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第10章 大学2年 10月・ 台風の日

更新日:2023年9月27日



 いよいよ行政書士の試験の日が来た。前日の土曜日の午後に帰省して、試験は宇都宮で受けた。卒業したら宇都宮に帰る心づもりがあったからだ。

 会場は栃木会館という演劇や映画会などが行われるホールの別棟の会議室のようなところだった。床には赤い絨毯が敷き詰められていてまだ新しい部屋のように見えたが、窓が異常に少なく、南に面した部屋で、しかも秋晴れのいい天気であるにもかかわらず、電気をつけなければならないほど薄暗かった。

 その部屋の受験生は五十人ぐらいだった。大学生のような若い人が三分の二ぐらい占めている。あとは、OL、主婦、定年退職した人といった顔ぶれだ。久し振りの受験。緊張する。

 出題範囲の各法律を完璧に覚えたとは言えなかったから、山が当たるのを願うのみだ。

試験は、択一問題二時間、作文一時間となっていた。問題集をやりこんで出題傾向は知っていたが、初見の法律は勘で解答するしかない。地方自治法からの出題が多かったようだ。一般教養の数学もちょっと自信がない。五、六割出来たかどうかといった感触だった。

 作文は「行政書士の社会的使命」という題が出された。作文は得意だったが、「社会的使命」となるとどうも書きにくい。行政書士にそんなおおげさな使命があっただろうか。それでもなんとか原稿用紙三枚程度書いて提出した。

 やっとつまらない法律書から解放される。合格するかどうかは分からなかったけれど、しばらくはもう根を詰めた勉強はしないで済む。しかし、ほとぼりが冷めた頃私はまた次のターゲットを探し出すだろう。それに向かって努力できるような確実な目標が今の私には必要だった。何かの勉強をし続けることで心の安定を図る。ずっと受験という海を泳いできた私の、これは後遺症とも言える。


 次の朝、とんぼ返りに東京に戻った。午後にはすぐ授業がある。

 授業の前、尾口博史が隣に座ってきた。彼は須山勝彦と友人の、背の高いいつも笑っているような表情をした青年だ。須山勝彦も尾口博史も現役で早稲田に入ってきたと聞いた。一年以上一緒に学んできても、年下というイメージを消すことができない。

「絵、好きなの?」

尾口博史が私の方に体を傾けて聞いてきた。

「絵は見るのは好きだけど、自分では描かない」

「描かないの? この前、油絵同好会の展示見に行って、ノートに書いてある君の感想読んだよ」

「あ、読んだの? うわー、恥ずかしい。岡部さんが出品してたから、岡部さんのだけ感想書こうと思ったんだけど、暇だったからつい全員の人のを書いちゃった」

「ふうん。なかなかこれだけ沢山書く人いないから、すごいなと思った。前期も展示を見に来てたでしょ。感想書いてあるの見たよ」

「尾口君も絵が好きなの?」

「うん。描かないけどね。今さ、ルノアールとかモジリアニ展やってるでしょ。あれ、行った?」

「ああ、電車の広告に載ってたね。まだ行ってないけど行こうかな。十一月まででしょ?」

「そう。行ったらさあ、感想聞かせて」

「そうだね。行ったらね」

 話している途中から一緒に行こうと誘ってくるのではないかと思ったが、そうではなくてほっとした。

 私は以前に比べて随分社交的になった。男子とも話す機会が増えた。それは私の孤独に対してはいい治療ではあったが、誰とでも気安く話す私の今の姿は、少なくともいつでも私だけを待っていてくれる桂木隆司に対する不誠実なのではないか。他の男子とは友だちとして普通に対応しているだけのつもりでも、時に相手が友だち以上の気持ちをちらつかせることもある。それが新たなジレンマであり悩みの種だった。


 安達望とは英文で同じクラスだったし、住んでいるところも西武新宿線の田無で私の上石神井とは四つぐらいしか違わないので、なりゆきで授業の後一緒に帰ることもあった。私は彼の多弁が苦手だった。立て続けにしゃべっているのを、私はにこにこしながら聞いていたがそれは儀礼上の微笑みで、本当はいつも早く彼のおしゃべりから解放されたかった。

 安達望は、私が一か月病気療養していた時、一通のお見舞いの手紙をくれていた。それに外国旅行のお土産もくれたし、何度も食事に誘ってくる。彼の気持ちには気づいてはいたが、私はクラスメートとして普通に話すだけで、特にそれ以上の好意を彼に見せたことは無い。誘いに乗ったこともない。

 でも話しかけられればいつも微笑みながら話を聞いてあげていたことは確かだ。それを彼はどう受け取っていたのだろう。私は、マッカラーズの小説「心は孤独な狩人」の中に出てくる聾唖の男そのものだった。すべてを聞いてあげているふりをして相手を安心させていただけにすぎない。心は彼に対して虚ろだった。

 この流れをどうしたらいいのか分からないままでいたある夜、安達望から下宿に電話があった。


「僕、安達です」

「あ、こんばんは。今日授業休んでたね。どうしたの?」

「どうしたと思う? 今日、肺炎で入院したんだ」

「ええー? 肺炎なの?」

「今日、病院でレントゲン撮ったら肺炎だって。いきなり入院したんだ」

「また急だねえ。大変だったね」

「うん。田無病院から今電話してるんだ。死ぬかと思ったよ。昨日から苦しくてね」

「そう。そんなことになっているなんて全然知らなかった。つらそうだね」

「うん。咳がとまらないんだ」

「しばらく学校休む感じ? 休んでる間のイギリス文学史のノートとか後で貸すね。あと他に学校の事で何か私に出来る事無い?」

「暇だったらお見舞いに来て」

「お見舞いかあ。…どうしよう。ちょっと今はわかんない。氷室君に行ってもらえるか私から聞いてみるね。じゃ、お大事にね。早く治るといいね」

 安達望は私にお見舞いに来てもらいたがっている。でも行くべきではないだろう。行くつもりもなかった。


 翌日、安達望の友人の氷室正人は、早速クラスの皆からお見舞いのカンパを集めた。お金がまとまると、彼は私のところに来てお金の入った封筒を差し出した。

「やっぱり、小島さんにお見舞いに行ってもらった方がいいと思うんだ。その方が彼も喜ぶでしょ? 家も近いんだから、お願いするよ。お花と果物でも買って渡せばいいんだよ」

 私は少し困っていた。

「でも…やっぱり、氷室君たちで行った方がいいんじゃない? 私、男の人のお見舞いに行ったことないし、なんか私が行ったら変じゃない?」 

「変じゃないよ。明日、時間があったら行ってあげて。上石神井からすぐでしょ? 僕、用事があって田無まで行けないんだよ」

「うーん。じゃ、明日にでも皆からと言って、集まったお金とお花とか持っていってあげるね」

「うん。ありがとう。おおげさに考えなくていいよ」

 流れでやはり私がお見舞いに行くことになってしまった。

 そばで聞いていた坂口美子が、

「安達君の病院って、小島さんちから近いの? なんか頼まれちゃって大変だね。いろいろ勘違いされないようにね」

と気の毒そうに言った。

 台風が近づいている。ニュースではかなりの大型台風らしい。もう既に木々のざわめきは始まっている。明日の天気はどうだろう。


 翌日、上石神井から田無に向かう電車に乗った。朝からひどい風が吹いていた。風は生温かく、湿気を重く含んでいた。強風のわりに寒くはなかったので、私は薄手のセーターにジーンズ姿で田無病院に向かった。十時半ぐらいには病院に着いた。病院の面会時間は午後からということを失念していたので、しばらく病室に入りにくくて廊下をウロウロしていた。看護師さんたちがリンゲル液のパックをぶら下げて行ったり来たりしている。

