたら?」

彼女は面白がって言った。

「それがね、普段は家にいないらしいの。どこか別のところに住んでるみたい。大学生っぽい感じだったけど、就職してるのかな、よく分からない」

「謎の三浦友和というわけね」

 その、謎のお兄さんの話も薫さんから聞いたが、お兄さんは考古学の勉強中で文化事業団に所属していて、今は福島の方で発掘調査をしているそうだ。お父さんは地学の先生で、妹さんは私立大付属高校に通っているそうだ。

「幼稚園でね、白雪姫のお話をした後でね、リンゴの絵を描かせたことがあったの。そうしたら、女の子は毒リンゴのイメージで不気味な色のリンゴを描いてた子が多かったんだけど、男の子はあんまりお話に影響されないで普通のリンゴを描いてたみたい。女の子の方が情緒的な面で進んでいるのかもしれないわね」

「そうなんですか。幼児教育も奥が深いですね。研究すると面白そう」

 薫さんといろいろと夜遅くまで話した。上石神井は昔、田んぼだらけだったということ。西武線の駅名に『井』の字が多いということは、井戸で水を汲み上げていたということだから、水がおいしい、とか、この辺の公園の池の水は湧水である、等々。

 薫さんはよく本も読んでいるらしく、カミユや芥川龍之介の比較文学論まで展開した。四年制大学まで行って無益な授業を受けているより、将来を見通し実生活に根差した職業を選んだ薫さんの方が私よりはるかに賢い。人生に迷っている私は、薫さんの生き方を心底羨ましいと思ったのだった。

「歎異抄研究会というサークルに入ってらっしゃるんですって? どんなことを研究するの?」

私はどう答えようかと少し困った。研究らしいことは何もやってはいないような。

「私もそんなに深くサークル活動しているわけではないのでよく分からないんですが、親鸞の歎異抄という本を教本にして、仏教について考える、みたいなサークルかな?」

「そう、小島さんがご実家に帰ってらっしゃったときに、サークルの男の方が何度かうちにいらっしゃったみたい。背が高くて落ち着いた感じの人だって母が言ってたから‥‥お付き合いしてるの?」

「いえいえ、仏教のお話はよくするけど、仏教以外のお話は全然しないから、ただサークルで一緒の人というだけです。全然つきあってないです」

「そうなの。ごめんね。お節介だったわね。でも何か悩みごとがあったら、私でも母でも遠慮なく言ってね」

 下宿のおばさんは、まだ復調していない私の生活を心配して、私が何かに悩んでいないか薫さんにそれとなく様子を見にこさせたのだろう。でも大丈夫。今はただ自分の健康を取り戻すことしか考えていないから。


 六月も半ばになっていた。ある日、本部を通りかかったら広場にちょっと人だかりができていた。隙間から覗いてみると「芸能山城組」という大きな看板が立てられ、五十人くらいの若者たちが胡坐をかいて円陣になって座り、奇妙なリズムを刻んでいる。それは『ケチャ』という民族の祭りのリズムらしく、若者たちは体を揺らしながら『ケチャ、ケチャ、ケチャ‥‥』と叫び続けている。皆、南国の島人のような茶色い布を体に巻き付けていた。

 私はそのまま足を止めてしばらく眺めていた。異文化を感じさせる異様な雰囲気。見物の学生たちもどんどん膨らんできた。何かのデモンストレーションなのだろうか。少なくとも早稲田の学生、早稲田のサークルではなく外部から来た集団のようだ。

『ケチャ、ケチャ、ケチャ』という声が呪文のように重なり合う。これは一体何なのだろう。

 陶酔と催眠を誘うような無意味な叫び。

 仲間と肩を組んで同じ言葉を叫ぶ。仲間と同じ呼吸をする。『ケチャ、ケチャ、ケチャ、ケチャ‥‥』不思議な連帯感があたりを席捲していた。 

 こんな風に心を合わせて、皆と一緒に何かをやるということが、高校を卒業して以来果たして私にはあっただろうか。おそらく周りに集まっていた学生たちも何らかの感慨を感じていたはずだ。皆、数分間その場から動けずに、体を揺らし続けている若者たちのエナジー、その音とリズムのパワーにじっと身を浸していた。


 授業の後、本部の生協の書店に寄った。文芸書多めの文学部の書店と違って、本部の書店は政治や法律関係の専門書が多いのだ。私は行政書士の試験勉強を始めていた。法律書も少しは買い集めなくてはならない。本を買って帰ろうとしたら、大隈講堂の前で顔を知っている歎研の部員に会った。

