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第13章  大学2年 冬休み前後

更新日:2023年11月13日


 片山孝二、中川誠、佐伯伸也、二階堂優らのグループが十二月に入って『Pan』という同人誌を発行した。私は、やっと本ができたことを喜び、早速片山孝二から本を買った。その同人誌は、三十~四十ページぐらいのA4判の冊子だった。いくつかの詩、シナリオと、安部公房を気取った小品から成っていた。暗い紺色の表紙には手書きで『Pan』の文字があり、その下に神話風のイラストが描いてある。



朝のリイル


とけ落ちる 陶器の朝を手にうけて

失うために のみほそうか


それとも 砕けちるもののために

うなずくことを ゆるそうか


やがて 青銅も斜いてゆく いま

失うことを ゆるそうか


あふれる空の水鐘に

ひとしく耳をうばわれて

流れることを ゆるそうか


そうして ふたたび 壊そうか

陶器の朝を手にうけて

ひそかな 虚構を くずそうか




祈り


何もないところに 落ちるものを あの

背ろ向きの太陽を おまえも見ていたのだ


そして 加速する日常に 欺され続けた時間よ

あれから おまえはどうしたのだ……


私は 日々の軌道につらぬかれて 死ぬことを

教わった‥‥‥そして目覚めることを

夜 私は 花弁の動きを 模倣する 白い腕に

一日の凋落を 希って‥‥‥


ああ‥‥‥


世の中を 開花の音が あふれてゆく

後退する日々と 起き上がる地球の あいだで

私は 忘れていた 過去の拡がりを 聞く



 編集後記には、こう書いてある。

「『Pan』は僕たちにとって、一つの部屋の様なものだ。僕たちはその部屋に、自分たち精一杯の力で、「作品」という家具を飾る。そして、この部屋には、確実に僕たちの匂いが滲み込みつつある。

 僕たちは、各々の時間を持っている。そしてその時間の中での、笑い、怒り、溜め息が一つの直線を創り、それぞれの方角から、この『Pan』という部屋へ延び、そして集中しているのだ。

 僕たちはこの部屋の中で、その上に大きく広がる文学という夜空と、そこで永遠の明るい光で輝く星たちのことをよく話す。彼らが如何にしてあの空へ駆け上がったか、彼らが地上で如何に愛したか、如何に生き、そして死んでいったか、それらあらゆる神話について。

 あの星たちのどの一つをとっても、僕たちの部屋からは気の遠くなる程の距離がある。だが僕たちは、この夜空に魅せられた青年たちだ。これが、僕たちのヒュレーである。

僕たちは絶えず、ふるえる心で上昇の志向を『Pan』に与える。    Pan同人一同」


 私は同年代の身近な青年たちの詩に初めて触れて、心の底からの感動を覚えた。詩という壊れやすい結晶の美しさ、深く鎮められた寂しさ、文学への強い憧れ。瑞々しい若さの持つ不安と柔軟。『Pan』の描く世界は、夜空に光る未知数の星への焦がれるような祈りでもあった。

 ある朝の通学時に『Pan』の同人の佐伯伸也に会った。彼は髪の毛が少し縮れていて、パーマをかけたようにふっくらと膨らんでいる。スポーツ選手のように背が高く体格がよくて圧倒されるような雰囲気があった。

「あ、おはよう」

「あ、おす! またこの寂しい道で会ったね」

理工学部から体育局に抜ける人通りの少ない道を、私たちはゆっくりゆっくり歩いた。

「『Pan』を読んでどう思った?」

 佐伯伸也がちょっと照れながらも真剣な目で聞いてきた。適切な感想を言いたいと思ったが、言葉がうまく思い浮かばない。

「どれもペンネームで書いてあるから佐伯君の詩、どれだかわからないけれど、最初の方の繊細なイメージの詩がそうかな? とても静かな、とても美しい詩だと思った。感覚が研ぎ澄まされていて、透明感がある。私、ああいう詩好きだよ。何回も読み返して、いいなあって思った」

「そうか。俺はさあ、十六歳ぐらいのときから詩を書き始めたんだ。これまでに三回ぐらい詩風が変ったかな。まだこれでいいとは思っちゃいないけど。二階堂の詩はどれか分かった?」

「二階堂君の詩は読んですぐに分かったよ。前、二階堂君の宿題のレポートを読ませてもらったことがあるんだけど、流れるような自在な言葉遣いが特徴だよね。詩とか小説とか自由な文学として何か書き始めるのだったら、きっとすごい才能を発揮すると思ってた」

「二階堂はおそらく俺たちの中では一番熱心だよ。文学に対する態度は生半可じゃないよ。

そのせいでトラブルも多いんだけどな」

「そうなの」


 二階堂優の痩せた頬を思い浮かべた。文章を書かせれば溢れるほどの天衣無縫の発想をする人だったが、性格はどちらかというとこだわりが強くひどく潔癖なところがあった。鼻が高いかなりの二枚目だった。

 私よりこの文学青年たちのグループと親交が深い坂口美子は、いつも二階堂優を心配していた。彼の生き方には自虐的なところがあった。太ることを極端に恐れ、ほとんど物を食べないらしい。神戸に住んでいるお母さんが息子を心配して、いろいろな食べ物を送ってくるのに、彼はほとんど手をつけないのだということを坂口美子から伝え聞いたことがある。

 二階堂優は大学卒業後、やはりものを食べられない症状で母親に促され半ば強制的に入院し、ほどなくして病院で自ら命を絶ってしまった。彼の手記には入院自体が苦しかったと書かれている。普通にアルバイトなどして外で生活していれば、気も紛れるだろうしこんなに苦しむ事はなかっただろうと。

 それは私自身のあの半年前の入院を思い出させた。私も強引に退院していなかったら、病院という狭い箱の中で本当に死に誘われていたかもしれない。彼もさっさと病院から抜け出せばよかった。しかし何かのしがらみ、何かのタイミングが、彼を病院に留まらせ、恐らく、そこで無限に立ち現れる黒い思考に飲み込まれてしまったのだろう。

 彼のご両親によって発行された遺稿集の中で、彼はこう書いている。

「僕は友だちは少ない方だが、その分、質では負けないつもりだ。早稲田大学に行ってから四年の間に三、四人は親しい友が出来たし、一、二年の頃は彼らと同人雑誌なども出していた。よく「三号雑誌」などと短命の雑誌を言うが、我が『Pan』は二号で終えてしまった。理由はというといろいろあるだろうが、要するに、皆のやりたいことが別々になってしまい、文学への打ち込み方も異なってしまったということだろう」

 佐伯伸也に後から聞いた。夏休みに四人で線香花火をして、誰が一番早く死ぬかを戯れに占ったことがあったそうだ。中川誠の線香花火が一番早く火玉が落ちてしまい、皆がはやし立てて笑っていたところ、二階堂優は厳しい顔で自分の線香花火の火玉をわざと揺すって落としたという。二階堂優の数年後の自死への流れはその時にできてしまったものかもしれない。


「うまい感想を言えなくてごめんね。もっとじっくり読んでみるね。この冊子ずっと大切にするからね」

「うん。ありがとう。あんまり印刷もよく無かっただろう? 読みにくくなかった?」

「大丈夫、ちゃんと読めたよ。でも一部印刷がかすれて読みにくいところもあったかな」

「今度は気をつけるよ。もっとも、今度があればだけどさ」

佐伯伸也が歩きながら言葉を繋いだ。

「君の事、仲間内ではKKって呼んでるんだぜ」

「KK? イニシャル? 私のことなんて話題になることがあるの?」

「うん。時々な」

「なんか怖いなあ」

「変なことは言わないよ。KKが俺たちの詩に興味持ってるらしいとか、KKも詩を書いてるらしいぜ、とか。今度機会があったら読ませてよ」

「わあ、佐伯君たちのあんな素敵な詩を読んだあとで、はい、これ読んで、なんて差し出せませんよ。恥ずかしくって」

「そのままの今のKKの詩を読んでみたいな。文学ってさ、普段隠している心の奥底にあるものを表現する手段じゃん。俺は、真面目に書かれたものならどんな作品も尊いと思うんだよ」

「そう、じゃあ、皆に見せられるものがあるか見直してみる。たいしたものじゃないから馬鹿にされちゃうかも」

「KKが書いたものなら誰も馬鹿になんかしないよ。KKはどこか詩のサークル入ってたりするの? 投稿とか」

「サークルは入ってない。投稿は高校の時から『詩学』とか『現代詩手帳』とか『ユリイカ』なんかに。一編も載ったことないけどね。とりあえず毎月投稿してたんだけど、受験のころやめちゃって。今も思い出したようにたまに投稿するけど、載る気が全然しない。自信なくしてるんだ」

「ふーん。すごいじゃん。『詩学』とか『現代詩手帳』なんて、載ってるのはほとんどプロみたいな人だからな」

「そうだね。私じゃ太刀打ちできないよ」

「いや、頑張って投稿するといいよ。じゃあ、KKの詩、いつか読ませてよね。俺らの詩の合評会にも来てみる?」

「あ、それは遠慮しとく。うまい感想言えないし、男子四人に女子一人はまずい。襲われちゃうじゃん。坂口さんでも一緒ならいいけどね。あははは」

「あっ、馬鹿、襲うわけないじゃん。でも女子は本能で警戒するんだろうな。そっか。変な心配しないで気が向いたら来てよ。二階堂の下宿、西武線の井荻だからKKの下宿から近いと思うんだよ」

「そうなんだ。でもやめとく。皆がどんな批評をし合うのか、すごく興味はあるんだけどね。じゃあ、また次の同人誌出たら教えてね。楽しみにしてる」

 私は自分の詩稿の中に佐伯らに見せられるものがあるかどうか、少し考えた。このところあれこれ言い訳を作って、しばらく詩作をしていなかった。私も新たな気持ちで本気で詩に取り組まなくてはいけない。今しか書けない詩を。



 二学期末も近づいて、本部では、広めな教室を使って「どんぞこ市」が開かれていた。学生生協の衣類や家電が安く売られている。授業の合間に坂口美子と誘い合わせて覗いてみることにした。

 本部の広場に近づくといまだに歎異抄研究会の部員たちに会ってしまわないかとついキョロキョロしてしまう。会ったとしても、もうお互い声を掛け合うことも無いのだろうが。この頃には吉川清彦のこともほとんど思い出すことはなくなっていた。