 隙を見て安達望の病室に入った。二人部屋で、もう一つのベッドには中学生ぐらいの少年が横たわっていた。

 安達望は思ったより元気そうだった。半身を起こして本を読んでいた。病室にそっと入って来た私を見て、彼はぱっと明るい笑顔になった。私はパジャマ姿の彼をまともに見てはいけないような気がして、花瓶の方に視線を外しながら、

「元気?」

と声を掛けた。

「やあ、来てくれたの。間に合ってよかった。明日にはもう退院できそうだよ」

「そう。治るの早くて良かった。これ、クラスの皆からのお見舞い」

「ありがとう。来週には学校行けると思う」

 私は持ってきた花束を小机の上の花瓶に生けて、ベッド脇の椅子に腰かけた。

「駅から歩いてきたんだけど、台風来てて風がすごく強かったんだよ」

「また方向オンチの子がよくたどり着けたね」

 彼は少し咳き込みながら、笑って言った。教室で会うのとはやはり違う。私はぎこちなくなっている。

 お見舞いに近代詩人を特集した雑誌を持っていったので、それについて話したりした。安達望がにこにこして好きな詩人について話しているのを、私もにこにこして聞きながら、自分の微笑みに欺瞞を感じて密かに自己嫌悪に陥っていた。



台風の一日


 田無病院の表玄関を出ると、猛烈な風が吹き荒れていて、雨が横殴りに地面を叩きつけていた。さっきまでは時折晴れ間も見えていたのに、ひどい天気の変わりようだ。見上げれば分厚い濁った雲がぐんぐんとものすごいスピードで駆け抜けてゆく。傘を差して思い切って外に飛び出してみたが、傘はすぐにきのこになってしまった。壊れた傘をすぼめたまま頭の上にかざして私は駅の方角を目指して走った。気味の悪いほど生温かい大気が巨大な塊になってぶつかってくる。

 雨は急に音立てて激しく降ったかと思うと、ぴたりと降りやんだりしている。風と雨の急激な変化。時間すらもびゅうびゅうと吹き過ぎてゆくように思われる。奇妙な次元に日常が移行しようとしているのを肌で感じていた。

 私は雨の合間を縫ってやっとのことで西武線の田無駅に辿り着いた。電車に乗ってしまえば上石神井駅まではすぐだ。そのまま帰ってしまうことも考えたが、その日は午後から英米演劇の授業があった。風雨を衝いても受ける価値のある授業だと私は思っていた。このぐらいの雨なら行けないことも無い。とにかく大学まで行ってみよう。安達望とのことで気持ちが不安定になっていたので、一人で下宿にいたくないということもあった。

 かなり大型の台風が関東地方に近づいていると朝のラジオは告げていた。電車を待っている間もホームにまで雨風が吹き込むので、人は皆、階段の上の方に雨を避けて立っていた。仕事があるか、約束があるか、こんな日に出かけなくてはならないのは余程の事情があるからに違いない。皆、困ったな、というような表情をしている。やってきた電車に乗り込み、やがて上石神井の駅に停車した時、私は一瞬迷ったがやはり降りなかった。


 高田馬場の駅に着き、バスに乗って大学に向かう頃には雨も土砂降りになり、もう大学に向って道を歩いている者もいなかった。やっとたどり着いた文学部の掲示板にずらりと休講札が出されているのを見た時には、自分の判断の甘さに腹が立った。勿論、英米演劇も休講だ。よりによってこんな暴風雨の日に大学に来る方がおかしい。

 文学部構内では午前中に帰りそびれた者たちがちらほらと学食あたりで雨の様子を伺っていたり、どうやって帰るか迷うように校舎の入り口付近で右往左往しているのが見られるだけである。そして、私のようにびしょ濡れになりながらわざわざやってきて、掲示板の休講札を見て「くそー」と毒づいている愚か者も何名かいる。休講と分かったらもう大学に用は無い。すぐさま踵を返してバス停に向かった。

壊れて半開きの傘を掲げてバス停で待っている間にも、私のジーンズはびしょびしょに濡れ重くなっていった。スニーカーの中にも水が溜まっている。早く下宿に帰って着替えたかった。

 やっと来たバスに乗り込み窓から外を見ると、街路樹の葉っぱが揉みしだかれ何枚も宙に舞い飛んでいくのが見えた。ぼろぼろのポスターや袋が雨に濡れながら路面を這いずり転がっていく。ヒューヒューと電線がうなっている。ドーッぶちまけたような荒々しい雨が、すべての物を打ちのめしている。

 こんな嵐は東京に来てから初めてだ。雲も重く垂れこめ、あたりもだんだん薄暗くなってきた。興奮か、あるいは恐れのようなものが、私の胸の奥でうごめいていた。

 高田馬場駅で電車がホームに入って来るのを見て、ひとまずはほっとした。上石神井に着いたらタクシーにでも乗るしかないだろう。電車はいつもよりスピードを落としていた。乗客もほとんどおらず余裕をもって座席に座ることができた。それぞれの傘からしたたり落ちる雫が床の上を筋を作って流れてゆく。閉め切った窓の内側が蒸気で真っ白に曇っていて、外が見えない。田無病院から大学まで行って、またとんぼ返りに戻ろうとしてこうして下り電車に乗っている。なんて目まぐるしい半日だったろう。しかし、まだそれだけでは終わらなかったのだ。


 野方の駅に着いたところで、車掌のアナウンスがあった。

「風雨のため運転続行不可能となりました。当駅で一時運転を休止します。風雨の様子を見て運転を再開いたしたいと思いますので、しばらく当駅でお待ちください。お急ぎとは思いますが、ご乗客の皆様、ご了承ください」

 それは困る、と私は心の中で叫んでいた。こんなところで止まられてもどうやって下宿に帰ったらいいのか分からない。他の乗客たちも「えーっ」と言ったきり絶句して窓の外をうかがっている。

 電車は一車両に二ついているドアのうち一つを閉め切って雨が吹き込まないようにした。その車両に乗っていた五名ほどの人は椅子に座って観念したように黙って待っている。確かに外に出てもひどい目に会うだけだ。

 しかし私はそのまま待っていることができなかった。誰かと連絡を取りたかった。なんとか下宿に帰り着きたかった。こんなところで一人でいるのが怖くて仕方が無かった。

 私は開いているドアの前に立って、三十分ほど逡巡していた。風が強すぎてもう既に壊れている傘が役に立つとは思われない。一瞬のうちに全身びしょ濡れになることだろう。しかしいつ動くか分からない電車に乗っているよりは、外に出て帰る方法を探した方がましだ。私は思い切って電車から飛び出した。


