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第3章 大学2年 1学期①4月

更新日:4月1日


 二年からは専攻に分かれることになる。私は第一希望通りに英文科に入った。成績や出席状況で希望の専攻に入れないということもあるそうなので少しは心配していたが、試験は無難にこなしていたので、落とされることはないだろうと思っていた。

 O組から英文科に行ったのは四、五人ぐらいだった。坂口美子は社会学科に入った。専攻が変わると語学の時にしかO組の人たちとは会えなくなる。坂口美子とも次第に会う機会が減ってきた。その代わりに、同じ英文科に進んだ宮迫典子や安達望らと話をすることが多くなった。

 専攻に分かれるといっても、好きな講義を取ることはできない。ウイリアム・ブレイク、ジョン・ダン、エリオットなどの英米詩を専門とする女性教授の授業と、英文法を専門とする男性教授の授業、講義を全て英語で進める外人教授の授業を取るよう義務付けられていた。私は英文科に入ったものの何を研究したいのかまだ何も考えてはおらず、とりあえずは、英米詩の授業が、失われた創作意欲を刺激してくれることを願うのみだった。


 下宿の真ん中の部屋にいた教育学部の四年生が卒業して部屋を出たので、私がその部屋に移ることになった。今度の部屋は窓が西向きだった。午後になれば日差しが入ってくる。布団もやっと干せそうだった。

 窓からは大家さんの庭が見渡せた。一本の大きな柿の木が庭の真ん中に植えられていて、鋭い鳴き声をあげる野鳥がたびたび飛んできては枝にとまった。柿の葉が芽吹き、淡い弱々しい緑から生命力あふれる濃い緑に変わっていく。以前ならそうした自然の小さな変化からも創作のインスピレーションを得られていたのに、もう私の感性は何も反応しなかった。ただ今日を倒れずに生きていくことで精一杯だった。

 桜の季節。去年の今頃は期待に胸をドキドキさせて、両手にサークル案内のちらしを一杯抱えて、高校生みたいなハイソックスを気にしながら、大学構内を早足で歩いていたのではなかったのか。高校の授業とは比較にならないほどの講義の密度の濃さ、内容の高さ。私は教室から吐き出されるたびに、果たして何を学べたのかを自答し、いつかすべてを理解できる日も来るのかもしれないと期待した。

 O組のクラスメートたちの知力、活力にも圧倒され、私は自分の幼稚さを知られまいとして必死に背伸びして、友人たちの議論に耳を傾けていた。彼らは高い理想を持ち個性的で早稲田の学生として強い自負を持っていたが、学問を離れれば健康で陽気な二十歳の若者だった。私が心を開きさえすれば、彼らとももっと交流を持つことができたのだろう。希望通りに生きて来たつもりだったが、どこかで歯車が狂い出していた。そして私はそれを修正する術を知らなかった。

 坂口美子は一年の時と変わらない明るさで新学期を迎えていた。

「私、本部の語研で英語を取ろうと思うの。大学の授業だけじゃ英語の力なんて身につかないし。小島さんも一緒に取らない?」

「語研かあ。それって夕方からあるんでしょう? 夜はちょっとやることがあるから、ごめんね、私は遠慮しとく」

 本当は時間のせいばかりではない。大学の講義だけですら青息吐息の状態なのに、余計な講義を取る心の余裕など全く無かったのだ。

 しかし坂口美子の誘いに刺激されたことで、いろいろと情報誌を調べて上智大学で自由参加の英語での聖書購読の会があることを知りちょっとだけ顔を出してみることにした。無料であったし学生だけではなく一般の人も受け入れている教室で、イグナチオ教会にある小部屋で行われていた。教会に所属している外人のシスターが先生だった。

 私が上智大学の聖書購講読会に参加しようとした目的はただ英語を学ぶためというだけでなく、一人で過ごす時間を何かで埋めるため、孤独な時間をできるだけ減らすためだった。とにかく寂しかったのだ。かといって坂口とつきあって半ば強制的に大学の英語教室に通うのも疲れそうだし嫌だった。だから一人でふらっと行けて、いつでもやめられる軽い感じの居場所を求めたのだ。

 講義はすべて英語だったし、聖書を読んで何か説明をしてくれているのだが、内容はあまり把握できなかった。

 四谷からの帰りは電車のラッシュに当たってしまい、ただ疲れだけが残り英語の知識が身についていくようにも思われなかった。夜の混雑した新宿に、より一層の孤独を感じた。だから二、三度通ってすぐにやめてしまった。

 イグナチオ教会の十字架を掲げた尖塔は異国のものという趣があり、教会内部から透かし見る美しいステンドグラスは見る度に崇高な感にうたれた。男子学生がキリスト像に向かってたった一人で膝まづいて何かを祈っていたり、懺悔する小部屋から老婦人が告解するささやきが聞こえていたりした。外人の長身の神父が黒いガウンを翻しながら教会に出入りする姿もしばしば見られた。

 早稲田に合格しなければ通っていたかもしれない上智大学。教会のあるこの静かな大学の生徒だったなら、私はもっと苦しまないで学生生活を送れたのだろうか。もし信仰を持ったとしたなら、私のこの胸を締め付けるような寂寥感は癒されたのだろうか。


 選択科目の登録は二度目ながらも神経を使う作業だ。曜日とか時間とか、妙な空き時間ができないように熟慮して、しかもできるだけ単位を取りやすい科目を取らないと進級に関わる。情報通の人に聞きながらなんとか時間割を決めていった。坂口美子と示し合わせて授業を取るという事もなく、純粋に自分の興味のある分野の科目を取った。体育は弓道を取った。これはやってみたかったものだったから抽選に通ってほっとした。

 まだ四月の頭だ。サークル勧誘も盛んに行われている。とりあえず何かサークルに顔を出してみようと思った。二年生ではあったが、門の前でビラ配りをしている学生は、学生と見ればすべての人間にビラを手渡していたから、私の手にも自然とビラがたまっていった。その一枚一枚を念入りに読んでみても、入りたいようなサークルがやはり見当たらず、ラウンジに置いてある何冊かのサークル日誌をめくってみても心惹かれるものが無かった。部室を訪ねていくのも気が引けた。新入生ではないと尚更サークルに入りにくくなってしまうのだ。

 文学系のサークルに入ることも考えたが、自分の才能の無さを思い知らされるのが怖くて結局部室を訪ねていくこともなかった。

 気持ちが決められないまま日々は過ぎて行った。サークルに入れずに大学を終えてしまうことになりそうで、少し焦りを感じた。坂口美子とは友人とはいえ性格も行動力も違っていたので、寂しいからといって坂口美子の入っているサークルに入りに行こうとは思わなかった。坂口は運動系のサークルに入っているようだった。