「私、テレビが欲しいんだ」

私がそう言うと、坂口美子がびっくりしたように目を見張る。

「えー? 今までテレビ無かったの?」

「うん。学問に燃えようと思ってたから、というのは嘘で、ラジオがあれば足りると思ってたんだ。だけど、夜とかテレビ無いと暇で暇で」

「そりゃそうよ。テレビは必需品よ」

 何個も入ったみかんが一袋九十円で売られている。その他にも電気釜やステレオ、一人用の冷蔵庫、アイロン、電気ストーブ、衣類などが売られていた。

尾口博史と須山勝彦も連れだって入って来て、私たちを見て、

「やっ、とーもだちー」

と言いながら笑って会場の奥へと入って行く。

何か安いの無いかなあと言い合いながら会場を回っていると、坂口美子が急に、

「あっ」

と小さい悲鳴を上げて、大きなステレオコンポの箱の陰に隠れた。

「何? どうしたの?」

私も慌てて彼女のそばに身を屈めた。

「上川さんがいるのよ。会いたくないの」

「そっかー」

私たちはしばらくステレオの箱の陰から様子をうかがってしゃがみながら、あちこち場所を移動した。上川氏が会場を出ていくのを見届けてから、やっと背を伸ばした。

「びっくりしたー」

「私の方がびっくりしたよ」

「ごめーん。でももう上川さんとは会わないことにしたから」

「そうなの。上川さん今度こそ諦めてくれそう?」

「時間はかかるだろうけどね。私も悪いと思ってるんだ。だけど、もう駄目」

坂口美子は憂いを含んだ眼差しながらも、きっぱりと言い放った。


 二学期最後の弓道の授業の日、射の実技テストがあった。雨がわずかに降っていたがこれぐらいならやるに違いない。弓道場に着くと早く来た者から順にテストは始まっていた。    

 鴻池雅也はもう終わっていたが、私が来るのを待っていたらしく、私が準備を始めるとそばに来て声をかけてくれた。

「思いっきり弓を引いてごらん。そうすれば絶対当たるよ」

「ありがとう」

しかし、そばで見ていられるとかえって緊張する。一本目は的をかすり、二本目は全然外れてしまった。

新開先生は、「よし」と言って何か名簿に書き込みをしている。

鴻池雅也は、眼鏡をかけた目に笑みを浮かべて、少し離れたところから私を見ていた。

「型はよくできていたよ」

そう言ってまた笑いかけた。

 そう、このぐらいの距離感、友だち関係でいさせてほしい。それ以上私に近づかないでいてくれれば、私も微笑んでいられる。

 弓道の授業では、鴻池の他にもう一人、異常なほど私をみつめてくる男子が一人いた。やせて小柄でおとなしそうな人で、友人たちとつるむでもなくいつも一人で静かに弓の順番を待っていた。

 その人はほとんどいつも私を見ていた。私は気にしないようにしていたが、ふと首をめぐらすとその人の視線が私に向けられている。あまりにもしばしば視線が合ってしまうので、私は困ったなと思いながらずっと何も気づかない風に無視していた。

 その人は文学部であるらしく文学部でもときたま出くわした。弓道場ではないところで会うと感じ方も変わる。私はいつしかその人に微笑みながら会釈をするようになっていた。その人も軽く会釈を返してくれた。私がその人の視線に反応したからといって馴れ馴れしく話しかけてくるということもなく、いつも平明な瞳をしていて落ち着いていた。私をみつめてくるというただその一点だけは気になったが、決して危険な感じはしなかった。

 体育祭で私が選手に選ばれてしまった時、

「選ばれましたね。頑張ってください」

と一度だけ声をかけてくれた。その時以外会話をしたことはない。

 出くわせば会釈をしあう。名前も知らない。一言も会話をしない。そんな関係を卒業まで続けた。その人がどのような思いで私を見ていたか。そんなことを私が勝手に想像するべきではないだろう。

 それでも、静かな視線だけの友人関係もあっていいのではないかと、私は思うのである。きつい孤独に悩む時、こんな遠くからの視線があるだけで、私はほっと安らげるような気持ちになれるのだ。

 しかし、それも私の感じ方一つでどうとでも変わる。たまたまその人はやさしげな視線を習慣的に投げかけてくれたから私も自然に受け入れることができたが、また別の人だったら、私は落ち着かない不安な気分になってしまっていたのかもしれない。

 弓道のテストが終わった後、弓道場の奥で待機していた老人が、道場の中央に進み出た。弓道の本を出版するために新たに射法の写真撮りをするのだそうだ。その老人は、室町時代の鎧を着ていた。片膝をついたりして変わった型で射っている。昔の武士の射法を再現したものだそうだ。鎧を着て弓を構えるとさすがに空気が引き締まり、戦国時代の映画の一シーンのようだ。老人はいかにも古武士の風格があった。

 その的はいつも練習の時に使っている物より一回り小さく、道場から見るとまるで掌ぐらいの大きさにしか見えない。

新開先生は、的を指差して言った。

「あの的の幅は平均的な人間の胴の幅と等しい。だからあの的に当たれば人間に当たる」

学生たちはそれを聞いて、一斉にどよめき、溜め息をつく。

「うわー、すげー、あんなに小さいの? 当たるわけないよ」

 新開先生の一言で、弓道が単なる体育実技ではなく実践的な武術であることに不意に気づかされた。

 老人の射法の撮影はほどなくして終わった。

 授業の時は随分前進して、しかも大きい的を狙っていたのだが、最後の授業ということもあって、皆で道場内からその小さい的を狙うことになった。

 ほとんどの者はかすりもしなかった。私も当てたいと思い、精一杯集中したが、やはり矢は見当違いの所に行ってしまった。

 近くで腕を組みながら見ていた人見先輩は、

「ねばったわりには全然違うところに行っちゃったね」

と、私に笑いかけた。


 もうあと僅かで今年の授業も終わりだ。その解放感に皆少し浮かれている。四限が終わった後、坂口美子と外の掲示板を見ていたら、『Pan』の同人の佐伯伸也と片山孝二に会った。

「まことちゃんは?」

坂口美子はいつも彼らと一緒にいる中川誠のことを尋ねる。

「あ、落とした」

 片山孝二が真面目な顔でそう言ったので、その答え方に皆で大笑いしてしまった。

 片山孝二は冗談を言いそうにない感じの人だった。いつも静かで、あまり騒いだりしない。思慮深い瞳をしていて、いかにも小説を書く人のような大人びた雰囲気があった。その彼が思いがけない面白い言葉を口にしたので、そこにいた私たちは虚を衝かれた感じに笑ってしまったのだった。

 中川誠は少し離れたとところで、テストの出題についての発表を写していた。

 片山らと別れた後、私と坂口美子、中川誠の三人で早稲田通りを歩いて帰った。夕方五時を過ぎた町はもうほとんど夜の暗さで、店々の明かりが眩しい。両側から建物が迫り出していて狭められて見える空が、大都会の明かりを反射してほのかに赤らんで見える。建物の間に見え隠れして、満月が低いところにぽっかりと出ていた。

「東京は町が明るいから、月が出ていても見落としてしまう」

私がそう言うと、中川誠は同意するようにこう言った。

「そうなんだ。田舎に旅行に行っていると、本当に星の光が明るくてすごくよく見えるんだ」

「そうかー。そう言えばそうだね。東京は明るすぎるから月が目立たないんだね」

坂口美子も新発見をしたように言う。

中川誠は調子に乗ってでたらめ話を始めた。

「関東にはもともと犬はいなかったんだぜ」

「それは、どうしていなかったのですか?」

坂口美子が先生に尋ねるようにすまして冗談めかしく言った。

「それは、関東には猫が多かったから、犬は入ってこれなかったんですよ」

「どうして猫が多かったのですか?」

「えーとですね。外国から船がやって来ると、その荷物の間にねずみが紛れ込んでいますよね。だから猫が集まってくるんですよ」

「猫がすごーく増えすぎちゃったらどうするんですか?」

「うーんとね。ええと、三味線の皮にしちゃったりして?

「わー。ひどーい」

 彼らの漫才の様な掛け合いを笑って聞きながら、それでも男女の友情はあり得ないのだろうかと心の片隅で考えていた。無邪気に裏も無く純粋にメンタルな。

 今、私たちの間にある友情、こんな友情がいつまでも穏やかに続くといいのにと思っていた。


 ヨガ哲学の聖典である「バガヴァッド・ギーター」にはこう書かれている。

「おまえの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。

 いかなる行動も、心を至高の主に据え付けて行え。結果に対する執着を放棄せよ。成功に際しても不成功に際しても、心を平等に保て。

 結果を心配しつつ成された行為は、そのような結果を心配せずに成された行為よりはるかに劣るものである。すなわち、自己放棄の平静さにおいて。

 おまえは定められた行為をなせ。行為は無為よりも優れているから。おまえが何も行わないなら、身体の維持すら成就しないであろう」


 生きるとは行為すること。人生は行為の連続によって成っている。行為の結果をいたずらに心配せず、今は前に進む時なのかもしれない。ともすると後ろ向きになりそうな心を奮い立たせて、授業が閉講していく冬休み前を過ごした。

 詩も真面目に書いていかなくてはならない。司法書士の勉強もそろそろはじめたい。どうにかして法学部の授業を聴講できないものだろうか。

 そして、健康のためにもっとできることはないか。

 私にはまだ正常な食欲が戻ってはいなかった。食べるという行為を楽しむことができないまま、ずっと義務の様な形で食べ物を口に運んでいた。もうこれ以上痩せたくはないし、もっと食べなくてはといつも思っていたが、私の胃はほんの少量しか受け付けなくなっていた。少食を周りの者に何度も指摘されているうちに、食べるという行為が強迫観念になってしまったのかもしれない。健やかな食欲が戻らないうちは、恐らく健康になったとは言えないのだろう。

 一度ひどく痛めつけてしまった細胞が再び憎悪するのではないかという恐れもいつも心の中にあった。三十歳まで生きられるのかなあと、時々ぼんやり思ったりする。はた目には普通に楽しく大学生活をエンジョイしている健康そうな二十歳の女子大生。しかし皆は私の心の中までは知らない。

 母が毎月送ってくれる病院の薬もまだやめられずにいたが、たぶん真面目に飲んでいてももう効力はない。私に今必要なのは、前向きに生に食らいついていく貪欲な活力なのだ。



 一か月前、東北線の中で偶然会った篠田哲から、東京に行くから会わないかと何度か電話がかかってきていた。文学の話をしたいとか恋愛の相談に乗ってほしいとか彼は言う。私はその都度口実をつけて断わっていたが、冬休みを前に一度ちゃんと会って話した方がいいのではないかと思い、日曜日に会う約束をした。

 風のひどく強い、よく晴れた日曜日だった。フェーン現象のせいか十二月なのに生温かい。私は待ち合わせの時間の午後二時まで、早稲田松竹でミア・ファローの『フォロー・ミー』という映画を見ていた。

 内容はこうだ。新婚の夫が妻の素行に疑いを持ち探偵をつける。探偵はその妻を尾行して一緒にロンドンの町を巡っていく。

 最初は隠れてついていっている探偵だったが、妻が決して浮気とか遊びとかで街を巡っているのではないと気づき、途中から自分の姿を隠しもせず、自分から名所を案内してあげるようになる。妻と探偵は一日を一緒に過ごし微笑みあいながらも、ずっと一定の距離を保ち、話しかけたりもしない。アイ・コンタクトだけで心を通じ合わせていく。そこにあるのは大人の友情だ。

 最後には夫は自分の誤解に気付き、夫妻は愛を取り戻す。その様子を微笑みながら眺めて去って行く探偵が少しもの悲しく印象的だった。挿入されるジョン・バリーのテーマソングもしみじみと美しい。


 西武新宿駅改札口で篠田哲は待っていた。黒っぽいジャンバーを着て、すりきれたジーンズを履いていた。ビル風の吹き荒れる中、寒そうに背を丸め壁に凭れかかっている。私の姿を認めると、にこっとして、照れくさそうにキョロキョロした。

「やあ、来てくれてありがとう。久し振りに女の子に会うと思うとドキドキしてしまう」

「早くから来てたの」

「いや、ちょっと前」

 二人でペペ(Pepe)の地下道サブナードへ降りて行った。ここは西武新宿駅に付属した8階ぐらいある高層ビルのショッピングモールで、カフェやレストラン、ファッションのお店などが多数入っている。


 日曜日の午後だけあって地下街はカップルや家族連れでごった返している。手近な喫茶店に入って、篠田哲と話をした。

「もう授業は無いんだけど、もう少し下宿で小説を書き進めてから年末に帰省するつもりなんだ。一日中誰とも会わないと、どんどん息が詰まってきちゃって。無性に君と会いたくなった」