 時計を見ると一時半だった。今日は三時から都立家政の歯科医院でアルバイトをする予定だった。野方から一番近い知り合いはそこしかない。いちかばちか電話をしてみて、迎えに来てくれるか打診してみようと思った。

 野方駅前の交番の先に公衆電話ボックスがあったが、三人ほど並んで待っている。私はじりじりしながら順番が来るのを待った。その間も雨は私の体に降り込んでゆく。雨が素肌にまで濡れ通って、強い風に吹かれているとどんどん体温が奪われてゆく。ひどく寒いけれど、緊張しているので風邪を引くような感じはしない。

 やっと電話の順番が回ってきた。

「もしもし、あのアルバイトでお世話になっています小島です」

努力して押さえていないと、悲鳴のように声が上ずってくる。呼吸も不規則に乱れていた。

「ああ、いつもお世話さま」

 電話に出たのは院長夫人だった。外が暴風雨であるのを知らないかのような、のんびりした声を出している。

「あの、今、野方なんですが、電車が止まってしまっていつ動くか分からないんです」

「あら、そうなんですか。じゃあ、今日は休んでもいいですよ」

 休んでもいい…。 夫人にそう言われて機先を制された形になってしまった。たぶん夫人は私が置かれたこの状況を明確に察してはいない。

「あ、はい…。じゃ、来週の火曜日にまたお願いします」

 私は気落ちしながらそう言って電話を切った。

 アルバイトを始めてまだ四、五回にしかなっていないのに、こちらからなれなれしく迎えに来て欲しいとは言えなかった。もし秀夫先生が電話に出てくれていたなら、迎えに来てくれただろうか。電話をあっさり切ってしまった後で、何故もっと食い下がらなかったのかと後悔していた。

 電話には列ができている。これ以上この電話を使っているわけにはいかなかった。私は雨が避けられる場所は無いかと商店街の方に向って走り出した。しかしとても続けて走っていられるような生易しい雨ではない。すぐ目に入った銀行の自動預入機の設置してある小さな建物の中に飛び込み、しばらくそこにしゃがみこんでいた。ここは入り口が開いたままなので、どうしても風が避けられない。このままずっとここにいては冷え切ってしまう。私はもう一度雨の中に出て、今度は駅のすぐ近くにある喫茶店を目指して走った。


 この喫茶店はパン屋さんを兼ねているらしい。茶色を主体にした内装で、椅子やテーブルも少し古臭かったが、長年やってきた喫茶店らしい落ち着きがあった。こぢんまりと狭い店の中はやはり台風を避けた客でざわついていた。私はカウンターに席を取り、ホットミルクを注文した。ジーンズと靴下はもうどうしようもないくらいびしょびしょで、雫を垂らしている。なんだかこうして喫茶店の椅子に座っていることすら気が引ける。私はこっそり靴下を脱ぎ、はだしのまま足をぶらぶらさせて、すみっこの方で体を小さくしていた。

 喫茶店はBGMを消してラジオを流していた。ひっきりなしに台風情報をやっている。バスが横転事故、暴風雨波浪警報、崖崩れ、床下浸水、都営地下鉄・営団地下鉄以外は運転見合わせ、国電は全線不通、九六八ミリバール、最大風速四十三メートル、火災発生、木が根こそぎ倒れた…。

 まだまだ収まりそうになかった。いつまで待っていればいいのか。こんな不測の事態には全く慣れていなかったので、イライラしてきたし、パニックになりそうだった。とにかく誰かに電話をしたい。喫茶店の中にあった公衆電話を貸してもらってあちこちに電話してみた。坂口美子の寮に何度も電話を掛けてみたがずっと話し中で繋がらない。桂木隆司は…多摩川の向こうに住んでいる人だから、ここから電話しても彼には何もできない。慰めてもらうだけなら電話するべきではないだろう。

 思い余って下宿のおばさんに電話してみた。

「あらー、大変なことになっちゃったわね。そうねえ、野方からだとバスも上石神井まで行くのは無いわねえ。どうしても電車かタクシーということになっちゃうわねえ。でもタクシーもこんな時はなかなか捕まらないでしょ。困ったわねえ。もう少し待ってみて、どうしても電車が動かないようだったらもう一度電話ちょうだい」

やはり、ここから上石神井に行くための手段はなさそうだ。私は落胆を隠しながら、

「ありがとうございます。もう少し待ってみます」

と言って電話を切った。

 この九月から東伏見に赤ちゃんを産んだばかりの従姉夫婦が引っ越してきていた。今までさほど交渉があったわけでは無いが、この際かまってはいられない。電話をして窮状を訴えてみた。

「そう、野方からじゃ、上石神井までだいぶあるわよね。電話帳でハイヤー探してあげるから、一旦電話を切って十分ぐらいしてまたかけてみて」

 従姉は私より四つ年上で、商社マンのだんなさんと結婚していた。高校の頃、競争意識の強い伯母と連れ立って宇都宮の家に時々遊びに来てくれたこともあったが、私はいつも無愛想であまり気さくに話すことも無かった。それどころか受験参考書を何冊ももらったのに、ろくにお礼も言っていなかった。意思疎通がうまくいっていなかった従姉が親身になって心配してくれている様子に、やっと怯えが収まってきた。

「タクシーもハイヤーも駄目みたいだわ。もうちょっとそこで待ってみて。もし六時まで電車が動かなかったら、うちの主人に迎えに行かせるわ。心細いでしょうけど頑張って。きっともうすぐ電車動くわよ。雨もさっきより収まってきたみたいよ」

 赤ちゃんもいるのにいろいろ対応してくれた従姉には感謝しかない。 

 その喫茶店には窓が無かったので外の様子がよくは分からない。しかし時々ドアを開けて様子を伺いに出るお客たちの話を聞いていると、確かに雨は凪に向っているようだった。

 私は少し落ち着いて、宇都宮の母に電話をかけ、いかに東京の台風がすごいか、電車が止まってしまってどうしたらいいか分からないという事などを話した。母は、それは待っているしかないよ、待っていればきっと動くんだからと言うばかりで、嵐の中に一人取り残されている私の気持ちなどそっちのけで、むしろ、私の体調の事や、薬をちゃんと飲んでいるかとか、食事はどうしているかなど日常的な健康の心配ばかりをさかんに聞いてきた。見当違いの心配に私は無性に悲しくなってきてしまった。手元に重ねた十円玉が次々に減ってゆく。

 電話を切ってカウンターに戻ってきた私を、髭の生えた親切そうなマスターがちらっと見た。きっと私は今、髪も濡れそぼち、薄いセーターもジーンズもぐしょぐしょで、泣きべそのようなひどい表情をしているに違いない。喫茶店に入って二時間が過ぎようとしていた。

時刻は三時半。風は相変わらず音立てて吹き付けていたが、雨は急速に止みつつあった。喫茶店から何人かが出ていった。しかし、電車はまだ動かない。

 喫茶店の中で待っていても埒があかない。雨さえ降っていないのなら、自力で歩いて帰ろう。私はぐしょぬれの冷たいスニーカーを履いて、喫茶店を出た。空は随分明るくなっていた。