 あるよく晴れた日のことだった。大学の講義が早めに終わったので目白の学習院大学まで散歩に行ってみることにした。学習院は受験の時以来だった。ピラミッド校舎は相変わらず空高く聳え立ち威容を誇っていた。私はこの校舎の中で試験を受けたのだ。真ん中辺の席だった私は、とんがった高い天井の構造が不思議で何度も見上げていた。暗く曇っていて雪でも降りそうだったあの日。緊張と不安に震えながらもまだ自分に対する信頼を失ってはいなかった。確かな心で試験を受けたあの日のことは、もうずっと昔のことのようだった。

 学習院の学生たちが食堂あたりにたむろしている。あの時一緒に試験を受けた同胞もこの構内にいるのだろう。新学期はどこの大学もごった返している。サークル勧誘も盛んだ。私は学習院大学の生徒の振りをしてビラをたくさんもらった。

「ちょっといいですか? 少しお話を聞いていきませんか?」

白いYシャツに真っ赤なチョッキを着た、ひょろりとやせた青年が私を呼び止めた。

「サークルの勧誘ですか?」

「まあそんなもんです。お暇だったらぜひ聞いていってください」

 以前の私だったらさっさと断って帰ってきてしまっていただろう。しかしその時は誰かと話をしたくてたまらなかったので、素直に青年についていった。学習院の生徒の振りをしていたので、話だけ聞いてお茶を濁して帰るつもりだった。

 青年はにこにこすると、空いている小さな教室に私を案内した。他にも何人か勧誘されているらしい新入生たちがいて、椅子に座って説明を受けていた。

 私に声をかけたその人は、丸顔で細い銀縁眼鏡をかけ、おだやかな二重瞼の目をしていた。男の人にしてはいやに色白だった。色の白さにチョッキの赤が映えてよく似合っていた。

「僕は早稲田大学理工学部の吉川清彦といいます」

 早稲田、と聞いて少しびっくりした。

「えっ、早稲田なんですか? 私も早稲田です。第一文学部に通ってます」

「ええー? そうなの? 奇遇だなあ。なんでまた学習院なんか一人で歩いてたの? 学習院に友達でもいるの?」

「いえ、そういうわけではないんですが、ここを受験したものでちょっと懐かしくなって散歩でもしてみようかなと‥‥」

「そう。君、一年生?」

「いえ、二年です。‥‥吉川さんは、何年生ですか?」

「僕? 僕はね三年」

 吉川清彦は黒板の方に向き直りながらそう言った。

「じゃあ、その辺の椅子に腰かけて」

 吉川清彦はチョークを持つと、そのまま私を振り返った。

「では、いきなりのようだけど、質問します。君の人生の目的は?」

「人生の目的‥・ですか」

 それは今一番聞かれたくない質問だった。私は口ごもった。

「目的は‥‥そうですね。最近までは詩や小説を書くことでしたけど、今はちょっと見失っています」

 吉川清彦はちょっと微笑んだ後、少し身を乗り出すようにして流れるように語り始めた。

「人間はいつでも幸福を追い求めているんだよね。普通の人間にとって、幸福とは、お金を得ること、地位を得ること、健康であることだと思うんだよね。この三つが一番人間が欲しがっているものなんじゃないかな。ところが、こういったものは無常のものだし、次の瞬間には無くなってしまうものかもしれない。僕たちは、そういったものを追い続けていていいものだろうか。よくはないよね。お金、地位、健康は相対の幸福なんだ。僕たちはそういったものからの執着から一刻も早く解き放たれなければならない。僕たちが求めるのは、絶対の幸福なんだ。それは仏教を信じなければ得られない」

 仏教、私はその時初めて、仏教系のサークルに勧誘されていることに気づいた。

 早稲田の構内、特に本部の大隈公の銅像前には、赤や黒の太いマジックインクで大書きされた立看のアジテーションが何本もひしめいていたが、その中で特に悪名高いのが、原理研と歎異抄研究会だった。吉川清彦はその歎異抄研究会から来た人だった。

「絶対の幸福ってどういうものなんですか?」

「それは一言では言えないな。これから君が本気になって幸福について考えるなら、きっと絶対の幸福にたどり着くと思う。僕の話を聞いてどう思った? へんなことを言ってると思った?」

「いいえ‥‥、でも地位やお金や名誉、健康の価値を全く認めないというのも‥‥」

「認めないんじゃない。そういうものを幸福だと思って追い求めていると、いつか必ずしっぺ返しが来ると言っているんだよ。しかし、絶対の幸福は何ものに因っても壊されない。仏教の言葉で言うと信心決定(しんじんけつじょう)というんだけれどね。絶対の幸福についてもっと知りたいと思わない? その辺にごろごろしている遊びのサークルなんかより、よっぽどためになると思うよ。君が人生を真剣に考えているなら、ぜひ、僕たちと一緒に話を聞いていってほしいな」

「はあ」

 私は煙に巻かれる思いで、彼の言葉を浴びていた。


 吉川清彦は、お坊ちゃん風のどこかおっとりした容貌からは想像できないほどの強引さで、勧誘を進めていった。歎異抄研究会は勧誘がしつこいこと、信仰の輪に引きずり込むために、洗脳に近いことをやっているという噂だった。そのことは重々承知の上、私はこの流れに身を任せてみようかと思っていた。それほどまでに私は孤独に毒されていたのだ。話しかけてくる人には誰にでも振り向いてしまう、そんな心の状態だった。心の隙を突かれた、とも言える。

 彼は黒板を前に教師のように熱弁を振るい、私が訳も分からず小児のようにうなづくのを、面白そうに眺めやっていた。

「じゃあ、ちょっと部室に寄ってみない? 早稲田の近くなんだ。ここからだって歩いて行けるよ。時間ある?」

「ええ、大丈夫です」

「じゃ、行こう」

 吉川清彦は机の上に置いた書類ケースを片手に、学習院の小教室を出た。

 学習院から早稲田まで歩くのは初めてのことだったので、見知らぬ道を彼に遅れないようについていくのに必死だった。くねくねと裏道を通ってしばらく行くと、いつの間にか見慣れた早稲田の町に出ていた。

 並んで歩くと彼は私よりこぶし一つ分くらい背が高く、更に細身に見えた。桜が至るところで満開の花を誇り、歩く道の先々に花びらの気流を作っていた。

 吉川清彦は、ふと空を見上げてつぶやいた。

「‥‥残る桜も散る桜‥‥」

「えっ?」

「この言葉、知らない?」

「はい」

「良寛和尚が臨終の時、辞世の句として『散る桜‥‥』と言いかけたんだけど、後がなかなか出てこなかったんだって。それでもう一度和尚が『散る桜』と言ったところ、周りに集まっていた弟子たちが、『残る桜も散る桜』と続けてあげたら、良寛和尚はにっこりして死んでいったんだって言われてる。人間は、今生きていたとしても、やがては散ってしまう桜と同じ運命なんだよね」