「ああ、どうもこんにちは」

「これから帰るの?」

「はい」

本部に行くと必ず歎研の部員に会ってしまう。それだけ部員の数も多いということなのだろう。

「あのね、僕これから下宿へちょっと帰って、とんぼ帰りに夜の部会に出るの」

「そうですか。下宿はどこなんですか?」

「東横線沿い」

「帰るのに何分ぐらいかかりますか?」

「四十分くらいかな。だからこれから下宿へ帰って、戻ってきてちょうど部会に間に合うくらいかな」

その青年は親しみやすい笑顔で、私の歩調に合わせてついてきた。

「本部へ行ってたの?」 

「はいちょっと書店に行ってました。あの、広場のところの大隈銅像前、今、歎研は創価学会の批判をやってるんですよね。何日か前に見てなんだかびっくりしちゃいました」

「うん。あれはね、創価学会の批判というより原理研の人たちに対する示威行動なんだよ。歎研と原理研はよく混同されるからね」

「そうなんですか。でもかえって誤解を受けそうな気もするんですが」

「よく聞いていれば分かることだよ。分かろうとする人にだけ分かってもらえればいいんだ」

 この前、吉川清彦も同じようなことを言っていた。

 こうして普通に話していると一般の学生と何ら変わらないのに、歎研の思想のテリトリーに入ると人が変わったように急進的になる。その情熱、といったものに気圧される感じは何度も味わった。この人もそうなのだろうか。こんなに人懐こい笑顔をしているのに。

「小島さん、洗脳されるのが怖いって言ってなかった? そんなこと聞いたんだけど」

「はい、言いました」

「洗脳というのはね、眠らせなかったり、食べさせなかったりして、異常心理に追い込むやり方なの。歎研はそんなこと無いでしょう?」

「はい。でも歎研に入ったばかりの時、一人の部員の方から二時間ぐらいお話を聞いて、わー疲れたと思っていたところに、また別の部員の方がいらっしゃってまた二時間お話を聞かされた時にはもう頭がくらくらしちゃって、これって洗脳かなあ、と思いました」

「そんなことがあったの。そういう時は、もうお話たくさん聞いたからって言って帰ってきちゃっていいんだよ。無理に聞かなくていい」

「そうですね。そうすればよかったですね」

「それに、洗脳と言えば、学校教育なんかも一種の洗脳と言っていい。社会生活に適合させるための。社会主義の国なんか自分の社会に何の疑問も持たないように教育されてるでしょう? あれも洗脳と言っていい」

「確かにそうですね」

 太陽は商店街の向こう側でまだ赤く輝いていた。授業を終えた学生たちがぞろぞろと駅を目指して歩いていく。皆、何か目的を持っているのだろうか。四月に初めて歎研に入った時は、このサークルから何かすごい事が得られそうである種の期待に溢れていた。それは思想的な革命を期待したのかもしれないし、ただ単に仲間と言える人たちを欲していただけだったかもしれない。しかし、彼らと仲間になるということは仏教と手を結ぶことを意味していた。心の核を壊されたくないという思いが私にどうしてもYESと言わせなかった。YESと言ってしまえば仲間になれるのだと分かってはいても。

「僕もね、実は吉川くんに勧誘されたんだ。あの熱のこもった弁舌には負けるよね。一か月躊躇してやっと歎研に入ったんだ」

「今は仏教を信じているんですか?」

「仏教とは信じるものでは無いと思うんだ。信じなくていいんだ。仏教のことが絶えず心に掛っている、そんな状態であればそれでいい。たとえ納得できなくても、仏教から離れられない、そんな気持ちになれれば」

「いつもいつも仏教のことを考えていられるものでしょうか。私なんか、楽しい事無いかなあっていつも考えてるし、授業だって予習が大変ですし、今晩何食べようかなあとか、雑念ばっかりで。あんまり真面目に仏教を考える時間が無いみたいです」

「仏教では時間を無駄に使うことは最大の罪なんだよ。つまらない授業なんてあるでしょう? 以前ならあと一時間、なんて我慢してたけど今はそうじゃない。一目散に部室に来て仏教の話を聞く。今日だって授業さぼって昼の部会に出ていたんだ」

 ああ、そうなんだと思った。この人もかなり仏教にのめり込み始めている。やはりその心境は私には図りかねるものだった。

「私、正直言って、部会に出ても部長さんの言ってらっしゃることが難しくって意味がよく分からないことが多いんです。訳分からないし、足は痛いしで何もいいこと無いみたいで…こんな風でも部会に出ていた方がいいんですか?」