「そう。下宿生活って、一日中ずっと一人でいるってこともあるからね。私も誰かと少しでも話したくて、胸の中がもやもやすることよくあるよ」

 彼の入っているサークルの話、早稲田祭の様子はどうだったか、英文科とはどういう勉強をするのか、千葉大のキャンパスは広いのかなど、当たり障りのないことを話して時間はゆるやかに過ぎていった。

 しかし三十分ぐらいたった頃だろうか、彼は急に、今日私に会ったのは私と付き合いたいということを伝えたかったからだと言い出した。

「今まで文芸部の女の子と付き合っていたことがあるんだけど、やっぱりうまくいかなくてね。文芸部の女の子っていうのは、口では偉そうに男女平等なんて言っているけど、その努力を全然していないんだ。それで僕に寄りかかってくる。僕も、こう、なんていうか、自分のタガが外れてしまいそうで恐い時がある。やっぱり人と付き合うには、相手に対する尊敬とか、啓発されるものが必要だと思うんだ。その点、君と話していると恋愛の話とか割とすんなり言えるような気がする。君みたいな理知的な人と話をしたいんだ」

どう答えていいのか困った。彼は私のことを買いかぶっている。

「‥‥私はちっとも理知的なんかじゃないよ。それに人と付き合うのに必ずしも尊敬は必要ないと思う。尊敬することと人を好きになることは全く別次元のものじゃないかな。人間はいつでも強いわけじゃないから、お互いがお互いを補うようにして寄りかかる時もあるかもしれない。私だって寄りかかりたい時もあって、結構それはもうたびたびだよ。私は、きっと篠田君が思っている様な人間じゃないよ。ちっとも強くなんてない。理知とか尊敬を求められても疲れてしまうと思うんだ」

「そうか。それは僕の言い方が悪かった」

 篠田哲は天井の方に目を彷徨わせて、言葉を探すように沈黙した。喫茶店の中は煙草の煙が充満していて息苦しい。タートルネックのセーターを着てきたせいで暖房もきつく感じて、私は自分の胸元をずっと押さえていた。

「それに東京と千葉じゃ、そうたびたび会うわけにもいかないし…私なんかよりももっと身近に話せる人がたくさんいるんじゃないの?」

「友だちはいるけど、だけど、果たしてこれが友だちかなって疑問に思う時がある。たとえば僕の友だちが何かあるとしょっちゅう僕の下宿に転がり込んできてグチグチ弱音を吐くんだ。最初の内は聞いてやってたけど、そんなことが度重なると、もうこれは甘えとしか言いようがない。僕はそういう奴は嫌いだ」

「でも心の底を見せ合えて初めて親友になれるんでしょ? 弱みを見せられないようじゃ本当の友だちじゃないよ」

「弱み? そんなもの見せるものじゃないよ。それは自分で解決してゆくものだ。自分の内部で燃焼させてエネルギーにしていくものじゃあないの? 僕は人に悩みを話すのは嫌いなんだ。甘ったれてるよ。悩みは人に話して解決できるものじゃない」

「そうかな。悩みを打ち明けたからって解決できないにしても、打ち明けるっていうのも解決のための一つの努力だと思うよ」

「それはそうなのかもしれないけど‥‥。とにかく僕は泣き言は嫌いだ。僕は今、ドストエフスキーを読んでるんだ。ある本の中に『正義を求める人は恋愛なんか見向きもしない』ってあってね、僕は自己嫌悪に陥ったよ。恋愛なんかで悩みたくはないんだ。でも、この前、東北線の電車で偶然君に会って、あれから君の事が頭から離れなくなってしまったんだ。どうしてももう一度会いたくなった。これでも随分悩んだんだよ。確かに距離的な問題はあるけど、近くても遠くても会いたいと思ったら会いにゆくものだろう?」

彼は両方の掌で水の入ったコップを包むようにして、少しうつむいて、私の返事を待った。

「気持ちは嬉しいけど‥‥でも、大学でも付き合っている人がいるし‥‥」

「だったら、僕をそのうちの一人にしてほしい」

「そういうわけにもいかないと思う。付き合ってる人にも、篠田君にも私は不誠実になってしまう。篠田君とはお付き合いはできないよ」

しばらく二人で黙って考え込んだ。

 その後喫茶店を出て、「Pepe」の中を少し歩いた。「Pepe」はもうクリスマスの装いをしていて、レストランの入り口には、大きなクリスマスツリーが飾ってあった。きらびやかに点滅するイルミネーションが美しかったのでしばらく立ち止まって二人で見ていた。

「僕が今書いている小説の中に、君のイメージを借りた女性が出て来るんだ。名前も恵子っていって、すごくいい女なんだ。小説の中でなら君を僕の思い通りに動かしてもかまわないだろう?」

「ああ、いいけど。‥‥淫らな女性にしないでよ」

篠田哲は目を細めて口を大きく開けると「はっ」と短く笑った。

「もちろんだよ。君はそんな人じゃないよ。君はどっちかというと男性に簡単に体許さない人でしょう?」

彼はすぐに真面目な顔になって私の顔を覗き込むようにした。

「さあ、どうかな」

私は彼の視線を避けるように顔をそむけた。

「中学の頃から、君は何か他の女の子とは違ってたよ。超然としてるっていうか。女の子ってさあ、すぐグループ作ってトイレとかつるんで行くじゃん。君が誰かとつるんでるの見たことないよ。ちょっと冷たいぐらいに人を寄せ付けないところがあったよ」

「単に友だちがあんまりいなかっただけだよ。別に友だちなんか欲しくもなかったし。私、家では反抗期があまり無かったけど、学校で先生に対してめちゃくちゃ反抗期を発揮してたから。先生と戦うことに必死で、周りの友だちのことはあんまり見えてなかったんだと思う」

「電車で君に会った時、中学の時に比べて随分変わったなあって思ったんだよ。変に女っぽくなくて、さばさばして中性的な感じがする時と、すごく寂しそうな女の子の目をする時が妙に対照的でね。言われたことない? 微笑み方が寂し気だって」

生き方の自信の無さを指摘されたように思って、はっとした。

「何とも言えない微笑みだって言われたことはある。それって、どういう感じなの? 自分ではよく分からない」

「君の微笑みは、なんていうか、はかなげって言うか、寂し気って言うか‥‥。なんか説明するのが難しいな。でもすごく魅力的なのは確かだ。君に微笑みかけられて有頂天になった男とかいっぱいいるんじゃないの?」

「わあ、褒められちゃった? 自分で自分の表情を見られないから、私、人からどう思われてるのか不安な時があるの。寂し気に見られてるのなら、もっとしっかり自信のある生き方をしなくちゃって思う」

「君は強い人だと思うよ。一人でも全然平気でしょ? 女の子では珍しいよ。僕は、中学の時、君に和同開珎をあげた時から、君の事が気になってたんだ。和同開珎をずっと持っててくれたって分かって、君とずっとつながっていたような気がして嬉しかった」

 『Pepe』から外に出て二人であてどなく歩いた。新宿の町はもう暮れかかっていて、遠くの空に残照の色がわずかに残っているばかりだ。私たちは色とりどりのネオンの下を人波に押されるようにして黙って歩いた。

 歩道橋を上がり、高層ビルの方に篠田哲は足を向けた。まだ強風は止まず、歩道橋の上に立っているとビル風が巻き上がってゆく。日曜日のビル街は、人気も無く明かりもほとんど無かった。高層ビルの間に立って上を見上げると、人造物とは思えない程の圧倒的な容量をもってビルは高く聳えていた。

「友だちとして付き合うっていうんならいいだろう?」

「友だちだなんて、信じない。曖昧なままにお付き合いを始めたくないの」

「こうやっていろいろ話をしたりすることに、どうしてそんなにこだわるのさ」

「友だちとしてっていうのは都合のいい言葉だけど‥‥裏切られたことがあったから‥‥」

「僕もそういう人間だと思う?」

「それは‥‥違うと思うけど‥‥だけど今は軽はずみに男の人とお付き合いをはじめたくない気分なの」

 私は暗くて危険な新宿の町で、意識的に駅らしいものを探して歩いた。彼は半ば上の空で、付き合ってほしいとばかり繰り返していた。

 やっとのことで西武新宿駅に辿り着いて、私はもう一度、今は誰とも付き合うつもりは無いことを言った。彼は真剣な顔で私を引き止め、なかなか帰してくれそうになかった。私は途方に暮れてしまい、最終的な妥協をした。

「友だちということを絶対に守れるのなら、時々会ってお話しましょう」

彼はほっとしたように笑った。

「よかった。今日東京に出て来た甲斐があった。いつでもそういう風に理知的でいてくれよ。僕は‥‥そうだな『赤頭巾ちゃん気をつけて』の薫くんと由美さんみたいな交際を望んでるんだ」

 『赤頭巾』‥‥、小学校か中学校の時、兄の本棚にあったものを借りて読んだだけだったので、もうだいぶ忘れてしまっている。ちゃんと思い出すには、私はもう疲れすぎてしまっていた。そばに佇む彼に、私は黙って彼の言う『寂し気な』微笑みをしてみせる。

「さっきはごめん。自分勝手なことばかり言ってしまった。つい強がってしまって。今度会う時は君の詩を読ませてほしい。もっと文学について話をしたい」

「じゃあ、篠田君の小説も、いつか読ませてね」

 篠田哲と会ったのはやはり間違っていたかもしれない。また面倒な恋愛感情に巻き込まれてしまった。しかしこれらの経験もまた、私の「行為」の記憶の中に取り込まれていくのだろう。下宿に帰ってほっと一息をつく。夜の新宿は危険な町だ。何事も無く無事に下宿に帰りつけただけでもよかった。

 私個人に向けられた強い感情に、一人で対処していくのは不安だったが、篠田哲が千葉に住んでいて、そうは東京には出てこられないだろうということが、少しは不安を宥める慰めにはなった。



 翌日はもう今年最後の語学の授業だった。坂口美子は冬休みに入ったらすぐに帰省する予定で、妹へのお土産にと言って生協で大隈講堂のマークの入ったノートを二冊買っていた。

 106教室の横の狭い通路を通って、スロープの方に降りかけた所で、中川誠に出会った。

坂口美子が、

「よいお年を!」

と呼びかけると、中川誠はにやりと笑い、

「よい一生を!」

と返した。

「こら!」

 坂口美子は愉快そうに中川誠を見送った。そのすぐ後を桂木隆司がゆっくりとスロープを上がってきた。坂口美子は、ちょん、と私を小突いたが、私も彼もちょっと会釈しただけで通り過ぎた。

「いいの? 何も言ってあげなくて」

「いいの、いいの。またすぐに会う約束してるんだから」

「なーんだ、そうなのか。うまくいってる?」

「まあね。でも私、高校が女子高だったじゃない。男子と付き合うルールが分んなくて、いろいろと探り探りだよ。」

「そう、でもうまくいってるならよかった。小島さんて慎重だから、こういうお付き合いに戸惑っているんじゃないかとちょっと心配だったんだ。何かあったら私にも相談してね」

「うん。ありがとう」

坂口美子と別れると、掲示板の所にいた松下透が寄って来た。

「安達も君の事、つげ義春の『紅い花』に出てくる女の子にすっごく似てるって言ってたよ。ああいう髪型をして、着物を着せたら、ほんとそっくりだねって」

「そうかな。私ってああいう感じなのかな」

 安達望は、また私を自分好みに着せ替えして想像しているのだろうかと思って、ちょっと苦笑した。『紅い花』は初潮を迎えた女の子のセンシティブな表現があるので、私としては似ていると言われても微妙だ。