 私には彼の言葉の一つ一つが新鮮に思えた。こんな風に真面目に人生のことを語ってくれる人は今まで私の周りにはいなかった。吉川清彦の言葉は人を妙に納得させるものがあった。この勧誘から始まる一部始終をもう少し観察したいと思った。何か私を変わらせてくれるものが歎異抄研究会にはあるかもしれない。

 四月の初めでまだ風は涼やかではあったが、速足で歩いていると汗ばんできた。私は水色の少しダボダボなトレーナーとジーンズというラフな格好で、口紅さえしていないことを少し気にしていた。こんな風に男の人と二人きりで肩を並べて歩くのは初めてのことだった。


 歎異抄研究会の部室がある竹前ビルは、神田川の橋を渡ってすぐのところにあった。あたりには住宅は少なく、小さな製紙工場がいくつか建ち並んでいるようだった。竹前ビルの狭くて急な階段を上り最初のドアを開けると、二十畳ぐらいの畳敷きの部屋が広がっていた。

 部屋は明るく風通しもよかった。部員らしき人が十人くらいかたまって何か大声で議論していた。アコーディオンカーテンで少し遮られた向こうの部屋では、三十歳くらいの男性が新入部員らしい二、三人を前に講義をしていた。

「ちょっと皆聞いて。今度小島さんが歎研に入ることになったからよろしく。早稲田の文学部二年生だって」

 吉川清彦の紹介に私はあわてて、

「よろしくお願いします」

と頭を下げた。

 かたまって議論していた人たちは一斉に私の方を見て、

「よく決心したね。君には仏教に会うという縁があったんだね。これからは出来るだけ部室に来てお話を聞いていくといいよ。あそこで講義しているのが部長さんだから」

と言った。

 改めてそう言われると緊張が走った。このサークルの人たちは仏教について「研究」するのではなく「信仰」しているのだ。果たして生半可な気持ちで仏教に身を浸してしまっていいものか。でもいいだろう。私は信仰というものに対してどれだけ抗えるか試そうと思った。この反発する気持ちを覆せるほどのものがあるなら、それはそれで私に必要なものだったと思おう。

「これからどうする? もう少しお話聞いていく?」

 吉川清彦はそれが癖である鼻のあたりにくしゃっとした皺を寄せた笑顔で私を見た。

「今日はちょっと疲れましたから、またこの次にお願いします」

「そう、じゃ、また連絡します」

 そして皆の方に向きなおると、

「誰かこれから帰る人いない? 小島さんを駅まで送っていってほしいんだけど」

と声をかけた。

「あっ、一人でも大丈夫です。まだ明るいし、道も大体分りますから」

「そう? でもやっぱり心配だから。僕がついていってあげればいいんだけれど、これから部会なんだ」

 吉川清彦は、またくしゃっとした笑顔を見せると、一人の男子学生に私を送る段取りをつけ、

「今日は小島さんに会えてよかった。なかなか真面目に話を聞いてくれる人がいなくってね。学習院で早稲田の人を勧誘してしまうなんて、僕はびっくりしたよ。これも不思議な縁だからこれからもよろしくね。じゃあ、また、部会のある日を連絡しますから、その時に」

と、壁に片手を当てて、長身をわずかに私の方に屈めるようにして言った。

 『送ってあげる』とか、『心配だから』なんて、今まで男性に言われたことがなかったので胸がざわめいた。

 私は無骨そうな男子学生と一緒に高田馬場まで歩いていった。その人も絶対の幸福や、部会に出るといろいろと勉強になるというようなことをとつとつと語ってくれた。

 こうして歎研に入ることが自分の意思であるのか判断がつかぬまま、吉川清彦の熱心な弁舌に押し切られるようにして、私は新しい世界に足を踏み入れたのだった。


 次の日、英文研究の授業を受けた後、超人気の曽根教授の民族誌の講義に出ようとしたところ、人数が多すぎて教室に入れないという事態になったので、仕方なく本部の方へぶらつきに行った。単位が取りやすい講義は往々にしてこういうことがよくある。宗教学もそうだった。四月を過ぎれば出席人数も減ってくるのだが。

 本部の十四号館の前を歩いていた時、上の方から、

「小島さーん」

と叫ぶ声がする。びっくりして見上げると、吉川清彦が階段の手すりから身を乗り出して、まさに地面へ飛び下りようとしているところだった。

 私が「あっ」と息を飲む間もなく、吉川清彦は私の前に少しよろけながら立っていた。

「いいところで出会ったね。授業これからあるの?」

「いえ、今日はもう無いです」

「じゃ、昨日の続きを聞いてって。十四号館の教室借りてあるんだ」

 吉川清彦はやはりきちんとしたブレザーを着た端正な佇まいで、優し気な目を私に向けていた。多くの学部の学生たちが行き交う雑多な本部で、昨日に続いてまた今日も彼に会ったこと、まわりの目も気にせず大声で私を呼んでくれたことに、少しドキドキしていた。


 小さな教室に腰を落ち着けて、大学の講義より講義らしい彼の個人教授が始まった。

「今日は因果について説明しよう。因果には善因善果、悪因悪果、自因自果の三つがある。過去または現在の因によって、果は必ず現れるというもので、つまり因果応報のことだね」

 吉川清彦はまばたきもせずに私をひたと見据えながら講義を続けた。

「悪因に対しては必ず悪果で報われるというわけだね。反省しても悔い改めても無駄なことなんだ」

 よし、ここから言葉の戦いが始まる。私は言い負かされないように、臨戦態勢を取った。

「同じ悪因を持ちながら、悪果の出ない人もいるでしょう?」

「それは、縁の問題だね。たとえばある人がお酒を飲んで車を運転して正面衝突事故を起こした場合、お酒を飲んだということが悪因で、その相手の車が縁なんだよね。またある人が、全く見知らぬ人からナイフで刺された場合、悪因は別にあり、そこにいたということが縁なんだ」

「縁って、つまり偶然みたいなものですね?」

「いや、偶然ではない。縁は選択できないんだ」

「では、たとえば飛行機事故があったとして、百人が即死したとします。百人の中にはお年寄りもいれば赤ちゃんもいますよね。事故で死ぬということは悪果を意味しますから、飛行機に乗っていた百人は等しく前世でそれだけの悪因を積み重ねてきたということなんですか?」

「そういうことだね。生きている間に作ってしまった悪因もあるだろう」

「赤ちゃんには悪因は作れないでしょう。そういう場合、この赤ちゃんは前世の悪因を背負って死んでいかなくてはならないのですか? たまたま飛行機に乗ってしまったという縁に会ってしまったばかりに?」