「最初は誰でもそうだよ。僕だってよく分からなかった。だけど聞いているうちにきっと分かってくるんだよ。そのためには諦めないで聞き続けていかなくてはならないけどね。だから皆、部会には出ておいでってしつこいくらい言うんだよ。吉川くんもそうだろう?」

「はい。年中言われてます。それから聴聞にも来て欲しいって」

「聴聞というのは、また部会とは違って、最高の悟りを得た先生がいらっしゃって直接法話をしてくださるんだよ。部会はそれを補助するものでしかないんだ。だから本当は聴聞の

方に行って欲しいんだけど、やっぱり授業をないがしろにしてはいけないからね。普段は部会で仏教の勉強をしているんだ」

 駅に着いてその部員と別れた後も、「諦めないで話を聞き続けなければいけない」というその人の言葉を反芻していた。部会に出続けて何かを獲得するか。部会から徐々に離れて、自分なりの生き方を探すか。考えるまでもなく気持ちは十分に後者に傾いていて、今はもう部会には体調を理由におざなりに週に1回ぐらいしか出ていなかった。

 彼らの言う、天地が引っ繰り返る程の悟り、信心決定、それをたかだか二十歳の学生が得ているというのも眉唾物だとしか思えなかった。歎研の部員たちは仏教という強固な鎧をまとい過ぎて、本当の自分自身を何もさらけ出せなくなっていたのではないだろうか。それが吉川清彦や他の部員の話を聞いてきて、私が真っ先に思うことだった。


 少し頭をからっぽにしたかった。私は高田馬場駅前のBIG・BOXの中にふらりと入っていった。

 一階の催事場は古書市をやっていて、学生やサラリーマン風の人たちでごった返していた。そこをすり抜けて中に入るとすぐ右手に小さなブティックがあった。いつでも鐘の音のBGMが流されている。カラン、カランという深い響きを聴くのが好きで、私は何も買わないのによくこのお店に寄った。このブティックの一角には化粧品も置いてあり、私はこの日初めてレモンの香水を買った。

 下宿に帰って早速胸に吹き付けてみた。澄んだ凛とした香り。とても好きな香りだと思った。深々と吸い込みながら、その香りが心を沈静させていくのを感じていた。


 何日か後の昼の部会に久しぶりに出てみた。今学期いっぱいで歎研をやめようと心に決めていたが、最後に何か話を聞いて記憶に残したかったのだ。

「蓮の花は泥の中の一茎に一つしか咲かない。しかも泥に染まらず真っ白に咲く。これを淤泥不染の徳と言う。一つの茎に一本の花しか咲かないことは、一茎一花の徳。花が開いたと同時に実が出来ていることは、花果同時の徳。一つの花にたくさんの実を結ぶことを、一花多果の徳。茎は中が空であるが、強く真っ直ぐであることを、中虚外直の徳と言う。‥‥悟りの境地には五十二段ある。十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、仏覚、妙覚。……地獄には二つある。生きているうちは『自業苦』、死んでのちの『地獄』。‥‥‥大無量寿経とは……弥陀仏教とは……釈尊仏教とは……。殺生には、自殺、他殺、随喜同業の三種がある。自殺とは自ら死ぬことだけでなく他人を直接殺すことも言い、他殺とは、たとえば私たちが食べる肉魚を他人を介して殺させることであり、随喜同業とは殺生を見て快感をおぼえる心を持つことである……」

 仏教の用語の話は私にとってややこしく面倒臭く、これをちゃんと覚えようとは全く思えなかった。真面目な部員たちはこれを一言一句覚えて顕証に生かすのだ。吉川清彦が私のたどたどしい質問にすべて即答するのは、これらの知識の裏打ちがあってのことだった。

 歎研の部員たちは皆礼儀正しく、部室の中では決して騒いだりふざけたりしない。畳の上を足音も立てないようにして注意深く歩いている。教本も大切に扱っている。部会が終わった後も熱心に仏教の勉強をしている者もいた。部室の中は常に整然としていて、普通のサークルのような足の踏み場もない雑然とした様子とは趣を異にしていた。一種、僧房のような静けさ。

 この部室は好きだった。明るくて、窓のすぐ近くには神田川が流れていて見晴らしもいい。広々とした畳の上に寝ころんでしまいたくなる。

 けれど部員たちとはどこかよそよそしく馴染めない。悩みや迷いといったものを一切見せず、強い意志をもってただ顕証しようとしてくる。部長の語ったことをそっくり覚え、そのままそれを伝えようとしてくる。素直すぎるのだ。顕証にかみついている者の姿がどこにもなくて、初めからもういっぱしの仏徒になってしまっているのだ。