 安達望とは、あの日からできるだけ距離を置こうとしている。年明けのグリークラブのコンサートに誘われたが、用事があるからと言ってチケットを買わなかった。

 松下透は、このあと暇?と聞いてきたが、桂木隆司との待ち合わせがあったので、

「用事あるの。じゃあ、よいお年を」と言ってすぐに別れた。


 授業の後、桂木隆司と穴八幡のベンチで待ち合わせて話をした。もう木々はほとんど葉を落とし、空が透けていつもより明るく思えた。小春日和の暖かい午後だ。

 私は、昨日、篠田哲と新宿の町を話がこじれたままにさまよったことを打ち明けた。

「夜に新宿を歩いたなんて、すっごく危なかったな。あの辺はちょっとでも迷ったような顔してると変なのにつかまっちゃうから」

彼は心配そうに、大きな目で私を見た。

「それで、その千葉大の奴は納得したのか? いろんな奴と付き合っていいとは言ったけど、やっぱり危険なところは行くなよ。おまえのやることは、どっか危なっかしいんだよな。いつでも俺がついてってやれればいいんだけどな」

「別についてきてくれてもいいけど、でも桂木くん、そんなに暇じゃないでしょ?」

「だっておまえは一人で行動するのが好きなんだろう? 俺がおまえの行くところを指図したらきっと怒るだろう」

「そうだね。自分で考えて自分で行動したい。一人の方が自由に動けていいこともあるよ」

「それ、それ。それが俺を失望させる」

「えー? 何で?」

「鈍感な女だよ、おまえは」

「だって、一人でもちゃんと生きていけるようじゃないと駄目じゃん。そんな簡単に人を頼りたく無い」

「うーん、ま、いいか」

彼はつぶやくように言った。

「おまえはいつも下宿で一人でいて、寂しいんだよな。俺がもっとその寂しさを埋めてあげられればいいんだけどさ。おまえはおまえで妙に警戒するしさ。別に変なことをするっていうんじゃなくて、慈しみたい、っていう気持ちがあるだろうが。いつまでも一人で突っ張ってるんじゃないぞ。俺の事をもっと頼れよ」

「‥‥うん。だけど、頼り始めたらどんどん弱くなっちゃいそうでさ」

「その時は素直に弱くなればいいじゃないか。情けないなんて思わないさ。俺だって将来の事を考えたら不安でたまらなくなることもあるよ。おまえに頼られるような人間じゃないってことも分かってるよ。だけど頼って欲しい時もある」

「うん‥‥」

「冬休みだって本当はすぐには帰省しないで欲しいんだ。一か月ぐらいだけどさ。長すぎるぜ。どう過ごしたらいいのか途方に暮れちゃうよ。だからわざわざきついバイト選んだんだ」

 優しい人だ。親身になって心配してくれている。けれど私は子ども時代を過ぎたあたりから、人に助けを求められない人間になっていたのだ。助けて、と言ってすがり寄れない。すがり方が分からない。全然強くないくせに、強くない自分は見せちゃいけないような気がしていた。中学・高校時代、受験期を、いつもポーカーフェイスでしのいできた。だから大学一年の時に精神的な苦しみを負った時も、坂口美子に相談できなかったのだ。

 今、桂木の優しい言葉に触れて、もうそんな強がりを捨ててもいいのだろうかと思った。すがりついて泣いてもいいのだろうか。怖かった、不安だった、つらかった、そんな弱い言葉を彼に投げつけてもいいのだろうか。まだ私は彼にすべてをさらけ出せてはいない。すべてを彼に委ねることができたら、どんなに楽になるだろう。

 その後もずっと取り止めのない話をして夕方まで一緒にいた。映画の話とか、家族の話とか、宿題のレポートの話とか、読んだ本の話とか。もう今まで随分いろいろな話をしてきた。恐らくまだ愛情の深みに足を取られてもいず、清らかな泉のほとりで語り合う幻想を持ち合って。しかし心のどこかでその幻想が人間的な欲求に打ち負かされようとしているのを感じていた。


 帰省前の最後のアルバイトで、院長先生は私の父がお酒を飲むかどうかを尋ねてきた。

「お付き合いで少し飲むぐらいで、家では全然飲まないです」

「そうか、お歳暮にウィスキーでもと思ったんだが…」

 怖いと思っていた院長先生も、私に対して少しずつ好意的な態度を示してくれるようになっていた。自炊生活で大変だろうからと、わざわざ高そうな刺身を買ってもたせてくれたり、柿やみかんや石けん、中国茶などをこまめにくれたりした。相変わらず会話はかみ合わなかったが、私なりに気を使ってうなづいたり合槌を打ったりなどの返事は返していた。ゴルフと麻雀はプロ級の腕前だそうで、いつもしきりに自慢していた。

 その日、男の子の歯を抜くのに院長先生がさんざんてこずっていた。男の子は痛がって泣き騒いでいるし、院長先生は怖い顔をして、

「もうちょっとなんだから、我慢しなさい!」

と、叱るように言っているしで、診察室の中が緊張し殺気立っていた。待合室で待っている他の子どもたちも、怯えたような顔をして窓口からそうっと覗き込んでいる。秀夫先生も時々治療の手を止めてちらちらと気になるような視線を投げかけている。

 私は見て見ぬ振りもできずそばに駆け寄り、

「もうちょっとだよ、あと少しで終わるよ」

などと励まし励まし男の子のそばにしゃがみこんだ。

 院長先生はなかなか抜けない歯を力ずくで引っ張っている。そのたびに男の子は悲鳴を上げる。私の方がいたたまれなかった。ギシギシという歯の根元のきしみすら聞こえてくるような気がして、早く終わらせてあげて欲しいと、そればかりを考えていた。

しばらくして院長先生は「うむ」という唸るような声を上げた。

「やった! 抜けたよ!」

 院長先生はペンチのようなものではさんだ抜けた歯を振りかざして、皆に見えるようにした。

「見てごらん。こーんなに根っこが長かったんだよ。どうりでなかなか抜けないわけだよ」

 確かにその歯にはしっかり二本の大きな根っこがついていた。男の子はまだひくひく泣いている。

「痛かったねー。でももう終わったんだよ。よく頑張ったね」

 私はできるだけ優しい声で男の子を慰めたが、よほどショックが大きかったのか、男の子はなかなか泣き止まなかった。

 まだ小学校低学年ぐらいだが、お母さんらしき人はおらず、一人で抜歯に来たらしい。または急遽抜歯になったのかもしれない。麻酔がよく効かなかったのかどうかは分からないが、ともかくひどい痛みと恐怖をがんばって一人で耐えた勇敢な子だ。思いがけずひどい難産になってしまったので、これがトラウマにならなければいいがと思った。

 院長先生は、血の付いた歯をぬっと私の目の前に突き出した。

「ほーら、見てごらん、この根っこ。これじゃあ大変なわけだ。こんなすごい根っこは珍しいんだよ。よく見といて」

「‥ああ、本当に、しっかりした根っこですね」

 院長先生が命令以外で声をかけてくるのはめったにない事だった。院長先生自体、抜歯にてこずってしまったことへの気まずさがあったのだろう。しかし血まみれの歯を見せられても、私は「うわあ」と思うばかりでどうしようもない。

 この歯科医院にアルバイトに入って三か月。少しずつでもスタッフとして認めてもらえているのだろうか。まだセメント練りも上手に出来ないし、局所レントゲンの現像も覚えたばかりだ。私のような素人ではなく、ちゃんとした資格を持った歯科衛生士がやるべき仕事なのではないかといつも思っていた。

 秀夫先生は、君がいてくれて助かる、などとは言ってくれないし、まして院長先生は叱ったり命令したりばかりである。私の存在は彼らにとってどのようなものなのだろうか。いついなくなっても大して気にも留められない存在なのだろうか。もっと私が必要なのだということを感じさせてほしい。

 知子さんが希美ちゃんのお迎えが済むと、白衣に着替えて診察室に手持ち無沙汰に立っていることもあり、私は知子さんの仕事を取ってしまっているのではないかとちょっと気にもなっていた。

「来年は? 一月から来られるよね」

院長先生が休憩の合間に尋ねてきた。

「はい。大学は一月七日から始まりますので、その週から来れます。来年もまたお世話になってもいいでしょうか。知子さんがまたこちらのお仕事に戻られるようでしたら、そう言っていただければ‥‥」

 院長先生と秀夫先生は同時に驚いたような顔をして私の顔を見た。私は何か変なことを言ってしまったのだろうか。

「いやいや、そんなに忙しくはないからね。心配しなくて大丈夫」

 院長先生は怒ったような顔のまま目をそらしながら言った。秀夫先生は私に向ってかすかにうなづくと、黙ってゴルフのクラブを磨きはじめた。

 その冷たいぐらい静かな休憩時間。FMラジオのDJがリクエストの葉書を読み上げる低い声。どこかで電源がカチッと小さな音をさせて切れる。電車が通り過ぎる響きが足の裏に伝わってくる。時々院長先生が秀夫先生にゴルフの話をしたりするが、それもすぐに途切れてしまう。

 私はいつでも部外者であるような気がしていた。フカフカのクッションに凭れてお茶を飲みながら、黙って静かに存在を消しているばかりだった。

 その日のアルバイト料は、ボーナス込みで五千円だった。単なるアルバイトなのだからボーナスをくれるだけでも有難いと思わなくてはならないだろう。帰り際、休憩室に顔を出した知子さんが、秀夫先生に声をかけた。

「秀夫、テーブルの上のみかんを小島さんにいくつかあげて」

「ああ」

ソファーに座っていた秀夫先生はみかんに手を伸ばすと、二つ取って私に差し出した。

「二つなんて…せめて三つにしなさいよ」

知子さんは顔をしかめてなじるように言う。

「あ、そうか」

 秀夫先生は照れ笑いをすると、みかんをもう一つ足して、私の掌の上に乗せた。私がクスッと笑っているのを見て、秀夫先生もいつになく愉快そうな笑顔になった。

「もっと持っていく?」

「いえ、これで大丈夫です。ありがとうございます」

 大人っぽいと思っていた秀夫先生が、姉の一言で急に弟の顔になった。もっといろいろな表情を見せてほしい。歯科医の顔だけでなく、遊んでいる時の顔、何かに夢中になっている時の顔、喜んでいる顔、びっくりしている顔。完成された大人の顔だけじゃなく、先生の少年の時の無邪気な顔も見たかったなと思っていた。


 下宿の一人用の冷蔵庫はすぐに製氷機に霜がついてしまうので、長い帰省前はその処理が大変だ。電源を切って大学に行き、帰ってきたら霜が溶けて受け皿から溢れた水が畳の上にこぼれて大きな染みを作っていたこともあった。以前バケツの水を畳にこぼしてしまい、乾かすのに大家さんに大変な迷惑をかけたことがあったので、小さな染みでも神経質になってしまう。

 日本女子大は二十日まで授業があるそうで、清田桃子は早稲田が早々と冬休みに入ったことを羨ましがっていた。しかし、休みに何をやるかちゃんと決まっていない身には、無為に陥る長い休暇はかえって負担だ。


 明日に帰省を控え桂木と最後に新江戸川公園で会って少し話したりした後、高田馬場駅で別れた。

 桂木と会っていると、このごろドキドキする。嫌われたくないと思っていつも自分のしぐさを振り返ってばかりいる。自分の返答はおかしくなかっただろうかとか。馬鹿話で盛り上がっている時はいいが、真面目な話になると桂木の心を推し測りたくて言葉少なになってしまう。本当のところ、私のことをどう思っているのか。今のままの私で桂木は満足してくれているのか。