 上石神井までの最短距離、それは線路上を歩くことだ。野方、都立家政、鷺宮、下井草、井荻、上井草、上石神井。六駅ある。とにかく歩いてみようと思った。

 止まっている電車を後目に、私はコンクリートの枕木を歩き始めた。先を見通すと既に五、六名の人が線路を歩いている。枕木の間隔が歩幅に合わず、三歩のうち一歩は砂利の中に足を踏み入れなくてはならず、足の裏がすぐに痛んできた。敷いてある砂利は線路の鉄粉で茶色に染まっていた。尖った鋭い割れ口の石ばかりだ。

 歩いてみると都立家政の駅は野方駅からさほど離れてはいなかった。なんだこんな近くだったのか。それなら風雨のピークの時でも決死の覚悟をすれば歯科医院まで行けないことは無かった。

 私は電話をしてしまった手前、一言挨拶していったほうがいいかなとも思い、線路から降りて医院のある道を覗いてみた。休診の札がかかっている。ドアもきっと鍵がかかっているだろう。呼び鈴を押せばだれか出てくれたのかもしれない。

 しかし私はその時、自分がひどい格好をしていることを急に思い出した。髪は雨風に煽られてみじめに垂れ下がっているし、それにうすいベージュのセーターが濡れて下着が透けてしまっているのではないかとずっと気になっていた。こんな姿を秀夫先生に見せるわけにはいかない。私はそのまま歯科医院に背を向けた。


 どんどん歩かなくては日が暮れてしまう。何かに急かされるように再び線路上に戻った。

野方、都立家政、鷺宮間は距離が短く、さほどの苦労も無く辿り着けた。結構楽勝じゃないかと少し力を抜いて歩いていくと、今度はゆけどもゆけども次の駅に着けない。鷺宮から先は一駅が非常に長くなっているのだ。

 風はまだ激しさを衰えさせてはいなかったから、物が飛んでくるのに気を付けながら、歩きにくい足下に気を付けながらもくもくと歩くしかなかった。

 電車はまだ動いてはいなかったが、駅に停車したままになっている電車の横を横這い状態で通っていくのは結構危険な感覚があり、もし急にこの電車が動き出したのなら、私は確実に轢死体になってしまうのだろうと肝が縮んだ。

 途中二か所に橋があり、幅三十センチほどの板がかけてあるだけで、下を見ると三メートルぐらいの高さがある。下は車が行き交う幹線道路だ。今、突風が吹いてきたらバランスを崩して落ちてしまう。危険すぎる。冗談ではなく命がけだった。

 映画の「スタンド・バイ・ミー」を何故か急に思い出した。確か線路を歩いていた少年たちが鉄橋にさしかかり、その時いきなり電車が来てしまい、危うくぎりぎりで難を逃れる、そんなシーン。私の今の状況はそれとちょっと似ている。橋の上で電車が来てしまったらアウトだ。


 空は次第に雲が切れて青空も見えて来た。夕暮れが近づいている。雨はもう完全に上がっていた。いつもピカピカ光っていた線路は、数時間電車が走っていないだけで、もう薄く斑に茶色の錆がついていた。

 井荻、上井草、急がなければ暗くなってしまう。濡れたスニーカーの中でふやけた足には、当然のようにいくつものまめが出来ているであろう。痛みの感覚ももう麻痺している。風の中を歩いてきたせいで、服は大体乾いていた。泥水と共に固まったジーンズがごわごわしている。

 一体いくつの枕木を歩いてきたことだろう。終盤に近付いてきてあたりが薄暗くなってくると、枕木をホップ・ステップ・ジャンプの要領で、飛び跳ねながら距離を稼いだ。


 上石神井に着いた時には五時半になっていた。黒い雲の隙間に明るい夕焼けが少しだけ覗いている。さすがにほっとしてそのまま座り込みたくなった。風はまだ強かったがもう電車も動けるだろうにと思いながら、見慣れた上石神井の駅をペースダウンした歩調で通り抜けようとした時、突然遮断機がカンカンカンと鳴り出した。それと共に、

「今から運転を再開いたします」

というアナウンスが流れた。

 やっと日常に戻ったのだという実感があった。電車は結局四時間止まっていたわけだ。やはり私には待っていられる時間ではなかった。

 夕食を作る気力はもう無い。西友でコロッケを買って、ゆっくり下宿に帰ろうとしていたら、同じ下宿の商学部の人が駅に向かおうとしているのに出くわした。

「今まで電車止まってたんだよー。私なんか野方から線路の上を歩いてきたんだよー」

「ええー?! そんなにひどかったの?! 私、お昼ごろまでずっと寝てたから、こんなになってるとはちっとも知らなかったわ。これから渋谷で待ち合わせがあるんだけど、国電動いてるかな」

「どうかなー。今、西武線が動き出したから、国電も大丈夫かもね」

 彼女はコートを翻して、とにかく行ってみるわ、と言って駅の方に向かった。

 下宿に着くと、まずはおばさんに無事着いたことを伝え、着替えて一休みしてから、東伏見の従姉にもお礼の電話をかけた。

 歩いている時は夢中で気が付かなかったが、ゆっくり手足を伸ばすとあちこち痛くてたまらなかった。しかし今日のことで歩くことに対する自信が生まれた。もうどこへだって行けそうだ。自分で思っているよりは私は強いのだ。こんなにすごい距離を歩けたじゃないか。明日、学校に行ったら皆に自慢してやろう。気持ちが緩んで急に愉快になってきた。


 夜、九時前、安達望から今日のお見舞いに対するお礼の電話があった。

「今日、診察があってね。明日退院してもいいって。今日はどうもありがとう」

彼は、まだ微熱があるんだ、などと言って同情を引こうをしていたが、私はそれをさえぎるように今日の冒険を語った。彼には申し訳なかったが、今日の経験のことで頭が一杯で興奮していたのだ。

私は変にさばさばした気分で、

「じゃあ、お大事にね。また来週、授業の時に」

と言って電話を切った。


 お風呂屋さんに行ってみたが、こんな天気でお客さんもいないせいなのか休みだった。仕方がないので、ばさばさの髪を台所でお湯を沸かして洗った。手足もほこりと泥で真っ黒だった。何度も濡れタオルで拭いた。

 夜まで風は残っていて、ビュービュー鳴っていた。ひどい一日だったけれど、きっと絶対に忘れられない一日になるのだろう。極限の疲労感すら心地よかった。

 商学部の人は、うまく約束の場所に辿り着けたのか十時を過ぎても戻ってこなかった。


 翌日は学校で台風の話でもちきりだった。皆、口々に昨日どう過ごしたかを報告しあっている。

「すごかったよねえ」

「俺、一日、うちで寝てたよ」

「私なんか途中まで大学行こうとして、これは駄目だと思って引き返したの」

「私、最初から休もうと思ってた」

「怖いから雨戸締めてたよ」

 私は昨日嵐の中でほとんど泣きべそをかいていたことも忘れて、得意になって武勇伝を披露した。すると皆は、私が線路を歩いて帰ったということよりも、わざわざ台風の真っ最中に大学まで出向いていったことを、それは行く方が馬鹿だよと言って笑った。私も、それもそうだねー、と一緒になって笑った。