「そうだ。たとえ赤ん坊でも、悪因による悪果からはまぬかれない」

「そうするとこうして生きていることも、すごく虚しいことのように思えてきてしまいます。どんなに一生懸命正しく生きようとしても、自分の生き方とは関係なしに前世の悪因によって、いつ悪果が現れるか分からないなんて。」

「だからこうして僕たちは仏教を学んでいるんだ。仏教を信じることは善因を積む事でもある。善因を積めば悪果から逃れられるんだよ」

「悪果から逃れるための仏教なのですか」

「そういうことだ。悪果から逃れ、絶対の幸福を得るために仏教をやっているんだ。人間の最終的な目標は幸福になることだからね」

 吉川清彦は確固たる自信をもってこう言い切った。彼と対峙すると真剣にならざるを得なかった。宗教について語っている彼には一種の気迫があった。ともすれば彼の言葉に飲みこまれそうになる。けれど私は反証をなんとかしてみつけ出そうとして頭をフル回転させていた。

 そして同時に、仏教ではなく、もっと彼自身のことを知りたいと思っていた。どこの出身か、今どこに住んでいるのか、理工学部でどんな授業を受けているのか、趣味は何か‥‥。しかし彼は私的なことは何一つとして口にしなかったし、私に対しても何も尋ねてこなかった。

 私の方に身を乗り出して語り続ける彼の唇は、白い肌に映えて鮮やかに浮き立っていた。私はその唇ばかり見ていた。柔らかな唇から溢れ出す強い言葉。私はつい、くすっと笑った。彼は、

「僕の顔なんか見ているから、可笑しくなるんだ」

と、ちょっとにらむようにして言った。


歎異抄研究会


 いつも緊張と尊敬と猜疑の入り混じった複雑な気持ちで彼と相対していた。彼は宗教に対しては驚くほど博識だった。宗教について話している時は声も大きくなり異常なほど熱くなる。その瞳に何度も引き込まれそうになった。

 何故それほどまでに熱心になれるのか、私は最後まで理解できなかったし、あくまで否定の立場を取りたがっていた私を、彼がどんなにじりじりする思いで顕証しようとしていたか、今では懐かしく推測するより他に術はないが、あの数ヶ月間、私たちは不思議な力で強く牽引し合っていたように思う。

 生きる力を弱めていた私は、吉川清彦の自信が羨ましかった。そしておそらく彼は、不安定に揺れる私を心底気にかけてくれていて、しっかりした確かな足場を作ってくれようとしていたのだろう。彼は私の人生に関わってくれようとした最初の男性だった。

 しかし私たちは最後まで宗教という言語を介してしか会話できなかった。宗教という壁がある限り、吉川清彦がどんなに手を差し伸べてくれようと、私はその手を素直に取る気にはなれなかったし、恐らく彼にしても、宗教の範疇から超えてまで私を追おうとは思わなかっただろう。

 私はそれでも吉川清彦の話が聞きたくて、部室にもたびたび顔を出した。彼は部会のある時ぐらいにしかいなかったが、部長と呼ばれる人物が常駐していて、来た者にはすぐに仏教の講義を施していた。私も何度か部長本人から顕証を受けた。

 山根部長は私の兄と同じ二十六歳だそうだったが、三十歳を過ぎているかのような落ち着きがあった。痩せていて眼光鋭く、黒っぽい服を着て、いつも黒板の前に真っ直ぐに立っていた。当然学生ではなく、いつでもここにいるということは他に仕事も持ってはいないらしかった。一体どういう人なのか、部員の人に尋ねてみたことがあったが、ただ仏教を教えにきてくれている先生というだけで、それ以上のことは誰も知らないようで、全く謎のような人だった。

 山根部長はとても早口で、ぼんやりしていると何を言っているのか理解できなくなってしまうほど能弁だった。

ある時、部室に行ってみたら、哲学を学んでいるという男子学生と部長が議論している最中だった。

「‥‥それは無知の知というものでしょう?」

「君は何を言っとるんだ。それじゃ何も分かっていないじゃないか。君の言っとることは首尾一貫しとらん」

「いや、僕は自分が無知であることを知っていると‥‥」

「なんだとお! 無知の知というものがどれだけ難しいものかを知っとるのか。君のは机上の空論だ。君は知を極めるためにどれだけ努力したというんだ。死ぬような苦しみを経てそこでやっと無知の知を得られるんだ。君は観念でしかそれを分かっとらん」

山根部長は二センチくらいのチョークをつまんだ。

「これは長いか、短いか」

「短いです」

「いや、これは私から言えば長い。つまり基準が違えば長くも短くもなるんだ。ものごとは色々な側面から見なければいかん」

 部長の威圧的な口調に青年はやり込められた形になり、青年は正座を胡坐にかきなおして憮然とした顔をしていた。


 また別の日の事、吉川清彦を探しに部室に顔を出した私に、山根部長が話しかけてきた。

「今、君は何の本を読んでいる?」

「芹沢光治郎を読んでいます」

山根部長は少しとまどったようにしながらも、

「そう、最近の人の本だね」

と言った。私は心の中で、いや、全然最近の人じゃないし、宗教についての考察が深い作品を書く人だし、さては芹沢光治郎を知らないんだなと思った。

「特に『人間の運命』は色々な宗教の負の部分の実態が書かれていて考えさせられます。主に天理教についての記述には驚かされました。今はそんなにひどいこともないんでしょうけど」

と私が言うと、

部長は、

「天理教は、人間の祖先はどじょうだなんて言ってるしね。それに癌になるのは頑固だからとか、肺病になるのは何でもはいはい聞いてるからなんて本気で信じてるんだからね。話しにもならんよ」

と独り言のように言った。

私はそれをちょっと微笑みながら聞いた後で、質問をぶつけてみた。

「質問してもいいでしょうか」

「どうぞ」

「幸福は失いやすいものだから大切にできるのではないでしょうか。不幸な時間を耐えてこそ、次にめぐってくる幸福に感謝できるのではないですか? そういう幸福を相対の幸福だと言って否定してしまっていいのでしょうか」

「それはそうだ。そういう幸福は否定できるものではない。ただ私が言っとるのは、そういう相対の幸福を人生の目的にしてはいけないということだ。幸福を感じちゃいけないということではない」

「絶対の幸福、つまり常住の幸福を得ることは、無感動になることにも等しいのではないでしょうか。幸福の中に常に棲み続けることができるのなら幸福であるのかさえ考えなくなって」

「そんなことはない。私が去勢されたような人間に見えるか? 見えないだろう? 絶対の幸福を得るということは何ものによっても壊されない幸福を得るということだ。死ぬときに後悔するような幸福は本物の幸福ではない。作家の平林たい子は死ぬときに、『どうぞもう一度生かさせてください。もう一度生きられたら今度は一生懸命生きますから』と言っ