 冬休みでしばらく会えなくなるので、桂木も少し沈んでいるようだった。

「おまえが帰省してしまうと思うと、落ち込むよ」

「うん‥‥。少し早めに戻ってくるよ。手紙書くね。じゃ、よいお年を。アルバイト気を付けてね」

 桂木と別れた後、西武線に乗り、午後三時ごろ上石神井に着いた。

 うつむいてどことなく元気を失って去って行った後ろ姿の桂木が気になっていた。気持ちが沈んでいるのは桂木ばかりではない、私もだ。年末になると日暮れが早くなり四時過ぎには薄暗くなってきてしまう。ただそれだけで私も気持ちがガクッと落ち込んでしまうのだ。それはただの落ち込みとは違う、身震いをして目がかすんでくるような特殊な不安だった。

 実家の母は、長期の休みに入ったら娘は当然のようにさっさと実家に帰ってくるものだと思っている。その意に反しずっと帰らなかったら、娘は東京で授業も無いのに一体何をしているのだと不安に駆られ何度も電話してくるだろう。泣いたりもする。それも私は怖かった。

 もし、桂木とずっと一日中一緒にいることができてあちこち出かけ回ることもできたなら、母の思惑など放り投げて帰省などしなかったかもしれない。しかし桂木にも自分の生活がある。アルバイトも入れてしまっている。

 そして私は、大学の友人とも会えず桂木とも会えない一人の時間を東京でどうつぶせばいいのか、その孤独感を思うとどうにも東京にいられない気分になり、必然的に宇都宮に帰ることを選ぶしかなくなるのだ。

 桂木の存在はまだ完全には帰省に対する抑止力には成り得てはいなかった。ただの友だちだから‥‥私の諸々の問題を背負わせてはいけないと思っていた。


 西友ストアで買い物をして店を出ようとしていたら、同じくらいにちょうど買い物を終えて出て来た畑中正則と出会った。畑中は確か西武新宿線の中井に住んでいるはずだ。

「あ、畑中君。なんで? こんなところで会うなんてめずらしい」

「やあ、こんにちは、そうか小島さん、上石神井に住んでたんだっけ」

畑中はびっくりした顔をした後、親し気な笑顔になった。私も思いがけないところで畑中に会えた嬉しさで声が弾んだ。

「うん、あっちの上石神井中学の向こうの方。畑中君は? どうしたの?」

「寺井が風邪ひいて高熱出して寝込んでるっていうんで、ちょっと差し入れ持ってお見舞いに。線路渡って向こう側のアパートなんだ」

「あ、そうなんだ。それは大変だね。寺井君、熱下がるといいね。私、寺井くんがこんな近くに住んでるって知らなかった」

「最近引っ越したって言ってた。割とここから近く」

「ふうん。それじゃあ、途中まで一緒に行ってあげるよ」

「いいの? これから帰るんじゃないの?」

「下宿に帰ったって特に用事ないし」

 そうして私たちはゆっくりと並んで歩き出した。畑中は飲み物やパンやお弁当類の入った大きめのビニール袋をぶら下げて時々重そうに持ち替えていた。

「一人暮らしで熱出すと心細いよね」

「そうだよな。看病してくれる人もいないしね」

「畑中君、看病しに行くなんてやさしい」

「こういうのってお互い様だからね。僕だって助けてもらうことがあるかもしれない」

「そうは言ってもなかなかできることじゃないよ」

「ははっ、めずらしく高熱が出ちゃったって言ってへろへろで電話かけてきたから。寺井に彼女でもいれば彼女に来てもらった方がうれしいんだろうけど」

「あはは。それはそうかもね。でもほんとは寺井君、彼女いたりするんじゃないの?」

「いや、それは断じてない」

「あ、断言しちゃった?! 寺井君かわいそう」

私がおかしそうに笑うと、畑中も一緒にこらえるように下を向いて笑った。

「‥‥私っていつも淋しくって孤独がつらいから、今日、寺井君が近くに住んでるって分かって、ちょっと心強く思ったよ。別に訪ねて行ったりは絶対しないんだけど、近くに知ってる人がいるっていうだけで少し安心できるっていうか」

「うん。わかる」

「私って八方美人だよね。男子も女子も関係なしに友だちになってくれる人を求めちゃうの。一人になるのが怖いんだよ」

「‥‥小島さんて、おとなしい人かと思っていたけど、話してみると結構気さくで話しやすいよね。友だちもいっぱいいるんでしょ? 楽しくにぎやかにやってるのかと思ってた」

畑中はそう言って真面目な顔を私に向けた。私はちょっと微笑み返し、うつむいた。

「全然だめなんだよ。一人暮らし、向いてない。年中落ち込んでる」

「そう、分かるような気がするよ。僕も鹿児島から出て来てるから、孤独に関してすごく分かる」

「そうか、鹿児島だったね。遠いね」

「孤独に対抗するためにはやっぱり友だちは多い方がいいね」

「そうだよね。じゃ、八方美人のままでいいかな?」

「いいと思うよ。もっと楽に生きた方がいい。人格改造するって言ってたじゃない。悩んでいないでもっと自分を開放した方がいい」

「そう? ふふっ。じゃ、そうする。心理学専攻の人に何か心理分析されてる気分」

「分析できるほど知識があればいいんだけど。僕でよかったらいろいろ相談にのるよ」

「わあ、ありがとう。心強い」

 畑中は、少しはにかんだような顔で私に微笑みかけた。

 彼は私が桂木と付き合っていることに気づいているだろうか。私にもまだ判断のつかない桂木への感情。

 畑中のことは友人として最大限大切に思っていた。やさしくおっとりとして絶対に人を傷つけない感じのする人だ。肩幅が広くて地に足がついているような安定感がある。いつも落ち着いたまなざしをしている。やはり「スーパーマン」のクリストファー・リーブにどことなく似ている。

 でも西城や安達とのことを思うと、男子との付き合い方には十分な警戒と配慮が必要だ。畑中とは妙に感情をこじれさせずに本当にいい友だちでいたかった。

「畑中君って、方言無いよね。こっちに来て鹿児島弁とか、あまり使わないでいられる?」

「実家にいるときは、少しは鹿児島弁出るけど東京では使わないな」

「私は家が宇都宮だから、なんとなく栃木弁が出ちゃう。イントネーションがおかしかったりするでしょう? ちょっとコンプレックスなんだ」

「ああ、ちょっとだけイントネーションが違うところもあるけど、全然気にならない程度だよ」

「家では「だっぺ」とか普通に使っちゃったりするよ」

「ははは、小島さんが、だっぺとか言ってると思うと、なんかギャップがあって面白いよ」

「そう? ははは。じゃ、もっと使っちゃおうかな。栃木弁じゃね「後ろ」のことを「うら」って言うの、だから「うらの黒板」とか皆言ってた。よく考えると変よね。イライラすることは「いじやける」、疲れるは「こわい」、怖いは「おっかない」とか言うの」

「方言も研究すると面白いよね。鹿児島弁では、お疲れさまは「おやっとさあ」とか、いらっしゃいませは「おじゃったもんせ」とか言う。あとね‥‥」

畑中は思いつく限りの鹿児島弁を教えてくれた。笑い合って愉快な時間だった。

「暇な時って何してるの?」

「そうだな。寺井がテニスにはまってるから、よくテニスしに行くよ。あと早稲田松竹で映画見たりかな」

「テニスと映画かあ。スポーツできるといいね。私は運動音痴で全然だめ」

 年も押し詰まった冬枯れの住宅地。人家の垣根に赤いさざんかの花が鮮やかに咲きそろっていた。畑中の歩調はのんびりしていて、それは彼のおっとりとした落ち着いた性格を正確に表していた。やっぱりおとうさんみたいに安定感がある。

 夕刻が近づいて吹く風が少し冷たかった。あたりはだいぶ薄暗くなってきていた。

畑中は、

「寺井のアパートはあの青い屋根の家の先を曲がったところだよ」

と少し先の方を指差した。

 表向き、明るく楽しく振る舞うことなんていくらでもできる。けれど、私は自分の心の中に真っ暗な洞穴のような負の部分があることを感じていて、それを人に知られたくはなかった。

 畑中には、私は社交的で明るい人、そう思っていて欲しかった。彼の前ではとうとう気取りの仮面を外すことはできなかった。

 寂しい、落ち込んでる、そんな生半可な誰でも感じるような感情ではないもっと深い暗さ。その本質的な暗さを打ち明けることができたのは桂木だけだった。桂木もまた隠さずに自分の弱さを私にさらけだしてくれた。だから魂深く寄り添い会えたのだ。

 畑中はいい人だ。彼には分かりやすく明るい女の子が似合う。そのまま分かりやすく明るい道を行ってほしい。心の端っこであっても、くれぐれも私に寄り道しないように‥‥。私の明るさは演技なのだから‥‥。

 そもそも畑中とこんな散策のようなことをしてしまった時点で間違っている。帰省を前にして桂木と別れたばかりだったし寂しかったからつい私から寄っていってしまった。この散策と会話が、畑中に対しての思わせぶりになってしまっていなければいいが。

 心の奥でそんなことを考えながら、他愛ない話に興じ合い、住宅地を歩いていくうちに寺井のアパートに着いた。普通の小さな二階建てのアパートだった。 

「あ、ここだよ。寄ってく」

「いえいえ、寄るのはちょっと。ここでさよならするよ。寺井君にお大事にって伝えといて」

「そう、わかった。じゃ、ここで。来てくれてありがとう」

「うん、お話できて楽しかった。さよなら。じゃ、よいお年を」

「よいお年を」

 畑中はにっこり笑って手を振り、小さな門灯のついたアパートの外階段を上っていった。


 冬休みは大体家で過ごしていた。クリスマス・イブも誰に会うでもなく兄とデパートで買って来たケーキやチキンを家で食べるだけだった。テレビに映し出された東京のクリスマス風景を見て、母は、

「東京でアルバイトでもやっていたかったんじゃないの?」

と、何気なく私に聞いた。聞いてくれたとはいえ、それは別に帰省しなくてもよかったのにという意味ではない。帰省しないという選択肢など許されるはずもなかった。

 母の問いに肯定も否定もできずに私は、「ははっ」と笑った。確かに東京で年末の短期アルバイトでもいいから、一日中体を動かせるアルバイトでもしていればこの閉塞的な気分から逃れることもできただろう。東京にいれば少しだけでも桂木隆司と会える。でも一人で過ごさなくてはならない圧倒的な時間を思うと、やはり帰省せずにはいられなかった。

 母は帰省を楽しんでいない私にとっくに気付いていたが、母は母なりの病理で私が家に戻ってくることを強く望んでいた。相互の苦しい利害が一致して、私は宇都宮に致し方なく体を置いているといった状況だった。


 兄とも時々ドライブに出かけた。景色の良いところをみつけて兄のお見合い用のスナップ写真を撮ってあげたりもした。兄も人生に迷走していたのだ。そういえば兄は学生時代、恋人はいたのだろうか。大学の長期の休み中に女性から宇都宮の兄に向けての手紙が来ていることはあったようだが。

 兄は大学浪人時代、長野の高校生の女性と文通をしていた。しかし何通目かで母がこっそりその女性の手紙を隠してしまっていたようで、その文通も途絶えてしまっていた。「浪人中に女性に気を取られてはならないと思って」と、母は後で兄に謝って箪笥に隠していた沢山の手紙を取り出したが、兄は弱く微笑んで「そう」と言っただけだった。

 そういえば私も浪人中、大学に受かったらやってみたい通信教育とかマイコン制作のカタログなどの資料請求をしていたことがあったが、毎日ポストを覗いたが届かなかった、それも母の仕業だった。