 翌日の土曜日、151教室で待っていた桂木隆司と、そのまま教室の窓際の席を陣取って話をした。

「昨日はひどい目に会っちゃった。台風の中、大学まで行ったら休講でさあ、帰ろうとしたら野方で電車止まっちゃったんだ。野方から上石神井まで線路歩いて帰ったよ」

「野方から? 結構あるよな。よく帰れたな」

 彼はびっくりしたように大きな目を見張った。

「自分でも信じられないよ。線路って石がごろごろしてて歩きにくいの。風はビュービュー吹いてるし、日は暮れてくるし、もう今日は帰れないんじゃないかと思った。死に物狂いで歩いたんだよ。それでさ、下宿に着いてから今日は絶対十キロは歩いたぞと思って地図見たら、五、六キロぐらいだったの。拍子抜けしちゃった」

「普通の道じゃあ無いからな。十キロぐらいの価値はあるでしょう。面白い経験したよな。そんなことめったに経験出来ないから、結構いい思い出になるんじゃないの?」

「うん。私もそう思う。歩いてる最中はすごく不安だったけどね」

「今まで病弱な振りしてただけなんじゃないの? 騙されちゃった。もう甘やかさないぞ」

彼は腕組みをして上目遣いににやりと笑った。

「本当に病弱なんですう。いたわってくださいよ」

私は首をすくめておどけたように言う。

「嘘つけ。本当は俺より丈夫な癖に。よし、歩く気があれば歩けることが証明されたな。今度遠いとこ出かけよう」

「ええー? 遠いところって?」

「俺んちの近くにプラネタリウムがあるんだ。今度改築するんでしばらく閉館になるから、その前に見に行こう」

「プラネタリウムか…。真っ暗になっちゃう? 暗いの嫌いなんだけど」

「俺がいるんだから大丈夫だろ。行く時は車で大学まで迎えに来てやるよ」

「車で行くの?」

「園内が広いしな。車なら向ヶ丘遊園地にも行ける」

「そうか。遊園地もあるんだ。うん、考えとく。じゃあ、行く時はまた後で打ち合わせね」

そう言いながら、ふと坂口美子の忠告が思い浮かんだ。

……友だちのままでいたいのなら、軽々しく車に乗っちゃいけない……

いつも会う時は、教室や喫茶店、美術館、公園など、私たちの周りには決まって誰かがいたけれど、車に乗ってしまうと純粋に二人きりだ。何か関係が決定的に変ってきてしまうのではないか。私はそれを恐れていた。


 それは去年の冬の事だ。隣の部屋、つまり今私がいる部屋には早稲田の教育学部四年生の里美さんがいた。卒業も近づいた頃、彼女が頻繁に電話で呼び出され、下宿のそばの道端で男子学生と深刻そうな立ち話をしているのを私はたびたび目撃していた。

 ある時、私が早めにお風呂屋さんに行こうとして、四時ごろ洗濯物の袋を抱えて下宿を出ると、その男子学生が長いコートのポケットに両手を突っ込み、塀にもたれ空を見上げるようにして立っていた。小雨が降っているのに傘もさしていない。

 私の後ろから下宿のドアをバタンと閉めて、里美さんが走り出して来た。彼女は私がまだそこにいるのを見て気まずいような微笑みを浮かべ、「こんばんは」と言って足を止めた。

私は何も気づいていない振りをして「こんばんは」と挨拶を返し、スタスタと男子学生の前を通り過ぎ、お風呂屋さんの方に急いだ。なんとなく気になる雰囲気だった。

 小一時間たって、お風呂屋さんとコインランドリーからの帰り道、下宿に近づいていくと、薄暗い中をまだ二人が一つの傘に入ったまま塀の前でうつむきながら話をしている。何かもめているようだ。遠目で見ながらこのまま二人のそばを通っていいものかどうか考えあぐねていた。

 その時、里美さんが急にポケットからハンカチを取り出し顔に押し当てた。男子学生は微動だにせず、そんな彼女を厳しい顔つきで見つめている。ドラマの一シーンのようだ。私は思わず足を止め、そっと脇道に入った。

 里美さんは卒業後は郷里の広島に帰って、高校教師をすることになっていた。教職試験に合格したと、つい最近はしゃいでいたのに。決定した卒業と就職は、東京で培ってきたすべてのものとの別れを意味していた。


 私もまた卒業後は宇都宮に帰ると決めていた。辛い別れをしないためにも、お互いが恋と認め合う手前で、歯止めをかけておきたかったのだ。

 しかし、心はそんなにたやすくコントロールできるものではない。大学にいる間だけの親友として、卒業後はお互いを快く解放し合えるのか、もう私には分からなくなっていた。

 こんなに魂が分かり合えているのに、私が女であったばかりに友情が苦しい恋に変容していってしまう。


「とにかくさあ、もう筋肉痛でさあ、しばらくはあんまり歩きたくない気分」

「そうだろうな。俺も来週美術史で、甲府の山梨美術館に行かなくちゃならないんだ。来週の土曜は、俺、いないからな」

「そうなんだ。ちょっと寂しいな。美術史ってそういう研修もあるんだね」

「うん。美術館でミレーの絵を見て、時間が余ったら古墳も見るんだって。古墳はあんまり興味ねえよ。そういえば、もうすぐ日展があるんだ。また見に行こう。早稲田祭の頃、すぐに帰省したりするなよ」

「日展? この前行ったのって院展だっけ」

「そうだよ。素人はこれだから困る」

 笑いながらどこか心が悲しかった。私にはいつもそばにいてくれる人が必要だった。エゴと言われようが、自分の生を支えるには誰かの助けが必要だった。強く結び合う心をもちつつ、しかもそれは恋愛になってはいけなかった。深みにはまらずすぐに引ける位置にいなくては。

 私が勝手にそんなことを考えていると知ったら、桂木隆司はどんなに苦しみ憤ることだろう。それを思うと何も言い出せず、一人で悩んでいるしかなかった。



 週が明けた月曜日は体育祭だった。試合は九時から始まる。二つのクラスから選抜された男女三名ずつが選手だった。予選は一人六射して的に命中した数が多いチームがトーナメントに出場するという形式になっていた。

 私はそこそこ緊張はしていたが、特に気負うことなく弓道場に立っていた。そもそも弓道は個人的な道の追求というような気がしていたから、試合と言われてもピンと来ない。スポーツという感覚ともどこか違う、もっと精神的な要素が大きいものだと思う。

 とにかく今日は型を正確に決めて、的に当てさえすればそれでいいのだろう。考えていてもうまくいくものでもない。同じチームの選手といっても完全に個人競技だ。他の二人の女子と協力するわけにもいかず、それぞれが勝手な思いで的を見つめていた。

 試合の直前、弓を選んでいたら、人見先輩がそばに来て、

「頑張れよ!」

と、にこやかな顔で声を掛けてくれた。

「はい!」

 私は思わず気をつけの姿勢で返事をしてしまい、二人でぷっと吹き出した。

 人見先輩の声かけで、大分緊張がほぐれた。

 試合が始まった。弓道場一杯に学生が集まっているのは、選手ばかりではなく見物人も交じっているのだろう。

 他のクラスの選手が三人ずつ横に並んで、弓を構える。その構え方が新開クラスとは違っていたので、新開クラスの選手たちは顔を見合わせ、あんな構え教わらなかったよねと、ひとしきりざわついた。新開クラスでは、射に入る前の待機の仕方、弓の持ち方、礼の作法などは一切省略して、すぐに射に入ってしまっていたのだ。