たそうだ。芥川龍之介も『ぼんやりした不安』と遺書に書いている。藤村操は『人生は不可解』と言って滝壺に飛び込んだ。太宰治もあれだけ文学的に成功しながらも幸福ではなかったから、何度も自殺を図ったんだな。仏教を信じれば、死に対する不安も消えていくんだ。いつでも大安心、大満足で死んでいける境地を絶対の幸福と言うんだ」

 そう言われても私にはまだ絶対の幸福とやらがうさんくさいものに思えるのだった。そんなものがあるのなら、今ここで私がいきなり山根部長をナイフで刺し殺したとして、その理不尽な死さえも大満足の境地で受け入れられるのか。過去に積み重ねた悪因が、私という縁に出会って、刺殺されるという悪果が生じる、それはいくら信心を積んでいても避けようのない不幸なのではないか。それでも大満足なのか。

 さすがにこれは質問するのは憚られたが、実際に死に直面した時どう対応しどう反応するのか、それを見せてくれなければ、部長の、それに部員の何名かは得ていると言われている信心決定を信じるわけにはいかなかった。

「君に顕証しているのは吉川君だっけ?」

「はい、そうです」

「吉川君は真面目だからね。彼の話をよく聞くといい」

「はい」


「私の仏教との出会いは高校の時だったんだ。女性の伝道者に『僕は将来こうなるんだ』と若い傲慢さで言ったところ、その女性に、『あなたは夢があっていいわね』と優しく静かに言われたんだ。それは今思えば最大の皮肉だったな」

 山根部長は幾分沈んだ調子で言った。それはいつもの破邪顕正をしている時の不遜ともいえる態度とはまるで違って、挫けた弱々しさが感じられた。

 部室には私の他に五名ほどいて、それぞれ書きものなど自分の仕事をしていたが、私と山根部長の問答を聞いてそろそろと寄ってくると、そばで一緒に話を聞き始めた。

「おっ、皆集まってきたか。それじゃあ一休さんの話をしてやろう。ある時、一休さんは曲がりくねった木のそばに『この木を真っ直ぐに見た者には賞金を与える』という看板を立てた。人々は梯子をかけて上から見たり、逆立ちしたりして木を見たがどうしても真っ直ぐに見ることは出来なかったんだな。そこへ蓮如上人が来てこの看板を読んだんだ。蓮如上人は看板を見て何と言ったかというと、『この木は曲がっているんだなあ』と言ったんだ。つまり、曲がっている木を曲がっていると見ることが、真っ直ぐに見るということなんだな。わかるかな? これは仏教の心に通じている。こういう物の見方ができて初めて本物の仏教者なんだ。曲がっているものは、どう見ようと曲がっているんだ。それを素直に曲がっていると言えなくて、あれこれこねくり回してしまうのが凡人なんだな」

「またある時のこと、一休さんが木の上に上っていた。雨が降っていないのに傘をさして、しかも傘の上に草がのっかっている。下で見ている人たちは、危ないことをする坊さんだなあと思ってはらはらしながら見ている。そこへ蓮如上人のお弟子さんが通りかかった。

『何をしているんですか?』と一休さんに聞いてみても一休さんはニコニコしているだけである。そこでお弟子さんは蓮如上人のところにとんで帰って、一休さんがこんなことをしていましたと報告すると、蓮如上人はあわてずに『茶を持っていけ』と一言言った。お弟子さんはなんでかなあと思いながら一休さんのところにお茶を持って行くと、一休さんは黙って木から降りてきた。つまり木の上に傘、その上に草だから『茶』の意味だったわけだ。ただのとんち話だと思うだろうけど、一休さんはこうやって物の見方を教えていたんだ。凡人はちっとも分からなかったが、一流の坊さんの蓮如上人は分かったわけだな」

 数名の部員から溜息のような笑いが洩れた。私も同じように少し笑いながら、しかし仏教の本質を語るのに、このようなとんち話を例に持ち出すのは少し的外れだと思っていた。仏教って何? 人生を変えるほどすごいものなの? 私は仏教の入り口の前に立ってさえ、そこへ真っ直ぐ進んでいいものかどうか分からず、ずっとあたりをきょろきょろ窺っている迷い子だった。しかも「こっちへおいで」という声にも素直に従わない猜疑心深い子どもだった。

 外は霧のようにやわらかな雨が降っていた。部長はふとその雨に目を止めて、

「人は皆、あの雨のように死に急いでいる」とぼそりと言った。


 まだ外は明るかったが、五時を過ぎたので私は帰ることにした。部室を辞し急な階段を降りていく途中で、下から駆け上がってくる吉川清彦と出くわした。ドキンとした。

 彼は私を見て、あっと驚いたような顔で、

「今日は今までいたの?」

と言った。

「はい」

「明日の部会、出られる?」

「はい。夜の方に出てみようかと‥‥」

「そう‥‥。キリスト教のサークルにも入ってるんだって? ‥‥いやあ」

 吉川清彦は、しょうがないなあというような顔で少し笑った。私が上智大学の聖書購読の会に一、二回出てみたことを、ある部員に言ったのを聞いたらしい。しかしこれは、宗教とは関係なしに純粋に英語の勉強のつもりだった。

「でも全部英語で進めるので、まず聞き取るのに必死で内容をちゃんと理解するほどには至っていませんけど…」

「そう。じゃあ、後でキリスト教についてお話しましょう。 ‥‥それからこの前、部室で会う約束をしたのに行けなくてごめん。あの日、実験が長引いちゃって。実験をやっている最中も君との約束のことが頭を離れなかったよ。じゃ、明日、部室で」

 吉川清彦は穏やかに微笑むと、

「おやすみなさい」

と言って軽く頭を下げた。私は咄嗟にどう返事をしていいかわからなくなって、ついつられて、

「おやすみなさい」

と言ってしまった。

 しょぼしょぼ降る雨の中を、神田川沿いに歩きながら、「おやすみなさい」という言葉を、初めて聞く言葉のように反芻していた。


 翌日は土曜日だった。

イギリス文学史の講義の時、隣の席に同じ英文科の安達望が座った。彼は私より背が低く、細い目に眼鏡をかけ、少し顎が長くてしゃくれていた。

「僕、今グリークラブで草野心平の詩に曲をつけたのを練習してるんだ。発表会も近々あるんだけど、よかったら聞きに来てよ」

「もしかして、蛙の詩とかの?」

「うん、そうそう、よく知ってるね。『さむいね/ああ、さむいね』っていうあれとかさ。なかなかいいよ。チケット売れないと自腹切らなくちゃならないんだ。買ってくれない?」

「うーん、よし、買ってあげよう」

「おお! 良かった! ありがとう」

 講義が終わるともうお昼なので、安達望に誘われて二人で西早稲田近くの「ビアンカ」という店で食事をした。彼はひどくおしゃべりで、一人でずっと高校時代のことや、グリークラブのことなどについて話し続けていた。気さくでいい人だけれど、おしゃべりが止まらない。相づちを打つだけでも疲れてくる。顔だけは微笑んで聞いているふりをしながら、ぼんやりと、彼のおしゃべりはいつ終わるのかなあと考えていた。