 母にはそんな過剰に心配性なところがあった。我が子の学業に差し支えるものは何でも勝手に排除してしまう。

 それに母には感情や思いつきに任せて人の人格を否定するような言葉を次々と繰り出してしまうような所があった。父や兄や私や、ご近所の人に対しても。それによってご近所とのトラブルもいつも抱えていた。『お願いだからその言い方はやめて。聞いていてつらい。言われる方の気持ちになって』と心の中でいつも思っていた。

 けれど私は母に対して怒りをぶつけられなかった。本音で立向かえなかった。本音を飲み込んでしまうことは私にとって常態だった。母が何倍にも怒りを増幅させて攻撃してくるのが怖くて。それが私にはいつもストレスだった。


 兄はこの冬休みに何度かお見合いをしていたが、なかなか双方の気持ちが合わずまとまらなかった。先方が気に入ってくれても、こちらが乗り気になれなかったり。その逆だったり。写真と身上書の書類とちょっとした会話でしかお互いを知ることができないお見合いで、ぴったりと双方の気持ちが合うなんてあり得るのだろうか。

 兄は一度だけ、持ち込まれた女性のお見合い写真の中で、特に目を止めた人がいた。

「この人、感じが良さそうじゃない?」

 兄が差し出した小さなスナップ写真の中で、パステルカラーのカーディガンをはおったその人は、とても落ち着いた雰囲気で椅子に座り、首を少しかしげるようにしてやさしそうに微笑んでいて。

「ほんとだ。きれいだし感じがいいね。この人とお見合いしなよ」

 私も兄と同じくその人にとてもいい印象を持った。

 しかし、母にとっては駄目だったのだ。その人が近視で普段眼鏡をかけていることを知った母は、ただそれだけでばっさりと候補からはずしてしまった。

 うちは、父も母も兄も目がよくて眼鏡を必要とはしていない。私も右目に幼い頃に傷を負って矯正視力が出にくくなっているが、幸いにもまだ眼鏡をかけなくても黒板の字は見えている。左目はもう近視の域に入ってはいたが、母にはそのことは内緒にしていた。母が家族全員視力がいいことを自慢にしていたから。

 兄がとにかくその人に一度会ってみたいと言っても、私が母に眼鏡かけてる人なんかいっぱいいるじゃんと言っても駄目だった

 母はとにかく、眼鏡をしている人なんて駄目だ、子どもに遺伝したらどうする、子ども全員眼鏡をかけることになってしまう、眼鏡じゃうっとうしくて勉強もできなくなってしまう、馬鹿な子どもになって馬鹿な学校に行くようになってもいいのかと持論をまくしてて、仲人口の人にさっさと勝手に断りの電話を入れてしまった。

 兄や私が、近視が理由で駄目だなんておかしいといくら言っても駄目だった。母は一度駄目だと思ったら人の話に耳を貸さない。自分の考えがおかしいかもとか疑ってみることもしない。反抗しようものなら何倍もの怒りの言葉が返ってくる。そして、母の剣幕に恐れをなして、兄も私も黙り込んでしまうのだ。父も母に対しては無力だった。

 結局兄は、スナップ写真の感じのいい女性と会うことはできなかった。


 兄もまた母の支配下にいて、強く反抗できない人間になっていた。母が怒り泣き騒いだりするのが怖くて、苛立ちをすべて飲み込んで黙ってしまうことが家族の平和を守る術だと父も兄も私も思い込んでいた。

 兄と私二人とも母に一度だけ大反抗をしたことがある、私たちのそれぞれの大学受験の失敗に際して、母がくどくどと嘆き愚痴を言い、情けない、みっともない、恥ずかしいと言い続けるので、兄も私も切れたのだ。

 兄は泣きながら母の目の前で母が編んでくれたセーターを裁ちばさみでジョキジョキ切っていたし、私も泣きながら食べていたうどんの丼を母に(当たらないように)投げつけ、自分の部屋に籠城した。あれほどの激情を母に示したのは、兄も私もその時一度きりだった。母がショックを受け大泣きしている姿を見れば、もうそれ以上の反抗はできなかった。

 私たちは家族としてどこか間違っていた。私が宇都宮にいることがそうは楽しくはなく幸福でもなかったのは、そういう家族の大きなひずみがあったからだ。自分の家がホームドラマで見るような笑いに満ちた明るい家庭とは全くかけ離れていることを感じていたが、私にはどうしようもなく、本を読んだり詩を書いたりすることで作り上げた自分の世界で息をつくしかなかった。自分のメンタルを保つためにいつも気を張って、心を冷たく保とうとしていたので必然的に無口になった。

 父と兄はどう思っていたのだろう。私だけがこの家族関係に苦しんでいたのだろうか。中学、高校から現れはじめた私の胃腸の病気も元々は家族の問題に因を発していると、私ははっきりと確信していた。

 兄も学生時代、体にストレス反応を起こしていて、小さな精神的刺激で起こる嘔吐の症状でしばらく苦しんでいた。小学生だった私は兄がいきなり吐き気に襲われている姿にびっくりし新聞紙を慌てて取りに走ったりしていたものだ。兄もまた「家」の被害者だったのだ。


 時がたち思い返せば、父は、母に抑えつけられている恐妻家の面ばかり私に印象づけてしまっていたが、非常に勉強家でいかなる努力も惜しまず、我慢強く意志が強く時に重大な決断も大胆に下せる人だった。母は気分が不安定でよく落ち込み弱り愚痴も多かったが、それとは正反対に負けず嫌いで、時にアクの強さで周りを閉口させることもあったが、前向きで旺盛な生命力でまわりを圧倒し感化ていた。

 十代から二十代の私は、家族のネガティブな部分ばかり大きく捉えてしまい、ストレスを感じ逃げようとばかりしていた。この家を出ないと私は精神的に死ぬとまで思っていた。しかし大学に合格し、やっと家を離れられるという喜びをもってやってきた東京で、私はたやすく孤独に打ち負かされてしまった。やはり頼れるのは親だけだと感じ、毎週帰省しろと言われれば唯々諾々と従っていた。本当の意味での親離れができていなかった。

 年をとらないと分からないこともある。今ならネガティブなことばかりではなく、両親がやさしく思いやり深かったことも均等に思い出せる。感謝と共にすべて肯定できる。

 しかしあの頃は若かったこともあり、物事の一面しか見えていなかったのだ。それ故に、家族の有り様で深刻に悩み、しばしば隠れてひとり泣き、体を傷めるほど苦しんでいた。私にとって「家」は恐ろしいまでに大きなものだった。逃げたいのに離れられないやっかいな代物だった。


 結婚問題でつらい状況にある兄と比べて、私は桂木と出会えている自分の幸運を強く感じていた。結婚までは考えていない今はまだ友情だが、私と桂木は最初から気持ちがぴったりと合っていた。何度会っても楽しく会話することができた。はめを外した馬鹿話やHな話も笑いながらすることができた。私に接触しようとしてきた何人かの男子のことを思い浮かべても、そこまでくだけて話ができそうと思える人はいない。しかも桂木は時々私をドキッとさせるような重い決めゼリフを言う。その度に私の心は否応なしに彼に引き寄せられていった。

 桂木とはもう半年付き合った。まだ手も握っていないないし、体を触れ合わせたこともない。キスも迫られたこともない。そもそもそういう雰囲気になかなかなれなくて、まったくの正しい友人関係だった。

 しかし、心の中ではどうだろう。桂木のそばにいたいという性の情動があり、同時に他の異性が近づいてくることに拒否反応が生じていたなら、それはもう立派な恋なのかもしれない。桂木にしても「抱く」というキーワードを持ち出してくるということは、私と本気の恋人関係になりたいと思っているということではないのだろうか。

 互いに、そうかもしれないと気づき始めてはいたがまだお互い何も口に出せず、今まで通りの気の置けない友人関係を続けようとしていた。

 東京に一人でいるのは怖い、実家も居心地が悪い。今は実家に、ひいては母に強く縛り付けられていて卒業後は実家に戻らざるを得なくなるのではないかと思っていたが、桂木に賭けてみたいという思いもこの頃から小さく生まれていた。

 長い休みに実家に帰る度に、卒業後は実家に戻らないで自立した生活をするべきだと思うようになってきた。ただそれを阻むものがあるとすれば、私の健康だ。また倒れるかもしれないという不安がいつも心の中にあった。そうなったらやはり実家を頼らざるを得ない。


一か月ばかりの冬休みだったが、何通か桂木と手紙のやり取りをした。


「今年もあと少しで終わりですね。六月に声をかけてくれてから半年。いろいろな事を話しましたね。本当に楽しかったです。つまらない事で心配もかけてしまいました。それでも一緒にいてくれてありがとう。

 こちらは東京に比べてさすがに寒く、雪でも降りそうな北風が毎日吹いています。うちの犬も初めての冬を迎え、朝などはぶるぶる震えておじいさんみたく背中を丸めています。

 冬至まであと一週間あまり。日が暮れるのがどんどん早くなって、夜が一番長くなるのも冬至まで。早く冬至が過ぎて欲しいです。長い夜が嫌いなので。

 最近英文タイプを学び始めました。学ぶと言っても独習本を見ながら家で暇な時に一~二時間やるだけですが。もう一通り文字の配列を覚え、手元を見なくても打つことができるようになりました。何かに役立つかどうかは分かりませんが、とりあえず楽しんでやっています。

 バッハのシャコンヌはもう弾けるようになりましたか? いつか聴かせてください。私も少しずつギターの練習をしていますが、なかなか進みません。上手に弾きこなせたらどんなに気持ちいいでしょう。

 徐々に体重を戻していきたいし、筋肉もつけたいなあ。すぐ近くの野球場でジョギングなどをしています。トレーニングジムとか近くにあったら行きたい気分。

 そちらのアルバイトはどうですか? 危なくないですか? ケガなどしないように気を付けてくださいね。

 レポートを書く宿題が四つほどあるので、そろそろ参考文献も読まなければ。

たいしたこともできずに冬休みが一週間過ぎてしまいました。        ではまた」



「手紙、十八日に着いた。シャコンヌは全曲弾くと十数分あって、A~Z章あるうちまだEかFまでしか出来ない状態だ。休みになってから、ギターを手に取る暇もない始末で、完奏

にはまだまだ程遠い。

 今日は千葉の仕事場が早仕舞になって三時に帰ってこれたのでこれを書いている。ペンキ屋のバイトは毎朝五時半起きで六時少し過ぎに出かけ、帰りは夜七時過ぎになる。仕事は八時から四時までで、主に千葉の市川まで出かけている。屋根の上だとか、ガスタンク(三十メートルはあると思われる)の螺旋階段のペンキ塗りをやるのだが、タンクの上はさすがに高く、風も強い。階段のステップや手摺の裏側を塗る時はどうしても手摺から上半身を乗り出すことになる。これは始め相当に怖かったがこのごろは馴れて、大分大胆になってきた。 しかし、落ちてゆくペンキの雫を見ていると吸い込まれるような気がして足がすくむ。このまま手を放してここから落ちれば、恐らく転落事故として片付けられてしまうのだろうなどとふと考える時もある。俺の死がどれほどの影響力を持っているというのか。その無意味さ加減に俺は憮然としてペンキを塗り続けていた。

 仕事の都合で、夜の銀座や日本橋を走ることがあるのだが、色とりどりの花で埋まった花屋の店先や、デパートのクリスマス用イルミネーションなどを見るにつけ、何か言いようのない胸を締め付けられるような淋しさに襲われるのだ。それはきついバイトなんかでは紛らわしようもない淋しさだ。