 しかし、試合の勝ち負けは的に当たった数で決まる。礼や型の美しさは関係ない。何でもいいから当てればいいのだ。少しドキドキしてきた。負けたからと言ってどうということもない。いつも通りに的に向って集中していればいい。そう自分に言い聞かせて落ち着こうとしていた。

 私のクラスの順番が来た。選手たちは横一列に並ぶと、一気に六射した。私は呼吸を鎮め、的に向ってすべてを静止させた。授業の時と同じように、心を透明にして‥‥。

 結果は六射三中だった。男子は六射五中、六射二中、あとの二人の女子は一中だった。根元幸子は、人見先輩がそばにいないと力が発揮できないわあ、と騒いている。

 男子は予選落ちしたが、女子はどうやら予選に通り、午後からのトーナメントに出場することになった。予選を通過した者は、早稲田のネームが入った臙脂色のペナントがもらえた。


 お昼の休憩時間に文学部に立ち寄ったら、記念会堂の前の広場で大勢の学生が輪を作ってフォークダンスをしていた。そういえば、フォークダンスという体育種目もあったっけ。オクラホマミキサーやマイムマイムなど、見ていて懐かしい。

 フォークダンスは中学の体育で少しやったけれど、体育教師と反目し合っていた私は、テンポが合ってない、遅い、などと校庭で拡声器を使った個人攻撃の罵声を浴びせかけられて以来、フォークダンスが嫌いになった。

 思えばあの頃は教師に対する反抗期真っ只中で、私も優等生ぶってはいたが、心の中は随分尖っていた。校則違反の服装をしていても、上履きのかかとをつぶして履いていても、私が成績がいいというだけで担任教師は曖昧に笑って見逃し、それもまた私の憤懣の原因となった。私は幼稚な正義感を振りかざし、同時に規制からの逸脱を求める扱いづらい女の子だった。体育祭で久しぶりに見たフォークダンスは、その頃の痛い自分を少し思い出させた。

 記念会堂のベンチに座って皆が踊っているのを眺めていたら、輪の中に尾口博史を見つけた。顔が上気していて、まぶたのあたりが赤い。少し気取ってステップを踏んでいる。彼も私に気がついて、踊りながらにこっと笑った。

 曲が終わり解散すると、尾口博史が私のところにやってきた。手の甲で汗を拭くと、ふうっとため息をついて呼吸を整えている。私はベンチに座ったまま、彼を見上げて尋ねた。

「体育、フォークダンスだったの?」

「いや、これは違うんだ。ちょっと飛び入りでやってたの。最初から参加してたからもう疲れたよ」

「そうなんだー。でもすごく楽しそうだったよ」

「いやー、ははは。体育祭、何かの選手?」

「うん、弓道。午後にまた試合があるの」

「あっ、弓道なんだ。僕、第一希望が弓道だったんだけど落ちちゃって、今水泳を取ってるんだ」

「そうなの。弓道でも落ちる事あるんだー」

「それはそうと、須山見なかった?

「今日は会ってないねえ」

そう、じゃあまた、と言って尾口博史はその場を離れていった。

 彼と別れた後、一人で学食でランチを食べた。私の鞄の中には弓道で同じクラスの鴻池雅也が無理矢理のように私に押し付けていったペナントが入っていた

「僕、今日鞄持ってきてないから、午後の試合まで預かっといてくれない?」

そう言って急に渡してきたのだ。

 確か政経学部の人だ。彼の弓は自己主張が強い。選手選別の時もすぐには決まらなかったのを、

「僕が選ばれないのは心外だ」

というようなことを言って憤慨していた。

 今日の鴻池雅也は調子がよくて、六射五中していた。午後からは個人戦に出場する予定だった。

 私は預かっているペナントが皺にならないかずっと気になっていた。それにわざわざ私に預けていったというのは何か意味があるのだろうか。自信過剰の彼に話しかけられると、圧迫感がある。


 午後からのトーナメントでは一人四射するのだが、私は一中しかせず、あとの二人は全然当たらなかったからすぐに負けてしまった。ちょっと残念だったけれど、早く帰れていい。

 鴻池雅也にペナントを返して帰ろうとしたら、彼が、ちょっと待って、と言った。

「もう少し試合を見ていきませんか? 終わったらどこかのお店でお話でも」

 わざわざペナントを預けて来たのは、私を誘いたかったためだったのかもしれない。そういえば授業中も私に視線を投げかけてくることがよくあった。気にはなっていたが、私は何も反応しないようにしていた。好きでもない人からの視線は面倒くさい。

「ごめんなさい。用事があるのでもう帰ります。鴻池さんも、あと頑張ってください」

私はお辞儀をしてそのままさっさと帰った。


 体育祭が終わるとすぐに早慶戦、早稲田祭だ。授業も休講が多くなり、学生たちも二週間ほどはお祭り気分でいることになる。一年の時は、大学が休みになるとすぐに帰省していたが、今年はあちこちの大学祭にも行ってみようと思っていた。

 桂木隆司はいつでも私にばかり関わっているわけではなく、友人との付き合いもあったから、私は時々孤独な時間を過ごさなくてはならないこともあった。


 早慶戦のチケットが発売される日は、チケットを買う者たちの列が事務局から校門の方まで長々と伸びる。授業に遅刻しそうになっても、その日のうちに買っておかないと売り切れてしまうのだ。学生券は一枚三百円だった。

 私も今年は早慶戦に行ってみようと思った。坂口美子を誘いたかったが、彼女は別口の約束があるらしく、一緒に行けるかどうか分からなかった。桂木隆司は、同級の友人の兼子彰浩と行くと言っていた。

 列に並んで待っていたら、須山勝彦と尾口博史が通りかかり、にこにこしながら言葉をかけてきた。

「君も早慶戦に行くのか。僕たちも去年行かなかったから、今年は行こうと思う」

「やっぱり一度は行かなくちゃね」

「早稲田の校歌を神宮球場で歌ってみたいしね」


 スロープ横の銀杏の木は、総体として見ればまだ夏の頃と変わらない乾いた感じの緑の固まりだったが、その一枚一枚の葉のマチエールは、やはりどこかに弱々しい薄らぎを交えていた。体温を包むような柔らかな薄い陽射しを浴びながら、こんな風に列に並ぶのは久し振りのことのように思えて、待つという行為を透明な風のように楽しんでいた。

 社会学の授業を終えた寺井雄二が、仲間たちと校門の方へ帰って行きながら、

「君が早慶戦に行くなんて珍しいね」

と冷やかしていく。

 いずれは宇都宮に帰るのだから、東京にいるうちに出来ることを精一杯やっておかなくては。東京を知り尽くしたい。行ける所はどこへでも行きたい。そのために東京の地図も何冊か買った。まずは神宮球場の早慶戦だ。坂口美子が無理だったとしても、一人でも行ってみようと思っていた。


 台風の日、肺炎の安達を病院まで見舞いに行ってしまったために、また安達が親し気に話しかけてくるようになった。同じ英文の授業をとっているから彼が隣の席に座ってくると、避けることもできず何かおしゃべりをすることになる。私は笑顔で聞いているが、彼との会話は少し疲れる。