 店から出る間際、新入生勧誘の話が出た。

「小島さん、何かサークル入った? サークルの中でもさあ、原理研とか歎異抄研究会とかには気をつけた方がいいよ。この前、歎異抄研究会の人が近寄ってきて勧誘しようとして色々言ってたけど、何か異様な感じがしたんだ。人生の目的がどうのこうの、とにかくしつこいんだ。宗教のサークルって、宗教の見地からしか物事が見られないじゃない。学生らしくないよね。変に凝り固まってて、何言っても取りつく島が無いって感じ」

「そうかもしれないね。普通の学生とはちょっと違うよね」

 まさか私が歎異抄研究会に入っているとも言えず、安達望に話を合わせるしかなかった。確かに異常には違いない。入っている私ですら、あの緊張感のある雰囲気にはどうも慣れることが出来ない。いわゆる楽しいサークルではない。しかし生きることについて真剣に考えている人たちの集まりであることは確かだった。

 私には当面孤独を癒す場所が必要だった。その場所は享楽的な学生サークルの中には見出せそうになかった。遊び、騒ぎ、あちこち出かけ、飲み、食べて、賑やかに笑い戯れる、そんな若者らしい生き方に、ついて行けない気がしていた。だから必然的に歎異抄研究会にたどりついたのだ。

 とにかく今日は夜の部会で吉川清彦に会うことになっていた。もう少し仏教と対決してみようと思った。安達望と別れると、学生読書室で夕方まで時間をつぶした。


部会


 午前中は晴れていたのが、昼を過ぎるとだんだん雲が重く垂れこめてきた。軽く夕食を済ませて、部室に五時半に行くと、畳の上に皆で長机を並べているところだった。女子部員の山上美代子が私に笑顔で合図をすると、

「小島さんの隣に吉川さんの席をとっといてあげるね」

と言った。しかし吉川清彦は六時近くになってもなかなか現れず、別の男子がそこに座ってしまった。部員は総勢四十名ぐらいだった。

 山根部長を講師として、部会は「歎異抄」についての教本の朗読をしながら質疑応答する形式で進められた。正座の脚がすぐに痺れてきた。三十分ごとに休憩が入ったが、脚の痺れは容易には治らなかった。それよりも、部会の始まった頃から降り出した雨がだんだんと激しさを増し、やがて強い稲光とともに大きな雷鳴も轟き出したことに、私の心は掻き乱されていた。恐怖に近い感覚に、部長の話もろくに頭に入らなかった。

 休憩の時に、後ろの方に座っていた吉川清彦が長机をまたいで私のそばに寄ってきた。

「どう? 聞いてて分かった?」

「あまりよくは分からなかったです。専門用語も多くて」

「どういうところが分からなかった?」

「‥‥どういうところか‥‥実はなんだか雷が怖くて、雷にばかり気を取られていましたから‥‥どこが分からないのかも分からない状態で‥‥」

「ははは、案外怖がりなんだね。そのうち部会に慣れてくれば、部長のお話も分かってくるよ。何度も言うようだけどね、人は目的が無ければ生きられないし、目的は無常のものに求めてはいけないんだよね。一刻も早く相対の幸福を追うことから離れていってほしい」

 相対とか絶対とか、ここの部員たちは皆何度もその言葉を持ち出す。そもそも絶対なんて言い切れるものがこの世にあるのか、私の意識の根底にはいつもその疑問があった。

「でも行為とその動機を重んじて、その帰着する結果を考えずに頑張れる時ってあるでしょう? それによって得られた幸福はすぐに消えてしまうかもしれないものだから、下らない幸福なのですか? そういう幸福に意味や意義を求めてはいけないんですか? 絶対の幸福の許には、相対の幸福はすべて排除しなくてはならないということですか?」

「そんなことは無いよ。僕は理工学部だから色々な実験をする。実験はいつも成功するとは限らない。しかし一回一回全力を尽くして実験に当たるよ。つまりそういうことだよ。絶対の幸福を得るために日常生活をないがしろにしろということではないんだよ」

吉川清彦は諭すような目で私を見つめた。

「信心決定した人たちは、仏教も知らずに死んでいく人を軽蔑しますか?」

「軽蔑はしない。むしろ憐れみを感じる」

「憐れみとはすべて優越の心から出るものではないですか?」

「たとえば教師と生徒のように、上位と下位に立つ人々に選別されなければならない。人間は平等とはいえ、より多くのものを知る人は、知らぬ人に教えねばならない。それは優越ではないんだよ」

 吉川清彦は私の正面に端座していた。背筋を伸ばし長い腕をゆったりと膝に下ろしていた。ワイシャツのゆるみが柔らかかった。痩せてはいたがこうして正面から見ると、青年らしい肩幅があるのが見てとれた。

 稲光が時々窓を真っ白に光らせていた。激しい風雨がびわの木に襲いかかり、葉っぱが狂ったように揉みしだかれているのが見えた。私は不安で心細かった。怖くてたまらないのですと、あやうく吉川清彦に言いそうになるのを辛うじて押さえていた。

「思ったことを言ってごらん」

私は揺らめく心を沈めようとしながら教本をあてどなくめくった。

「ここの人たちは皆画一化していると思うのですが」

「画一化? 確かに仏教に関しては皆同じ事を言う。だがそれ以外の事では皆さまざまに違っているよ」

「親鸞は信心決定をするのに二十年もかかったのでしょう? 今、学生である私たちがそんなに簡単に信心決定できるものでしょうか?」

「いや、親鸞は確かに九歳の時出家して、二十九歳の時に信心決定したわけだけど、真に信心決定を決めたのは数ヶ月、二、三か月だということだ」

「その数ヶ月、信心決定、つまり死の解決をするために死に囚われ続けなくてはならないということですか?」

吉川清彦は、ふっと息を吐いて一呼吸置いてから、

「人は皆、死に囚われているのです」

と言った。

 彼の長い指先に透明な小粒の水晶玉の数珠が絡んでいた。私に答えるたびに数珠をもみほぐすようにしていた。そのきらめきに視線は吸い寄せられ、私は言葉を封じられていくのを感じていた。数珠は彼の体温を移してほのかに温かいだろう。紫の房が彼の手の甲を撫でていた。せめてその数珠を私に貸してくれたなら、この不安も収まるだろうにと思った。