 この間のよく晴れた黄金の日曜日、庄司薫の『赤頭巾‥‥』なんかを、乱雑極まりない本箱からやっとの思いで探し出し、冬の薄い陽光を浴びて、家の縁側でページをめくっていたのには少しばかり理由があるのだ。それがどんな理由であるにしろ、その日久しく幸福な気持ちでいたと言っていい。庄司薫などという中学時代の愛読書を今さら引っ張り出して読むほどの心のゆとりなど、今の俺にはあろうはずがないのだ。その理由というのは…‥疲れたのでまた次の機会に書く。ではまた」



「アルバイト、ひどく危険そうですね。富士山の時もとても心配だったけれど…。でも、あなたの生き方はとても鮮やかだと思うのです。お手紙から毎日濃密な時間を過ごしている様子が伝わってきます。それが耐えがたい寂しさを基調としていたとしても、その生は、激しい筆致で描かれた絵のようにあなたを彩っているのだと思います。

私には手紙に書けるようなことがあまりありません。最近兄の車で運転の練習をしたこととか。免許を取るには視力の問題があって、片方の目の視力が極端に悪いので、眼鏡じゃなくてコンタクトでなくては駄目、と眼科医に言われています。来年、コンタクトに挑戦しようかな。

ああ、それから私は『赤頭巾』じゃなくて『白鳥の歌』の方を読み返しています。薫くんの心の声が饒舌で、サリンジャーみたい。でも嫌味の無いやさしさや思慮深さもあって良い青春小説です。

最近、朝六時には犬の散歩に出ています。夜の闇が幾分薄らいだと思われる時刻、まだ空に残っている星などを見ながら、誰も通らない車道の真ん中を堂々と歩くのは快いことです。あなたも朝六時には出かけるのですね。同じ空を共有しているつもりで、私もしっかり歩きます。

もうすぐ大晦日、そしてお正月ですね。  ではまた   よいお年を」



「あけましておめでとう。今年もよろしく。

さて今年の正月は本当に地獄的だ。六科目のレポートを二日から始める予定なのだけど、果たして出来るのだろうか?

二十七日のさだまさしライブコンサート(NHK)は見たかな? 演奏の合間の彼の話が実に良かった。それから一月五日、NHKで『同胞』を放送するから見るように。

言いたいことが山とあるのだが文字にすることを難としている。もうすぐ会えるのだから、その時にでも。では残り少ない冬休みを有意義に過ごしてください。

一月六日にはこちらへ出てくるのだろう? 午後には電話するつもりだ。勿論こちらが勝手にそうするのだから、出られない場合もあるだろうが。では。」



 元旦の朝、六時。犬の散歩に出た。東の空はすでに橙色に染まっていた。普段は人っこ一人いない薄暗い道路を、子どもたちが走っていたり、通り過ぎた家々の庭先から人声が聞こえたりしている。早起きして初日の出を見ようとしている人たちだろうか。まだ月もはっきりと残っている。

 道路の左手に望まれる丘にある育成牧場の放牧地のあたりには、人が大勢集まっていた。皆、馬に跨った騎手のようだ。北の日光連山は白く雪渓を浮き立たせ、峰々の陰の部分に薄い藤色の光を流していた。

 私は付近を一回り犬と散歩した後、駒生野球場の観覧席の一番上に上がり、東の空をみつめた。こんな風に初日の出を見ようとするのは初めてだった。手も足も冷え切って、じっと立っているのはつらい。犬の引き綱を持つ手が痺れるように痛む。耳の奥深くも冷気が差し込むようだ。犬も足の裏がコンクリートで冷たかったらしく落ち着かず、コンクリートの匂いを嗅ぎまわりながら動き回っていた。

 まだ進むべき方向は定まっておらず、昨日、夕暮れの犬の散歩で、田んぼの畦道を歩きながら、体中の細胞が奥深く私に問いただす声にただ胸を騒がせることしかできなかった。おまえはこれからどう生きていこうというのか。一体、何を目的とし、何を喜びとし、何を求めようというのか。人生の目的は? と再び問われた時、私は答えるべき何物かを持っているのか。背丈より高い葦の乾いた草むらの中から、一羽の白鷺が飛び立つ。かつてその白に幸福のイメージを重ねていたことが、今はただ遠い日の幻のように思われる。孤独と寂しさ、それはいつでもどこででもつきまとう。強くならなければ、強くならなければと自分に言い聞かせながらも、自分の立ち位置の頼りなさにうつむきそうになる。

 この朝、一片の雲もない空は一枚ずつ透明な藍色のシートをはがしてゆくように明るくなっていった。七時ちょっと過ぎ、牧場の方から「わあー」っというどよめきが聞こえた。私は待ちくたびれて観覧席に座っていたが、すぐに立ち上がって東に目をやると、そこに今まさに頭を出そうとしている眩しいほどの光源があった。

 新しい太陽。速いとも遅いとも言えない天体のスピードで、太陽は光を広げていった。野球場のナイター照明の電球がプリズムのように光に虹の色をつけて、輝かしく日光を反射している。

 私は陽射しを正面から受け止める。ゆるゆると流れるように生きていきたいのに、それができない今の自分。胸を苦しくするものはたやすくは消えないけれど、何でも話せる友人、信頼できる誠実な異性に出会えただけでも、幸福ではないか。そう繰り返し自分に言い聞かせる。

 足元にうずくまって待っている犬の背中も冷え切って縮こまっている。一年がまた始まる。私は大きく息をつき、犬に「さあ、帰るよ」と声をかけ歩き出す。


 家に帰ると何故か母が泣いていた。早朝から私がいなかったので、家出をしてしまったと思い込み泣いていたのだそうだ。私は心の中で「なにそれ。どうしたらそんなことに思い至れるの?」と思い、一気に不愉快になる。実家にいると不愉快なことばかりが降り積もっていきそうでつらい。


 一月三日には中学三年の時の同窓会があった。宇都宮駅近くの料亭のお座敷の間が会場だった。三十人近く集まっていただろうか。それぞれが大人びた顔になり、それぞれの生き方を選んでいた。就職している者も半数ほど、もうじき結婚するのだという者も何名かいた。かつての面影を探し合いながら、五年という月日のことを考えていた。五十代ぐらいだった担任の先生だけは全く風貌が変っておらず、皆にそのことをいじられていた。

 各々が自己紹介することになり、私は自分のアイデンティティーを、

「早稲田に通っています」

と言うしかなかった。

皆の、おおっというどよめき。

 だって、それだけの努力をしてきた。いろいろなものを犠牲にしてきた。楽しい遊びなんて何もしてこなかった。中学三年の時の、緩みの無いかちかちの私を見てたら分るよね。

 蓮見悦子が、中学の時と同じ可愛らしい笑顔で私に話しかけてきた。

「私、中学の時小島さんのこと大好きだったんだよ。いつも休み時間、勉強しながら鼻歌歌ってたよね。前の席で聞いてて面白い人だなあって思ってた」

「ああ、歌ってた歌ってた。なんかいつもサイモンとガーファンクルを鼻歌で歌ってたよ。うるさかったならごめんね、今更だけど」

「うん。気持ち良さそうに歌ってたね。大丈夫。気にはならなかったから」

 中三の半ばに転入してきた蓮見悦子はおさげ髪が可愛らしい少女だったが、タバコを吸ったとか先生に見とがめられて以来、不良のレッテルを張られていた。生活指導の先生は何かにつけ彼女を咎めだてして、うさんくさいものを見るような目でいつも彼女を見ていた。

 クラスメートたちも腫れものに触るように彼女に接していた。私の前の席だった彼女。時々振り向いて笑顔で話しかけてくる彼女が、全く不良なんかじゃないことは私が一番よく知っていた。

 何が正しくて何が正しくないのか、教師は自分の尺度でしか物事を見ようとはせず、しかもその裏に自己評価を落とすまいと言う利害勘定も見え隠れしていて、そんなところだった、私が一部の教師を毛嫌いしていた理由は。

 彼女は今、京都の服飾関係のお店で働いているそうで、しかも同じクラスだった田淵翔太と同棲しているという。

 田淵翔太はサッカー部で、背が高く足も長く女子に人気のある少年だった。蓮見悦子の隣に座っている二十歳の彼は、いくらか太って鈍重そうになっていた。蓮見悦子は彼との同棲があまりうまくいっていない、と私にささやくように打ち明けた。

「彼が私をよくぶったりするの」と。

私はただ、うなづいて聞いてあげることしかできなかった。

 若いのだからいろいろな失敗もあるだろうしやり直せるよ、そんな安易なことも言いたくなかった。華奢で小柄な彼女。二十歳になった彼女は、女性としての愛に悩む大人になっていた。

 学級委員だった小野寺祐一は、今は教育大に通っていて教師を目指しているという。彼は昔と同じ柔らかな巻き毛で穏やかな目をしていて、お正月の和装だったこともあり一際大人びて見えた。

 クラスで一番背も高く、勉強もできて安定した人だと思っていたが、中学三年の三学期には数学の大事な試験で白紙答案を出してしまったとかで、クラスでも大きな騒ぎになっていた。この時期、一つ一つの試験は内申に響く。県下トップクラスの高校を目指していたに違いない彼が、そこまでのことをしてしまったのは何故だったのか。数学の年配の女性教師と水面下で何かの確執があったのかもしれない。理由は分からなかったが、致命的にならないうちに折り合いをつけたのだろう、今ちゃんと教師を目指している彼を見てほっとした。

 その年配の女性の数学教師は、急に転任してきた先生で、たぶん産休の先生の代理として来ていたのだ。小柄で白髪が目立ち、いかにもおばあちゃんぽいイメージで、声も振り絞らないとよく出ない感じだった。

 私もその先生に、上履きのかかとを潰して履いていることや、タイツの色のことなどで廊下で呼び止められてよく注意されていた。受験前に数学の小テストなどで悪い点をとってしまった時にも、「気を抜かないで頑張らないとだめですよ」と、はっぱをかけられた。その表情に先生なりの必死さが感じられて、私は「あーあ。うるさいなあ」と思いながらも、別に先生を嫌いになることはなかった。

 その先生はいつもちゃんとしたスーツを着ていたのだが、黒板に文字を書こうと背伸びして腕を上げると、必ずスーツの襟元が緩んで下着が見えてしまう。女子はそれを見て嫌な気持ちになり、男子も気まずいような視線を投げかけニヤニヤしている。

 一部の女子はその先生のスーツにチョークの粉が真っ白につくように教壇の机や黒板の下に細工をし、授業中も、先生を困らせるような質問ばかりしていた。それはその先生に対しての明らかないやがらせだった。

 そんなことをしていた女子が、今、県内の教師を目指す大学に行っている。ずっと品行方正な生徒だった振りをして、人を正しく導けるような顔をして。だから私は、教師だからといってすべてが尊敬できる人格者だとは思わない。知識と技術だけしか持たない不適格者も大勢いる。その時傍観するしか出来なかった私もまた、最初から教師になれるはずもないと心得ている。

 それとも、まだまだ子どもだったのだからそんな過ちも仕方ない、という免罪符でもあるのだろうか。



 冬休みの間に、宇都宮に帰省している篠田哲から二回会いたいという電話があった。文学の話をしたいという。今書いている小説を持って行くから、私にも詩の原稿を持ってきてほしいと。しかし用事にかこつけて断わった。恋愛感情を心に持つ人と、気安く会えるわけがなかった。それに詩の原稿は東京にある。