「今は、音楽に情熱を燃やしている。与えられたものを受けるというだけの態度では真には何も得られない。行動しなければ」

その強い言い方に、つい吉川清彦を重ねてしまう。

「生きているということだけでも、与えられているものは多いよね」

そう私がポツリと言うと、

「そうだ。生きているだけで素晴らしいことなんだ。生きているだけじゃ満足できないというんなら、考え込んでいないで何かをがむしゃらに求めないと」

 熱いな、と思う。強い人なのだろう。外国旅行も平気で行くし。私なんか宇都宮まで二~三時間の電車ですら、電車の中で疲れ、もんもんとして心を消耗させてしまっているというのに。

 安達には私の弱さは最後まで分からないだろう。弱さを打ち明けることもないだろう。

「聖心女子大の子に、外国旅行のおみやげの香水をあげる予定なんだ」

 安達がそう言ったので、私は少しほっとした。安達が他の子と付き合っているなら、私は安達にとってただの友だちの立場でいられることになる。

 

 早稲田祭が近づき、ぼちぼち休講の授業も増えて来た。英文学研究、宗教学、英米演劇が休講となっていた。その他の授業も出席者が少ないので早めに授業を切り上げたりすることがあった。

 私はまだ普段通りにやっていた民族誌の授業に出てみた。民族誌の教授のユーモアを交えたやわらかい講義内容は、少なくとも全く理解出来ない哲学よりは聞きやすかったから、割と好きな授業の一つだった。

 大教室の窓辺はポカポカと陽射しが暖かい。窓の外には『いこいの広場』から続く中途半端な藪が見えていた。先生は、冗談を何か言っては生徒そっちのけで自分一人でうけてクスクス笑ってしまうような人だった。

 しかし、先週の授業あたりから先生のマイクに変な雑音が入るようになって、講義が非常に聞き苦しいものになっていた。まるでラジオ放送のような、もしそうだとしたら一局だけではなく二、三局混合の、ひどく混線した雑音である。おしゃべりと音楽が入り乱れている。  

 先週は急に藤圭子の歌が流れ出したので、五十~六十名はいる学生たちは皆ざわついたり吹き出したりしていた。教授の声と、ラジオのおしゃべり、藤圭子の歌が、同じくらいの音量でまるで音当てクイズのように一斉に流れでてくる。その中から教授の声を取り出すのは容易な事ではなかった。

 今週もまた、そんな具合だった。私の後ろの席にいつの間にか座っていた語学のクラスメートの西城研二は、

「うるせえな。誰かハムでもやってんじゃねえか」

と独り言のようにブツブツ言っている。

 雑音はだんだん大きくなり、授業の中頃にはピーという電波音になった。教授もさすがに我慢しきれなくなってマイクのスイッチを切ったが、大教室であるため今度は声がほとんど聞き取れなくなってしまった。

 私は講義を聞くことを諦めてノートに日記を書き始めた。

「これじゃあ、何言ってるのかわかんねえよ。小島さんもそう思うでしょ?」

西城研二がうしろから覗き込む。そして私が広げているノートを一瞥すると、

「あっ、もしかしてそれ日記帳?」

と尋ねた。

「そう、日記帳。二、三日分まとめて書いてるの」

「俺のことも、もしかして書いてある?」

「…うん、書いてあるかな」

「やったー。おおー、うれしいぜ」

 彼は顔中に笑いを浮かべて私を見た。

 彼はなんだか最近顔色が悪いような気がする。蒼ざめていて唇だけが妙に赤く見える。彼については、遊び人のようなひょうひょうとした雰囲気で、いつも長い足でふわりふわりと早稲田通りを歩いている人という印象が私にはあった。茨城の人だと聞いていた。東京での下宿生活で健康を損ねていなければいいが、他人事ではなく心配になる。歌舞伎町で飲み明かしたというようなことをクラスメートに言っているのを、耳にしたこともある。

 早稲田という学生だらけの生活空間で、まわりに大勢の人がいながらも孤独に陥るのは実に簡単なことだった。彼は、授業も休みがちなので友だちらしい友だちもいないらしかった。

「来週から早慶戦と早稲田祭だから、二週間ぐらい授業無いんだよね」

「小島さん、早慶戦見に行くの?」

「うん、行こうかと思ってるんだけど、坂口さんとまだ打ち合わせしてないんだ」

「ふうん、そうなのか。俺も早慶戦行こうかな」

西城研二はのんびりした声で言って、ぼーっとした顔を窓に向けた。


 ドイツ語の授業はハイネの文章をやっていた。しばらくは当たらない予定だったから予習もしていない。

授業の前、坂口美子と大学祭めぐりの予定を立てた。早稲田、上智、日大芸術学部、一橋あたりが同じ時期だ。

「私、一橋に行ってみたい。第一番に行ってみよう」

 彼女は妙に一橋大がお気に入りで、はりきっている。早慶戦はどうする?と聞いたところ、彼女は寮の友だちとどこか出かける予定があるらしい。せっかくチケットを買ってしまったのだから一人でも行ってみようと思った。

 前の席に座っていた松下透が急に振り向いた。

「すべての芸術は音楽を目指す」

突然そう言ったので、えっ? 何?何?と坂口美子と顔を見合わせた。

「その言葉、聞いたことあるような気がする」

「ショーペンハウエルの言葉だよ」

「急に言うからびっくりしちゃった」

 松下透は時々、突飛なことを言ったり、難しい議論を吹っかけてくるから苦手だ。いつもインテリぶって澄ましているようなところがあり、いいところのお坊ちゃん臭がはなはだしい。そして時々鋭い爪を剥き出しにして、私の能力を試してくる。

「モジリアニ展は行った?」

「ちょっと時間が無くてまだ行ってない」

「僕が見た感じでは配置がバラバラであんまりよく無かったな」

「ふーん、そうなんだー」

 彼の母親は日本画で有名らしいし、伯母さんは書道家だそうだ。芸術には敏感だし、常に一家言あるのだろう。

「すべての色は、光があるからこそ色としての意味を持つんだ。光が無くては絵は成り立たない。その最も端的な例はレンブラントなんだ。レンブラント光線というのは知っているかい? 絵の中心となる物にだけ光を当てくっきりと描き、その周りの物はだんだん暗くなって、中心物から最も離れた所では、全くの暗闇に没してしまう手法なんだけどね」

 私は神妙に彼の絵画論に耳を傾ける。へたに意見を言うとぼろが出そうなので、ただ感嘆している素振りでうなづいているだけである。

 そのうち話題がクレー射撃に移った。

「最近、僕、BIG・BOXのクレー射撃に凝ってるんだ」

「あっ、私もやりたいと思って見に行ったことある。面白い?」

「面白いよ。射撃にも二種類あって、的が同じ場所を飛んでゆくやつで、一発撃つごとに場所を一つずつずれるの。あとはBIG・BOXにあるみたいな、どこから的が飛んでくるのか分からないやつ。僕はBIG・BOXのしかやったことない。僕の最高得点は六十点ぐらいなんだ。氷室は七十ぐらいかな。僕は最初は十六点だった」