 どうしてもっと戦わないのか。どうしてそうすぐに認めてしまえるのか。仏教は絶対の真理だから最後の最後には信じるしかなくなると彼らは言う。彼らはいつその最後の最後にたどりついたのか。仏教の入り口付近でいつまでも疑問を呈し続ける私は、もう既に最後の最後まで仏教に付き合う気はなくなってしまっているというのに。こんな気持ちではもう部会に出る意味も無い。


「一緒に帰りましょう」

 部会の後、帰り支度をしていると、吉川清彦がいつの間にかそばに立っていた。

竹前ビルから目白寄りの裏道は舗装されていない部分も多く、白く土埃が舞い上がっていた。彼の磁器質の肌は内側から照り映えているようで、夏も近いのにちっとも日に焼けていなかった。傍を歩いている私の腕の方が、比べてみてずっと焼けているくらいだった。日差しは確かに密度を増しているのに、彼のまわりはいつも涼し気だった。

 思えば彼に初めて声を掛けてもらってからまだ3ケ月にもなっていなかったが、もう一年以上彼と一緒にいるような気がしていた。それほど彼との時間は濃密だった。感謝と尊敬、それとはまた別の揺れ動く気持ち。しかしもう前には進めない。仏教から距離を取りつつある私は、同じく彼からも距離を取ろうとしていた。

 私はまだこの前のことにこだわっていたが、彼はいつもと変わらず、淡々と私の質問に答えていた。

「親鸞上人は息子の善鸞を勘当したでしょう? 勘当っていうことは見放したっていうことですから、破邪顕証になっていないんじゃないですか?」

「確かに勘当した。だけど親鸞上人は息子の悪い噂を聞いてすぐに勘当をしてしまわれたんじゃない。それまでに何度も何度も破邪顕証されたんだ。それでも善鸞は悪い仏法から抜け出そうとしなかった。だから勘当されたんだね」

「やはり、最後には見放したということでしょう?」

「うん、そう、見放したと言ってもいい」

「見放された善鸞はどうなるのでしょう」

「それは…正しい仏法に会えるまでは迷い続けることになるね」

「悪人正機説は……」

言い返そうとした瞬間、滑りやすい砂に足を取られて私は膝をついて転んでしまった。

「いたた‥‥」

やっと立ち上がった私を、彼は鼻に皺を寄せて笑って見ていた。

「転ぶという事は何かの悪果が出たんだよ。バスに乗るか歩くか決める段階で、小島さんは『歩く』という縁を選んでしまった。それに踏み出す足の角度で転ばなくて済んだかもしれない」

私はむっとした。転んだことにまで講釈をつけられたくない。

「転んだことが悪果だとは、私は思っていません! けがもしなかったし。それに不可抗力の事故でも悪因の結果なんですか? 避けられない事故って誰にだってあると思います。それが全部悪因の結果だなんて思えません」

「いや、注意していれば自己を犠牲にしてでも防ぐことはできる」

「自己を犠牲にする? 三浦綾子の『塩狩峠』みたく? 自分を犠牲にして事故を防いで他の人が助かった場合は? 悪因とか悪果とか、そんなの超えてると思います」

 吉川清彦は、駄々をこねる子どもを見るように、少し困った顔で微笑んだ。私はなんだか憤慨していた。人が転んで痛がっているのに、愉快そうに悪因悪果の話を持ち出すなんて。

「いつどこで悪果が出るか、だれも分からない。出会う縁によっても変わってくる。仏教を信じていれば悪果に出会っても障りとはならないんだ」

「障りにならないとはどういうことなんですか?」

「善果に転ずるということだ」

「仏教を信じていれば、不幸な出来事も不幸じゃなくなるということですか? そんなに人生うまくいくんですか?」

「これは精神的な意味で言っているのさ。心構えが変ってくるということだね」

「でも、仏教を信じていてもいなくても、痛いときは痛いでしょう? 心構えだけじゃどうにもならないでしょう?」

 自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。反駁のためだけの反駁。どこか意地になっている自分がいた。

 駅に着くと、彼は私の靴についている灰色の泥を見てちょっと心配そうに、

「それ、セメントかもしれないから気をつけてね」

と言った。

 今頃言わないで、転んだ時に助け起こしてくれればよかったのに。手を差し伸べてくれたなら、私はその手を迷いなく取っただろう。結局私たちは不器用だったのだ。仏教という言葉を使わなければ、会話すら出来ないほどに。

「じゃ、また。おやすみなさい」

「さようなら」

 西武線に乗り込んでから、新たに生まれ出たこの怒りというエネルギーは、きっと生きるエネルギーに代わっていくのだろうと考えていた。
























































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