 吉川清彦が他の部員と合宿の打ち合わせで席を立つと、山上美代子がそばにやってきた。

「疲れた?」

「ええ、足が痛くて。お話の内容も難しくて」

「私もそうだったわ。でもすぐに慣れるわよ」

山上美代子は早稲田ではなく別の大学の学生で、一年前にこのサークルに入ったらしかった。彼女は少し鼻が上を向いていて、愛嬌のある顔立ちをしていた。

「小島さんのそばにいるとこわい」

「どうして?」

「だって小島さんの言っていることにいちいち共感しちゃうんだもの」

「あれれ、新人を顕証する側なのにそんなこと言っちゃっていいんですか?」

「内緒、内緒」

彼女はこっそり舌を出した。

「でもね、ずうっと仏教を聞いていくと、きっとある時、仏教をやっててよかったなと思う時が来ると思うの。小島さんも頑張ってね。吉川さん、厳しい時もあるけど、それだけ真剣だっていうことだから」

 いい人だな、と思った。しかしこの人とも仏教を介在させなければ友だちになれないのだろう。


 部会が終わったのは九時過ぎだった。雷は急速に終息し、雨も上がっていた。

吉川清彦は送ってくれようと私のそばに来たが、別の男子学生との議論がまだ済んでいないようだった。

「今日は疲れた?」

「はい、なんだかとても」

「夜の部会がきつかったら、昼の部会でもいいからぜひおいで。連絡してくれれば僕もできるだけ行くから。じゃあ、今日はこれで帰るよね。送っていくよ」

「あっ、でもまだ他の方とのお話が済んでいないみたいですから、いいです。大丈夫です」

「そう? でももう遅いから。じゃあ、と、おおい、武田君、小島さんを駅まで送っていってくれない?」

「いいっすよ」

答えたのはスポーツ刈りの体育会的な男子学生だった。

「じゃ、気をつけて。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

吉川清彦は軽くうなづくと、部室に戻っていった。本当は送ってきてほしかった。

 私と駅まで同行してくれた人は「入念」について一生懸命に説明してくれたが、私は相槌を打つのもいい加減になってしまうほど疲れ切っていた。昼間、安達望のおしゃべりにさんざんつきあわされ、夕方からも難しい話を聞き続けてため、もう頭は一杯いっぱいだった。

 あちこちに大きな水たまりが出来ていて、暗闇の中で靴を濡らした。講義の内容は別に私を宗教的に覚醒させるものではなかったが、やはり心の中でこのまま深みにはまっていくことへの恐れがあった。

 その夜、下宿に帰り着いたのは十時半だった。こんなに遅く帰ったのは下宿生活で初めてのことだった。


 それから私は何度も部室に足を運んだ。吉川清彦には会えない時が多かったが、部室にはいつも誰かはいて、新入部員である私が入っていくと必ず声をかけてくれて、仏教についての説明をしてくれた。部員の人たちはほとんど仏教以外のことを話さなかった。ありきたりの普通の学生たちが、これからバイトに行くんだ、とか、あの教授の講義はどうだ、とか、どこか遊びに行く? 映画でも見に行こうか、などと日常気軽に声を掛けあう雰囲気はまるで無く、いつも仏教に関することを議論しあっていてある種の緊張感が漂っていた。

 洗脳されるという危惧も確かに拭い去れなかった。ある時は二名の男子部員に四時間も仏教の話を聞かされて、頭が朦朧としてしまったこともある。しかしどんなに話を聞いても、仏教を信じたいという気持ちは全く湧いてこなかった。信じれば救われるとも思えなかった。絶対の幸福も別に欲しくなかった。

 私は仏教を信じるにはあまりに死に近づきすぎていたのだ。神経はいつも熱を帯び外界からの刺激に異常に敏感になっていた。体の具合もよくなかった。高校の頃から時折胃が痛む症状があったが、このところそれが頻繁になり、市販の薬では押さえられないところまできていた。食欲のない日も多く食生活も乱れがちになった。

 私はただ健康をしか求めてはいなかった。いくら相対の幸福だと言われても、健康を再び取り戻すことが私の最大の願いだったのだ。いつ死んでもいいなどと思える思想のその下を這いずっている私にとって、絶対の幸福などどうでもいいことだった。

 部室に行く時は理論武装していかなければ、心が粉々に打ち砕かれてしまいそうだった。慣れない議論をするのは、大学の講義に出るより疲れた。それでも部室に通い続けたのは、この苦しみを超えたらきっと何か得るものがあるはずだと思ったからだ。


「『信心獲得して念仏すればこの世の利益は限りなく、当然受けねばならぬ業報も若死をすることもなく、天寿を全うすることができる』『信心獲得すれば息災で延命の大利益がある』と教本には書いてありますが、信心獲得した人でも病気になる時は病気になり、死ぬ時は死ぬのだと思いますけれど」

ある時私は吉川清彦にこう質問したことがあった。

「それはそうだ。信心決定していても、病気にもなるし死ぬこともある。しかし仏教をやっている人というのは、いろいろと攻撃されたりして、気苦労、心労も多いわけだね。それにも関わらず親鸞上人とか蓮如上人は八十五歳とか九十歳とか長生きをした。それはすなわちそういう心労も喜びに転じ、常に安らかであったという証拠なんだ」

「確かに偉い上人は長生きをしたかもしれないけれど、それは結果論的な例示にすぎないでしょう? 一般の人を対象に考えてみて、病気にならないで長生きできるほどの心境を獲得することは可能なのでしょうか」

「可能です」

「部員の方で信心決定されている方はいらっしゃいますか?」

「います。先輩方は皆信心決定しています」

「吉川さんもですか?」

「僕も信心決定しています」

「前にも聞きましたが、数ヶ月かそこらで、そんなに簡単に信心決定って出来るものなんですか?」

吉川清彦は少し考え込むようにした。

「簡単なものではない。それまでには今までの人生観をぶち壊される苦しみを味わったし、死ぬような気持ちで仏教を聞いた。それに教本をよく読んですべてを理解し受け入れなければならない。並大抵の努力では信心決定はできないんだよ。けれどそれを乗り越えれば大安心の境地に辿り着けるんだ。約束する。僕はきっと小島さんの信念を壊して信心決定させてみせる」

‥‥させてみせる。そこまで言うのですか? しかし私は「よろしくお願いします」とも言えず、唇を固く結びながら、曖昧な笑みをつくることしかできなかった。

 彼は真正面から私を見据えていた。怖いくらいの目の光だった。


 また別の日の部会の後の事、キリスト教について彼と話す機会を得た。

「心の平安を獲得するのに、仏教を信じる人は仏教でしょうけれど、キリスト教を信じる人はキリスト教なのではありませんか? 仏教だけが真理というわけではないんじゃないですか?」