 そう言って見せてくれた紙にはかなりの数字が連ねてあった。もう二十~三十回はやっているらしい。

「興味があるなら、今度、一緒にクレーをやりましょう」

「そうね、今度教えてね」

 また私の悪い癖が出た。会話の流れに任せて調子よく相手に合わせてしまう。社交辞令だったとしても、相手はそれ以上の意味を受け取ってしまうかもしれないのに。でもこんな場面で、いえ、結構です、と言えるだろうか。余計な思惑が紛れ込む会話は難しい。

 坂口美子はひそひそ声で私にささやいた。

「私は行かないからね。なんか松下くんとは相性が合わないの」

彼女は正直だ。その率直さを私も見習わなくてはいけないのかもしれない。


 桂木は他の女子と気安く話したりはしない。私一人だけを見ていてくれているようだ。けれど、私は他の男子たちから食事や遊びなどに誘われることも多く、その全部を断ってしまうのももったいないと思っていた。学生生活をもっと楽しまなくちゃと無理矢理思っていた。

 一対一ではないならちょっと誘いに乗ってみたりもした。グループで喫茶店でおしゃべりしたり、ビリヤードをしに行ったり、漫画喫茶を探検しに行ったり。恋に忙しい坂口美子はなかなか私と行動を共にする時間がもてなくなっていたので、男子のグループにたいてい私一人が誘われてしまう。

 私はそこそこ愛嬌を振りまき楽しく過ごすこともできたが、そのあと桂木に少し後ろめたい気持ちになってしまう。桂木が知ったら不愉快に思うはずだと、つい桂木に義理立てしたくなっている。こんな意識を持つという事はもう「付き合っている」のと同じことなのかもしれない。

 桂木とは別に恋人宣言して付き合っているわけではなく普通の友人だと思っていた。桂木一人に縛られている必要もない。桂木は、教室で私が男子たちと何気なく談笑しているのを見ていても、特に非難めいたことも言わず、会えばいつもどおり落ち着いて私に接してくれた。嫉妬のそぶりはまるで無かった。私が始終一人暮らしは淋しいと言っていたから、私を縛らないようにしてくれていたのかもしれない。

 その優しさが特別に貴いものだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 松下透に対して「今度クレー射撃を教えてね」と安易に言ってしまったこと。桂木は後ろの席で聞いてどう思っていただろう。


 韓国ではクーデター起きているらしかった。朝、電車でサラリーマンが新聞を広げているのを後ろから覗き見たら、朴大統領が暗殺された事が載っていた。国際政治的なことはよく分からないけれど、これはかなり重大な政変なのだろう。

 そういえば英米演劇の松原教授も数日前から韓国に行っていた。後で聞いたところによると、教授は正にこの政変に巻き込まれていたのだ。早稲田祭が終わって初めての授業で、教授自身の口からその事件について語られることになる。


 午後三時、歯科医院にアルバイトに行った。患者さんの数が増えてきているようで、待合室にはすでに五人ぐらい患者さんが待っていた。私は急いで着替えると、受付の仕事に入った。秀夫先生も院長先生も治療の最中で、私が席に着くと首を曲げてちょっと見てうなづいただけで、すぐに患者に向き直って身を屈めた。

 嵐の日の事が少し心の中にくすぶっていた。心配をかけていたかもしれないから、どのようにして帰ったかを一応報告しないといけないだろう。休憩の時にでも話そうと思っていた。しかし今日は常になく患者さんが次から次へと現れ、休憩の時間が全く取れなかった。

 院長先生が急に、

「火をつけて」

と私に向って怒鳴った。

 私はあわてて席を立ち院長先生の診察台に向かった。診察台についているガスの出し方が分からない。そもそもつけ方を教わっていない。渡された携帯のガスライターの火のつけ方も分からない。

 院長先生は、私がライターをあちこち試しているのをじりじりしながら横目で見て待っていたが、しまいには持っていた治療器具をガチャっと台に置くと、私からライターをひったくるようにして自分でガスに火をつけた。

「こうやるんだ。よく見ときなさい!」

初めて叱られた。診察室の中が殺気立っていた。


 最後の患者さんが帰った時はもう七時近くになっていた。院長先生は、今日は疲れた、と言って早々と二階に引き揚げていた。

 私は器具の後片づけをして、台についた水しぶきをティッシュで拭いたりしていた。

秀夫先生がレントゲン写真を整理しながら、ふと、

「あの嵐の日、どうした?」

と聞いてきた。

「あの日‥‥、線路を歩いて帰りました」

 秀夫先生が眉をひそめるようにして私を見た。その目はいつになく沈んだ暗い光を放っていた。

「あの日、電話がかかってきてから十分ぐらいして、野方に行ったんだよ」

「えっ、本当ですか?」

 手がピクッと震え、片付けようとして持ち上げかかった銀色の金属コップを受け皿に取り落とした。自動的にコップに再び水が注がれて、水が溢れそうになる。

「野方で探したんだ。電車の中も全部のぞいてみたんだけど、いなかったね?」

 秀夫先生はなおも私を見つめていた。その目は、一体どこにいたんだ、と尋ねていた。非難とも違う気遣うようなもの淋しい瞳。

「…私…電話をかけてから、駅には戻らなかったんです。近くの喫茶店とか…」

 声が小さくなった。何故が目が潤んだ。秀夫先生に顔を見られないように下を向いて、こぼれた水を拭いているふりをしていた。

「帰るの大変だったろう。確か電車が動いたの六時近かったよね。うちに寄ってくれればよかったのに。野方から近いんだし、遠慮しないでいいよ」

 沁みるように低い声が、胸に降り積もった。普段感情を全く表に出さない人だけれど、本当はとても優しい人であることは感じていた。でも今、その優しさを出さないで。感情が揺れる。

「あの日、線路を歩いて都立家政に着いた時、こちらへ寄ろうかと玄関のそばまで来たんです。でも私、あまりにびしょびしょで、ひどい格好だったし、診察室を汚してしまうと思って、寄らないで先を急いでしまいました。一言、お声掛けしていけばよかったですね。すみませんでした」

「そう。そんなこと気にしないで休んでいってくれてよかったんだよ。タオルとかも貸してあげれたし」

「はい」

 そう返事しながらも、いよいよ涙が零れ落ちそうで困っていた。

 秀夫先生はレントゲンを整理し終わっても、しばらく椅子から立ち上がらなかった。私は下を向いたまま、いつまでも台を拭いていた。

 片付けが済んで控え室で着替えるともう七時を過ぎていた。明かりも消され、FMのスイッチも切った診察室で、作動している殺菌機の紫がかった青白い光だけが、透明な音楽のように闇を満たしていた。

「遅くまでありがとう。また明日も頼むね」

 靴を履いて振り向くと、いつものように秀夫先生が玄関口に出てきてくれていた。もう白衣を脱いで、普通の白いポロシャツ姿になっている。薄暗い中で門灯に照らし出された顔は、よく表情が見えなかったけれど、わずかに陰のような微笑を浮かべているようだった。

「お疲れさまです。ありがとうございました。さよなら」

私はそう言って、いつもより深く頭を下げた。‥‥あの日、少しは私のことを心配してくれたのですか? 私を探し出せなくてがっかりしましたか?

 玄関を出てから、息を整えようと胸に手を当てた。胸につけてきたレモンの香水がうっすらと香った。









 


















 















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