 彼が徹頭徹尾、私に対する特別な好意を隠していたなら、もしかしてちょっと会って話すぐらいは、と私も思ったかもしれない。彼は正直すぎたのだ。けれどそれによって私は早めに決断することができた。よく知り合うこともないうちなら、互いに引きやすい。それはあくまでも私の側の勝手な都合ではあったが。

 しかし、彼が書いているという小説の中に出てくる私らしき女性の描写は読んでみたかった。人がどう私を評価し、どう思っているのか、どう見えているのか、はっきりと知らされたことはないし、私に接して来る人たちの態度、投げかけられる眼差しなどによってしか、自分という人物の正体を感じることができなかったから。

桂木は、

「おまえ、鏡を見て自分の事きれいだとか思ったことないの?」

と聞いてきたことがあったが、

「だって桂木くん、前に私の鼻筋が青く浮いてるって言ったから、鼻筋ばっかり気にしてるよ」

と私は答える。それを聞いて彼は笑う。

「そうそう、おまえの鼻の血管、気にすると気になるよな」

 私の鼻には何故か一本の血管が青く浮き出していて、触ってみると脈打っているのだ。私はいつも鏡を見て、この血管がなくならないかなあと思っていた。

 また、少し前の学期末に英文科の女性教授に直接レポートを出しに行った時、まじまじと顔を覗き込まれてこう言われたことがあった。

「あなたは頭が良くて美人でスタイルがよくて、なんていい人なんでしょう」

 ああ、この先生にはそんな風に見えているのか。私がいろいろな心の悩みに落ち込み、自分の外見がどうとか考える余力もなかった時のことだ。

 西城研二が、私が彼の事を日記に書いていたことを知って喜んだように、誰かの日記に私の事が書かれているのだろうか。それはどんな私だろうか。篠田哲が書く私はどんな女性だろうか。たいした話もしていないし、多くは空想の私、多分理想化し美化した私なのだろう。

 他人が見る私。憎まれたり軽蔑されたりもあるとしたら、もしかしたら何も知らない方がいいのかもしれない。


 上京する日、昨夕吹いた風でひどく冷え込み、水たまりの氷は厚くかちかちに凍っていて、足で強く踏んでも容易に割れなかった。早朝の犬の散歩を終えて犬小屋にリードをつなぐ。もうしばらくはこの犬とも会えない。一緒に東京に連れていきたい気持ちにかられて、しばらく腕に抱き締めていた。

 もう何度東北線に乗ったことだろう。何度も乗っているのに、まだ力を抜いて身を任せる気になれない。

 電車の斜め向かいの席に、大学一年らしい青年が両親と共に座っていた。両親は青年に、

「駅弁買おうか?」

と話しかけている。このまま一緒に東京まで行くのだろうと思って見ていたら、発車間際になって両親は電車から降りた。

「じゃあ、体に気を付けてね。電話しなさいよ」

母親が窓から背伸びしながら話しかけている。青年は言葉少なくうなづいている。

 人の別れであっても、じっとみつめていられない寂しさがそこにあった。電車が動き出す瞬間、私が努力しなければ克服できなかったあのめまいを、この青年も感じているのだろうか。それとも既に心は故郷など見捨てているのだろうか。ホームを離れると青年は足を投げ出して本を読み始めた。

 私の前に座っている仲の良さそうな若い夫婦は、かわりばんこに赤ちゃんを抱き上げて笑いかけている。足元から吹き出す暖房が暖かい。


 軽い頭痛に耐えながら上石神井の駅に降り立った。またこの町に一人きりだ。下宿の部屋の鍵を開けると、少しかび臭いような畳の匂いがする。一か月間、空気の通わなかった部屋は、出て行った時と同じ空気で私を出迎える。窓を開けて壁に凭れて座り込んだ。この部屋とこの静かさに慣れるまで、すぐには立ち上がる気力が出ない。

 少したってから冷蔵庫の電源を入れ、荷物の整理をした。着替えや、お米や、おせんべい。母が電車の中で食べるようにとおにぎりを作ってくれたが、宇都宮を発つ日は特に食欲も無く、車中では食べる気になれない。もう二時になっていた。

 突然、廊下の電話が鳴った。まだ両隣の部屋の人は帰省から戻っていないようだ。その電話には心当たりがあった。私は急いで部屋を出て電話を取った。

「はい、もしもし」

「小島さんはいらっしゃいますか? 桂木と申します」

 生真面目な早口の声。手紙にあった通りに電話をかけてくれた。期待する気持ちは電車に乗り込んだ時から確かにあった。ひどく心細い気分でいたので、体中の血管が生気を注ぎ込まれたように暖かくなる。

「あっ、私です。今着いたばかりなの」

「そう。今、この前の電話ボックスの所にいるんだけど、出てこられる?」

「ええー?! 本当? あそこに? 五分待って。すぐ行く」

まさか、ここまで来てくれるとは。そこまでとは思いもよらなかった。

 私は急いで電話を切り、クリーム色のセーターに着替えると、ほとんど分からない程度に薄く口紅をつけ下宿を飛び出した。

 すぐ前の道に彼の灰色のシビックが停まっていた。逆光線で中が暗くてよく見えなかったけれど、中にいるのは確かに桂木隆司であるらしかった。

「わあー、久し振りー。来てくれたの? びっくりしたよ」

車の中を覗き込むと彼は黒っぽい半纏を着ていて、ハンドルに手をかけたまま、にやりと笑ってみせた。

「あれー、半纏なんて着てるよ」

「思い立って急に来たからな」

 彼は半纏を脱いで車から降りて来た。窮屈そうに屈めていた背を伸ばすと、こんなに背が高かっただろうかと改めて気付かされた。幾分痩せたような気がする。今まで上京しても誰も待っていてくれなどしなかったから、こうして実際に彼が出迎えてくれたことが無性に嬉しかった。

「どう? 元気だった?」

「うん。元気だったよ。アルバイト大変だった?」

「まあな、高所恐怖症の奴だったら絶対出来ないね」

「あ、だったら、私、出来ない」

「高いとこ苦手なのか?」

「うん。大嫌い。小学生の時なんか、学校の二階だって窓の下覗くの怖かった」

「そうなのか。重症の怖がりだな」

 去年四月、春雷の鳴っていたあの夜も、別の人に「怖がりだね」と言われたことをふと思い出した。あの頃と今と、私はどう変わったというのだろう。相変わらず怖がりのままで、まだ泥にまみれることが出来ずにいる。でも桂木のおかげで、私の世界は少しずつでも広がっていっているのだ。去年、どんなに彼の存在に救われたことか。

「こんな所じゃあなんだから、サ店にでも行って話ししよう。確か駅前にあったよな」

 私たちは上石神井の駅前にある船室を模した造りの『CABIN』という喫茶店までゆっくり歩いていった。

 ここの店員は皆若い男性で、グレーの短い上着に、ややダボダボなズボンをはいている。船員のようなイメージとして見るつもりならそう見えないことも無い。窓の無い店内には本物の碇や舵がディスプレイされていて、海の底深くに沈んだ難破船のようだ。歩くとガタガタと音をたてる板張りの床を、私たちは隅っこの席を探して奥へ行った。荒井由実の曲がかかっている。

「なんだか心から笑えることが最近無くってさ。明るく騒いでる奴って軽薄そうに思われるけど、結局は一番楽しく生きてるんだよな。俺はこれでいいんだ、こんな生き方もあるんだって、いくら自分に言い聞かせても、やっぱり騒げる奴の方が幸せなんだよな」

「そうだね。私も帰省してて随分考えたよ。つまんないことでしょっちゅう悩んで、落ち込んじゃってさ。もっと毎日を楽しめ、って思うんだけど、夕方すぐ暗くなっちゃうことだけでも胸が締め付けられて。なんだか無意識に生きられなくなった」

「何なんだろうな。俺たち考え過ぎなのかもしれないな」

「うん。お正月の時、中学三年の同窓会があったんだけど、皆ちゃんと生きてて、自分が恥ずかしくなったよ。教員目指してる人とか、レントゲン技師の専門学校行ってる人とか、成田空港のレストランで働いている人とか、しっかり自分の生き方を持ってて。私だけ何にも先が見えない」

「自由な時間をもらったんだから、自由を有意義に使わなきゃな。生きてりゃ何となく先も見えてくるよ」

彼は運ばれてきたコーヒーを一口すすった。

「それはそうと、山田洋二の『同胞』見て、涙出なかった?」

彼は私の感想を聞きたそうに、少し身を乗り出した。

「ああ、涙は出なかったかな。でもすごくひたむきっていうのは伝わってきたよ。夢中になれることがあるっていうのは素晴らしいよね。皆で一致団結して行動するなんて、文化祭とかそんな時しか無かったから。いいよね、同じ方向を向いてる仲間がいて熱くなれる目標があるって」

「そうか。俺なんか映画館で最初見た時、涙止まらなかったよ。テレビだと大分カットされてたから、やっぱり映画館で見なくちゃ駄目だな。あんな生き方が出来たらと思うよ」

「そうだね。仲間がいるって大切だね。…でもさ、そんないい仲間が仮にいたとして、私はきっと途中から疎外感とか勝手に感じ始めて居心地悪くなっちゃうと思うんだ。形ばかりうまく溶け込んでる振りをしてても、心は冷めちゃってるの。そんなとこだよ、私が駄目なところは」

「そうだな。俺も同じようなものだよ。限られた人間としか話ができない。おまえとこうして何でも話せるっていうのは奇跡だよ。友だち百人に値する」

「おお、そこまで言ってくれる? うれしいねえ」

私はくすぐったい思いで笑顔になる。

何も食べていないお腹にホットミルクを少しずつ流し込んでいく。コーヒーはまだ飲める気がしない。荒井由実の「ひこうき雲」や「海を見ていた午後」などの曲がBGMで流れている。

「今度、どこかに行こう」

彼はテーブルに頬杖をついて言った。

「どこかって?」

「井の頭公園なんかは?」

「うん。いいけど」

「まだ男と車に乗るのこだわってる?」

「ちょっとは…」

「男と女なんてこだわることないんじゃないの? 男と女の間には友情が成り立たないのかな。そんなことないだろ? 友情あるよな。友だちでいいよな」

彼は微笑みながら早口でそう言った。

 本当に友だちのままでなんかでいられるのだろうか。長時間一緒にいたら、気持ちがどう変化していってしまうかわからない。

 でもいいや、と思った。断る理由もなかった。好きなのだから。彼とならどこへでも行ける。ただ、体が触れ合うことがあったらどうしよう。

 私が前に進むのを臆するのは、こんな私でもいいの? という自分への自信の無さがあったから。私のように物事を複雑に考え過ぎてくよくよしがちな人間よりも、いつも快活で明るく健康で彼を盛り立てていけるような女の子の方が、彼に合っているのではないか‥‥。それはもう今までさんざん思い悩んできたことだ。

 しかし、もし彼が私から離れていくようなことがあったら、私にとってそれはもう考えられないほどの打撃になることも分かっていて‥‥。彼がいなくなったらまた私の人生がガタガタと音を立てて崩れてしまう‥‥。

 そう思うなら、桂木は私にとって必要不可欠、唯一無二の人になってしまっているということで、もう恋愛に足を一歩踏み入れてしまっているということなのかもしれない。まだ性懲りもなくお互いに友だちだと言い合ってはいたが。

 

「うん。じゃあ、行こう。井の頭公園でも、多摩動物公園とかでもいいよ」

私は迷いを吹っ切るように言った。

「よし。今年はいろんなとこに連れ出すから覚悟しとけよ」

彼のちょっと上目使いのような強いまなざしが、私を茶化すようにみつめる。

とにかく前に歩き出さなくては。いつまでも同じところにはいられない

 


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