「キリスト教? 小島さん、まだキリスト教のサークルに行ってるの?」

「いえ、今は行ってません」

「じゃあ、キリスト教がいかに矛盾の多いものか説明してあげよう」

 吉川清彦はきょろきょろとあたりを見回し、少し離れた所にいた男子部員にレポート用紙を貰うと、机のある所に場所を移動した。

「では旧約聖書の話から始めるよ。創世記、全知全能の神、エホバがいた。エホバはアダムを造り、アダムの骨からエバを造った。それからアダムとエバは蛇にそそのかされて知恵の実を食べてしまい楽園を追放され、アダムは生と労働の苦しみを、エバは産みの苦しみを与えられた。これを原罪と言うね。ここでエホバは全知全能、だからアダムとエバがこういう罪を犯すことも分かっていたはずだ。それなのにエホバは激怒して楽園追放したよね。その後、エホバはノア一族を残して皆洪水で殺してしまった。悪因子をそういう形で滅ぼさなければならなくなる前に、どうしてそもそもの悪の大元の蛇を殺してしまわなかったのか。ここに矛盾があるね」

「旧約聖書は寓話的なものであって、確かに無理な設定とかあると思います。でもキリスト教の信仰の理念は旧約ではなく新約聖書の方にあるのでは? それに矛盾点をあげつらうなら仏教にだってあるのではないですか?」

「仏教には矛盾は無い。国木田独歩はキリスト教を信じていたのだけれど、死ぬ時、祈らずとも助くる神ありや、と言ったといわれる。キリスト教では駄目だったわけだね。キリスト教では真理に辿り着けない」

「人間の万物に優れている点は、人間が自己の責任において神に近づくことも出来るが、また禽獣に堕することも出来るという自由が与えられていることだと、何かの本で読んだことがあります。人間に自由意思を与えたということもまた神の愛だったのではありませんか?」

「それなら過ちを犯した時、何故許さなかったのだろう。何故助けなかったのだろう。たとえば、崖に向って赤ん坊が歩いていくとする。そのそばに母親がいる。母親は崖から落ちようとする赤ん坊を黙って見ているだろうか。小島さんならどうする? 黙って見てなんかいないでしょ? 赤ん坊の向きを変えてやるとか、抱き上げるかして赤ん坊を助けるでしょ? ここで言う母親とはエホバ、赤ん坊はアダムとエバ。エホバはアダムとエバが、謂わば崖から落ちるのを黙って見ていた。全知全能の神、愛の神と言われる神が、何故アダムとエバを助けられなかったのか。これが旧約聖書そもそもの矛盾なんだよね」

「旧約聖書の寓話の一部に矛盾があるからといって、キリスト教全部が矛盾であるとは限らないと思います。矛盾が気にならない程の深い真理があるから、キリスト教は世界中で支持されているのではありませんか?」

「いや、ただ盲信を強いているだけだ。真理は仏教にしかない」

彼のまばたきをほとんどしない真っ直ぐな目で見つめられると、息苦しくなってきた。どうして何でも仏教、仏教なんだろう。本来宇宙的な広がりを持つべき宗教観が、ここでは、ただ仏教に限定されてのみしか語れない。

「仏教をどう思う?」

「お年寄りがやるようなイメージがありましたが…」

「それはどうして?」

「お年寄りが念仏を唱えているのを、通学路とかでよく聞いていましたから」

「ふふ。だけど仏教は本当は若い人のためにあるんだ。これから生きていく人のためにある。人生を無駄にしないためにもね」

吉川清彦はやっとほぐれたような微笑みを浮かべた。

 夜の部会にも出来るだけ出るようにした。精神的にも体力的にもきつかったが逃げていると思われたくはなかった。

 部会からの帰りは吉川清彦が送ってくれたが、人気のない裏道を歩いていても彼は仏教の話しかしなかった。広い道に出て信号待ちをしている間、目の前の大きな白十字ビルのネオン看板が「ハクジウナプキン」という文字を明るく明滅させている。それを彼も目に留めているだろうと思われることが、私はただ恥ずかしかった。ちらりと横を向いて彼をうかがうと、彼はあくまでも透明な佇まいで、かなたの闇を眺めているようだった。

 彼には生活の匂いがまるでなかった。いつも清潔なワイシャツを身につけ、背筋正しく、仏教の話をしていない時はもの静かだった。瞳は優しい穏やかさと、研ぎ澄まされた怜悧さが混在していた。それは不思議な魅力だった。にこやかにしている時でも、冗談を言うような雰囲気ではなく、大人びた沈静の中にいた。


 その日は、聴聞で使うカセットテープを買ってきてと、吉川清彦は頼まれていたらしい。私に、

「カセットテープってどこで売ってるかな」

と訊いて来た。

「高田馬場の駅の近くに楽器屋さんがあったからそこにあるかもしれませんね」

「ああ、そう。行ってみよう」

 一緒に入った楽器店で、カセットテープ売り場をみつけ、吉川は何分のテープがいいのか決めかねてあれこれ迷っている。私も一緒に見てあげて、やっと吉川は何本かのテープを買った。

 たくさんの種類のテープを前にして自信無げに迷う姿。吉川清彦の素の部分をちょっとだけ見た思いだった。私に助けを求めるように視線を向けて来る彼。仏教を語っている時とは全く別の、全く普通の青年の姿だった。

 彼の頭の中から仏教などすっかり取り払いたかった。私に対する上から目線の偏向した思考形態をすっかり消去したかった。そうしたら彼とも二十歳前後の未熟さを見せ合えるような気安い人間関係を築くことができ、普通の大学生として楽しい交際もできただろう。



 駅に着いて、

「じゃ、また」

と片手を挙げた吉川清彦は、何かを言いたそうに唇を少し開いた。しかし彼は雑踏に押されるようにして、ゆっくりと私に背を向けた。あなたはやはり今日も何も語ってはくれなかった、仏教のこと以外は何も。そして何も聞いてはくれなかった。私がどんな人間であるのか、今までどんな生き方をしてきたのかを。

 電車に乗り込んでも、そのことについてずっと考えていた。


 理工の戸山校舎は、本部校舎や文学部校舎とはだいぶ離れている。歎研というつながりが無かったなら、彼と四年間一度も会わないということもあっただろう。日が経つにつれて、私たちは本部構内で偶然のようによく出くわすようになった。私は会いたいという意識をもって歩いていたし、彼にしても用の無い本部にしょっちゅう出向いたということは、私を探してくれていたのかもしれない。会えばいつも部室のある竹前ビルまで連れ立って歩きながら仏教について会話を交わした。

 彼は私専属のトレーナーのようだった。私はいつでも、そばにいて私に関わってくれる人を求めていた。一人でいるのが怖かったから、誰かにずっと私を見ていてほしかった。

 はっきり言ってしまうと、私が部室に行くのは吉川清彦に会うためだけであり、仏教などどうでもよかったのだ。しかし、彼にとっては仏教が第一で、私は第二義的なものでしかなかった。つまりそれが、その後に起こったすべてのことの原因であり理由である。



















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